6 商業ギルド
商業ギルドは、王都の中心街にある煉瓦でできた大きな建物だ。
王都で一番大きいのは調香術師ギルド。
その次に大きく、そして一年を通じて最も忙しいのは商業ギルドだと思う。
商業ギルドに登録しているカミーユには、お馴染みの場所である。
重い扉を押し開けると、カミーユは室内を見回した。
辺境に行く便が出るからだろうか、今日はいつにも増して人が多いように思う。
カウンターに並ぶ人の列も長い。
「カミーユ、こっちだ。そろそろだと思ったよ」
顔なじみの副ギルド長であるトールが見つけてくれて、ほっとした。
受付の端まで出てきて、手招いてくれている。
並ぶ人たちにペコリと頭を下げ、カミーユは速足で向かった。
「久しぶりだね。裏に行こう」
どうやら商談室の一つを取ってくれたらしい。
「カフェーでいい?」
トールの質問に、カミーユは首を横に振った。
「あ、いらないです。私、今日、すでにクローヴァーストップで。それにお茶を飲んで来たばかりだから」
「じゃあ、僕だけもらうよ。良かったらクッキーをどうぞ。カラメル入りだ」
甘いものが好きなカミーユのために、いつも何かしら用意してくれている。
トールが香ばしいカフェーの香りをさせて、向かいのソファーに腰を下ろした。
「テオドール先生からの手紙を拝見したよ。いつもギルドがお願いする護衛を紹介する。人柄も問題ない奴らだから、そこは心配しなくても大丈夫だ」
「ありがとうございます。助かります」
顔の前で、トールはヒラヒラと手を振った。
「いやいや。どうせ荷と一緒に行くんだからね。船の上では彼らが部屋まで送ってくれる。彼らがいない時は通路にも出てはだめだ」
「船? 馬車ではなく?」
てっきり馬車だと思っていた。
「ああ。初めてかい? 馬車だと山を迂回する時間がかかるが、船なら寝てる間に運んでくれる。ずっと早くて、明日の夕刻には着く。……じゃあ、カミーユ、彼らが来るまでに手続きをしてしまおうか」
トールは横に置いてあったトレイを引き寄せると、カミーユに革袋を渡した。
中身はカミーユの報酬だ。
大銀貨が八枚と銀貨、大銅貨が数枚ずつ見える。大銀貨一枚は銀貨にすると十枚で、つまり八十シルベル以上入っている。
「……いつもよりずいぶんと多くないですか? 去年のジャスミナ茶はとっくに売り切れてるし、他に何が? これ、ローザハウスのパンの分はもう取ってあります?」
ジャスミナ茶はカミーユが提案し、ヤスミーナ第二妃が中心となって隣国のサウゼンド国で生産されている。
提案しただけのカミーユにも、ここ五年ずっと、利益の一部が渡されている。
作るとすぐに売れる人気商品で、ジャスミナ茶は年に一度のドーンと大きな収入になった。
「いつもどおり、小麦粉代は先にもらってるよ。今月はピペットの報酬だと思う。アレ、やっと浸透してきたんじゃないかね」
ピペットも、一昨年、実際に調香の授業が始まってから、カミーユが依頼した新製品だ。
前世で使っていたものほどの繊細さはないけれど、なかなか良い。
「ああ、花の季節に備えるんですね。使ってみたら便利だってわかったのかな」
「調香術師だけじゃなくて、薬術師からも問い合わせがあるようだよ。……それでな、この
トールが声をひそめて、ぐいっと身を前に乗り出した。
一気に密談らしくなったが、こういうのは悪くない。儲け話があるということだからだ。
「ギルドの上位連中だけで試飲したが、コレは売れる。いつ登録する?」
売れることを確信して、真剣に尋ねてくる。
カミーユが、可憐な顔立ちに似合わないニヤリとした笑みを見せた。
「ジャスミナ茶と違って、調香術を使ってますからね。本当は研修が始まってから、調香術師ギルドに登録しようかと思ったんですよ」
トールが眉を上げた。
「おいおい、カミーユ。商業ギルドにしてくれよ。カフェーもナッツもこっちで扱ってるんだ」
「うーん。……それでもいいですけど、じゃあ、こちらから調香術師ギルドへ、うまく言ってくれますか? 生産が始まったら調香術師に頼むことになるんですし。あと、今回ヘイゼルナッツだけ試しましたけど、アーモンドに、ヴァニラ、カラメルも、カフェーと合いますよ」
「そ、そんなにあるのか」
カミーユはコクンと肯いた。
「あ、でも、そっちはまだ材料がなくて、試してないですけど」
「材料はすぐに手配する!」
トールはガリガリとメモに書き込んで、ハッと何かに気づいたような顔をすると、大きなため息をついた。
「カミーユは辺境に行っちまうんじゃねえか。くそっ。やり取りがしにくくなるなあ」
