028●第四章⑦カオスな暦と、哀しき号外。

028●第四章⑦カオスな暦と、哀しき号外。



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 そして、ひたすら本を読み、資料をあさる時間が過ぎゆくにつれて……

 僕の頭の中に、一つの疑問が生まれていた。これは変だ、変すぎる。

「ねえ、トモミ」と尋ねる。「公経新聞社が出している経済年鑑の“公紀元年版”なんだけどね……」

 年鑑というのは、ある年の出来事や各種の統計や調査結果などをまとめて記述した書物のことだ。

「はい、ワガ様、ここに積み上げたのが、戦後八十年の範囲で出版された“公紀元年版経済年鑑”の全てですが」

「いや、それはわかるんだが……」と、俺は両手で頭を抱えてうめいた。「どうして、同じ“公紀元年版”が二十冊以上もあるんだ。しかも、それぞれ全部、内容が違う! この一冊は最近のデータらしいが、こっちの一冊は明らかに何十年か昔の数字だぞ。本の装丁も紙質も古びているし」

「えっ……だって、そうなのです、ワガ様。“公紀元年”は何回でもあるのですから」

「ハレホロヒレハレ……」我輩、天井を仰いでしまった。「そうか、そうなんかい! どおりで、読めば読むほど、頭の中で歴史の順番が無茶苦茶なカオスになっちまうわけだ!」

 トモミの説明によると、現在のエリシウム公国の暦は、公王アークデュークが即位した年を“公紀元年”として、そこから二年、三年……と数えていく“公紀法”だという。旧公王が退位して新公王が即位したら、その年を再び“公紀元年”に戻して、二年、三年……と年数を積算していく習わしなのだ。

 ただし、四十年ほど前からは、なぜか公王ではなく、枢鬼卿すうきけいが代替わりするたびに、“公紀〇年”となっていた年号を“公紀元年”にリセットするようになったという。

「おいおい、それじゃあ今年は……」

「ですから公紀元年です。ワガ様がご降臨になられましたから」

「てぇことは何だい、五日前までは……」

「公紀三年でした。でも亡くなられた先代の枢鬼卿すうきけい様がワガ様と交代なさいましたので、今は公紀元年です」

「要するに、公王様か枢鬼卿すうきけいが代替わりしたら、その日から“公紀元年”に戻るってことだね。でも問題は呼び方だよ。“A公紀元年”とか“B公紀元年”とか、そういう区別はないのかい?」

「ありません。代々の公王様も枢鬼卿すうきけい様も、どなたも神様と同等の権威をもって暦を統ベておられるので、年号をその名称で区別せず、みんな“公紀”に統一する……と歴史の教科書に書いてあります」

「いやしかし……」半ば絶句しながら僕は問う。「それって、スッゲー不便じゃないの? 十年二十年前に何が起こったのか、大混乱して、さっぱりわからなくなるじゃないか。ほら、この“公紀元年”の年鑑はこっちの“公紀元年”の年鑑の“何年前の公紀元年”のことが書いてあるのか、全然わからないだろ?」

「ええ」とトモミは気にもせずうなずく。「歴史の先生はみんな、おっしゃいます。“昔のことは忘れて振り返らず、常に未来を向いて前進しよう。それが公国の国民だ”って」

「歴史の試験対策で年号を覚えることはなかったの? ほら、語呂合わせでさ、なくようぐいすへいあんきょー、いいくにつくろうかまくらばくふ……」

 トモミは首をかしげて、きょとん。そして、頭に拳を載せて、うーんと考え込み始めた。悩む美少女はこれまた可愛いが、見惚れてばかりはいられない。

「あ、いいよいいよ、今のは僕の前世記憶ぜんせきおくにたまたま残っていたスパムな呪文だ。忘れてくれていいんだ」

 なんと、エリシウム公国の学校の歴史の試験では、ある出来事が何年のことなのか、問われることがないらしい。“ほんのうじのへん”と“あけちみつひで”に“いちごぱんつ”を関連付ける努力はしなくていいのだ。それなら俺、絶対に受験は歴史科目を選択するぞ、暗記の苦労は半分以下になる!

