13 納品と屋台の味

 奉納香を瓶に入れてふたを閉めると、カミーユは階上に上がった。

 クローゼットを開け、高等学院の制服に着替える。

 この地が王都より暖かいのか、今日が暖かいのかはわからないが、肩と腕の当たりだけを覆うケープを選んだ。胸のローザの刺繍は一緒だ。


 階下でコロコロンと音がする。

 そういえば牛の首に付いていそうな大きなベルが、扉近くに下がっていた気がする。

 たぶんお迎えだ。


 扉を開けると、アルバンが驚いた顔をした。


「お、制服に着替えたのか?」

「ええと、商業ギルドに奉納香の納品もしたいので……」


 この街の調香術師としての初仕事だ。

 きちんとしたい。


「は? もう作ったってのか⁉ この短時間に?」

「ええ。でも材料も間に合ったし、もともとのレシピを使ったから。とりあえずの量なので、多くはないんですけど」


 カミーユは肩をすくめた。



「で、必要なものは? ああ、まずギルドか?」

「はい。買い出しはその後でお願いします。ええと大量の香水瓶の各種サイズに、調香用アルコール。できればガラス職人と、紙を扱う問屋と……」

「待て、待て」


 次から次へと告げるカミーユを、アルバンが慌てて止めた。


「そりゃあ、仕事用だろ? それはギルドだ。俺の担当は、それ以外の買い出し」

「あ、リスト作りました。でも、そんなにないですよ。食品と、お風呂で必要なものぐらい。魔石とか鉱石は手配してくださったみたいで」


 カミーユはリストを鞄から取り出すと、アルバンの手にポンと載せた。


 屋台が並ぶ下町は、相変わらずの人出だった。

 すでに仕事を終えた者もいるらしく、屋台の簡単な椅子に腰かけ、食事を取っている。


「ギルドの後に、買い出しだろ? このリストだと、そうだな、二、三軒回れば済みそうだ。で、この、グルグルと線で囲ってある魚ってのは、昼間のアレか?」

「アレです」


 カミーユが真面目な顔でうなずいた。


「朝のパンさえあれば、買い出しは明日でもなんとかなります。でも、魚は逃せません」

「……あの屋台は毎日出てるぞ」


 カミーユは小首を傾げて考えていたが、すぐに首を横に振った。


「やっぱりダメです。昼から『後で魚』の気分で盛り上がってたので」

「ああ、わかった、わかった。じゃあ、最後な?」


 


 ◇ 


 

 商業ギルドでは、納品に来たと伝えたカミーユに、プリムローズがアルバンと全く同じ顔をした。


「えっ? もう⁉ だって、さっきだよ? お願いしたのは」

「レシピがあったので。材料も」


 プリムローズはポカンと口を上げていたが、ハッと気づいて、深々と頭を下げた。


「本当に助かるよ。奉納香を絶やしたくはなかったから」

「いえ。また今度、持ってきます。あの、自分のオリジナルレシピに変更しても大丈夫ですか?」

「もちろん。奉納香の規定に沿っていれば登録できる。それにしても、カミーユ、思ってた以上にすごいね。……ああ、香料もカミーユ持ちだね? 材料費と特急料金を支払いに入れておくよ」

「ありがとうございます!」


 プリムローズに褒められ、カミーユの頬がゆるんだ。


「……カミーユ、聞いてもいいかな。レシピがあれば、今回みたいに時間がかからずにできるもの?」


 カミーユは考えながら答えた。


「ええと、レシピと、あと原料や香料がすぐ手にはいるかどうか、でしょうか。あとは付与、といっても私が使えるのは水魔法なので、大したことは……」

「付与? ああ、付与については聞いてなかったね。水属性か」

「水と、あと弱いですが、火も。光や、闇でもあれば良かったんですけど。でも、どちらにしても、魔力量は多くないので、大がかりで複雑な付与は難しいです」


 プリムローズは考え込むと、ひとつうなずいた。


「そうか……。やっぱり急ぎの依頼があるんだが、やってもらえないだろうか。レシピもあるし、付与はなかったはずだ。材料も、必要があれば手配する」


 割り増し料金に、途切れぬ依頼。

 ピカピカの新人のカミーユとしたら、研修初日は順調すぎる滑り出しだった。



 ◇



 さあ、魚だ、魚だ。

 カミーユはウキウキと屋台へ向かった。


 必要な物品リストをプリムローズに見せれば、食品も含めて、すべて後でレシピと一緒に届けてくれるらしい。

 職人たちへの依頼は、後日改めることになった。


「パン屋は、橋の方に曲がる道があったろ? あの角の店で買ってるな。挟んである肉が一番分厚くて、大きい」

「なるほど。基準は肉ですか。……パン屋なのに」


 チロリと視線を流すと、アルバンは慌てた。


「いや、いやいやいや。パンの味もうまいぞ⁉ あそこのオヤジが、『若手の探索者でもしっかり食べられるように』って大きくしてくれてんだ。探索者はあの店に育ててもらうようなもんだな」


 どうやら、おふくろの味的なものらしい。いや、おやじの味か。


「でな、漁師はもっと港の方の店が贔屓なんだ。どっちも旨いが、やっぱり違う」

「へえ、食べ比べてみようかな」

「いいんじゃねえか? 野菜や肉は、魚の屋台の近くだな。魚は、俺たちは港の荷揚げに直接行くが、まあ、どの店も間違いねえよ」


 街のお得情報を聞きながら歩いていると、どこからか声をかけられた。


「アルバンさん! こっちっすよ!」

 

 ジャックだ。

 二つ目の広場に置かれた酒樽に腰かけ、こちらに手を挙げている。


「一緒でもいいか? カミーユ」

「もちろん」

 

