29話 子息様の慕う度合いが心配

「八歳の頃、年頃の近い貴族の子供達が集められた会の翌日から、突然ジークはああなったという。大昔の精霊云々の魔法は『まじない』だ。魔力によって発動し、精霊の力によって魔法が起こる。そうすると体内に魔力の痕跡は残らない」

「私の聖女の体質が影響して、呪いを抑えていると言われれば納得です」


 浄化の力だ。呪いには絶対にかからないし、呪われている射当ての影響力も無効化する。


(ジークハルト様、本気で怖がっているみたいだったし……)


 いつだったか、エリザはそこがちょっと引っかかったのだ。


 苦手だとか、トラウマを思い出して震えるとかではなく、近付かれることへ異常なほど恐怖にかられている感じがあった。


「女性に近付きたくないとする強烈な恐怖感、蕁麻疹、最悪は気絶する呪い……それが病気の正体だとして、術者にいったいなんの得があるんでしょう?」

「他の女性に近付けなくするため、とか」

「……は?」


 フィサリウスが、楽しそうに目を細めた。


「ふふ、本気で考え付かなかったという顔だね?」

「だ、だって、それだけであんなふうに呪いをかけるんですか?」

「今ではなくなってしまった『まじない』なんだ。本人も知らぬところで、と考える方が自然じゃないかな。当時集まっていたのは子供達だ」


 エリザは「あ」と声を上げた。


「え。じゃあ、陰謀とか、そういうのではなくて子供の……?」

「たとえば恋心を抱く夢見がちな女の子がいて、そんなことになるとは思いもせず自分だけを見て欲しいと思って、見よう見真似で『まじない』をかけてみた――とか」


 確かに、そう考えるととっても自然……な気がしてきた。


 でも同時に、頭が痛い話だ。


「はぁ……なんと迷惑な……じゃあ、ああいう反応になることも分からないし、本人も成功したことにすら気づいていない、わけですね」

「そのうえ魔力関係ではないので、私でさえ感知も解くことも不可能」


 フィサリウスはこの国の魔法使いという存在の中では、かなり上、それでいて特殊な位置づけであるらしい。


(私の指輪の魔術を、察知できるくらいだもんね……)


 話がひと段落話したようで、彼が紅茶を飲んだのでエリザもそうした。


 偶然にも成功して呪いが発動した。そしてジークハルトは、女性に対してあんなふうに怖がるようになってしまった――。


 いい香りを嗅ぎながら、エリザはしばしぼうっとして考える。


「じゃあ、ジークハルト様が私に心を許して懐いてくれているのも、もしかしたら術のせいかもしれませんねぇ」

「そうかなぁ、あれはどちらかというと……」


 フィサリウスがうーんと秀麗な眉を少し寄せたのち、言い変える。


「どうしてそう思うのか聞いてもいいかい?」

「浄化の力を持っている人のそばにいると、苦しみや不安も緩和されると師匠に教えられました。呪いが身を潜めてくれるから安心感もあるのかな、と」


 そうすると、ジークハルトが治療係を盗られたくないという不安感を滲ませたのも、腑に落ちる気がした。


 せっかく見つけた信頼できる治療師、というよりはエリザの聖女の体質に知らず知らず救われてるのかもしれない。


 そうエリザは推測を語った。話していると、ますます自信が加わった。


「自分のものじゃない恐怖感があるなんてつらいことだと思います。蕁麻疹といった症状がなくなってしまえばジークハルト様の苦手意識も徐々に改善へ向かうはずですし、そうすれば公爵様を悩ませている結婚問題もすぐ解決! 私も治療係卒業! 呪いを解きましょうっ、殿下に全面協力します!」

「ジークのアレは呪いによるものなのかどうなのか――うーん、でも、君のその真っすぐさは実に部下に欲しい」


 足を組んで面白げに眺めつつも、やっぱり困ったという顔になって彼は微笑んだ。


「雇われるのは無理ですからね? 魔法使いではないのがバレてしまいますし」

「浄化と怪力の指輪で十分だと思うけれどね。うちは優秀な文官が欲しくてたまらないでいる部署が複数あって、繁忙期は地獄になるから」

「こわ」


 でも王宮も仕事の募集はしているんだなぁと、エリザは思ってしまった。確かに就職したら金銭には困らなそう――という感想が頭の片隅に残る。


「まぁ、勧誘はまた次回にしよう」


 フィサリウスはにこやかな口調で言った。意外にも面白い冗談も会話に挟む人なんだな、とエリザは思った。


「ジークの呪いを解く。大昔の『まじない』だから調べるのに苦労しそうだけど、突き止めて、その解除方法を探し出す」

「はい」


 引き締まった彼の雰囲気を見て、エリザも背を伸ばした。


「この件は私の方で調べておく。もしかしたら君の知識も借りるかもしれないが、その時はよろしく」

「もちろんです」

「ああ、そうだ、代わりにと言ってはなんだが王宮の本は好きに読んでいいよ」

「……本?」

「ラドフォード公爵からは、この国の本に興味があるらしいとは聞いている。彼伝えで許可証を渡しておくから、待っているといいよ。軍の書庫でも自由に出入りできるものだ」


 王宮でジークハルトを待っている間、何をしてどこで暇をつぶそうか悩まずに済みそうだ。


「ありがとうございます」


 エリザは、親切な王子に心から礼を述べた。


 これで話は終わりだろう。そう思って菓子を一つ食べ、甘さにほっとしながら、美味しい紅茶を最後までのもうとした時だった。


「ところで、君の本当の名前を聞いてもいいかな?」

「ごほっ」


(なんたる不意打ち)


