26 エターナルフロストタルト ①

「嬢ちゃん、嬢ちゃん」


 商業ギルドから試香紙ムエットに使うサンプル紙をもらった帰り道、カミーユは呼び止められた。

 

「パン爺。おはようございます」


 手を挙げているのは、顔なじみとなった屋台の主だ。

 白髪交じりの頭に、日に焼けた肌。体つきもがっちりとしているパン爺は、若い頃は船に乗っていたと聞いた。

 遠国出身だというパン爺の本当の名前は長かった。

 パンというのだが、クリームでも、チョコでも、アンでもなく、覚えにくかったので省略している。

 パン爺も、ガハハと笑って許してくれ、今もニコニコとカミーユを手招いている。


「ちょっと早いけど、昼を食べていかねえか? うんめえのがあんのよ」


 カミーユはいそいそと屋台に近寄った。

 パン爺のうんめえは、本当にうんめえなのだ。


「今日のうんめえは、魚? 肉?」


 パン爺の屋台は、常に魚ばかりではなかった。

 もともと港近くの食料品店の主だったのだが、跡を息子に譲ってからこの屋台を出したと言う。

 屋台では、店で仕入れたものの中で、パン爺がうんめえと思ったものを出すらしい。


「今日はシルヴァンピッギー。魔豚だな。とっろとろだぞ」

「シルヴァンピッギー」

「鼻が利いて、うんめえものを探すのが得意な豚よお。うんめえものを食べて、うんめくなってるのさ。探索者も嗅ぎ分けるから、逃げ足も速えけどな」


 カカカッと笑い、パン爺が大鍋の蓋を開けて見せてくれる。

 むわりと湯気が立ち上がった。

 角煮だ。四角く切られたシルヴァンピッギーが、茶色のタレに浸かってツヤツヤと輝いている。

 カミーユの鼻がヒクリとした、唾が自然と湧いてくる。


「うははは、これ、絶対うんめえヤツです! パン爺、これ、秘伝のタレでしょ?」

「おう、わかるかね。さすが調香術師だなあ!」

「でも、ちょっと違う。ジンジャに、んー? これ、なんだっけ。黒砂糖? 黒砂糖使ってる?」


 パン爺は目を丸くして、それから声をひそめた。


「しーっ! 嬢ちゃん、しーっ! 秘伝だからよ? な?」


 パチンとパン爺がウィンクをする。

 カミーユも付き合って、口を押えた。


「あ、ごめんなさい。……パン爺、いただきます」


 屋台後ろのテーブルにつくと、パン爺がパンと角煮を盛りつけた皿と、白パンの入った籠を運んできた。

 どうやらこのパンに挟んで食べろということらしい。

 フォークで刺せば、秘伝のタレがシミシミで、テリテリの角煮がぷるりと震えた。


「ふふふふふ」


 この白パンもちょっと違う。

 蒸しパンのようにやわらかで、ふかふかだ。

 大きく口を開けて噛みついた。


 ふわふわもっちりとしたパンに、ほろほろとほどける角煮。

 赤身も脂身もおいしく、甘辛でトロトロに煮込まれている。


「どうだ?」


 パン爺が自信満々の笑顔で聞いた。


「パン爺! うんめえですよ! とろりと口の中で溶けました。秘伝のタレもコクがあって。でも、さっぱり?」

「そうだろ、そうだろ。そのコクはな、秘伝のアレよう」

「アレですね!」

「アレだ。タレが染みて、でも余計な脂が落ちるから、重くねえだろ?」

「はいっ! いくつでも入ります」

「そうか、そうか。たあっぷり食べて、丸っこくなれ」

「え! 丸っこくはならなくていいかなあ」


 カミーユがイソイソと角煮を挟みこむのを、パン爺は喜んで眺めた。

 細っこいのに、パクパクと勢いよく食べるカミーユは、パン爺のお気に入りだった。

 



