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 翌日、イングランド代表の練習は、運命のユーロ予選の最終調整日とあって、とても熱を帯びていた。


「そこ! セットプレーに気をつけろ!」

「もっと相手を見てクロスを上げて!」

「ポジショニングが悪いぞ!」


 選手たちが二つのチームに分かれてミニゲームを行う中、ハーツ監督やコーチたちがライン際を歩きながら叫ぶ。

 試合相手であるギリシャは、強豪国ではないが、弱小国でもない。FIFAランキングではイングランドが上位だが、それがギリシャに勝利できる証にはならない。

 レインはボールを追いながら、今までの反省点も踏まえて、ゴールを狙っていた。


「攻守の切り替えをもっと素早く!」


 ハーツが手を叩いて激を下す。

 バートンがサイドでドリブルを仕掛ける。ヴェールがボールをカットしようとするより早く、ゴール前へ高いクロスを上げた。そこへレインがうまく走り込んできて、ボールを頭に合わせる。

 豪快なヘディングシュートが決まった。


「やった!」


 ピッチに転がったレインは、ボールがゴールネットに入ったのを見ると、両手を挙げて喜ぶ。走り寄って来たゲイリーが、両手でハイタッチをした。


「調子が出てきたな!」


 レインを片手で起こしながら、声を弾ませる。


「うん! ようやくって感じだよ!」


 レインも手ごたえを掴んでいた。ゴールを狙う感覚が甦ってきたのだ。


「このまま調子があがって、明日の試合に臨めればいいんだけどさ」

「そういや、明日だったな。晴れるといいな」


 ゲイリーは相変わらず呑気だ。


「おっさんのそういうところ、最強だよ」


 レインは半分呆れたような、半分感心したような口調で首を傾げた。

 ミニゲームは選手を入れ替えながら、一時間程で終わり、短い休憩を入れた後で、それぞれの個別練習メニューへ移った。

 レインはゲイリーらと共に、シュート練習を集中的に行った。昨日と同様にカラーコーンやポールをゴールポスト前に置いて、それらを避けながらボールを蹴ってゴールを決める。


 ――本当にいい感じだ。


 シュート練習を繰り返しながら、レインは明日の試合へ向けての良いイメージが湧きあがってくるのを感じた。

 ほどなくゲイリーと交代し、近くにあったクーラーボックスからミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、キャップを開けた。非常に喉が渇いていたので、ごくごくと飲んでいく。

 飲みながら、周囲を見渡した。選手たちがめいめいに練習メニューをこなしている中で、もう片方のゴールポスト前で、ハーツとギルフォードが一緒にいるのが見えた。ハーツは身振り手振りを交えて指導をしている様子だ。ギルフォードはボールを足で止めて、腕を組みながらハーツの話に耳を傾けているように見える。

 ふいに、昨夜の出来事が嵐のように浮かんできた。

 ――私は君を忘れたことはない、一度もね――

 ――俺は忘れた――

 無意識に、ペットボトルを掴む手に力がこもった。二人の会話まで生々しく思い出されてきた。


 ――忘れよう。試合は明日なんだ。


 無理やり顔を違う方へ動かした。その先に見えたのはディフェンダー陣で、ブッカーコーチを先頭にぞろぞろと歩いている。向かっている先は、ハーツたちがいるゴールポスト前だ。

 勿論、その中にアレックスもいた。

 レインは悪い物でも食べたような顔になって、唇にペットボトルの口を押し当てる。中身はなくなっているが、飲んでいる振りをした。


 ――変なことを考えるんじゃない。明日の試合に集中して……


 その時、頭に軽い衝撃が奔った。

 レインはペットボトルを掴んだまま、よろける。目の前にサッカーボールが落ちて、綺麗に刈られた芝生の上を転がっていく。


「レイン! 大丈夫か!」


 キーパーのフランク・ウィーザーが慌てて駆け寄ってくる。


「あ、ああ、大丈夫」


 どうも頭にボールが当たったらしい。しかし衝撃は弱かったので、痛みはなかった。


「パンチングをしたら、そのボールが当たってしまったんだ。悪いな」


 ウィーザーは事情が呑み込めていない表情をしているレインへ、簡単に説明する。


「そっか。オレがそこでヘディングシュートすれば完璧だったんだね」


 ジョークで返すと、ウィーザーは安心したような笑顔を浮かべた。


「俺たちストライカーは、どこからボールが飛んできてもいいように、三六〇度、首を回転させていないとダメなんだぞ」


 ゲイリーも来て、転がったボールを拾うと、ウィーザーへ投げる。両手でボールを受け取ったウィーザーは礼を言うように片手を上げて、ゴールポストへ戻っていく。


「そんなエイリアンサッカーは、おっさんにしかできないよ」


 他の選手たちのシュート練習が再開するのを見守りながら、レインは空のペットボトルをクーラーボックスの横に置いた。


「お前、何かに見惚れていただろ。彼女にしたい女でもいたのか」


 まだ恋人のいないレインをゲイリーはからかう。


「うっさいなあ、おっさんは」


 レインは口を尖らせて言い返したが、ふと洩らした。


「あのさ、あの二人って知り合いなの?」


 そっと視線を流す。ゲイリーもそれを追うように、ちらっと見やった。


「ハーツとギルのことか?」

「うん」

「そりゃ、知り合いだろ。あの二人はアリーナ出身だ。ギルはアリーナの元ユースだし、ハーツはその時のコーチだ」

「あ、やっぱりそうなんだ」

「やっぱりって何だ」


 ゲイリーは突っ込む。

 レインは急いで言い添える。


「この間、一緒にテーブルにいるのを見かけたからさ」

「一緒に?」

「うん」


 レインは正直に喋った。昨夜のことも。しかしアレックスのことは一切言わなかった。

 ゲイリーは両腕を組んで聞いていた。レインの話に、別段驚く素振りもなかった。


「久しぶりに会ったんだろう」


 聞き終えて、馬鹿馬鹿しそうに肩をすくめる。


「二人っきりで話がしたかったんだろう。それがどんな話だろうが、俺たちには関係がないことだ」


 ゲイリーには珍しく、どこか突き放したような言い方だった。


「そんなことよりも、坊主。他に考えることがあるだろ」

「え? 何?」

「明日の試合だ。忘れるなよ」


 ひとさし指を一本立てて、念を押すように言うと、ゴールポスト前のシュート練習へと戻っていく。


「なんだよー、おっさんこそ明日が試合だってこと忘れていたじゃないかー」


 レインは拳を振り上げて抗議するが、ゲイリーの言う通りだと思った。

 もう一度、反対側のゴールポスト前を見る。ディフェンダー陣が一列に並び、そこから少し離れた地点でギルフォードがボールを蹴ろうとしている。フリーキックの練習だ。そのサイドにはハーツやブッカーコーチがいて、互いに頭を寄せあい熱心に話し合っている。


 ――オレも練習しなきゃ。


 レインは腕を振り回して自分に気合を入れると、ゲイリーたちの元へ走って行き、再びシュート練習を始めた。

 それから、しばらくの間、練習に没頭した。

 周囲が騒めいているのに気がついたのは、何本目かのシュートを打とうとしていた時だった。

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