こうして世界は立ち上がる

緑窓六角祭

[1] 旅立

 三式はその名の通りに三男坊として生まれた。

 十を超えた時、このまま一生を畑を耕して暮らすのはつまらないと、村を出ていくことにした。

 別段、彼は農業そのものとそれを生業として生きていく人々を否定しているわけではない。ただ彼自身にその生き方が合わないと思っただけだ。

 住んでいた伊香玉より外の話をほとんど知らなかったから、世界において自分が異常な存在だと考えていたぐらいだ。まあそこまで思い詰めるような話ではなかったのだけれど。


 三式は刀一本と犬一匹を連れて旅立った。

 刀は家の納屋の奥深くに放っておかれたもので、おそらく三式の祖父が十浦との喧嘩の際に振り回したものだった。斬る機能はすでにうしなわれていたが、棒きれをぶんまわすよりは気が利いていると三式は思った。

 それを持ち出すにあたって長兄は三式を引き留めることも追い立てることもしなかった。

 長兄自身は一生をこの土地で生きることを考えていたが、それ以外の生き方を否定してはいなかったからだ。つまりは三式の好きにすればいいと考えていた。

 けれども長兄は一言、「二度と帰ってくるな」と言った。やっぱりだめだったと帰ってこられても面倒なことになるだけだと思ったからだ。

 三式は長兄の言葉に深くうなずいた。まったくその通りだと同意したからに他ならない。


 それから犬一匹について。

 こいつは三式の飼っていた犬というわけではない。村落内をいつも無遠慮にうろついていたやつだ。

 方々でエサをもらって暮らしていて、なにやらあやしいやつが入り込んで来れば吠えたてていたから、まったくの野良というわけでもなかった。

 全身が黒くて重心が低くて目つきが悪くて凶暴なやつ。子供だろうが大人だろうがなめてかかればすぐに噛みついてくるろくでなし。

 誰か特定の人物になついていたということはなくて、強いて言えばエサをくれそうな相手には比較的柔和に接していた。目的の物をいただいた瞬間にはもとの凶悪な面をみせていたが。

 名前は枝丸で少なくとも三式はそう呼んでいた。理由は初めてこの村に転がり込んできた時、その手足が枯れ枝みたいに細かったから。


 三式は枝丸を連れ出そうとして連れ出したわけではない。勝手についてきたという方が実情に近い。

 枝丸は枝丸で力を持て余していた。このまま伊香玉でふらふら暮らすのも悪くはないが、機会があるのならひとつ自分を試してみようというような気分だった。

 三式の方でも枝丸を拒否する事情はなかった。枝丸なら自分が世話をする必要はなくて、勝手に自分で自分を世話することだろう。

 なんなら三式が死に絶えたらその後は自分の思うようにどこかへ行くやつだ。一人と一匹の間に保護、被保護の関係は到底成り立ちそうもない。

 だからいずれそのうちこの関係は簡単に崩れてしまうかもしれなくて、そうなったらどちらの話を追っていくかと言えば、おもしろそうな方だということになる。


 伊香玉は伊行山と香盟山の間を流れる須高水に沿って展開する村落だ。この時代の人々の基本的な性質にもれず気性は荒いが、それにくわえて気まぐれでそのとき思いついた行動を即座にとる癖が強い。

 須高水の流れに従い、三式は歩いていく。明確な見通しなどというものを彼は持ち合わせていなかった。

 ただしどこそこの戦場にでも潜り込めば仕事はころがっていて飯を食っていけるだろうといった程度の算段ならあった。そして都合のいいことに戦がすぐになくなるなんて心配はしなくてよかった。

 ひとまず目指すべきは城であった。このあたりを治めている琴氏の城。

 何も三式は武将につかえようなんて考えていたわけではない。だいたいガキ一匹が刀ぶら下げて犬引き連れたところで取り上げられようはずもない、そのぐらいのことは三式のもわかっていた。


 城の周りは町がある。いろんな人が集まってくる。つまりはたくさんの噂話が行き交っているということだ。であれば戦の話もそこには転がっていることだろう。

 そうそうに目当てのものにぶつからなくとも子供一人、ちょうど枝丸みたいに町をうろついていれば食っていけないことはない。三式は先を考えていないようで考えていた。

 ただその思考の量が十分かと問われればさすがにそんなことはないんじゃないかというだけだ。人間は放っておいてもある程度は、考えなくても考える生きものだ。

 言ってみれば三式は三手先を決して読んではいなかった。けれども半手先のことは考えようとしていた。そして個人が自由気ままに生きる時代においてはそれで十分だった。

 一人一人が思惑を持って動いているのにそれらをすべて考え詰めようなんてそんなことしていてはすぐに脳が焼き切れてしまう。


 夜は川辺の木陰でなまくら刀を枕に枝丸と寄りそって眠った。人と犬が相互に利益を求め合った結果、その形に落ち着いた。

 三式はたいした感慨を抱かなかった。村を飛び出したことに自由を感じることも、村から切り離されたことに孤独を感じることもなかった。

 何も感じないほどに感性が擦り切れていたというような話ではない。

 彼はまだ自分は何もしていないと考えていた。ひとつの生き方を捨てて別の生き方を探そうとしているが、その探すことすらろくにはじめていない。

 物思いにふけるにはあんまりにも早すぎる、そんなことを考えることもせずに、三式は眠りについた。

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