「あ! ジャックさん! バートさん!」


 商業ギルドの方から、二人が大きな箱を下げて歩いてくる。

 カミーユは立ち上がり、手を振った。


「カミーユさん、お疲れっす」

「ちはー。お昼ですか?」


 二人は、今日はなんだ、というように、カミーユの食べ終わった皿にチラリと目をやった。


「角煮でした。フワフワで、シミシミで、トロトロで、ホロホロで。最高にうんめかったです」

「フワフワでシミシミ」

「トロトロでホロホロ」


 二人の声が揃った。


「「おやっさん、二つ!」」


 カミーユの向かいに、二人が腰を下ろす。

 バートの横に箱が置かれたが、軽い音がする。


「大きいですけど、軽いんですね」

「ああ、冷凍箱ですよ。今は空」


 バートがコンコンと叩いた。


「冷凍? 持ち運びできるのがあるんですか。っていうか、そんな大きいの、氷魔石がどれだけいるんですか⁉」


 カミーユの冷蔵庫にも、冷凍できる場所が付いている。

 氷魔石を入れる部分の横がそうで、でも、手のひらぐらいの大きさしかない。


「これ、最新型なんっすよ。エターナルフロストタルトが使われた」


 パン爺が皿を持ってきた。


「ほれ、嬢ちゃんは、これだ」


 カミーユの前にも、二人と違う皿が置かれた。

 中は、白と緑が混ざったような淡い色をした、とろりとしたスープが入っている。


「スープ?」

「クレススープさ。季節もんだからな。『花の季節にゃ苦味を盛れ』って言うだろ?」

「えーと、花の季節は苦み、葉の季節が酸味。実は甘味、種は厚み、でしたっけ?」

「そうだ。あれにゃあ、ちゃーんと意味がある。苦みで身体を起こすのよ。シルヴァンピッギーは厚みで、クレスが苦み。嬢ちゃん、これでちゃんと二季節制覇だぞ」


 そう言って、カッカッカとパン爺は笑った。


「そういやあ、明日行く場所は、クレスも採取できるっすよ」


 角煮パンを飲み込んだジャックが言えば、バートも頷いた。


「必要なら採ってきますよ?」

「お、どこだ?」

氷の森フロストシルヴァっす。エターナルフロストタルトの採取で」


 パン爺が踊り上がった。


「そうか! やっと採取か! いやあ、店に最新型だっていう冷凍箱が欲しかったんだが、アレが取りにいけなくてダメだと言われててな」


 バートが冷凍箱に手を置いた。


「これがその最新型です。エターナルフロストタルトを明日、これに入れて持ち帰るんですよ」

「職人ギルドが待ち構えるっす。量がいるんで商業ギルドの箱も借りてきたっす」


 パン爺の目が光った。


「見せてくれっ!」

「まだ魔石も入ってないっすよ」

「いいから、いいから」


 パン爺は箱の前に座り込むと、蓋を開けた。

 カミーユも身を乗り出す。


「ここに氷魔石を入れるんです。内側のこっちにフロストタルトが」


 バートが中のパネルを開けると、ツルツルの青白い花が入っている。


「これがエターナルフロストタルト? 花のまま使うんだ」

「これ、加工されてるんですよ。 加工方法は秘匿されてますけどね」

「ほおほお」


 パン爺が四辺にあるパネルをすべて開けていく。

 カミーユの鼻にかすかな香りが届いた。


「ん? これ、エターナルフロストタルトの香り?」


 カミーユはベンチから滑り降りてパン爺の隣に座ると、頭を冷凍箱に突っ込んだ。


「え、香り? エターナルフロストタルトは、香りなんかないっすよ」


 ガバリとカミーユは頭を上げた。


「あります、あります。かすかですけど」

「どれ」


 パン爺が変わって頭を突っ込んだ。


「んー、あるな。わかるかわからないか、ぐらいの。……メローンっぽいか? 甘くねえメローンだなっ」

「そうです、そうです。メローンとか、コンコンブルっぽい、おおー! いいですね、これ。とてもいい!」


 今度はカミーユが踊り上がった。

 前世の香調のひとつにマリンという、海や潮風を思い起こさせる軽くて爽やかな香りがあった。海、潮風、海藻のような香りに、水や夏を思い起こさせる瓜系のスイカやメロン、キュウリなどの香りも、マリンノートの一つに加えられていたと思う。

 マリンの香料は、前世では合成香料だけだった。

 でも、この世界なら違う。エターナルフロストタルトは、マリンノートに加える香料として、ぴったりだと思う。


「私も行きたいです」

「えっ?」


 三人がカミーユを見つめた。


「私も、エターナルフロストタルト採りに行きたいです」

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