004●第一章②エリシウム公国、首都エリスにて〈20240915再修正〉

004●第一章②エリシウム公国、首都エリスにて〈20240915再修正〉



 俺は両目をパチクリさせた。

 ステージには、金銀の造花を盛大に盛り付けた祭壇。花々はすべて茎が逆さのU字形に曲がっていて、花弁が地面に向けてうなだれているのが悲しげで、いかにも葬式っぽい。

 人工の花園の中心部に安置された、金襴緞子きんらんどんすで包まれた箱状の物体は……

「棺桶じゃないか!」

 口走ってしまった俺の声を聞きつけたらしく、輿に並んで粛々と歩く補佐官のシェイラが、ちら、と顔を上げて答えた。

「はい、猊下、あの肖像のお方こそ、前任の枢鬼卿すうきけいであらせられます」

「い、遺影なの? てことは、あれが棺桶?」と僕は尋ねる。

「はい、ワガ様」とシェイラはうなずくと、「四十九日前にご昇天なさいました。そして国葬儀式の今宵、われらエリシウム公国の全国民が尊崇する、大いなる天神あまつかみは新たなる猊下を雲の上からお遣わしになられたのです、そうでありましょう? ワガ様」

「う、うん、そうだな、ええと、シェイラ殿、我輩こそが新任の枢鬼卿すうきけいと認識してくれて差しさわりないであるぞ」と我輩は勿体をつけて答えた。ここは彼女に合わせておくに限る。いやはや驚いた、俺が転生して着地した場所は、きらびやかに飾られたひつぎの真上だったのだ。うかつにも永眠中のご遺体を収めたひつぎにドスンと尻餅をついてしまったのだが、それは次期枢鬼卿のみに許される不敬行為であることを、俺は後ほどシェイラに教えられた。が、戸惑う俺の心中にかまわず、シェイラは忠告する。

「猊下、どうか、シェイラと呼び捨てになさって下さいませ。そうでないと、猊下を仰ぎ見る下々しもじもの者たちに示しがつきませぬゆえに」

「そ、そうか、了解した、シェイラ」

 葬儀場の門に面した広場には、魔法使いのお婆さんが丹精込めてこしらえたかのような、玉ねぎ型をした黄金とクリスタルの馬車が差し回されたところだった。

 シェイラに付き従っていた侍女が宝玉を散りばめた鞘を差し出したので、宝剣を収めて乗り込む。錦織にしきおりの輝きもなまめかしい、ふかふかの座席に腰を下ろすとシェイラがドアを閉める。ドアの窓は開いていた。彼女は窓外のサイドステップに立ち、背筋を伸ばして御者に命じる。

「しからば、公王城デュクストラへ!」

 僕は歓喜する群衆に手を振って、ニコニコと愛想笑いを返す。

 四頭立ての馬車は広場を出て左折した。

 その時、ステージを囲む屋外アリーナの全貌が俺の視界に入った。

 ステージに組み上げられた祭壇の天辺てっぺんには、金色の玉ねぎ型の装飾。

 その下の看板には……

 “偉大なる枢鬼卿すうきけい猊下を偲ぶ 国葬儀式会場”

 いやはや……

 我輩は、死んだ前任者を襲名したわけである。

 馬車は大通りに出た。片側三車線、中央分離帯なしの路面は広々としており、ぴっちりと綺麗に敷き詰めた石畳だ。左右に並ぶ建物も基本的に石造りで、正面ファサードは適度に装飾が施してあり、蔓草めいた紋様や、亀の甲羅を被ったような奇妙な動物とか下を向いた釣鐘状の花々の彫刻があしらわれている。丁寧で上品なデザインだ。

 さだめし俺のどこかの前世あたりでぼんやりと覚えている世界の、ロマネスクからゴシックとかバロック様式の建築物が融合したかのようだ。うっすらと想い出せる都市名にたとえれば、プラハ+ウィーン+ワルシャワってところか。かなり文化度の高い、文明国家であることがうかがえる。

 ただし建物の高さはだいたい五階までであり、俺のあやふやな前世記憶ぜんせきおくの近代的な都会では当たり前のように使われていたエレベータとかエスカレータなる自動昇降システムは普及していないように思われる。

 そして左右の歩道に等間隔で並んでいる街灯は、先端のランタンにちろちろと黄色く瞬く光を宿していた。あれは電球のフィラメントか? とすると、電気照明!?