「し、しかしそれじゃ、トモミ、自分の歳はどうしてわかるんだ。話を聞いていると、とある“公紀元年”生まれの人が十万人いる一方で、何年か後の“公紀元年”生まれが十万人いるとか、そういうことだよね? 年齢が異なるのに誕生年が同じってことになる。ならばトモミ、きみは自分が公紀何年生まれの何歳なのか、どうやって正確に知ることができるのかい?」

「ええ、それは簡単です。お役所では、その年に生まれた人の名前や住所を地域ごとに一冊の戸籍簿に登録しています。毎年、お正月が来るたびに、戸籍簿の表紙に一本線を書き加えて“正”の字で五年分としていますから、その数で年齢が記録されるんです」

「その手があったか……ということは、このエリシウム公国の行政は、“通歴つうれき”無しで運営されているってことだ」

「つーれき? ですか?」トモミはまたまた、きょとんとするばかりだ。

「ほら、通歴つうれきって、最初の年を決めて、その後は何があってもずーっと一年一年を加算していく暦年表記法だ。自分たちの国を建国した年とか、メジャーな救世主が生まれた年とか、偉大な聖人がハリツケにされた年とかを一年目として、次の年を二年、その次を三年……と数えていくやり方だよ」

 エリシウム公国だけでなく、今のムー・スルバには、世界共通の“通歴つうれき”が存在せず、各国まちまちで自国流にこよみを制定しているという。

「そうですね……」トモミは思い出して言った。「昔のこよみはワガ様がおっしゃる“通歴つうれき”だったんじゃないかと思います。八十年前のもう少し前までは、エリシウム公国の建国から何年経ったかを数えていて、たしか“建国二千六百年”までは数えていたという歴史書があります。でも、八十年前の戦争でタルシス連合国に敗けてから、“建国〇〇年”という数え方はやめたんです」

 タルシス連合国とは、南の大陸の東の果てにある大国で、サヴァカン帝国の皇帝独裁制とは真逆の議会制民主主義の国家だ。エリシウム公国は八十年ほど昔に、そのタルシス連合国と“太洋戦争”という、大海戦の戦争をやらかしてコテンパンに敗けてしまった。

 その後やっとのことで和平条約を成立させて事態を収めたが、戦後しばらくは国民が食うや食わずの悲惨な飢餓状態にあったと伝えられる。このときタルシス連合国から食糧援助と引き換えに政治介入があって、独裁王制だったエリシウム公国は憲法を改正して、民主的な選挙にもとづく議会制を取り入れたというわけだが……

「ふうん……つまり、八十年前に戦争に敗けたことをきっかけに、暦の仕組みを刷新、というか、物事の前後関係がわからなくなるアホな表記法に変更したんだ。いったいなぜ……てか、そんなことをしたのは、誰なんだ?」

「はい」とトモミはすらすらと答えた。「現在の宰相はウーゾ・ベアン・チ閣下様ですが、その前の宰相はお父様のウーロ・ヨリモ・チ様で、そのまたお父様のスーキ・ケシン・チ様が終戦直後に宰相になられまして、こよみ制度の改革をなさいました」

「さすが受験勉強しただけのことはあるね、トモミは賢いな」と褒めて我輩は言った。「つまるところ、この国は代々、チ家というサラブレッドなスーパー上民アッパの一族に牛耳られてきたってことだ。現在の、めんどくさい暦制度にしてしまったのは、ウーゾ宰相の祖父じいさんだったのか……」

 八十年前には“建国二千六百年”まで数えていた通歴つうれきを廃止して、公王アークデューク、そして枢鬼卿すうきけいが交代するたびに“公紀元年”にリセットする“公紀法”に変えてしまったのには、為政者側の意図たくらみがあると思われる。

