勇者が生まれたならば赤子の内に殺してしまおう

たたらば

勇者が生まれた。ならば殺せ!

 この星の歴史は魔物と人類の戦いの歴史にほかならない。記録の上ではおよそ3000年以上戦争を繰り返していた。

 魔物と人類。種族を見分けるのは簡単だった。人類ではない知性。それこそが魔物として人類の繁栄の中で定義されたものだ。


 両種族の戦いが起こる最大の原因は独占欲だった。人類も魔物も知性を独占したいと考えた。そうすればこの星の覇者となれると互いに知っていたからだ。

 しかし、有史以来星の覇者が決まることは無かった。

 それは勇者の存在が原因であった。


 種族の滅亡が近づくと強大な力を持った赤子が生まれる。傾いた天秤を指で戻すように何者かの意思が魔物と人類の拮抗を何度も取っていた。それでも両者は戦い続ける。今度こそと願いながら。


 そして、とある村に前回の人類滅亡の危機から数えて実に138年振りに勇者が生まれた。


 __


「おめでとうございます!元気な男の子ですよ」


 三日三晩の難産の末に我が子を抱いた母親は安堵で涙を流した。彼は戦争でその命を散らした男の忘れ形見だった。


「ああ・・・。元気に生まれてくれて良かった。あなたの名前はライ。あの人と私の子・・・」


 ライと名付けた赤子の額に母親は健やかに育つようにと祈りを込めて唇で優しく触れた。赤子は村中に響き渡りそうな声で泣いた。

 そして、その産声は両種族の王にまで届いた。


「「王!申し上げます。たった今勇者が生まれたとの報せが!」」


「なに!?ならばすぐに殺害せよ!」

「なに!?ならばすぐに保護せよ!」


 指令を出した王は玉座の上で頭を抱えた。

 勇者を殺し損ねれば再び国境を押し戻される。

 勇者を殺されれば種族の滅亡が決定的となる。


 種族の命運はたった1人の物心もついていない赤子に託された。


 互いの王は勇者の存在とその生まれた位置を把握していた。前線にほど近い位置。今なら勇者の力が発現するまでに殺害出来る。王はそう思った。そして、すぐに大軍を興した。


 前線の戦いは激しくなる。両種族の死体が地面を埋め尽くし、野花は血を栄養に綺麗な花を咲かせた。訳も分からずに戦争に参加した若者は自分が何者かを知る前に首をはねられた。武勇を誇る将軍は名もない雑兵に背中を斬られてその誇りを無に帰した。


 死体はうずたかく積まれて種族の区別もなく燃やされた。


 そして、ここ100年で最大規模の戦いの軍配は侵略者に上がった。

 前線を押し上げて点在する名もない村を蹂躙していく。兵は褒美と称して金品を奪い、女子供を皆殺しにした。


 __


 ライの母親はライを抱えて無我夢中で走った。息を切らして、肺からすべての酸素を吐き出して、涙を流しながら走った。どこからそんな力が生まれたのかは分からない。ただ母親の中にあったものは二度も大切な人を殺されてたまるかという憎しみによく似た思いだった。

 ライをあやすことも忘れて夜通し走った。涙は枯れてもうこぼれなかった。


 母親はやっとの思いで街へとたどり着いた。村を離れたことのなかった彼女は街の大きさに驚いた。高い城壁の麓の門には衛兵がいる。その男に村から逃げてきたと伝えると途端に慌てだした。街には侵攻されているという情報がまだ届いていなかった。


 母親は衛兵に促されるままに門の中へ入った。城壁の中のとある一室に座らされて地図を広げられると村の位置を尋ねられた。名もない村の位置を指差すと衛兵は礼を言って去っていった。

 母親はようやく落ち着くことが出来た。ライはまだその腕の中で眠っていた。


 __


 王は焦っていた。侵攻に成功したはいいものの勇者殺害の報は上がってこない。近くの街へと逃げ込まれたのか、すでに内部へと入ってしまったのかと。

 さらに侵攻を進めたいが、押し上げた前線を取り返されないように橋頭保を築かねばならない。そして、失ってしまった兵力を補填するためにまた国中からかき集める必要がある。

