2章 アイドル
11話 黄泉川タマキと話そう
俺は夢を見た。
泣いている少女の夢だ。
その少女は、悲しみに暮れていた。
彼女の緑の瞳からあふれる大粒の涙は、彼女の悲しみの大きさをあらわすように尽きることなく、流れ続けていた。
少女が大好きな姉が、彼女を抱きしめ、頭を撫でてなぐさめるのだが、その時の少女にとってはそれすら空虚に思えた。
幼い少女には、自分の感情について理解できていなかったが、その悲しみは彼女が産まれて初めて感じた「絶望」という感情だった。
そして俺は、そのタケコと呼ばれた少女が、絶望し嗚咽するようすを、成す術も無く、ただ見ていた。
「すまない。今の俺には、タケコに出来る事はもう何も無いんだ」
と俺は言ったが、死んだ俺の言葉が少女に届くはずが無い。
だから俺は、ただ無力感に打ちひしがれて、彼女を見ている事しか出来なかった。
――――――――
「ナユタさん? ナユタさん?」
穏やかな大人の女性の声が俺を呼んでいる。
俺は目を開ける。
布から溢れんばかりの巨大な胸が、俺の目に飛び込んできた。
そして、その胸の持ち主は、パッツン黒髪ロングをかきあげながら俺に言う。
「大丈夫ですか?うなされていたみたいで……」
俺は、その美女であり痴女である女性に言う。
「分かって聞いて無いか?
当たり前だ。うなされていた」
俺は、身じろぎをしようとしたが、全身がベッドに固定されて動けない事を思い出し、あきらめた。
黄泉川タマキは言う。
「まあ。それは、それは……可哀想に。
楽しい読書で気をまぎらわせないといけませんね?」
彼女は手元の「ホログラム文庫」を広げる。
それを見て俺は焦る。
「いや、だから、ちょっと待て…」
しかし黄泉川タマキは、俺の静止を無視し朗読をはじめる。
「 ショウタは、オタマの繊細な手の導きに、そして快楽に……身を委ねるしか無かった。
なぜなら竿は、天をあおぎ、濡れて、そりかえり、歓喜の涙にあふれ……」
俺は、ナースコールを握って言う。
「あんたの官能小説の朗読のせいで、俺は悪夢にうなされたんだぞ。
これ以上それを続けるなら、看護師を呼ぶぞ」
黄泉川タマキは、微笑みながら言う。
「官能小説ではありませんよ?
『ショウタとオタマの玉遊び』と言う成人向け同人誌です。
オネショタの珠玉の名作です。
ちなみに原作は私です」
「情報が濃過ぎて吐きそうになった。
あと、その下品な題名を
とにかく俺は、4人部屋の病室でそんな物を読みあげるなって、言いたいんだ」
黄泉川タマキは、両手を合わせて何故か嬉しそうに言う。
「まあ!ウブで可愛い。
恥ずかしいんですか?」
「恥ずかしいに決まってるだろ」
と俺は呆れて言い、病室の窓から外を眺めた。
オオエドシティーの景色は、あいかわらず
俺は、月影シノブの配信中に鼻血をぶち撒けて倒れた後、1週間の入院生活を余儀なくされた。
ていうかもう飽きたんだが、入院。
例の守銭奴の担当医によると「大事な検査入院」らしい。彼は信用ならないし、兎に角うさんくさいが、医者が言うのなら仕方がない。
俺が入院しているあいだ、黒タイツ所長の万錠ウメコと、痴女秘書の黄泉川タマキが、交代で見舞いにきてくれている。月影シノブは、なぜか姿を表さない。
ずっと一人だった俺の人生の中で、美女二人が交代で看病してくれる現状は、控えめに言っても史上最高に素敵な状況なんだが……今は、病室を抜け出したい気持ちで一杯だ。
なぜなら検査用の機械に繋がれ、身動きがとれず、しかも「痴女によるR18同人誌の朗読」付きだからだ。
俺だって男だ。痴女とはいえ美女の淫語プレイにも多少ぐらいなら興味がある。
しかしここは病室だ。「プレイにはTPOが大事」って葛飾北斎も言ってただろ?いや、言ってないか。
そんな感じで、R18同人誌の朗読を禁止された黄泉川タマキは、手元にあったリンゴの皮を剝き始める。
横顔の彼女の伏せたまつ毛は長く、鼻筋はまっすぐ通り、薄い唇は淡いピンク色だった。
そうだ。普段の痴女ムーブで忘れがちだが、黄泉川タマキは紛れも無い美女なのだ。
万錠ウメコが、目鼻立ちがはっきりした黒タイツ美脚美女であるのに対し、黄泉川タマキは垂れ目で憂いを感じさせる純和風美女なのだ。
二人を比べた場合、俺の予想ではオッサン人気はダントツで黄泉川タマキのはずだ。
そんな黄泉川タマキは、リンゴを剝きながら言う。
「ふふ。綺麗にムかないと、お口の中で楽しめませんからね?」
だめだ。コイツ。早く何とかしないと。と思った俺は、彼女のセリフを無視して聞く。
「結局、こないだの『コスプレ苦無研ぎ配信』は、どうだったんだ?」
黄泉川タマキが答える。
「シノブちゃんの『ニンニンチャンネル』のフォロワーが221人増えまして――合計で255人になりました。
人気アニメのコスプレをした事で、一般層にまでリーチ出来た事が、功を奏したようです。それと――」
「それと……?」
「シノブちゃんのパンツが見えそうで見えないギリギリの画角が『一部の男性』の間で話題になりました。
『パンツは見えないほうが良い』
『こんなに焦らして貰えるなんて最高』
『見えないパンツから発生する栄養素がある』
『焦らしフェチの拙者、大歓喜』
『はかどる』――
という感じでした」
「……俺が、死にかけて撮った動画が、まさか『焦らしフェチ』達に刺さるとは…。
これで、良いんだろうか?」
「確かに、思った以上にフェチズムに溢れた動画になってしまいましたが……。
フォロワー数は今まで横這いでしたので、これでも成果と言えますよ?
