27 エターナルフロストタルト ②
「よし、休憩だぞ。カミーユ」
アルバンが足を止めた。
そこはよく使われる休憩場所なのだろう。少し開けた場所が作られている。
助かった、とカミーユは石に近づき、座り込んだ。
「はあっ、はあっ、はっ」
「やっぱり無茶だったんじゃねえか?」
「はあっ。そんなこと、ないっ。香りが、待ってるぅ」
「カミーユさん、大丈夫っすか?」
「っ。だ、大丈夫。思ったより、キツイ。はあっ」
「大丈夫に聞こえないっす。水を……」
そこへフィンがカップを差し出した。
カミーユは頭を下げて受け取ったが、そのまま不審げにカップの中を見つめた。
「なんですか? これ。青臭い……」
「魔力回復薬が溶かしてある。足を強化して歩いているだろう? それでは疲れるに決まっている」
「そうしないと、足が上がらないですもん」
グイッと一息に飲んだカミーユが、驚いて目を見張った。
「甘い? 香りはひどいのに」
「『香りはひどい』は余計だ。香りで効果が高くなるなら考えるが。まあ、それが甘く感じるなら魔力を自分で思う以上に使ってるぞ。気を付けないと」
エターナルフロストタルトの採取は、結局、アルバン、ジャック、ジーン、バートと共に、フィンも参加することになった。
この特殊な花は凍らせたまま持ってこないと、街に戻る前に消えてなくなるらしい。
探索者ギルドの箱はもちろん、足りなくて商業ギルドの箱も借りるくらいだ。行くなら自分で箱を用意しないとならない。
ため息をついたアルバンが、フィンが持っていると教えてくれた。
話をしたら、箱持ちとして自分も行くという。考えたら、フィンも入れてちょうど六人。同行してもらわねば、カミーユが困るところだった。
「もうすぐ
「いや、アルバンさん、あれは慣れなければここより難しいっすよ。なあ」
「滑るし」
「腰を打って酷い目にあいましたよ」
ジャック、ジーン、バートはアルバンの意見には賛成しなかった。
カミーユはこれから先の道を思ってため息を吐き、ブーツから紙をペリペリと剥がした。
紙とともに、くっついていた泥もごっそりと落ちる。
「これですもん。重りを足にくっつけて歩いてるのと同じですよ」
「少し前は、この辺りまで凍ってたんだがな。まあ、もう花の季節だし」
アルバンが、ペーパーツリーの樹液をカミーユのブーツに塗り始めた。
この樹液は乾燥すると薄紙のようにブーツを覆う。紙を剥がせばブーツはきれいなままだ。
水分をはじき、泥も付きにくく、今日のような道行には必需品だというが、完全に防げるわけではない。泥が少しでも付くとその上にどんどん重なり、石のように重くなる。
「私だけ泥だらけなのは、歩き方が変なのかな……?」
「まあ、慣れだろ。新人は皆そうだ」
バートが全員に昼食を配った。
包み紙はこれもペーパーツリーなのか、同じようなうす茶色をしている。
中身はパン爺の屋台のシルヴァンピッギーだが、これは焼いてパンに挟んである。パン爺の差し入れで、バートが今朝わざわざ取りに行ってくれたらしい。
「さて、カミーユ。食べながら最後の確認だ。あと少しで氷の森だ。休憩が終わったら虫除けを使う。虫除けがあれば怖くないから、叫ばないこと。他の魔獣を呼び寄せる」
「わかりました」
返事をしながらカミーユはそっと目を逸らした。
虫除けのテストで確かに叫んだが、あれは仕方なかったと思ってる。
モスキートが知っているモスキートのサイズじゃなかった。手のひらサイズで、ブンブンうなるモスキートは普通に怖いと思う。
あんなに長く太い口で刺されるのは、たとえ魔力や血を吸われなくてもごめんだ。側にも寄られたくはない。
新しく作った虫除けの試作品の中でも一番効いたものを今日は持ってきている。
