蚊帳のなかで

森の闇を照らす、火。

蚊帳の外で、ブラムが焚火に薪を足す。

ぱちりと火が爆ぜ、光が踊る。


巨大な蚊帳の中の馬車で、ライラは休んでいた。

ロジーが用意してくれたポトンの実を食べ、ほっと息をこぼす。



「この蚊帳は、買って正解でしたね」



ライラは満足げに言った。

使う機会などほとんどないが、効果はてきめん。

蚊帳の中に入ってくるのは、虫の奏でる音楽のみである。


外に置いたランタンも効果を発揮していた。

おかげで、火の番をしてくれているブラムにも虫が寄りつくことはない。



「そんなに虫が嫌いかよ?」


「嫌いです。大きな虫とか。気持ち悪いですし」


「まあ、でけえ虫が顔に止まったら、鬱陶しいかもな」


「……そんなの、鬱陶しいどころではないです。発狂しますよ」


「っは。そうかよ。今度試してやるかな」


「試したら許しませんから。絶対に。本当に絶対に!」



蚊帳の中からライラは叫ぶ。

焚火の前にいるブラムが、愉快そうに笑った。


笑い声を溶かして、夜が更けていく。

火の爆ぜる音が、より大きく聞こえる。


焚火の前にいるブラムが、「さっさと寝ろ」と促してきた。

ライラは申し訳なさそうにして、小さく頷いた。

夜の間。ブラムはずっと見張りをしてくれる。

代わりに昼間寝ているのだが、やはり申し訳ないとライラは思った。



「気にすんじゃねえ」



察したブラムが、追い払うような仕草をしながら言った。



「前も言ったがよ。お前の寝言はうるせえんだ」


「……そんなに?」


「そんなにだ。だから昼間に寝るほうが楽ってもんだ」


「それなら……良いですが」


「そんなこと気にするより、金遣いの荒さを気にしやがれ。わざわざポトンの実なんざ買いに行かせやがって」


「はいはい。おやすみなさーい」



小言を言いはじめたブラムを遮るように、ライラは馬車の扉を閉める。

ぱたりと閉まった扉の外で、ブラムの嫌味な声が数度鳴った。

ライラは小さく笑い、身体を横に倒す。

間を置いて、適度な疲労がライラを襲い、眠りに誘った。



翌日。

朝陽の光を感じる前に、ライラは目覚めた。

ペノの長い両耳が、何度もライラの頬を打つからである。



「……ペノ。わざとなのですか?」



顔のすぐ傍で眠っているペノを見て、ライラは言う。

するとペノの両目がぱちりと開いた。

もちろんそうだと言わんばかりの表情である。



「早く起きたほうがいいと思ってね!」


「どうしてです?」


「ボクが暇だから!」


「……そうみたいですね」



ライラは目を細め、ペノの長い耳を弾く。

痛そうな仕草をするペノを横目に、ライラは馬車を出た。

涼し気に靡く、蚊帳。

外側に、じっと森の底を覗いているブラムがいる。



「おはようございます」



声をかけると、ブラムの視線がライラへ向いた。

やや眠たげな顔。



「まだ明るくねえぞ」


「ペノに起こされたんです」


「そうかよ。なら早いが、出発するか」



ブラムが立ちあがり、焚火の火を踏み消した。

弾けた赤が散っていく。


ライラはランタンを片付け、馬の様子を見に行った。

馬たちの傍に、顔色の悪い御者がいる。

馬の世話をするのは、彼の仕事のひとつなのだ。

いや、ロジーに押し付けられた仕事というべきか。



「おはようございます、御者さん」


「……」



ライラの挨拶に、御者が無言で会釈する。

そうして、馬たちを繋ぐ綱を外し、馬車へと連れて行った。

すれ違う時、御者からは不思議な香りがする。

御者はロジーと同じ精霊なのだ。

すぐ傍にいるとやはり、人間ではない独特の空気を感じる。



「おい、馬鹿ライラ! こっちも手伝えよ!」



馬車のほうからブラムの喚き声が聞こえた。

見ると、蚊帳を片付けようとして、大きな両腕を伸ばしていた。



「馬鹿って言わないでったら」


「うるせえ。そこ、掴んでろ。せっかくの上等な布、汚したくなかったらな」


「わ、分かりました」



ライラは慌てて蚊帳の薄布を掴む。

ブラムの動きに合わせ、薄布を破らないよう、丁寧に回収していく。

やがて折りたたみ切った蚊帳はやはり、ライラの細腕では持てない重量となった。

仕方ないと、ブラムが息を吐いて持ち上げ、馬車に仕舞ってくれた。

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