025●第四章④枢鬼卿《すうきけい》布告第一号。そして神様の正体。
025●第四章④
そこで、布告の草案はこうなった。
“エリシン教で異端とする言論風説およびその表現内容は、宗教上、一切の罪に問われない。神は
「画期的な布告です」と感激するシェイラ。「これで、地動説を研究し発表しても宗教上の罪に問われることはなくなります。そして宗教上の罪に問われない以上、刑法の“国教異端罪”に問われる根拠が無くなります」
「猊下……ありがとうございます」と、トモミは床に土下座して
俺はトモミの手を取って、立ち上がらせて言った。
「これで、地動説支持者はみんな、大手を振って釈放される。もっとも、エリシン教に盾突く悪魔崇拝や黒魔術研究者も監獄を出て世に放たれてしまうけれど、まあ、それも良しということにしよう。たとえ悪魔の思想でも、本人が崇拝し研究し発表するだけなら個人の自由さ。そこまで禁じるのは、エリシン教の神様も望まれないだろうね」
このように我輩は布告のデメリットも説明し、それからメリットも付け加えた。「我輩のさまざまな
「でも」とシドは忠告した。「エリシン教会は不真面目で不謹慎で破廉恥な人々に舐められはしないでしょうか。教会の中に踏み込んで、堂々とご神体様を言葉で侮辱するばかりか、唾を吐きかけるような暴漢が現れないとも限りません。いくつかの例外規定を設けて、罪は罪として定めた方がよろしいのでは?」
「いや、たとえご神体様に唾を吐きかけられても、落書きされても、教会の導師さんはいちいちカドを立てずに、“神様は慈悲深く全てをご照覧です”と説諭すればいいと思うよ。ただし!」と、我輩はその裏に隠れた本音を述べた。「“神様は全ての罪をお許しになります”とまでサービスしてはいけない。教祖である
「なるほど、そういう仕組みですね」と納得するシェイラ。「
「布告では“異端に罪なし”と書いてあるが、“侮辱に罪なし”とまでは書いていないからね。“異端”と“侮辱”は全然違う。教会を侮辱する迷惑行為は、刑法の国教異端罪でなく、ただの軽犯罪や器物損壊として取り締まってもらおう。それがスジだ」
「御意」とシェイラは同意し、布告を起草する
「
「
「でかい、ずっしりしてる、まるで芯まで鋼鉄を詰めた弁当箱だ」と俺は評したが、シェイラはにっこりと笑って訂正した。
「王印は芯まで純金でございます」
我輩の署名と日付と布告文の末尾にかかる形で純金の
こうして正式な公文書となった布告書は、金銀に飾られたケースに収められ、シェイラとシド、二人の手によって高々と掲げられた。
その場所は、図書館最大の二つのステンドグラスの窓に挟まれた壁面、やはり金銀のゴシック調の装飾に満たされた、見上げるばかりの豪奢な祭壇に鎮座している、エリシン教のご神体の真下だ。
シェイラが唱えた。
「寿ぐべき
「
居並ぶ
「これにて発布の手続きは完了いたしました。あとは国民議会の公室委員会を通過して、ウーゾ宰相の閣議決定により効力を発します。これらは公国憲法に定められた形式的な手続きですので、否決はあり得ず、布告の発効まで正味三日間、足掛け四日というところでしょう」
これで、この国の全体におよぶ、新しい決まりをひとつ、作り出したわけだ。
なんだかさっぱりした。僕はシェイラにうなずいた。
「初めて、一仕事した気分ですよ」
「はい、猊下」とシェイラ。「わたくしも、憶えている範囲で
「えっ、初めてなの?」
驚いた。シェイラが言うに、
「先代までの
モヤモヤした気分が戻ってくる。
「はい、日夜、酒池肉林に興じておられました。特にウーゾ宰相と
「この国で最悪最低の
「全く、歴代の
シェイラは否定せずに「どなたも、ご神体への礼拝もそこそこに、
「酒は美味いし姉ちゃんは綺麗……って、歌って踊って食って寝ておられたのか」
「お望みならば猊下、今すぐにでも酒池肉林の生活をご用意して差し上げますが」
「……いや、それは
我輩も俺も僕も、酒池肉林が嫌いであるはずがない。長いようで短い人生、数日くらいはそんな体験もしてみたいものだと思うが……
問題はその原資が、自分が汗水たらして独力で稼いだカネではないことだ。
「
大衆が蜂起して人民裁判にかけられてギロチンで首がすっ飛ぶ貴族や聖職者の姿が幾人となく
ということで、答える。
「そんなことをしたら、神様のお怒りを買い、必ずや天罰が落とされる。エリシン教の聖なる
俺はひざまづいて、祭壇に鎮座するエリシン教のご神体に祈りを捧げた。祈りの手順や簡易な
内心は酒池肉林大歓迎! ウェルカム色と欲! ……なのだが、ここはまだ、いい子にしておくのが身のためである。とにかく見た目を
神様には悪いが、今の自分はわが身の保身しか考えていない。
じゅげむじゅげむ……と、面倒臭い
「にしても……」礼拝を終えて、僕はおもわずつぶやいた。「ご神体って、どうみても金色の玉ねぎだね」
「ああ、猊下、それをおっしゃってはおしまいです!」と、トモミが僕の足にすがりついた。「ご神体を玉ねぎ呼ばわりすることは異端中の異端です!」
「いや、もう、いいんだよ、“異端には罪なし”って布告しちゃったし」と、僕。ついついトモミの髪を優しくなでて、慰めてしまった。「異端かどうかの心配は、もうしなくていいんだよ。ほら、ご神体だって、怒ってはおられないさ。でも、玉ねぎでなかったら、何なんだろう?」
ゴシック調の木彫りの装飾によって、大樹の枝葉の上に載せられたかのように鎮座ましましているエリシン教の“ご神体”は、どこをどう見ても、
それも特大の。直径二メルト弱……エリシン教の聖典によると“六キュビト”……のやや横に広い球体で、その上端がつんと尖っている。それだけの造形物だ。
しかしそれがシェイラたちの説明によると「記録に残らぬ太古の昔、不毛の世界ムー・スルバを人が住まう土地に変え、その一部分を楽園となし、私たち人類の祖先たるアダムとエヴァを降臨させた偉大なる……」
「偉大なる?」と問い直す僕にシェイラは答えた。
「偉大なるスライムです」
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