絶対大丈夫だ、と、カミーユは自分に言い聞かせるようにした。
「わあ、ほんとだ。急に……」
進むにつれ少しずつ冷えてきた、と思ったら、目の前に白い絨毯が敷かれた。
雪ではない。氷と、エターナルフロストタルトの小道ができている。
「この下は水なんですよね?」
左足を伸ばして突いてみたが、しっかりしている。みしりともいわないし、カミーユが乗っても大丈夫そうだ。
恐る恐る確かめているカミーユの横から、アルバンたちは一歩を踏み出した。
「大丈夫だぞ。エターナルフロストタルトの近くにいれば、しっかり凍っているから問題ない。逆にないところに行く時は足元に十分注意しろよ」
「はい」
「もうちょっと奥から刈るか」
「そうですね」
カミーユも一歩を踏み出した。
これがエターナルフロストタルトの効果だというから面白い。
水辺に生えるというか、水草らしいのだが、寒い季節に茎をのばし、花をつける。
そしてその花が気温をグングンと下げ、辺りを凍らせるらしい。
氷の上に茎が突き出し、エターナルフロストタルトの花が風に揺れている。
「
フィンも氷の森へは初めて来るらしく、当たりを見回している。
「よくこの花が凍らせている原因だとわかったものだ」
「ですよねえ。それを突き止めて、さらに冷凍庫に使おうと考えたなんて。すごいなあ」
「ほんとに。種の季節にでかい氷室を作っても葉の季節まで保ちませんでしたけど、それがこんな小さな冷凍箱にしても凍るっていうんですから」
ジーンもうんうんと頷いている。
「気づいたのは探索者でな。それはだいぶ前からわかってたんだ。だが、特に名もない花だったんだよ。その花に価値を与え、エターナルフロストの名を付けたのは職人だがな」
アルバンが近くの花に手を伸ばした。
ぽきりと、花の下で折り取るとカミーユの手に載せた。
「わ。結構冷たい」
「そのまま見てろよ」
「えっ?」
手の上の花がふるりと震えた。
風に揺れるのとは明らかに違う動きで、見ているうちに花びらが落ちる。
「あっ!」
一枚落ちるとそこからはあっという間だった。
花びらが落ちたかと思うと消え、カミーユの手の平にはほんの少しの水が残るばかりだ。
「ええっ? 溶けた! 消えた! 花でしたよね? 氷じゃなかったですよね? なんで?」
「これは私も初めて見た」
フィンもカミーユの手の平をじっと見ている。
手に残った水に鼻を近づけるが、香りの特徴が捉えられない。
「うーん?」
「どれ」
フィンもカミーユの手に鼻を寄せるが、眉を寄せた。
「カミーユ、無理だ。虫除けの香りしかしない」
「ああ、まあ、そうですよね」
調香の邪魔になるので、カミーユは普段香水を付けない。
だが、今回はフロストモスキート対策でしっかりと付けた。もうそれはたっぷりと。皆に呆れられるほど。
「種の季節に咲く花は珍しいだろ? かみさんのために摘んで、鞄のココに差して帰ったら無くなってたんだとよ。落としたかと思って、次の日もやってみたらまた消えた。それで気づいたらしいんだわ」
「うちのギルド長っす」
ジャックが付け加える。
「へえー。……あ、え? それってプリムローズさんの旦那さんの? ダメ狼の?」
探索者四人がそろって頷いた。
「奥さんに花を摘むような方なんですねえ」
「船に乗ってしばらく帰らなかった後だったんだよ。戻ってすぐ、今度は森に籠っちまったから、さすがにマズイと思ったらしい」
「お前に似合う花があったって鞄を見たらなくて、嘘を言うなって喧嘩になったって、有名っすよ」
「酒場で語り継がれるギルド長伝説の一つだよな」
「そうそう。花が有名になったから余計に話されるようになって、新人も皆知ってる」
