16 薬術師と特殊な素材

 ジーンとバートも気が付き、三人共になんとか動けるようになった。

 少しだるいぐらいだというジャックは家に戻り、他の二人はギルドの上階に宿泊するそうだ。


 カミーユはプリムローズとともに、探索者ギルドの別室に移動したが、カミーユの目からはまだ時折涙がこぼれていた。

 泣きたくはないが、溜まった水が溢れるように止まらないのだ。

 

「これでも飲んで少し落ち着くといいよ。アイツらは大丈夫だから」

「すみません……」

 

 暖かい紅茶にローザのジャムが入っている。

 馴染んだ香りとその甘さに、カミーユはほっと息をついた。

 

 扉がノックされ、アルバンが入ってきた。


「代理、ジャックは一応一人ついて家に戻った。香水を買って森に入った奴らの依頼がわかって、何人かが心当たりを見回りに出た」


 ビクリとしたカミーユに、アルバンは笑顔を見せた。


「大丈夫だ。依頼からして、すぐに必要そうな場所じゃねえ。念のための補給だろう」


 カミーユはコクコクとうなずいた。


「ああ、そうだ。代理、商業ギルドからはこちらにいて問題ないと」

「ん、わかった」


 そうだ。代理。それを聞こうと思っていた。


「あの、プリムローズさんは探索者ギルドも携わっているんですか……?」

「ん? ああ。ギルド長代理ってことになってる。ギルド長は、あんのダメ狼、自分が探索に出るんだよ。まあ、副ギルド長がいるから、ほとんど任せているけどね」

「え、それって、三ギルドの面倒を見るんじゃ……」


 カミーユは唖然とした。

 商業ギルドに、調香術師ギルド。それだけでも大変だと思ったのに、その上、探索者ギルド。

 王都商業ギルドのトールが、頼りになると紹介するわけである。


「探索者ギルドの長は凄腕の探索者でな。プリムローズ代理の夫だ。大抵遠方ばかりに行くから、なかなか戻らない」

「はあ……。なるほど、それでダメ狼」


 アルバンがこそりと教えてくれ、カミーユは納得した。


 ジーンとバートが無事に部屋に入り、フィンの手も空いたようだ。


「フィン、助かったよ。お茶でいいかい?」

「いや、できればカフェーを」


 ソファーに腰を下ろし、まくっていた白いシャツの袖を戻している。

 カミーユはチラリとフィンを見た。

 日に透けるようなブロンドの髪に、さっき下でみた目は緑だった。歳は、アルバンとジャックの真ん中、二十台の半ばというところだろうか。

 アルバンたち探索者と違った雰囲気で、テオドール先生の教え子と言われれば、わかるような気がした。

 

 届いたカフェーがフィンに渡り、彼がそれを一口飲むのを待って、プリムローズが口を開いた。


「戻ったばかりだろう? 向こうは落ち着いたかい?」

「ああ。長い事留守にして申し訳なかった。ちょうどそこで、二人を背負ったジャックに行き合ってね」


 薬が出て来た鞄以外に、大きなトランクもあって、どうやらカミーユの隣人は旅行に出ていたようだ。


「ああ。運が良かった。ジャックの魔力量が多くて三人ともその場で倒れなかったことも、おまえさんがちょうど戻ったのも」

「フロストモスキートだったことが最大の幸運だ。弱くとも虫除け効果があったはずだし。ホルネットだったら、こうはいかなかっただろう」

「……で、フィンはカミーユの調香した虫除けが効かなかった理由に、心当たりが?」


 カミーユがピンッと背筋を伸ばした。


「恐らく。……登録レシピを見せてくれないか?」


 プリムローズが目配せをすると、アルバンがレシピを取りに部屋を出て行った。


「カモミール、ミンツ、ローザゲラニウム、ラヴァンダ、リモーナグラス、すべて同量ずつでした」


 フィンがうなずいた。


「私は薬術師で、先代調香術師の作った香水を解析したことがある。たぶん原料を間違えている」


 カミーユは目を見開いた。


「えっ! でも、そんなはずは……!」

「プリムローズ、先代の調香ノートは、すでにカミーユに?」

「ああ」


 そこにアルバンがレシピを手に戻った。

 ローテーブルに置いて、皆で頭を突き合わせる。


「これとこれ。この二つが違っているはずだ」


 指し示されたのは、ローザゲラニウムlとラヴァンダl。

 カミーユは困惑に眉を寄せた。

 何が違っているのかさっぱりわからない。


「ここだ。これはランクイチのローザゲラニウム。ラヴァンダも同じだ。ランク1」

1……?」


 全く聞いたことがない。


「そうか!」

「そういうことか」


 アルバンとプリムローズにはわかったようだ。


「これを見逃したのだと思う」

「えっ、いえ、あの、見逃したというか、それは『イチ』だと思いませんでした……。ローザゲラニウム『リーフ』のことだと。虫除けには葉を使いますし。ラヴァンダも、『ラヴァンディン種』のことを略したのかな、と。そ、それ以外があるなんて、思わなくて……」


