ダンディライオンの剥製

結木 諒

絶望と衝撃

腸が煮えくり返るという言葉は、どこで誰が産んだのか。そうやってどうにか別の事を考えていないと、言葉通りの感情に飲まれて暴れてしまいそうだ。

あっくんの棺の前でさめざめと泣く那津さんを蹴り飛ばして、上から何度も踏んで、喪服をドロドロに汚すところまで想像してやめた。そんなことをしたってあっくんは生き返らない。



XSR700がよく似合う、あっくんこと庵慈は自慢の叔父だった。母さんは総合病院勤めで多忙を極めている為、物心付いた頃から母さんの妹である那津さんと夫のあっくんが親代わりだった。父は最初からいない。高校受験も授業参観も文化祭も、あっくん達が必ず駆けつけてくれた。

 那津さんは料理が上手くてパンを焼くのが得意で、リスみたいな感じ。俺はどうしてか初めから那津さんのことをあまり好きになれなくて、他人だけど男同士のあっくんの方がいろいろと話しやすかった。


「柊羽、次」


母さんから声を掛けられ、焼香の台の前に進む。見たくもないのに視界に入ってくるあっくんの顔は眠っているようだ。お別れの為にと開けられたそこから目を逸らして焼香をした。

実はこれはドッキリで、今すぐあっくんが起きて「ごめんなー」と笑ってくれないだろうか。何もかも嘘で、全部無かったことになればいいのに。

そんな馬鹿な妄想をしながら献花の百合を1本取った。空いたスペースに割り込んであっくんの胸の上に百合を置く。顔以外は花に埋もれていて、なんだかおかしかった。花、似合わねぇだろと笑ってるような顔だ。

頭の中がグチャグチャでどうしようもないのに、思えば思うほど眼球が乾いていく。


「最期のお別れを」


スタッフに声を掛けられ、那津さんが触れる前に両手をあっくんの頬と額にあてた。冷たい。ずっとドライアイスで保存されていたのだから当たり前だが、人間の体温じゃない。皮膚もゴムのような質感に変わってしまっている。まるで冷蔵庫から出したばかりの人形のような。このまま温めてたら起きないか。


「そろそろお時間ですので移動を」


申し訳なさそうなスタッフに促されて棺から離れると、あっくんの顔が二度と見えなくなった。



葬儀が終わって火葬場までの出棺。那津さんが霊柩車に乗るのにも納得出来なかったのに、火葬場に着いてすぐ、火葬するスイッチを俺に押せと言う。親類縁者が棺を囲む中、俺は母さんと那津さんとあっくんの両親に囲まれている。


「なんで俺が押すんだよ。喪主の那津さんが押すのが道理じゃないの」


霊柩車は喪主だからと那津さんが乗ったのに、土壇場で逃げるのか。


「それはそうだけど、那津も辛いから、ね」

「柊羽くんに押して貰えたら庵慈も昇って行けると思うの」


何を、勝手なことを。何処にも昇って行けるわけないだろ。ここでキレたら子供だと自分に言い聞かせて、歯を食いしばった。目を真っ赤に腫らした那津さんが俺に頭を下げる。


「柊羽くん、お願いします」


暫くして頭を上げた那津さんは、またボロボロと泣いている。なんでお前が泣くんだ。泣きたいのはこっちだ。こんな茶番は早く終わらせたい。分かったと言いかけた時。


「智恵、那津、何してる」


突然現れた妙齢の女性が、あっくんの両親と母さん達の間に割って入る。俺より少しだけ背の低いその人は、クラシカルなトークハット、黒のブラウス、パンツスーツに革靴で、俺を庇うように立った。


「大人4人で囲って頼み事をするなんて情けない。自分達が辛くて出来ない事を子供に背負わせるなよ」


それを聞いた途端、張り詰めていた何かが壊れて涙が溢れた。慌ててポケットのハンカチを探り出そうとするが、なぜか手が震えて上手く出せない。そうしていると、滲んだ視界に真っ青なタオルハンカチが差し出された。さっきまで目も顔も赤くしていた那津さんが、今度は顔を白くして震えている。


「母さん、なんでいるの」

「なんでって、こちらの御両親に呼ばれたからな。此の度は大変な事で、心痛をお察しすると言葉になりません」


母さんと呼ばれたその人は那津さんを雑に扱って、あっくんの両親には恭しく礼をした。あっくんの両親も彼女に丁寧に頭を下げる。俺は状況が飲み込めず、ただ立ち尽くしていた。


「あんたが出来ないなら私がやったっていいけど、その程度の気持ちで結婚したんだね」


キッパリと言われて、那津さんが押し黙る。十数秒程目を金魚のように泳がせた後、那津さんが観念したように口を開いた。


「………ちゃんと、火葬します……お義父さんとお義母さんにも、ごめんなさい」

「い、いいのよ。那津さんも辛かっただろうし、でもありがとう…ありがとうね……」


真っ白なハンカチで涙を拭った那津さんとあっくんの両親が立ち去ろうとすると、母さんの母さんが舌打ちをして、母さんが那津さんを引き止めた。二人は顔を見合わせて目だけで会話をし、俺を見る。


「柊羽くんも、あっくんのこと大好きだったし、辛いのに……本当にごめんなさい」

「私も、あんまり何も考えずにお願いしちゃってごめん」

「……いいよ、皆疲れてたってことにしとく」


母さんの母さんのおかげで、重たかった空気が軽くなった。それよりも、俺にこんなかっこいいばあちゃんがいたなんて知らなかった。

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