10 街と工房 

 翌日、先代調香術師の工房に、アルバンが案内してくれることになった。

 帰領の後は一日休みと聞いていたから申し訳なかったが、これぐらい問題ないと言う。


「そうでもなきゃ、質問攻めにされるしよ。ちょうどいいんだよ」

「質問攻め?」

「街待望の、調香術師だからな」


 ニヤリとされた。


「……もしかして、期待値上がりまくり?」

「ま、ゆるゆるとな」


 ポンッと肩を叩かれた。


「おっ、お任せあれー」


 工房の掃除があるからと、学院の制服を着てこなくて本当に良かった。

 あれは目立つ。調香術師だと、看板を背負って歩くようなものだ。

 今朝の自分の選択は完璧だった。

 

 同時に街を簡単に案内してくれるつもりらしい。

 カミーユの手から着替えの鞄を奪うと、アルバンはギルドのある広場で早速説明を始めた。


「ここが街の中央。商業街でも一等地だ。大抵のギルドも、大店も、この女神通りにある。中央広場から上へ登ると、貴族街に女神教会。その先に辺境伯様のお屋敷だ。まあ、そこは王都と同じだろ?」

「そうですね」


 それにしても、辺境のイメージはガラリと崩れた。

 この街は王都に負けないぐらいの活気がある。

 建物も王都と変わらない、三階建て。大通り沿いにある店舗の店構えは堂々として、清掃も行き届いている。

 今は消されているが、外壁に吊るされているランプの中身は、光魔法を入れた透明な鉱石だ。

 火魔法を入れた魔石を使うことが多いのに、より高価な光鉱石を使うなんて、裕福な証拠である。


 アルバンは港の方へ足を向け、緩やかな坂を下っていく。

 次の広場を通り過ぎると、建物と建物の間に海が覗いた。ここから先は、海に向かって坂が急になっているようだ。


「あっ、海!」

「……昨日、さんざん見たと思ったがな? ここを真っ直ぐ下りれば、昨日の港だ」

「確かにそうなんですけどね。ずっと海のある街に住んでみたいと思ってたから」


 今世はもちろん、前世でも港町には住んだことはなかった。

 街から海を見下ろすこの眺めは最高で、願いが叶ってワクワクとしてくる。


 同じ商業街でも、ギルドのある辺りより、こちら側はもっと庶民的なエリアらしい。

 人が増え、行き交う人々の服装も少し違って、動きやすそうだ。

 昼に近いからか、道の両側には屋台が並び、あちらこちらからお腹の空く匂いが漂ってくる。


 やっぱりここは魚だろう。

 王都では、塩漬けにされた白身の魚しか見たことがない。

 ちょっと先にある屋台では、魚の脂が落ちるたびに白い煙が上がり、オレンジの炎が舌をチロチロと出している。

 つまり脂がのって、とっても美味しいということだ。

 あれはきっと、新鮮でピカピカの魚だ。きっといい感じに黒い焦げ目も付いているだろう。


 視線を魚にピタリと貼り付け、鼻をひくりと動かしているカミーユに、アルバンは笑いをこらえた。

 屋台のおやじもその視線に気づかぬわけがなく、どうすんだい、と言うようにアルバンを見た。


「……食べてくか?」


 カミーユは、口に湧いた唾を飲み込んだ。

 昼を食べるなんて、なんて贅沢だろう。それも、絶対おいしいことがわかっている、ちょうどいい焼き加減の、食べてもらえるのを待っている魚だ。


 抗いがたい誘惑だったが、カミーユもアルバンも荷物を抱えている。


「ええと……。あの屋台は後でもやっていますか?」

「ああ。この辺りの食事がとれる屋台は、今時分から晩飯のちょっと前まで、毎日やってるぞ」

「じゃあ、後で。先に工房へお願いします」


 アルバンは屋台のおやじに片手を挙げ、また来ると合図をした。



 工房は坂の下にあるのだと思った。

 王都でも、貴族街、商業街、職人街の並びで街ができている。

 アルバンは港の少し手前で右に曲がった。

 そのまま真っ直ぐに進み、しばらく行くと、正面に大きな橋が見えた。


「ここがクラーレ河。アルタシルヴァ山脈が源流だな」


 端の袂に立っている兵に手を挙げ、アルバンは頑丈な石橋を渡っていく。

 カミーユは緊張した。

 向こう岸にも建物は見えるが、その奥はアルタシルヴァの森のはずだ。


「あの、工房はこの先なんですか?」

「ああ。シルヴァンヴィルの職人街は、向こう側なんだ。この街は森の資源取引が盛んで、商業が強い。船も入るし、商人も多い。だから港までずっと商業街が続いてる。それに、職人街が離れているのも都合がいいんだぜ? 職人なんて秘匿している自分なりの技があるもんだ。家がぎっしりで、商人がうろうろしてるのは落ち着かねえだろ?」

「ああ、確かに……。あの、失礼なことを聞くと思うかもしれませんが、その、危なくはないですよね? 魔の森の近くで、例えば、魔獣とか……?」


 聞きにくいが、大事なことだ。

 ドラゴンでも出て来るなら、先に覚悟を決めておきたい。

「魔の森なあ」


 アルバンはフッと笑った。


「まあ、ここ以外で言われてるのは知ってるがな。森から大型が出てくることは、滅多にねえよ。それに、探索者にとっちゃあ、魔の森じゃねえ。宝の森だ」

「探索者? 護衛じゃなく?」


 アルバンはギルドの護衛ではなかったらしい。


「ああ。護衛もやるってこった。ほら、もうそこだ。渡って右。大きいのが探索者ギルド。探索者ギルドなんて、この街と森の反対側のサウゼンドにしかないけどな。その隣が俺の家。酒場兼、宿屋シルヴァンゴッソ森の男たちだ」


 カミーユはコクコクと肯くばかりだ。


「でな、おまえさんの工房はこっちだ」



 アルバンは橋を渡ると海側、左に曲がった。




 ◇




 工房は、クラーレ河沿いを海の近くまで歩いた行き止まりにあった。


「ここ……?」


 壁は淡いピンク。屋根は赤茶色。正面の扉や窓枠は緑に塗られている。

 街の建物より背の低い、二階建てのコテージだ。

 二軒が繋がっている形で、低い塀の向こう側には隣のコテージの赤い扉が見える。

 扉や窓を囲むように沿わせてあるのは、つる薔薇だろう。花の季節が待ち遠しくなった。


「どこを見ても、かわいいしかないっ!」

「気に入ったか? 前のじいさんは、自分には似合わねえ家だと笑っていたが、花木の手入れは良くしていたよ」

「大切にされていたって、見るだけでわかりますよ。すっごく気に入りました!」


 目をキラキラとさせ、カミーユはアルバンを見上げた。


「まず中を確認するといい。昨日あれからギルドで掃除に入ったようだが、足りねえもんだらけだろ? 後で買い出しに付き合うぜ。適当に迎えにくる」


 アルバンは持っていたカミーユの鞄を戸口に置いた。


「はい! ありがとうございました。じゃあ、また後で」

「ああ」


 今日から、このかわいいコテージがカミーユの工房だ。

 自分の工房。なんといい響きだろう。


 商業ギルドでもらった鍵に魔力を通すと、カミーユは扉を開けた。

 

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