 王は玉座の上でため息を吐いた。それを聞くものは誰もいない。



 王は焦っていた。防衛に失敗して内部へと入り込まれた。幸いなことに勇者殺害の報はまだ上がっていない。しかし、もしかしたらと思うと居ても立ってもいられずに玉座の前をうろうろしていた。

 王はただ祈った。それを見たものは誰もいない。



 ライの母親は城壁の高い街で束の間の安心を得た。村の友人たちは既に殺されてしまったかも知れなかったが、最も大切な命は腕の中にある。

 見たこともない高さの城壁の内側で彼女はライを育てた。


 そして、時が経つ。


 __


 ライが生まれてはやくも3カ月が経った。運のいいことに未だこの街は攻撃されていない。しかし、母親の安堵もその日までだった。

 遠くから地鳴りが聞こえる。それは3カ月前に聞いた忌まわしき音だった。


 ライの母親は街の反対に走った。首の座ったライはきょとんとした可愛らしい瞳で母親の顔を見つめている。高い城壁に囲まれたこの街は入ることは困難だが、出ることも困難だ。囲まれてしまえばただ死ぬのを待つだけ。ライの母親は逃げ惑う民衆に紛れて街を出た。



 王は決断した。橋頭保を築くのに時間がかかってしまい、勇者に逃げられてしまった可能性があるにも関わらずさらに侵攻を進めると。早急に城を落とせ。前線にそう伝えて王は報告を待った。


 王は安堵した。侵攻が止まり、勇者が殺害されてしまったのではないかと。しかし、3カ月という短い期間を経て侵攻を再開したことは勇者が未だ殺されていない可能性を高めた。なんとしても侵攻を遅らせろ。前線にそう伝えて王は報告を待った。


 城壁の高い街は攻撃を受けることは初めてだった。城壁の上から震えた手で弓を放つ。しかし、村々を滅ぼして士気の高い大軍を抑え込むのは不可能だった。城門は攻城兵器に叩かれて、開かれるのも時間の問題だ。さらには背の高い攻城兵器までも持ち出してきた大軍を相手に街を守ることはもはや叶わず、やがて兵士たちは街へと流れ込んだ。

 それでも勇者が街から離れるには一時の時間稼ぎが出来た。



 王へと報告が上がったのは街が落ちてから3日後のことだった。しかし勇者の殺害に成功したという報告は上がらなかった。王は奥歯を噛みしめた。


 王へと報告が上がったのは街が落ちた翌日のことだった。そして勇者が殺害されたという報告は上がらなかった。王は胸をなでおろした。


 ライの母親はもつれる足を気力のみで前に進ませている。擦り傷の絶えない母親だが、ライには1つの傷も無かった。ライは腕の中で指を咥えて眠っている。


 __


 母親は遂に首都へとたどり着いた。城壁は遥か彼方まで続いている。しかし、背後には侵略者が迫っていた。ライと母親が首都に入ってからわずか5日。

 最後の決戦が始まった。

 母親は震える手でライを抱いた。ライはきゃっきゃと笑っている。毎日歓声と悲鳴が城門の向こうから聞こえた。



 王は震えていた。いまだ勇者殺害の報告は上がっていないが首都さえ攻め落とせれば自分が歴史に名を残すことになると。陥落の報を待ちわびていた。


 王は震えていた。いまだ勇者殺害の報告は上がっていないが首都が攻め落とされればすべては無に帰ると。遠くに見える城門が落ちぬことを祈っていた。


 王の願いが届いたのか否か。遂に首都の城門は開かれた。侵略者がなだれ込んでくる。落ちるわけがないと高を括った住民たちも悲鳴を上げて逃げる。しかし、その背中を槍で、剣で貫かれて足跡を赤く染めた。


 ライの母親も同様だった。涙を流して逃げる。しかし、終ぞ追いつかれて侵略者の槍が背中を貫いた。母親は口から血を吹き出して倒れる。ライは母親の胸の中で泣いていた。


「ああ・・・・。あなただけでも・・・・」


 母親はライを強く抱いて息絶えた。侵略者の槍がライにも近づく。

 顔中を母親の血で塗れたライは泣き叫んだ。

 しかし、ライの眉間に槍が突き刺さる。血は吹き出し、やがてライの泣き声は聞こえなくなった。





 そして・・・・。魔物の国は滅んだ。

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