 馬車は、この街の中心部とおぼしき、華やかな目抜き通りに進み入る。

 歩道に群がって「光あれ枢鬼卿ルミナル・カルディナル! ワガ様万歳ワガハイル!」と喜び踊る人々の背後のビルディングの壁面には、チューブ状の蛍光管がさまざまな図形や文字を象って、ピカピカと瞬いているではないか。ネオンサインだ。

 してみると、この世界ではすでに電気が活用されているのだ。そういえば建物の窓から漏れる光は電灯の黄色光ばかりだ。我輩の前世記憶ぜんせきおくに残っている「ガス燈」なるものは見当たらない。ということは、ガスを中心としたエネルギー源が、電気に入れ替わった時代ということか。

 とすれば、我輩の前世記憶ぜんせきおくの歴史にあてはめると“十九世紀末から二十世紀初頭”の文明度ということになる。

 これまたラッキーだ。中世のユアラップだかヨオロッパだか、詳細な記憶は曖昧だが、封建領主とか騎士とかが闊歩する剣と弓矢の社会よりは断然住みやすいはずだ。

 重要なのは何を置いても水回りだ。転生先の生活に水洗トイレとお湯の出るシャワーがあるかないかで、生活の衛生度に天地の開きができる。中世はそもそもトイレすらまともになかった、不潔でたまらんのだ、あんな世界は御免である。

 行くならずっと過去へ行き過ぎて、古代ローマの方がずっとマシだ、トイレは水洗で、お尻は湿らせた海綿で拭いていたことを思い出す。それにお風呂テルメはかなりの高水準で、ゆったりと楽しめた。

 と、石畳の道の中央に、つややかに光るレールが敷かれていることに気がついた。我輩の馬車に敬意を表して、一個車両の電車らしきものが十字路の左右に控える形で停車している。

「あ、路面電車だ、動力は電気? でも電線が見えないから、ガスエンジン?」と、僕は思わずつぶやいた。異世界でどのような乗り物を利用できるかによって、生活の利便性が大きく変わってくる。

「お詳しいですね、猊下、路面電車チントラムは、床下に黄色おうしょく魔法石を格納しておりまして、魔電モーターで走っております」と、シェイラが滑らかな声で答えてくれる。

「魔法? 魔法ってアリの世界なの?」と、僕は少なからず驚いた。

「はい、われらが世界ムー・スルバでは、魔法が科学を従えております」

 これをきっかけに、彼女シェイラにさりげなく質問して、この世界の概要をつかむことができた。


       *


 この世界、すなわちこの惑星の名称は“ムー・スルバ”。

 北半球はほとんどが海で、南半球は巨大な大陸となっている。

 俺が“降臨”したこの国は“エリシウム公国”。直径およそ一千ロキ、我輩の前世記憶ぜんせきおくの距離単位なら直径一千キロメートルほどの、ほぼ円形の島国だ。

 便利なことに、長さや重さを示す度量衡の単位とその呼び方は、我輩の前世記憶にあるものにどことなく似ている。全く次元の異なる世界ではなく、どこかで歴史がつながっているのだろう。

 島の西側には左右対称に見える美しい活火山、エリスフジがそびえていて、そのすそ野は広大な樹海に覆われている。島の東半分には平野が広がる。田園があり、海岸線には漁港があり、村落や市街地が点在し、沿岸には魔法石で湯を沸かす蒸気機関を応用したさまざまな産業が発展しつつある。

 海流が島の東端に作り出した窪みはエリス湾、大型船舶が乗り入れる良港であり、湾岸には工業施設と居住施設が密集して、エリシウム公国最大の、メカニカルな都市を構成している。そこが首都エリスだ。

 で、我輩は今、首都エリスの市街地の西端にある半円形劇場テアトルから、まっすぐ東へ向かって主要道路を進み、公王城デュクストラを目指しているわけだ。

 エリシウム公国の人口はおよそ一千三百万人。そのうち三百万人が首都エリスに集中している。

 日が暮れて、海沿いの工場や内陸の事務棟など、それぞれの職場から吐き出された市民が歩道を満たし、枢鬼卿すうきけいの金ぴかの馬車と護衛する軽騎兵の絢爛豪華な行列に注目し、手を振り、祝福を送る。

 我輩は大満足でふかふかのシートにふんぞり返る。しかし……

 繁華街のメインストリートを抜けて、いかめしいデザインの建物が並ぶ官庁街に入ろうとしたとき、大通りに面した、ネオンサインもきらびやかな百貨店や飲食店や遊興施設に挟まれた路地の奥がチラリと見通せた。

 それは、華やかな景観の裏に隠された、薄暗いもう一つの現実。

 貧民街だ。

「華やかな街だけど、貧富の格差はあるのですね」と、僕はシェイラに問う。

「はい、猊下、下民ダウナたちの貧民窟が、あの裏通りから向こうに密集しております。数瞬とはいえ、けがらわしい街を垣間見ることになりましたこと、まことに申し訳ございません」そして我輩を安心させるように付け加えた。「猊下にあらせられては、あのように下品で粗末な者どもの暮らしに関わることは一切ございません。どうかご放念になって下さいますよう」

 ここは、我輩がこれまで転生で経験してきた中世封建社会と変わらない、富めるものと貧しき者の格差社会なのだ。驚くにはあたらない。転生した異世界では、たいていどこでもそうだったのだから。

「ふむ」と納得したように頷きつつ、俺は、シェイラの口調から、この国の社会が抱えている貧困と、貧しき人々への蔑視を感じ取った。

 この国の上流階級、実質的な王侯貴族は、こう考えているのだ。

 ……富める者は貧しき者と根本的に人種が異なる。彼らの貧しさは自らの愚かさが招いたこと、 それはすなわち“愚民どもの自己責任”なのだから……と。


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