「……そ、そう」
「でな、何度も試すうちに、花を摘むと氷が溶けるとわかってな」
パッと残った茎を見るが、何かが変わったようには見えない。
「ああ、完全に溶けるには数日かかるぞ。じゃなかったら危なくって、採取できないだろ? じゃあ、奥から始めるぞ」
カミーユは慌てて頷いた。
エターナルフロストタルトの採取は、とにかくスピードと温度が大事だ。
見た通り、手のひらの熱でさえ影響を受ける。
手袋をして、ハサミで切って、そのまま冷凍箱に入れないとならない。
カミーユはフィンと組んで、採取に当たっている。ふたりで大箱を持って移動して、パカリと蓋を開けたら、さっと辺りの花を摘んでまた移動する。
ブウンという羽音が聞こえたら、パッと辺りを見回すのも入っているから、カミーユは忙しい。
「カミーユ、大丈夫だ。ちゃんと効いてる」
何度なだめられても怖いものは、怖い。
「……それでよくここまで来ようと思ったものだ」
「そこにまだ見ぬ花があるならば!」
「どこの探索者だ。こういう採取のために探索者がいるんだぞ?」
カミーユが口を尖らせた。
「アルバンさんにも昨日言われましたよ。『なぜ自分で行こうと思う』って。でも、エターナルフロストタルトって、今不足してるから高いんですもん」
「虫除け待ちだったからな」
「とても私の実験のために払える値段じゃなかったです。……冷凍箱も」
カミーユがシュンとした。
フィンがぐるりと辺りを見回した。
「これから数日、取りつくす勢いで採取されるだろうな」
「自分の足で行けば無料。まあ、私は今日だけでいいですし、皆さんに迷惑かけちゃったけど。パン爺にもらった貝で、おいしい酒蒸し作ります」
今日の冷凍箱貸出料とフィンの付き添い料を口にして、カミーユがペコリと頭を下げた。
「……煮魚も忘れないでくれ」
「ふっふっふっ。パン爺の秘伝ぐらい、美味しいのを作りましょう。お任せあれっ!」
ここまで来るのに時間はかかったが、採取はすぐに終わった。
今、カミーユは川岸に跪いている。
クレスの採集だ。
ジャックたちは三人でパン爺に頼まれた分を採り終えると、フロストベッリーとシルバープラムの採集に向かった。
クレスをまとめて紐で縛っていると、あの嫌な羽音が聞こえた。
それも大きい。
近くにいる!
ハッと顔を上げてみれば、黒い大きな塊が見えた。
「ひっ! うひゃああああっ!」
これは叫ばずにいられない。
一匹、二匹じゃない。何十匹ものフロストモスキートがボール状になって、ブンブンと威嚇するような音を立てている。
「どうしたっ! ……うおっ、こりゃまた大群だ」
背後からアルバンの声が聞こえるが、カミーユはそれどころではない。
腰から下げていた虫除けの香水瓶の蓋を取ると、バシャッとモスキートに向かって振りかけた。
「水よ! 霧となり散れ!『ミストッ』!!」
「馬鹿っ! カミーユ、効かねえよっ! そりゃあ殺虫剤じゃねえんだっ!」
アルバンの慌てた声がするが、そうだと思ってももう遅い。
忌避する香りを振りまかれたモスキートは、少しカミーユから距離を置いたが、すぐに前以上の威嚇音を立て始めた。
「ひぃいいいいいいいっ!」
その時だった。
「カミーユ。そのまま頭を下げていろ」
フィンの声がして、慌てて頭を抱えた。
「燃やし尽くせ。『
カミーユの頭上を熱が通りすぎた。
ボムッ。ゴウッ。
その音に顔を上げれば、黒い塊が燃え上がり、バラバラと崩れて川に落ちていく。
「……っとに、相変わらずだなー。川の上だからっておおざっぱすぎねえか?」
呆れたように、アルバンがつぶやいた。
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