ハゲと陽キャと

新木稟陽

あーあ


「ピッ! ピッ!」

「おい……」


 取り敢えずブリーチをかけてみた髪。そこから手をかけるのが面倒で放置した結果、奇跡的にメッシュのような見た目になっている大学生。

 店員の制服に身を包んだ彼はレジのスキャナーを手に取り、バーコードを読み取ろうと試みる。


「ピッ! ピッ!」

「やめて、伊藤君。」

「ピッ! ピッ!」

「伊藤君!」


 コンビニエンスストア、フランチャイズの店長である棚田の頭頂部にあるバーコードを。


「やっぱ無理か〜」

「無理かーじゃ、ないよ! 伊藤君、流石にね、やっていいことと悪いことがね……」

「いやだって──」


 この伊藤、今日も寝坊で遅刻してきた。常習犯だ。そのくせ悪びれもせず、あまつさえ棚田の言葉を遮り。


「これじゃあ、もう、さ。」


 伊藤が親指で指す窓の外。

 そこは、群がるゾンビで溢れていた。


「どうして、どうしてこんなことに……」

「地方都市最悪ッスねー。無駄に人が多い」

「はぁ……」

「住人は多いのに客は少ねぇ店で良かったッスね!」


 棚田は無い毛髪を抱えてしゃがみこむ。

 土曜。早朝に家を出て職場についてみればバイトは軒並み体調不良で病欠。唯一連絡の無かった伊藤は、無関係の寝坊で遅刻。体調は万全らしい。

 と思えば、これだ。

 慌てて扉に鍵をかけたからゾンビは入っていないが。


「そういやマネージャ。この窓なんで割れねンスか?」


 客用としては唯一の出入り口。何の変哲もない、ガラスの自動ドアだ。大量のゾンビが血肉を求めて叩き続けているのにビクともしない。


「……強化ガラスだからだよ」

「……は? 強化ガラス? なんで?」

「趣味だよ、私の」

「は?」


 伊藤は一瞬動きを止めたあと、ハゲに駆け寄る。


「うっわマジかよマネ! 本気!? 本気で!? なんつーか……っと……てかンなことしていいのかよ!」

「フランチャイズの店長だよ。この店は私の物だ」

「ッハー! 最高! おもんねぇハゲと思ってたけどおもしれぇ!」

「言い過ぎだよ」

「いやマジで面白いって!」

「『おもんねぇハゲ』の方だよ」


 伊藤はガラスを軽く手の甲で叩いたり、斜めから眺める。「ほぁ〜確かに分厚い、かも……」と感嘆を漏らしながら。


「でもさ、何でッスか? 俺のモンだ! っつったって、いくらなんでも……」

「妻に財布握られるとな、趣味に好き勝手注ぎ込めないんだよ」

「世知辛ぇ〜! 他には? 機銃とか付いてねンスか!?」

「……この際いいか。猟銃免許は取ったよ。」

「マッッジ!? かっけぇ〜〜〜! え、店の金で!? 着服して!?」

「いや、自分の小遣いだよ!」

「あ、さすがにね〜。」


 と、一瞬落ち着いた伊藤の顔は、大好きなご主人様を見つけた犬のように明るくなる。


「いや猟銃! 今無いンスか!?」

「無い無い。家だよ。」

「ッスよね〜……」


 会話のネタが尽き、暫くの静寂が流れる。


「……救助のニュースとか、無いね」

「ッスねー。ま当面食料あるしいんじゃねスか」

「電気、止まっちゃうかね」

「商品のモバイルバッテリー、コンセント空いてる分充電ぶっ刺しといたッス」

「……やるね」


 互いにスマートフォンに目を落とす。


「……」

「……」

「他にも趣味で改造したのあるけど、見たい?」

「マジすか!」


 不審者撃退用の刺股。棚田がそれで天井を突くとその部分が開き、折りたたみ式の階段が降りてくる。


「ッヒュー!」


 それを登り──。


「まぁ、これで屋上に出られるってだけなんだけどね。」

「いや最高ッスよ! ……んー。」

「どうかした?」

「ちょっと。」


 一度顔を引っ込めた伊藤は、ビニール袋を携えて戻る。その中身は焼き肉弁当、ハム、湯を入れていないカップラーメン、ポップコーン。

 彼はそれらを全て開封し、順番に、間髪入れずに、即座に放り投げる。


「伊藤君?」

「僕、思うんスよ。めちゃくちゃ腹減ってる時、人間と弁当あったらどっちいきます?」

「そりゃあ……」


 ゾンビは、食べ物にわらわらと群がっていた。

 特に焼き肉弁当は一番人気である。


「おお……」


 しかし。

 だからとて、何だというのか。

 伊藤はレジ奥から掻払ったタバコに火をつける。


「マネージャ、家帰りたいッスよね」

「……そりゃあ、家族は心配だよ。伊藤君だってそうでしょ?」

「実家は遠い。彼女はいないし命張るほど心配な友人もいないッスよ」

「そ、そっか……」


 「でも」と、伊藤は続ける。


「マネージャは帰りたいッスよね。娘さん、会いたいっしょ」

「……でも、待ってたら救助が来るかもしれないし……」

「回線も死んだし。早く会って無事、確認したいッスよね」

「どうやって……」


 伊藤は残ったポップコーンをラッパ飲みならぬラッパ食いし。


「こればら撒きながら? とか?」

「そんな雑な……!」

「あとね」


 更に、吸っていたタバコを火のついたまま外に投げ捨てる。

 軽くだが、ゾンビはタバコから離れていった。


「っはー見てマネージャ! あんなになっても肺がんは怖いってよ! 滑稽〜」

「う、おぉ……」

「多少は虫よけになりそッスね」



 そうと決まれば行動は早い。気休めに布類を体に巻きつけて防御、大きめのビニール袋に大量の菓子を直で詰め込む。酒類で即席の火炎瓶を作り、先端にナイフを括り付けた刺股も装備。

 二人は、何も度を越した肝っ玉を持っていたわけではない。

 二人とも、極限状態で少しハイになっていた。

 こそこそと裏口から出て、なるべく遠くに菓子をばら撒く。ゾンビはそちらを優先していて、それが尽きぬ限りよってくる様子はない。

 歩いているうちに緊張が溶けて余裕が出てきた。


「いっつも歩いて来てますよね。近いんスか?」

「7キロくらい。」

「7!? 何で歩くの!?」

「運動がてら。」

「健康志向! ふざけんな車で来いよ! 持ってねンスか!?」

「あるよ。ランクルとレクサス」

「高級車! 2台! 生意気〜! 生意気ハゲ〜!」

「伊藤君、こんな状況だからって礼儀を失しすぎだよ」


 そこらじゅう、大量にゾンビがいるわけではない。


「てかそんな儲かってるンスか? 過疎コンビニ店長が」

「いや、コンビニ店長は道楽だよ。お金には困ってなくてね。」

「資産家!? わかった。奥さんが厳しいんじゃなくてマネージャがアホほど使ってるだけだ!」

「いやいや、そんな」


 死体が彷徨う中、呑気に。


「ってか娘さん、いくつでしたっけ」

「高2」

「自分、全然イケるッス」

「黙れ!」

「うわっ、今日一デケェ声」


 頭頂部の薄い中年と、タバコをふかす若人は。


「ついたら猟銃見してくださいよぉ〜」

「あっ! それ目的か!」

「ったり前っしょ!」


 進む。


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