31話 呪い、そして嫡男様の試練到来

            ◆


 ジークハルトに二対一でチェスにぼろ負けした翌週、禁術書を揃えた書庫で、エリザは唐突にフィサリウスの訪問を受けて驚いた。


「早速何か分かったんですか?」

「ああ、『邪精霊の呪い』というものがあるらしくて」


 言いながら、彼の目がエリザが抱えている本に落ちる。


「……魔法使いの禁断の魔法目録? それ、楽しいかい?」

「いや、まぁ、私は魔力がないので無関係なんですけど、この国にはこんな魔法もあるんだなぁと読書としては面白いというか」

「ふうん、変わっているね」


 魔術より厄介で怖――という感想は呑み込んでおいた。


(うん。精神を操る魔法とか、拷問用とかなんて恐ろしい!)


 正直、見なければよかったなと思って、棚に戻そうとしていたところだった。なので速やかにそれを元の位置にぎゅむっと押し込んで、「どうぞ」とフィサリウスに話の続きを促す。


 彼が何やら察した様子で「ははぁ」と言った。


「なるほど、ホラー系はだめなんだね――」

「うわあぁあぁ私に弱点はありませんっ」

「なんでそこで強がるかな? まぁいいけど。恐らく使われたのは、その『邪精霊の呪い』の系統だと思う。知り合いの大魔法使いに意見を求めてみたら、今でも形なんかが変わって恋占いなんたが残っているらしい」

「はぁ、歴史を知らないとこうも大変なことをしでかしてしまうんですねぇ……」

「占い本を片っ端から禁書にするわけにはいかないだろう? そもそも、効果があるなんて誰も思っていないわけなんだから」


 たまたま、成功してしまった『まじない』。


 行ったその誰かが魔力を持っていて、なおかつ手順が魔術同様に正確だった――。

「手順が大事になるんだね」

「そうですよ。もしかしたら呼吸のタイミングとか、使ったその子の波長とかがたまたま一致したんでしょうね」

「君の話はためになるな。もしかしたら大昔の魔法は、君の知る魔術ととても近い部分があるのかもしれない」

 たしかに、とエリザも思った。


 フィサリウスは『邪精霊の呪い』と言われている分類の中から、ジークハルトの状況と症状に該当しそうなものをさらに探ってみると言った。


「じゃあ、また近いうちに吉報を持ってこよう。少しでも早く解決できるようにね」

「はい。何かあれば尽力いたしますので、いつでもご協力の声掛けを」

「ふふっ、君の方はジークに集中してあげてくれ」


 ジークハルトも知らない王子様との治療話は、そこで終わった。


 扉で待っていた護衛騎士たちと、フィサリウスが出て行く。


 早速絞り込んだとはさすが、と思いつつ、王子業は忙しいはずなので彼の有能さを感じてエリザは敬意の気持ちでまたしても一礼して見送った。


              ※※※


 その翌日、ラドフォード公爵邸は朝から慌ただしかった。


 使用人達は喜々として屋敷内外を整え、ラドフォード公爵も「とうとうここまでッ」と感涙している。


 というのも、本日はクリスティーナ伯爵令嬢の訪問があるのだ。


 あどけなくて砂糖菓子みたいに甘い匂いが漂ってくるような、めちゃくちゃ可愛い、あの妖精みたいな超絶美少女だ。


 フィサリウスが『集中してあげて』と言っていたのは、この予定を知っていたからだろう。


 父親と屋敷の者達の喜ばしさの一方で、それどころか人生最大の苦難であるという顔を朝から晒しているのは、今回の主役であるはずのジークハルトだ。


 これまで婚約者になりそうな候補の女性と一対一で会うことを拒絶しまくっていたジークハルトが、十九歳になって初めて会うことを了承したのだ。


 その成長ぶりにラドフォード公爵も感激していた。


 いや、感激と同時に、感謝もしていた。


「これで君も守られればいいのだが」

「はは、は……」


 今回の話、まったく無関係ではないエリザは令嬢ご訪問の準備の中、廊下で立ち話を求めてきたラドフォード公爵に引きつり笑いを返した。


 クリスティーナといえば、先日のパーティーの際に【赤い魔法使い】に見惚れ、彼女を溺愛している父親が『公爵家嫡男よりも大魔法使いと結婚する方がいいかも……?』と、とんでもない妄想を一瞬駆け巡らせた相手だ。


 この二人の顔合わせの茶会をすることになったきっかけは、彼女の父であるロッカス伯爵から提案があったからだ。


 元々、どの令嬢よりも雰囲気がおっとしているクリスティーナの方が、ジークハルトの結婚相手としては有力候補だ。ラドフォード公爵としてもこの機会に、エリザへの恋心疑惑を払拭しようという目的もあるらしい。