なにしろ……34人の登録者数が255人になった訳ですから」
しかし、月影シノブはアイドルだ。コスプレやフェチズムで配信者を稼ぐのは、少し違うと思う。
俺としては彼女を、奉行所らしいアイドルにプロデュースしたい。
だから俺は、「プロデュースの方向性を明確にしないとな」と改めて痛感した。
そんな感じで、俺が月影シノブのプロデュース方針について考えていると、
黄泉川タマキが、人差し指で「ツーッ」っと俺の腕を撫で上げた。
「良い義腕ですね?
旧式ながらマッシブで、太くて、熱くて……」
と彼女はうっとりとした顔で呟いたが、俺は焦り、彼女を払いのけて言う。
「き、急になにをするんだ!?」
俺の心拍数が急激にあがったので、頭の横の心電図のホログラムが赤くなる。
「あ……。ごめんなさい。
ナユタさんの左義腕があまりにもセクシーでしたので、つい……。
お詫びにどうぞ……私の『義体』の胸を触ってください。イチゴ大福より柔らかいんですよ?」
と黄泉川タマキは言い、巨乳を両腕ではさみ、谷間を強調させて俺にちかづく。
彼女の黒髪ロングが乳房の上にたれさがり、美しい曲線をえがいた。
俺は、豊満すぎる黄泉川タマキの身体に圧倒されながらも、彼女に聞く。
「今……『義体』って言わなかったか?」
「ええ。そうですよ?
もしかしてナユタさん。ご存知無かったんですか?」
「という事は、あんた……サイボーグなのか?」
彼女は、相変わらず微笑みながら言う。
「ええ。私はサイボーグです。私の体の90%は機械なんです」
「90%だって!?」
俺がなぜ驚いているのか、分らないヤツもいると思うから説明するが……
サイボーグと呼ばれる半人造人間には、【電脳憲章】と呼ばれる世界的な法律で機械化の割合が定められている。
先の大戦の反省から、「機械化が80%を超えたサイボーグの電脳は人間性を喪失する」という理由があるからだ。
つまり、黄泉川タマキの機械化90%のサイボーグの身体は、電脳憲章違反となる訳だ。
電脳憲章違反とされるサイボーグは、そもそも製造不可能であるし、もし存在した場合は破壊しなければならない。
そんな俺の疑問を見透かしたように、黄泉川タマキは答える。
「私の素体は『胎生サイボーグ』ですので、電脳憲章の適用範囲外なんです」
「胎生サイボーグだって……?」
「ええ。現在は禁止された一種の人体実験でして……。
先の大戦時に行われた、人間の受精卵をサイボーグ化する実験です」
「受精卵をサイボーグに?
そんな非人道的な実験が、戦時中に……?」
「ナユタさんのような軍人の方でも、ごぞんじないのも仕方ありません。
物資の無くなった旧幕府軍の後方で、密かに行われた人体実験ですので……」
そんな黄泉川タマキは、少し目を伏せながら、かすかに笑う。
その表情は憂いを帯びていて、はかなげで……まあ、なんというかとにかく……エロかった。
そんな若干の
「難しい話は、このぐらいにして……。
私の
俺は生唾を飲み込み言う。
「か、身体に?興味だって?」
「ええ。胎生サイボーグの私の、この身体……。
ヒノモトでも成功例は、少ないんです。
ですから、こうやって間近で見れるもの珍しいんですよ?……ですから――」
と言いながら、彼女は俺の義腕の左手を、自分の両手で包み込み、自分の
そして、黒水晶のような瞳を上目にし、タマキは言う。
「ご興味ございませんか?
俺は考えた。
実のところ正直に言って、それについてはかなり興味はある。
勘違いしないで貰いたいんだが、その興味はもちろん、下品な煩悩に満ちた物ではない。
――義腕を使用する者としての興味だ。
――最新医学への感心だ。
――学術的な……好奇心の……その……なんかだ。
つまり俺は今、純粋な知的好奇心から、美女の豊満な義体の巨乳に触れたいと考えている。
しごく真っ当な理由だろう。
だから俺は言った。
「ま、まあ… ちょっとだけなら、良いかな?」
そして、彼女は微笑む。それは魔性と言って良い微笑みだった。
「ふふ。じゃあ、どうぞ……ご遠慮なく……良いんですよ?
ナユタさんなら……
無茶苦茶にしてくれても……」
そう言って、黄泉川タマキは、彼女の柔らかそうな胸に俺の左手をジワジワと近づけて行った。
俺は知的な――あるいは
そして、俺の左手が、彼女の左巨乳と右巨乳との間に、あと5mmで吸い込まれそうになった時――
ベッドを囲んでいた目隠し用のカーテンが開いた。
カーテンを
「ナユタ君。調子はどう?ブドウは好きかしら??」
そこには、スーツに黒タイツの万錠ウメコが立っていた。
しばらく沈黙が流れた。
そして万錠ウメコは、絶対零度を彷彿とさせる冷ややかな目で、俺の左手を見下ろしながら言う。
「あら?お取り込み中だったのね?失礼したかしら?」
自分の血の気が引く音を、俺は産まれて初めて聞いた。
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