 カミーユを除いた三人が、すべて理解したというようにため息を吐いた。


「あの、ごめんなさい!」


 カミーユはガバリと立ち上がって、頭を下げた。

 三人は運よく助かった。

 でも、カミーユの作った香水のせいで倒れたのだ。

 真っ白な顔で目を開けない二人が、どれだけ怖かったか。もう大丈夫だとわかった今でも震えがきそうだ。

 カミーユの目に、またジワリと涙があふれた。


「頭を上げて、カミーユ。座っておくれ。詫びるのは私たちだよ。もっと気を付けるべきだった。カミーユはここに来たばかりだったんだから」


 プリムローズが言えば、アルバンも苦い顔で頷いた。


「ああ。いくらカミーユがしっかりしているからって、さすがに俺たちが無責任だった」


 カミーユは首を傾げた。

 どう考えても、確認を怠ったのはカミーユだ。先代の調香術師とカミーユの原料が違うのはしょうがない、いや、違っても誤差の範囲だと決めつけていたのだから。

 それに、自分の持っている香料は最高級品だ、との自負もあった。香りも良く、効き目だって問題ないはずだと。クラスでも優秀だから、レシピがあるから、自分なら大丈夫と、変な自信があったために確認をおろそかにしたのだ。

 それが三人の命に関わったかもしれないと思うと、カミーユはぶるりと震えた。


「ランク1っていうのは、アルタシルヴァの森の素材を使ったってことなんだよ」

「そうだ。ここに住んでないカミーユが知るはずがねえってことだ」


 森から得られる素材は、すべてランク付けがされていると言う。


「ラヴァンダは森の手前側で採取できて危険度も、レア度もさほどじゃねえ。だからランク1だ。サイレント・キラービーはランク4。素材としての価値もランク4だな。だからランク4/4と書く。採取に危険はないが、見つけるのが難しいと1/4とか、その逆もある」

「わかりました」


 フィンがカフェーカップを置いた。


「ランク1でも、森の外で採れるラヴァンダと効果が大きく違う。香気もだと思うが、まあ、それは君のほうが専門だろう」

「カミーユは来たばかりだ。知らないのも当然で、本来ならこちらが気づくべきだったよ」


 フィンがうなずいた。


「それに今の君には、森の素材を扱えないはずだ」

「っ!」


 来たばかりで、もう戦力外扱いされてしまった。

 いや、確かに全く知識はないし、こんなことがあったらしょうがないかもしれないが。


「あのっ、覚えます! まだ一人前ではありませんが、ご迷惑かけないように、だからっ……」


 言い募るカミーユをフィンが手を挙げて止めた。


「いや、すまない言い方を間違えた。君の、カミーユの知識や経験が足りないと言っているわけではなくて、いや、知識は足りないんだが……」


 いったいどっちだ。

 カミーユは突っ込みそうになった。


「こういえばいいか。アルタシルヴァの森の素材には、調香術は使えない」

「えっ? でも、虫除けの香水に素材が入ってるんですよね?」


 先任の調香術師が森の素材を使用していたなら、言っていることが矛盾している。


「調香術は使えない。だが、それ以外の方法がある」


 フィンが姿勢を正した。


「ここは調香術師ギルドもないし、特殊な土地だ。本来なら、君がここに到着する前にやり取りする中で、そういったことも説明しておくべきだった。だが、長く留守にしていて、テオドール先生からの君を派遣するという手紙も、恐らく私のコテージの床の上だ。準備が整っておらず、すまなかった」


 真摯に謝られ、カミーユの目が泳いだ。


「あ、いえ、えーっと……」

「あーっはっはっは」

「ぶふぉっ」


 プリムローズが大声で笑いだし、アルバンは吹き出した。


「いや、フィン。はははっ。その手紙は届いていないさ。それに、お前さんでも事前に準備するのは無理だったと思うよ。カミーユは手紙と一緒に到着したからね。目的地も知らないまま。くっくっくっ」

「は……?」


 なぜ二人が笑っているのかわからずポカンとしたフィンに、カミーユは真っ赤になって告げた。


「あの、私、先生に辺境で仕事があると聞いて、その日の船に乗るように言われたんです。それで、その、場所は北の辺境だと聞いていて……。あの、だから、私は突然来てしまって、準備ができてないのは当然で……」


 フィンがため息を吐いた。


「テオドール先生、お変わりないようだな……」


 しみじみと言われたその一言に、カミーユはコクリと肯いた。

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