第16話
……無事、サイン会を終えた私は今日のイベントに一緒に参加していた麻耶ちゃんととともに、事務所へと戻ってきていた。
サイン会のあと、私と麻耶ちゃんはこの事務所でコラボ配信をする予定だったから。
事務所に戻ってきた私は……まだ、少しドキドキしていた。
……何事もなく終わって、良かった。
イベント会場にいたときはただただそのことばかりを考えていた。
急に現れた……悪意を持った存在。
私だって、Cランク冒険者だ。もしもあそこが迷宮で、対面しているのが魔物なら……反応もできていたと思う。
でも、実際は、違う。相手は悪意を持った人で、私の命を狙っていた。
……恐怖で体が竦み、まるで動けなかった。
……そんなとき、自分の怪我も顧みずに体を張って守ってくれたのは――。
「……麻耶の、お兄さん」
颯爽と現れ、怯むことなく私を庇ってくれて――。
一切の反撃の余地を与えず、犯罪者を無力化し――。
あげくには、無償で警備の手伝いをして、会場の人たちを……ううん、何より私を安心させてくれた。
正直言って、怖かった。
あのままサイン会を続けることができたのは、お兄さんがすぐ近くで守ってくれていたからだ。
「……かっこ、よかった」
ぽつりと呟いた自分の言葉に、恥ずかしくなってしまった私はぎゅっと唇を噛んだ。
違う……別に、深い意味はない。
そう自分に言い聞かせていると、部屋の扉がノックされてびくりと肩が跳ねあがる。
一度大きく息を吸って、乱れていた呼吸を整えてから、扉を開ける。
「流花さん。今日はわざわざコラボしてくれてありがとうございます」
そこには、無邪気に微笑む麻耶ちゃんがいた。
私と麻耶ちゃんは高校生同士。私のほうが一つ上だけど、年齢が近いということもあってプライベートでの交流が多い。
「ううん。私も麻耶さんと一緒に配信したかったから。今日は楽しもう」
……うん、いつもどおりの微笑をうかべられたと思う。
麻耶ちゃんと関わっていると、どうしてもお兄さんの声が浮かんできてしまい……意識しないようにする。
「はい。よろしくお願いします!」
麻耶ちゃんがわざわざ、という言葉をつけたのはたぶん登録者数の関係だと思う。
コラボ配信が決まったときの麻耶ちゃんの登録者数は十万人。私のほうが多かったから、『わざわざコラボしてくれた』という感覚なのかもしれない。
私は別に、盛り上がれる相手とコラボできればと思っているんだけど、事務所の子たちは皆私と接するときはそんな感じだった、
「……そういえば、今日の生配信は大丈夫なんですか? サイン会でえーとその…………色々ありましたけど」
麻耶ちゃんは言葉を選びながら問いかけてくれる。
こちらを配慮してくれる優しさは嬉しいけど、ドキリとしてしまう部分はある。
……でも、こんなときだからこそ。
私は休むわけにはいかない。
大事なファンの人たちを安心させるために。
「……大丈夫。ちょっと怖かったけど、あなたのお兄さんが助けてくれたから」
配信を休んだりしたら、きっとファンの皆は余計に心配してしまう。
ここで元気な姿を見せないと。
「あっ、それなら良かったです……。それとお兄ちゃんが……なんかすみませんでした……いつもあんな感じなので」
「大丈夫、気にしてない。それに助けてもらって……凄い助かったから。お兄さん、強いんだね」
「ふふー! そうなんです! お兄ちゃんは凄いんですよ! でも普段ならお兄ちゃんもっと早く気づくと思うんですけど、今日はなんか調子悪かったのかもです」
「……もしかして、麻耶ちゃん見てたからじゃない?」
「あっそれはあるかもです。以前、それで電柱にぶつかって…」
「えっ、それ大丈夫だったの?」
「色々大変でしたよ……電柱折れちゃって……大変でした……」
「……ええ?」
「あの時はお兄ちゃん凄い! としか思ってなかったですけど、お兄ちゃんめっちゃ強かったんですからそりゃそうですよね」
嬉しそうに麻耶ちゃんは笑っていた。
……自慢の大事な兄、とは麻耶のお兄さんが配信活動をする前からも聞いていた。
どうやら紛れもない本音だけど、ちょっと凄すぎる……。
……そんな麻耶ちゃんに、聞きたかったことがある。
「……お兄さん、あのあとしばらくイベントの警備手伝ってくれてたけど、今日は家に帰った?」
「サイン会が中断されてはいけない!」、「俺が警備する!」と叫んでいた。
警備についていた冒険者にも、魔力の探知のコツとかを熱心に指導し、冒険者たちの質が一段階上がったとかなんとか……。
……それと、お兄さんのファンたちがサインが欲しいだなんだと少し話をして、事務所のスタッフたちや冒険者たちで断っていたり。
今度はお兄ちゃんが勝手に麻耶ちゃんのチャンネルのアドレスがついた名刺のようなものを配ろうとして霧崎さんに怒られたり……。
とにかく会場にあった悪い空気はすぐになくなったいた。
お兄さんが配慮して、空気を悪くしないようにしてくれたのかもしれない……。
それはまあいいとして。
彼は私のことはまったく知らないというのに、あそこまでファンや……私のことを大事に守ってくれていたのが、嬉しかった。
ただ、混乱していて、あそこまでしてくれたお兄さんにお礼も何も言えていなかった。
「はい。今日の配信を見るために準備する! って言ってましたね」
「そっか……」
相変わらず、妹が大事なお兄さんだ。
……でも、麻耶ちゃんから聞いていたから理由も分からないではない。
親が魔物に殺されてから、お兄さんと麻耶ちゃんは二人だけで生きてきた。
当時小さかった麻耶ちゃんは、そこまで生活が変わることなく過ごせたことを、今では凄い感謝している、と。
ここまで二人が仲良くなったのは当然だと思う。
……二人が大変な思いをしてきたことは知っていたから、私はなるべく配信で二人が生活できるようにという意味でちょこちょこお兄さんの配信にコメントを残していたけど……あれのせいでちょっとだけ炎上させてしまった。
謝罪やお礼、色々と伝えたいことがあった。
麻耶ちゃんがおいるから配信を見てくれるだろうし、そこでお礼は伝えるつもりだ。
……それとは別に、お兄さんに直接会ったときにもまた伝えよう。
「お二人とも、そろそろお時間です」
「ルカ、大丈夫?」
私たちそれぞれのマネージャーが部屋に迎えに来てくれた。
私のマネージャーは今日のサイン会もあってかなり心配してくれていたが、私は首を縦に振った。
「大丈夫。麻耶ちゃん、行こっか」
「はい!」
……とりあえず、まずは今日の配信から始めていかないと。
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