『ロッカス伯爵が、予想以上にちょっとしつこくて……可愛いからぜひ君を義息子にして撫で回した――おっほん』

『え。待って、気になります』

『んんっ。とりあえず、ロッカス伯爵は自分の子供に、君と友人になるよう唆しているはずだから、茶会が始まったら顔を見せてはいけないよ』


 昨日、最終打ち合わせでそんな会話をしたのをエリザは思い返す。


 ロッカス伯爵の変態疑惑には最大の警戒中た。


(あのめちゃくちゃ可愛い絶世の美少女と言葉を交わせないのは残念だけど、女であるのに男子として伯爵家から正式に見合いを打診されたりしたら、非常に困る……)


 まだ、偶然にもロッカス伯爵と顔を合わせていないのも救いかもしれない。怖いもの知りたさで見たくもあるが、ちょっと怖い。


(うん。とりあえず今日を乗り切ろう!)


 エリザはラドフォード公爵と短い立ち話を終え、屋敷の二階の廊下を歩く。


 ジークハルトに頑張ってもらうべく朝も指導して彼を励ました。フィサリウスからサポートを頼まれたルディオも、朝一番にやって来て、クリスティーナが訪れるまで彼の私室で一緒に待つことになっている。


(そそろ支度は終わったかな?)


 着替えるというので、休憩で厨房に水を貰いがてらいったん出たのだが、果たして無事でいるのか気になった。


 向かっている途中で、同じく菓子の袋を引っ提げたルディオと鉢合わせた。


「何そのお菓子」

「いや~、暇ならつまもうかな?って」

「空気読もうよ。たぶん、もしかしたらだけど、ジークハルト様はお菓子なんて入らないかもしれないよ」


 二人でそんなことを話しつつ、ジークハルトの私室へ入室する。


 当のジークハルトは、使用人達に磨き上げられて貴族の正装に身を整えられていた。まるで理想の騎士様といわんばかりに美貌を映えさせてキラキラと輝いていたが――その表情は、まるで死刑執行を待つ囚人のように血の気がなかった。


「お、おーい? 大丈夫かよ、ジーク?」

「ジークハルト様、とりあえず呼吸はしてください」


 なんてこった。めちゃくちゃだめじゃん、とエリザは思った。身支度のための道具を片付けている男性使用人と、中堅らしきメイドが数人『頼みましたよ友人様と治療係様』という空気感をかもしている。


(うん、これもまた私の役目なんだね!)


 ルディオが隣で「エリオがいて助かった」なあんて言っているのが、ちょっと腹立つ。


 けれど、目の前のあまりに可哀そうな人を放っておけないのも事実だ。ジークハルトはあまりの緊張で、声を掛けたら掛けたで過呼吸になりそうになっていた。


「ど、どどどうしよう。心臓が止まりそうです」

「落ち着いてくださいジークハルト様っ、深呼吸です! お席の方は庭のテラスですし、薔薇園が見るように、という配置で向かい合わせは回避されていますから、ご安心ください。今回は離れた所からしか見守れませんが――」

「いえエリオは離れていて大丈夫です、一人で頑張りますから」


 途端、なぜか珍しくジークハルトが意気込む。


(向けられた手がちょっと震えてはいるけれど……)


 エリザは、ルディオ祖彼の指先に注目してしまった。


 ジークハルトが口の中で挨拶の言葉を復習しながら、胸に手を当てて、何度も大きく息を吸い込む。


 貴族の衣装を着た彼は、その姿さえも様になっていた。事情を知らない者が見れば横顔も見目麗しくて、悩んだ感じが色っぽささえ漂わせている。


(ん。意識しない、意識しない……)


 最近、やけに懐かれているせいで笑顔の威力がすさまじいせいだろう。なんだかきらきらとしたフィルターがかかっているように見えて、エリザは自分も深呼吸した。


「でもさ、この短期間でジークもすげぇ成長したよな」


 ルディオがとんとんと肩を指で叩いてきた。ジークハルトが集中している隙に、エリザは小さな声でやりとりする。


「そう思う? 私も、そこはちょっと誇らしく思ってる。提案した時にすごく頑張っていたんだよね」

「そうか。殿下も今回のこと、すげぇ褒めてたぜ」

「それはよかった。並ぶと絵になるよね」

「まぁ美男美女だしな。ところでさ、お前が周りの男共と一緒になってクリスティーナ嬢に悶えてたって一部で噂になっているけど、あれってマジなのか?」

「…………」


 エリザは、そこで初めてテンションを下げて口をつぐんだ。


 見ているルディオが、とっても何か言いたげに唇をきゅっとする。


(うん、言いたいことはよく分かる。でも仕方ないじゃん、超絶美少女なの!)


 だってクリスティーナは、エリザから見ても妹キャラの美少女なのだ。それをルディオには共感して欲しかったのだが、あの残念なモノを見るような目の漢字、無理だなとエリザは諦めの心境になった。

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