エイドナ

魔族の村人たちと仲良くなるのに、さほど時はかからなかった。

ブラムが魔族だからというのもあるが、それだけではない。

ライラも普通の人間ではないと村人たちが知ったからである。



「そりゃあ、金を払うたびに魔力を使ってんだからな」



ブラムが笑う。

ライラは首を傾げ、自らの手のひらを見た。

同時に、胸の奥が冷やりとする。



「……魔力を抑えられるように、ブラムと訓練したのに?」


「かなり抑えられてるがな。完全じゃあねえ。支払う相手が魔族じゃあ、気付かれても仕方ねえ」


「……もう少し訓練するべきでしょうか」


「金貨千枚を出しても魔力を抑えられてんだ。十分じゃねえか」


「でも」



ライラは自らの手を抓る。びりりと痛みが走った。

見かねたブラムが、ライラの手を掴む。



「お前は十分よくやってら」



ブラムの大きな手に力が込められた。

握り潰されそうな気がしたが、ライラは振り払わなかった。

押さえつけてくる痛みが、なぜかライラを落ち着かせたからだ。


「もう悔いなくていいんじゃねえか」と、ブラムが言っている気がする。

自分勝手な妄想が、毒のような想いが、ライラの心の隅を侵す。



「なに見つめ合ってんの!」



不意にペノの声。

ライラは我に返って、ブラムの手を振り払った。



「ブラム! 早くボクの朝ご飯作ってくれないと!」


「ああ!? お前はウサギの餌でも食ってろ!」


「じゃあ、美味しいウサギの餌を作ってよ! それとライラ、そろそろ約束の時間じゃない?」



ペノが窓の外を見ながら言う。

すでに陽は高い。朝食というよりは昼食の時間のようだ。

ライラはペノに釣られて窓の外を見た直後、はっとした。

ペノの言う通り、今日はある村人から仕事を受けていたからだ。



「私、出かけてきますね」


「朝飯どうすんだ?」


「すぐに戻りますから」


「おう。じゃあさっさと帰って来いよ」



ブラムの声を背に受け、ライラは急ぎ足で宿を出る。

約束の場所は、宿から少し離れた小さな食堂だ。

食堂の近くまで走っていく。

体力がないため、ほんの少し走るだけで息切れを起こした。


食堂の前に、女が二人立っていた。

息を切らしてよたよた歩くライラを見て、慌てて駆け寄ってくる。



「あんた、大丈夫かい?」



妙齢の女性が、ライラの身体を支えてくれた。

ライラは苦笑いして頷く。



「……お、遅くなりました」


「確かにちょっと遅かったね。だけど、……ふふ。走ってきたんだから許したげる」


「……あ、ありがとうございます」


「いいわよ。ささ、小さな食堂だけど入っておくれ」



妙齢の女性がライラを半ば担ぎ、食堂へ連れて行く。

まるで怪我人扱いだと、ライラは自嘲した。

「不老」も「お金に困らない力」も、こういう時はなんの価値もないと思ってしまう。


食堂に入ったライラは、人が少ない奥の席へ通された。

椅子に座るや、疲労困憊のライラはテーブルに突っ伏す。



「フィナさんだっけ? あんた体力ないねえ」


「……面目ないです」


「まあ、お嬢様! って感じで良いけどさ。可愛らしいし、こういうのを男どもは放っておけないんだろうねえ」



妙齢の女性が大笑いしてライラの背を叩く。

あまりの衝撃にライラが咳をすると、もうひとりの、高齢の女性がライラに水を持ってきた。



「うちの孫がガサツでスマンね」



高齢の女性がにこりと笑い、テーブルを挟んでライラの正面に座った。


エイドナのいう名の高齢の女性は、頭髪も身体も真っ白であった。

長く生きた魔族は、身体が徐々に白くなることがあるという。

とはいえ彼女が何歳だかは分からない

魔族の寿命はばらばらで、数千年から数百年と差が大きいのだ。


ライラはエイドナから水を受け取り、一口飲む。

冷たく、やや甘い、染みわたるような水だ。

ライラはそのまま一気に飲み干し、一息ついた。



「ありがとうございます」


「こちらこそさ。今日は来てくれて感謝しているよ。店をなかなか空けられなくてね、スマンね」


「いいえ。そういう事情があっての、このお話ですから」



ライラはふらつく足を叱咤して、なるべく品良く立ち上がり、礼をした。

エイドナが微笑み、妙齢の女性がほうっと息をこぼす。

静かに品良くしていれば、ライラは麗しい貴族の御令嬢に見えるのだ。

そう見えるように、三百年練習を重ねてきた。


場の空気が一変し、凛と澄む。

「それではお仕事のお話をしましょう」とライラが言うと、エイドナが嬉しそうに頷いた。


ライラが受けようとしている仕事は、大まかに言えば投資であった。

今ある小さな食堂を増改築し、朝晩に押し寄せる大勢の客を捌きたいのだという。


この話が持ち上がったのは、昨夜のこと。

ライラとブラムがこの食堂で食事をしていたとき、ブラムが食堂の狭さを話題にあげたことが発端となった。

誰が見ても金持ちそうなライラたち。

食堂の主人であるエイドナは、不快に感じるより、好機と思ったのだという。

そっとライラたちに近寄り、声をかけ、「もし良ければ、力を貸してくれないかねえ」と頼み込んできたのだった。



「でも、あたしらはねえ、食堂の準備があるからさ、増改築の話を煮詰める暇はないのよ」


「えっと……増改築のためのお金を私が準備するだけではないのですか?」


「スマンね。工事の細かいとこも適当に上手くやってくれないかねえ。こちらの要望を幾つか聞いてくれたら、後は好きにして構わないから」


「エイドナさん。私、この村に来たばかりなのですよ。そこまで信用されても……」


「なあに、問題ないよ。さっきも言ったけど、必要な要望はちゃあんと言うから」



エイドナが、ライラを見据えて言った。

適当に聞こえたが、エイドナの目は澄んでいた。

決して、どうでもいいと思ってライラに頼んでいるわけではないらしい。


ライラは困惑し、引き受けるべきかどうか迷った。

しかしライラの想いを察してか、エイドナが頭を横に振る。



「大丈夫さね。あたしらはフィナお嬢さんのこと気に入ったんだ。フィナお嬢さんを見て、この好機を逃しちゃいけないと思ったのよ。本当だよ」



エイドナがライラに手を伸ばす。

ライラは未だ不安をぬぐい切れなかったが、エイドナの手をそっと握った。

皴の深い、柔らかな手。

なぜか。その手の奥に、ライラは懐かしい想いをかすめた気がした。

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