「あ、それ、どうしたらいいんでしょうか。私の預金口座とか?」
「カミーユの口座はこのままここでいい。向こうのギルドでも報酬の受け取りや預け入れはできるから問題ないよ。難しいのは商品登録のことだが……」
トールは少し考え込んだ。
「あちらのギルドに、プリムローズっていう頼りになるのがいる。ギルドからの紹介状を書いたから持っていくといい。僕からもう一通、便宜を図るように手紙を書くから、それも持っていってくれるかい?」
「もちろんです。ありがとうございます」
カミーユは丁寧に頭を下げた。
「しっかし、食品に香料を使うなんてなあ。思ってもみなかったな」
「そういえば、香水とか、石鹸とか、化粧品ばかりですもんね。……ん? あっ! うぇっ! ヤバいっ! これはまずいかも!」
「何がだっ!」
突然うろたえ、辺りをキョロキョロと見回しながら奇声を上げたカミーユに、トールが突っ込んだ。
「あ、あー、うー、えーとですねえ、おー、困ったなあ、これ。トールさん、落ち着いて聞いてください」
「お前が落ち着け」
「そうですね」
カミーユは、スーハーと、二回大きく深呼吸をした。
「トールさん。私は食品用の香料を作ろうとしています」
「ああ」
「つまりですね。食品はカフェーだけじゃなく、他にもたくさんあるんです」
トールが、これ以上は無理じゃないかというぐらい、目を大きく見開いた。
そのうち口までがポカンと開く。
「あ、ああ。わかった。……そうか。そういうことか」
影響の大きさを理解できたのだろう。トールの手は顎をせわしなく擦っている。
「例えばですね、ジャスミナ茶。私、提案した時は調香術を使えませんでした。でも、あれも調香術を使えば、恐らく今よりも多くのジャスミナ茶が生産できるんです」
少量の香料で、大量の茶葉が香り付けられるだろう。
もちろん知識と技術、それに『鼻』が必要だけれど。
トールの顎を擦る手が、益々速くなった。
気持ちは良くわかる。
大人気で供給が追い付かないジャスミナ茶の量が、増える可能性があるのだから。
「大抵の食品は、香りだけじゃなく、例えばこのクッキーのように、ちゃんとナッツやカラメルを入れる方が喜ばれます。でも、香りを用いることが目的のヴァニラとかは、調香術で香料とすることもできるかなって」
トールは長椅子の背もたれにドサリと身体を預けた。
あまりにも事が大きい。
「食品用の香料は今までないが、作るのが難しい?」
「いえ、香料のレシピがあれば、調香術師なら作れます。ちょっと恥ずかしいことを言いますと、私、けっこう優秀なんです」
カミーユは恥ずかしそうに、目を逸らせた。
「調香術科の先生に聞いてくださってもいいんですけど、調香術の
「ふむ。じゃあ、何だ? カミーユ以外には難しい?」
「そんなことはないですよ。でも食品の持つ香りって今まであまり解析されてないから、たぶん時間がかかるんじゃないかなあ。バランスが悪くなると、おいしく感じる香りにならないですもん。レシピがあれば、誰でも再生できますけど。……私、優秀なんですよ」
カミーユがいたずらっぽくニコリとした。
得意なのは、前世の記憶があるからだ。
バニリン、トンカビーン アブソリュート、エチルマルトール、そんなところまで分析する調香術師はいない。
「お前さんが優秀なのは良くしってるさ」
トールは肩をすくめた。
考え込むトールの目の前で、カミーユがクッキーに手を伸ばした。
その姿は、ここに来るたびクッキーやケーキに目を輝かせていた小さい頃のままだ。
まだほんの子供だったカミーユがジャスミナ茶の開発に関わったときから、トールは彼女の担当だ。
それから数年、彼女は度々、思いついた、と商品を登録にやってきた。
だが、これはどう考えてもギルド長に相談する案件だ。
影響が大きすぎる。
調香術師ギルドだって、大きく関わってくる。
ジャスミナ茶は欲しい。
だが、耳に入ってくる王城の様子だと、今、サウゼンド国とヤスミーナ第二妃に肩入れして、まずいことにならないだろうか。
トールにはわからなかった。
下手をすると、食品用の香料を考えたカミーユまで巻き込まれてしまうかもしれない。
「カミーユ、食品用の香料は少し考えよう。こちらでも相談してみる」
香り付きカフェーはトールの好みにぴったりで、とても残念だが。
そう告げれば、カミーユはほっとした顔をした。
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