 我輩の膨大な前世記憶ぜんせきおくに照らし合わせれば、最大の理由はこれだろう。

「政策の失敗を隠すためだ」

 たとえば戦後すぐの公紀元年には、食糧政策の失敗で十数万人の餓死者が出てしまったらしい。その事実は年鑑に記録される。しかしそれから十年二十年と経過するうちに“公紀元年”が何回も訪れたので、十万人の餓死者を出したのが何年前のことだったか、わからなくなってしまった。そこで「あの年の食糧政策は失敗だった」と当時のスーキ宰相が国民から問い詰められても、「はて、それはいつのことだったかな?」と、とぼけることができるわけだ。

 一事が万事で、失策が“あったこと”はわかっても、それが“いつのことか”が証明できなくなる。そうなると、失策の責任を追及することができなくなる。

 そうやって、過去の失敗をうやむやにすることで、戦後八十年をやりくりして来たのだ、エリシウム公国という国家の政府は。

 ではいったい、何をうやむやにしてきたのか?

 戦後八十年のうちに、じわじわと、この国をむしばんできた寄生虫のような悪魔がいたとしたら、その存在を隠すために、通歴つうれきのない“公紀法”の暦が制定されたのだと考えられないだろうか?

 にしても、そいつを突き止めるには、ここ八十年を一貫して通算できる“通歴つうれき”の暦が無くては困るのだが、本当に困ったことに、公的な通歴つうれきは、この国には無い。

 しかし……

「トモミ、君はさっき、“戦後八十年”と言ったね」

「はい、ちょうど今年が、太洋戦争の終戦の年から数えて八十年目にあたります」

「ということは、終戦後ずっと、一年過ぎた、二年過ぎた……と八十年目まで数えてきた一般市民がいるわけだ」

「ええそうですね、毎年、市民団体が“敗戦から何年”と数えて慰霊祭を行ったりしていますので……」

「それだ! トモミ、一つ仕事を頼む。この山のような書籍と資料の中から“戦後何年”という言葉を拾うことで、全体を過去八十年の時系列に並べてくれないか」

「はい! すぐにかかります」

「そのとき、国家財政の統計の数字を見つけて、別紙に書き写してほしい。知りたいのは、過去八十年間の、国家債務の推移だ。つまり、国の借金だよ。借金が積み重なっているのか、減っているのか、それが国家の行く末を左右するからね」

 トモミはうんうんとうなずいて納得した。その瞳に好奇心の炎が宿る。

「こんなことを調べるの、初めてです。“今年の国家財政の予算とその実績”はわかりますけれど、八十年分の毎年のデータを時系列でまとめて比較するなんて、考えてもいませんでした」

「そういうのって、学校の試験に出ないんだろうね」

「ええ、そうなんです。そんな昔のことを調べても、現在は変わらないから無駄なことだと教わりました」

「そうやって国民を飼いならしてきたのかな、ウーゾたちは。過去の歴史から意図的に目を背けさせるのは、“らしむべし、知らしむべからず”の基本政策なんだ。ああそうだ、トモミ、気を付けたまえ、こずるい大人たちのセリフにさ。“それは過ぎ去ったことだ”“終わったことだ”“すでに決まったことだ”“みそぎは済んだ”“昔のことを蒸し返すな”“つまらんことを気にせずに未来に目を向けよう”とか言うときは、たいてい、自分の過去の悪事の責任を誤魔化すための方便だからね。大人がそんなことを言うときには、隠そうとする過去を思い切りほじくってやることだ」

 そのとき、カッカッと足早なハイヒールの音が響き、シェイラが顔を出した。

「新聞の号外が出ました、猊下、直ちにご一読ください」

 声が緊張をはらんでいた。

 タブロイド判一枚きりで片面しか印刷していない紙面には、上半分が人物写真で、記事とその見出しの印刷インクがこすれて随所ににじんでいる、つまり、いつものようにアイロンをかける余裕が無かったのだ。

 その記事の衝撃は、ノックアウト級のパンチを顔面に食らうに等しかった。

 刹那、食い入るように紙面を見たトモミが両手で口を押さえ、「あ……あ……」と抑えきれない嗚咽を漏らしたのだ。

 そして一言。

「せん……せい」

 どっとあふれた涙が、トモミの頬を伝い、エプロンを濡らした。


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