 ジャックは友人二人と飲んでいたようだ。


「あっ、アルバンさん、久しぶりです!」

「アルバンさん、ちーっす。お先やってます!」


 声をかけ、そこで彼らはやっと、アルバンの陰になっていたカミーユに気づいたようだ。


「あ、カミーユさん。アルバンさんと一緒だったっすか?」

「え? ああっ? うっ! いぃぃ⁉」

「おい、何だ? うわっ! おおぅ!」


 そして、ジャックの友人は奇声を上げた。

 目を丸くして見つめると、男たちはガタリと立ち上がった。


「おっ、お疲れ様でございますっ!」

「よっ、よよよ、ようこそ、シルヴァンヴィルへ!」


 ピンッと背を伸ばし、叫ぶように言い切ると、ガバリと頭を下げた。

 カミーユに向かって。

 目立つ。非常に目立っている。


 制服のためか、チラチラと向けられる視線を感じてはいたが、ここまでの挙動不審者はいなかった。

 今はどうだ。

 もう周囲の人から遠慮のない視線を向けられているではないか。


「ジーン! バート! 落ち着けいっ!」

「「すみませんっ!」」

 

 名前を呼ばれて上げかけた頭を、さらに下げる。

 アルバンが、頭をボリボリと掻いた。


「あー、すまねえなあ、カミーユ。探索者ギルド所属の若手なんだが、昨日、ギルド長代理からきっちり釘が刺されたと思うんだわ。『カミーユに失礼をするな』ってなことをな」

「はあ……」


 探索者にはよっぽど無法者がそろっているのだろうか。

 ちょっと挙動不審なところはあるが、礼儀正しいほうだと思う。

 挨拶もできるし、素直に頭を下げられる。

 両方しない王立学院の生徒より、ずっと立派だ。


「調香術師には、皆、世話になるからな。ま、気にしないでやってくれ」


 良くわからないながらも、カミーユはうなずいた。



 そして、少しの後、カミーユの周囲には人が集まっていた。


 酒樽に座らせるわけにはいかねえからと、ベンチとテーブルがどこからか運ばれてきた。

 そして、テーブルの上は、あちらこちらの屋台から届けられた料理や果物やらでいっぱいだった。



 まずはもちろん魚。


「嬢ちゃん、どうするね。塩か、秘伝のタレだ」


 美味しい煙と香りが、目と鼻と喉と胃を同時に刺激する。


「秘伝のタレ……。このちょっと甘めの香りのですよね?」

「そうだ。朝獲ってな、昼だったらそのまま焼くが、こうやって開いて、タレを塗って、数時間干すだけでうんめえのよ、コレが。辛いのがよけりゃ、辛いのもあるよ?」

「あ、いえ、職業柄、辛いのは控えてます。その、うんめえのをください!」


 うんめえ魚はすぐに焼かれ、パンを皿代わりに渡された。

 慌ててバートが、近くの店に皿とカトラリーを借りに行く。


 背中に波模様がついた魚は、きれいな焦げ目が付いている。

 バレないようにそっと香りを嗅ぐと、やっぱりほんのり甘い。これは蜂蜜だろうか。

 でも、どこか似た香りを知っている気がする。この甘く、香ばしい香り。アレは確か……。


「わかった!」


 みりん干し。

 ちょっと違うが、なにか酒も使ってありそうだ。

 そしてこの魚は、前世の鯖と同じような模様を背中にしょっている。


「何がだ?」

「いえ、なんでこんなに美味しそうかなって。やっぱり秘伝のうんめえタレの香りですね」

「おう。カトラリーが来た。食べてみろ」


 カミーユはいそいそと、魚にナイフを入れた。

 そのまま口に運ぶのを、周りがじっと見つめている。屋台のオヤジまで、出張ってきていた。

 

「どうだ……?」


 カミーユは目を見開き、ふわりと微笑んだ。


「うんめえですよ! 本当においしい。肉厚で、プリプリで。でも、ふわふわです」


 脂がのってしっかりとした身は、旨みたっぷりだ。

 そこに焦げたタレの香りが、香ばしく鼻に抜ける。


 それを聞いて、ジャックたちはゴクリと喉を鳴らし、猛然と自分の分を食べ始めた。

 こちらはカトラリーなど使わない。そのまま魚をパンで挟み、ガブリと噛みついた。

 数回噛み、酒で流し込んでは、また噛みつく。


「そうかー! そうだろ、そうだろ、うんめえだろ?」


 オヤジは顔をくしゃくしゃにして笑っている。


「マッキリリは、種の季節、脂たっぷりでうんめえのさ。タレはどうでえ?」

「おいしいです! 甘いのは蜂蜜ですか? でも風味も味わいもちょっと違うような。コクがある?」

「おう! 配合は言えねえが、蜂蜜は蜂蜜でも、森のサイレント・キラービーの蜜さ。いや、これ以上は言えねえよ。秘伝だからなっ。かっかっかっ」


 カミーユは固まった。


「キラービー。危ない奴ですね? 森とは、そこの森ですよね?」

「おう。もちろん、アルタシルヴァさ。怖くはねえ、大丈夫だ」


 アルバンが気分良く話すオヤジに突っ込んだ。


「あのな、俺たち探索者には、サイレント・キラービーは怖えのよ。オヤジが怖くねえのは、街には出てこない奴だから。……まあ、カミーユ、心配しなくても大丈夫だ」

「おう。全く心配はいらねえよ。探索者のあんちゃんたちが、蜜を採ってくれるからな」


 カミーユがジャックたちを見ると、三人は口にいっぱい頬張ったまま、慌ててうなずいた。

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