026●第四章⑤二つの月と、スライムの月の謎。
026●第四章⑤二つの月と、スライムの月の謎。
*
初夏の訪れを思わせる、
「今宵は快晴と占われております、猊下、われらがエリシン教の
シェイラがそう提案したのだ。
夕食は
これで僕を毒殺しようとしたら、数百食分の食材に毒を仕込む必要があり、僕が食べる前に何十人もの職員が毒に当たってしまう。そこまで大仕掛けな陰謀を仕掛けても、俺を毒殺することはできない。敵もそのような無駄打ちは避けるだろう。言い換えれば
それでもトモミは言い張って、僕専用の毒見役を務めてくれた。ほんの少しずつだが、おかずと主食をそれぞれに口に入れて、安全を確かめる。
「君の食事は?」と聞くと、トモミはちゃっかり顔で「お毒見の量で十分です。それ以上食べたら太りますし」
見事に食費を浮かせている。ちゃっかりなのか、しっかりなのか。
「“気を付けよう、その一口が
「まあ猊下」トモミは顔を赤らめて、「あたし、丸顔なものですから、これ以上横幅が増えないように願っているのです。でも、あたしの背脂が
真顔で言われた。どうも、トモミは心から、僕に食べられても平気なようだ。
そしてシェイラの招きで、
日は暮れていて、そのまま市民運動会ができそうなほど広大に敷き詰められた芝生の
星空の眺望を妨げないように、
そこまで照明に気を使ってもらうのは悪いような気もしたが、すぐに言いようのない感動が押し寄せて、何も考えられなくなってしまった。
「おーっ!」僕は声を上げずにおれなかった。「なんて素晴らしい……世界一巨大で華麗なシャンデリアだ」
天はあふれんばかりの星々で満たされていた。
「
「はい、猊下」とシェイラも
「そりゃそうだろうなあ、星々の天蓋、煌めく無数の宝石のドーム。これはもう、このうえない天然の神殿だよ」
僕は
「これが宇宙の本当の姿なのですね」と、トモミが感極まってつぶやいた。「昼間はお日様のまぶしい光に隠されて
「そうだね、こんなに綺麗な星空なら、天が回ろうが、地が回ろうが、どちらでも良くなってくる。天動説でも地動説でも、研究したい人はすればいい、でも争うのは馬鹿げてる。こんなに美しくて清らかな星々の下で、人と人がののしり合い、剣を抜いて殺し合うなんて、最低だ。みんな黙って星を見上げてれば、それでいいんだ」
僕の言葉に、トモミもシェイラも、共感するところがあったようだ。
左の二の腕を、ギュッと掴まれた。トモミが僕の肩に、後ろから頬を寄せていた。
右の二の腕も、ギュッと掴まれていた。顔を向けると、シェイラが目をきらきらさせて、俺を上目遣いで見つめていた。あなたを信頼します、と伝えるかのように。
「ワガ様、わたくしたちの大地ムー・スルバには、三つの月が巡っております。エリシン教ではその最大の月スライムーンを
シェイラはそう告げて、木製の三脚に支えられた、鏡筒の長さ一メルトほどの反射望遠鏡を操作した。「二つのお月さまをご案内させていただきます」
望遠鏡の筒の下には複雑な歯車と
キリキリ……と歯車が回り、接眼鏡のレンズが光を集めて明るくなった。
シェイラは腰に提げていた黄色魔法石のランタンを消灯し、どうぞ、と促した。
接眼レンズを覗く。視界一杯に月があった。
「ボスムーンです。これは動きが早く、西から東へ、たった四時間で天を巡ります。一日でムー・スルバを三周しているわけです」
シェイラは歯車に付随したクランクを回して、鏡筒を動かした。するすると動いて、視界を離れようとするボスムーンを追いかける。
「無粋な岩の塊だね、ごつごつした芋のような」
「はい」とシェイラ。「軌道を駆け足で走り抜けますので、足腰の健康にご利益のある神様となります。
ちょっと笑ってしまった。月を神格化することで、教会の現金収入を生み出しているのだ。
しばらく観測したのち、第二の月に望遠鏡の焦点を移した。
「お次はモスムーンです。小さな月でして、東から西へ、とてもゆっくりと動いています」
「ああ、こちらの方がのっぺりしていて、ハート形に見える」
「そうですね」とシェイラ。「聖典では、愛をもたらす月と位置付けられています。
こちらも教会の現金収入だ。意外とこれ、大事なことかもしれない。こうした物品販売は教団の経営に少なからぬプラスとなっているはずだ。シェイラの経営手腕だろう。宗教も経済だ。
「それでは猊下、最大の月、スライムーンが地平にお姿を現わします。こちらは望遠鏡が無くても、よく見えますので」
僕はきょろきょろと、地平線に月の出を探した。「東、それとも西?」
「いいえ猊下」と、シェイラは厳かに
南の地平線……といっても
最初はぼんやりとした、薄明るい影のように、それは見えた。
そしてゆらゆらと、地平から全貌をあらわすと、ぽっ、と淡い輝きを放ち始めた。
金ぴか、とは言えないが、明るい黄色は滑らかな光沢を伴って、まるで新品の電球のように、傷ひとつない。
そして、大きかった。
両腕を延ばして左右の親指と人差し指の先端をそれぞれ接して輪を作ると、その中にすっぽりと収まる、そんなスケールだ。
巨大で
「でかいな……どうみても金色の玉ねぎだ。ひょっとすると直径百キロメルト以上、いや、千キロメルトを超すんじゃないか?」
「でもワガ様、とてもとても神々しいです」
トモミは頭上へと昇りゆく神様を見上げて感極まっている。信心深い娘なんだ、と思う。
しかし、もやもやとした疑問が俺の胸中に渦巻いた。
これは……ただの月ではない!