 エリザは、眩しいフィサリウスの笑顔を困ったように見た。王子様にそんなこと言われたら、答えないといけなに決まっているではないか。


 でもこの二年、口にしてこなかった名前でもある。


 必要かな?という思いも込み上げて、王子様に確認した。


「あ、あの……言わなきゃ、だめ?」

「わー、考えていることがとっても顔に出る子だねー。うん、協力者になったのだから、身元を証明するのは当然だと思わない?」


 ――確かに、ド正論、な気がする。


 エリザは悩んだ。なんだか無性に気恥ずかしい気もしてきて、ぐるぐると考えてためらった末に、


「…………え、と……エリザ、です」


 彼女はぽつりと答えた。


「エリザ? 偽名のエリオと語尾違い?」

「はい、そうです」


 答えた途端、フィサリウスが笑い出した。


「あっははは! 君、嘘が付けない子だって言われない?」


 ひどい。

 けれど師匠のゼットから言われたような覚えもあって――思い返しているエリザの百面相を見て、王子様はまた笑ったのだった。


                  ◆


 フィサリウスから話を聞かされたあと、エリザは一人になってようやく小さな驚きがじわじわと遅れてやってきた。


(呪い、だったのかぁ……)


 あんな迷惑極まりない不思議な症状なんて聞いたことがないから、頭の整理をするのに時間はかかったけれど、言われてみれば納得だった。


 どうやらこの国の古い魔法の一つ、みたいだ。


(『まじない』、おまじない……つまり占いの一種、みたいなものなんだろうな)


 結果として本人にろくでもない症状を引き起こさせているので、悪意がないにしても『呪い』と言える。


 あれだけ過剰に異性を触れないというのも、考えてみるとおかしい。


 それから、ジークハルトの急速な懐き具合だ。


 まるで親か、兄弟か、信頼する長年連れ添った教師を慕うように素直だ。聖女の体質のせいらしいと納得できた。



 あとは解除方法が見付かるのまで待つか――。


 と思っていたのだが、エリザはジークハルトの懐いていく度合いが、心配されるレベルまでぐんぐん上がっていっているのでは、と不安になってきた。


 聖女の浄化作用は『呪い』に対して効力を発揮すぎなのではないだろうか?


 フィサリウスと話をしたのは三日後、エリザはにこにこと笑っているジークハルトを前に、そんな心配を思ってしまう。


「今日の合同訓練で、マクガーレン隊長とちゃんと会議が成立しました」

「お疲れ様でした、ジークハルト様」


 ひとまず、いつものように頭を下げて迎える。


 マクガーレン隊長というのは、女性騎士隊長様だ。近衛騎士隊の中でも権力を持った幹部の一人で、第一近衛騎士隊の副隊長内定者であるはずのジークハルトが、普段は代理を立てて逃げ回っているとハロルドから相談を受けた。


 そこでエリザは、ハロルドと共に会議に参加することを彼の今日の課題としたのだ。


 昨日それを提案した時、ジークハルトはぐっと言葉を詰まらせた。しかし覚悟を決めたような顔で会議の参加を約束した。


(慕い過ぎなのでは……? 不思議だけど、出会ってから泣き言は聞いても彼「やれない」とか「やりたくない」と拒絶は一度もしてこないんだよね……)


 ジークハルトと再び王宮にいたエリザは、これも呪いか、と考えてしまう。


「エリオ?」

「えっ、あ、はい、なんでしょう?」

「それではご褒美をください」

「……そう、でしたね。うん『ご褒美』ですね」


 美しい成人男性に、にこにこと手を差し出されてエリザは少し反応に遅れてしまった。


(これは……早めに解決した方がいいかも)


 彼の印象を悪くしてモテ度を下げてしまったら大変申し訳なさすぎる。女性に対して恐怖を抱く呪いを受けているはずの彼が、安心しきった顔でエリザの手から飴玉を取るのを、彼女は悩み込んだ顔で見つめてしまう。


 ジークハルトが懐いているのは『呪い』が、エリザの聖女の血で彼女にだけ無効化されるせいだ。解放感があって安心するのだろう。


 しかし彼は、エリザより一つ年上の十九歳だ。


 その年齢なら、彼女が欲しいとか、女性に触れてみたいとか……とにかくそういう気持ちがあったとしてもおかしくない。


(いやそんなこと私も考えたくないけど、飴玉大好きって可愛すぎか!)


 とにかく、飴玉一つでやる気になっている構図は、よろしくない気がするのだ。


 だんだん大きな子供に見えてくるので、この懐きっぷりは勘弁して欲しい。


 それから――困っているのは、この三日でおちゃめっぷりも加わったことだ。


「エリオ」

「なんですか――うぇ!?」


 飴玉を渡したはずの手を掴まれて、彼の方にぐんっと引っ張られた。


 次の瞬間、彼の鍛えられた胸部にエリザは顔面からダイブしていた。そのままむぎゅっと抱き締めるられる。

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