香茶
投資の見返りのひとつは、食堂での食事を無料にしてもらうことだった。
それはライラのとって意味の無いことであったが、ライラは喜んで受け入れた。
「お前、外食好きだよな」
朝、賑やかな食堂の片隅。
胃が悲鳴を上げそうな肉料理を食べながら、ブラムが言った。
「ブラムが作ってくれる料理も好きですよ」
「へっ。そいつは、おありがてえな」
「本当なのに」
「本当じゃなきゃ困んだよ。お前とペノが要求する味へ近付けんのに、どんだけ苦労してると思ってんだ」
ブラムが苦い顔をする。
確かにそうだと、ライラは小さく笑った。
この世界に来たばかりのころは、さほど食への欲求は高くなかった。
しかしブラムと旅をはじめてからというもの、様々な要因がライラの食の欲求を高めた。
ブラムが料理好きであることからはじまり、ペノが美食家であること。
ユフベロニアの食糧難や、この世界の料理の技術が三百年経ってもさほど上がらないこと。
極めつけは、三百年かけて様々な地域の料理を食べたことで、ライラたちの舌が肥えたことだ。
「賑やかな食堂で食べるのも、好きなのです」
「騒がしいだけじゃねえか」
「騒がしいから、ですよ」
これから仕事に出かけるであろう多くの男たちの声を聞き、ライラは目を細める。
騒がしければ騒がしいほど、ライラは落ち着くのだ。
自らの心の内で騒めく虚しさに、耳を傾けずに済む。
三百年も生きたというのに、未だライラは虚しさの檻に囚われたままであった。
「ま、性格ってやつだな」
ライラの想いを察したように、ブラムが言った。
ライラは首を傾げる。
「性格、だけでしょうか」
「お前はよ、あれこれ思い悩むことを引っ張り出して、さらに思い悩んでるだけだ。でもよ、お前と似た境遇でも、あっけらかんとしている奴だっていやがる。そうだろ?」
「……そうかもしれません」
「まあったく。お前の頭の中もこの食堂みたいに、増改築したほうがいいんじゃねえか」
ブラムがかかっと笑った。
ライラはブラムの態度にやや苛立ったが、抑えた。
苛立ったということは、その通りだと自らに思っているからだ。
「……この話は終わりにしましょう」
「そうかよ」
「私はエイドナさんのところへ行ってきます」
「俺も食い終わったら、野郎どもと大工仕事をやってくるぜ」
「怪我しないでくださいね」
「分かってら」
ブラムが肉を頬張り、ライラに手のひらを向ける。
ライラは翻って、食堂の奥へ向かった。
食堂の奥で、エイドナが忙しなく駆け回っていた。
エイドナの孫娘も、冬季だというのに額に汗して料理を運んでいる。
食事を終えたライラに気付いたエイドナが、「奥の部屋で待ってておくれ」と言った。
ライラは頷き、二人の邪魔にならないよう食堂の奥の部屋へ入る。
奥の部屋は、休憩室であった。
小さな食堂の奥なので、休憩室も狭い。
二人か三人が座れる程度の空間しかなかった。
「スマンね。待たせたねえ」
食堂から人の声が聞こえなくなって間もなく、エイドナが休憩室に入ってきた。
片付けを孫娘に任せてきたのだという。
「お忙しいところ、すみません」
「いいさね。それで、なんだい?」
「お願いしたいことがあるんです」
「ふうん、聞こうじゃないか」
エイドナが頷き、ライラの隣に座る。
老いていても、魔族であるからか。
力強い圧がライラに向かって放たれている気がした。
今の今まで戦場のような厨房で働いていたのだから無理もない。
「香茶というもお茶を、知っていますか?」
ライラは一拍置いて、エイドナに尋ねた。
しばらく考えていたエイドナが、小さく頭を横に振る。
それを見て、ライラは持ってきていた袋から小さな壺を取りだした。
壺には封がしてあったが、ライラはその封を切って中身を出した。
壺の中身は、茶葉であった。
一見、どこにでもある茶葉に見える。
「この茶葉には香りが付けられています」
「……へえ、これは驚いたね。花の香りがするよ」
「ウォーレンで流行っているものです。ユフベロニアでも、首都のベロニアやアウリアでは飲まれています」
「つまりフィナお嬢さんは、こいつを食堂で売って欲しいわけだ」
「早い話、そういうことです」
ライラは頷く。
エイドナがもう一度茶葉の香りを確かめ、小さく唸った。
やがてライラに顔を向け、頭を横に振る。
「こいつは売れないと思うがねえ」
「どうしてです?」
「うちに来る客は、ほとんどが男どもだ。こういうのを飲みたくなるとは思えないからね」
「私もそう思います」
そう言って頷くライラに、エイドナが怪訝な表情を見せた。
売れないものを用意しておくなど有りえないとでも言いたそうだ。
「これは女性用です」
「なんだって?」
「増築する際に、私の好きにしてもいいと言ってくれた場所がありましたよね」
「そうさね」
「そこに、女性が集まれる席を作りたいのです」
ライラは茶壷を目線の高さに掲げて、にこりと笑ってみせた。
エイドナが「なるほどね」と大きく頷く。
エイドナがようやく関心を持ってくれたと感じたライラは、話を続けた。
まず最初に、冬季の間、香茶を淹れて売るための人を自分で雇うと伝えた。
茶葉の調達もライラが行い、エイドナには負担をかけないと約束する。
エイドナはしばらく悩んでいたようだったが、やがて快諾してくれた。
「まあ、フィナお嬢さんがお金を出してくれてるんだからね。やってみておくれよ」
「ありがとうございます」
「女たちの集まる場所が、井戸の周りからこっちに変わってくれると良いがねえ」
エイドナが笑う。
ライラは「きっとそうします」と答え、休憩室を後にした。
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