我輩はシェイラに尋ねた。
「あのスライムーンの正体はたしか、スライムだって言ったよね?」
「はい、正体は神様のお住まいそのものですが、成分的には文字通りスライムだという言い伝えです」
「言われてみれば、そう見える。太古の遺物のはずだが、表面はすべすべで、クレーターがひとつもない。ボスムーンやモスムーンはクレーターの穴がいくつも開いていた。しかしスライムーンは傷ひとつない。隕石みたいな小天体に衝突されたことがあるはずだが、その痕跡が表面にまるで残っていない……ということは、やはりスライムでできているのか。表面から何キロメルトだかわからないが、とてつもなく大量のスライム状の化学物質で作った超巨大な団子みたいなものじゃないか? だから隕石などが衝突しても、ドロドロ、ヌルヌル、プヨプヨのスライムだから、その穴はたちまち塞がる……」
そこまで喋って気が付いた。
スライムーンは北から南へ、南から北へと天球を動いているのだから……
「極軌道だ。特殊な軌道を回っている。あれは、人工物じゃないか?」
「いいえ、ワガ様、スライムーンは神様がおつくりになった“神造物”です。聖典にはそう書かれています」
エリシン教の敬虔な信者であるトモミの見解はごもっともだが、我輩の
その本体を種とすれば、周りを取り巻く果肉のように、超巨大なスライムをこってりと分厚く
その証拠に……
「スライムーンはムー・スルバを回る月なんだろ? それなら満ち欠けをしているはずだが」
「神様ですから、他の月のように形が欠損することはありません」とシェイラ。「常に完全な、満月のお姿を維持されています」
「ふーむ」我輩は考え込んだふりをして、さらに確認した。「昼間は見えているよね? 太陽光を反射していれば、青空に白っぽく浮かんでみえるはずだけれど……」
「いいえ、昼間は見えません、空の青さにお姿を隠していらっしゃいます。だからエリシン教は夜の宗教でして……」と答えて、シェイラはふと思い出して言った。「ずいぶん昔のことですが、スライムーンが太陽の前を通って光を遮り、ムー・スルバが真っ暗になったことがあると、古文書に残されています。その時はスライムーンの玉ねぎに似た形が真っ黒なシルエットになって、太陽の光を背景に、闇の昼の大空に浮かび上がったとか」
偶然とはいえ、日食をしでかしたことがある……というのは、昼間もスライムーンは青空の上に存在していたわけだ。
昼は太陽光を反射せず、青空のはるかかなたの宇宙の闇に溶け込んでいる。そして夜は黄色く光り、満ち欠けが無い……
「まだ、ただの仮説だが、スライムーンはやはり人工物だ」
トモミとシェイラがじっと我輩を注視する。我輩は淡々と続けた。
「昼の領域にあるときは太陽の光を反射せずに、ひたすらエネルギーを吸収して貯め込む、そして夜の領域に入ったら、余った熱量を光に変えて放出し、自ら明るい黄色に輝くんだよ。隕石の落下でクレーターができても、スライムが自己修復する。そうやって傷ひとつない姿を保ちながら、千年万年と、ムー・スルバの夜の女王として君臨してきたんだ」
シェイラもトモミも、熱心に新人枢鬼卿の講釈に聴き惚れてくれた。聖典に記されていない、耳新しい宇宙論なのだろう。
「スライムーンは、
「だとしたら、聖典の通りです。神様が、あたしたちのご先祖様を運んできて下さったのですね!」
超巨大な人工構造体であるスライムーンは、ムー・スルバの衛星として、極軌道を選んで運行している。
この惑星の北極と南極の上空をぐるぐると通過する軌道は、赤道上空に沿った軌道とは異なり、ムー・スルバの全ての地域をほぼ同じ高度から正確に観察できることになる。惑星ムー・スルバが自転してくれるからだ。
そしてスライムーンは、はるかな昔のあるとき、無人の荒野でしかなかったムー・スルバを、人の住める豊かな土地に変えてくれたという。
北極と南極の上を回る極軌道は、惑星の全土になにかをまんべんなく降らせるのに便利だ。
例えば、種まきとか。
エリシン教の聖典の記述に従うならば、スライムーンは改造を進める大地の一部に楽園をつくり、最初の入植者をそこに降ろしたことになる。
では……
スライムーンは、全ての仕事を終えたのだろうか?
人類がムー・スルバに繁殖して、いくつかの国家をつくり、それぞれの文明を
それならスライムーンの仕事はすでに完了したはずだ。
しかし、いまだにムー・スルバの極軌道にとどまっている。
もしかして、まだ、スライムーンは神々の仕事を終えていない?
極軌道からこの惑星のすべてを電子の眼で偵察しながら、スライムーンは何を考え、何を意図して、そこで……何を待っているのだろうか?
我輩の妄想はあてどなく膨らむばかりだったが、最後に一つの問いが残った。
シェイラとトモミには教えられない
スライムーンが神ならば、“
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