狼煙
ベルノーを出て、一日。
ライラの乗り物酔いは、多少改善していた。
「まさか、こんなもんを巻き付けるとはな」
ブラムが走る馬車の車輪を見て、不思議そうに首を傾げる。
車輪には、弾力のある太い糸が幾重も巻き付けられていた。
その弾性により、馬車が走るときの振動が抑えられていた。
「こいつが、魔物が作る糸だと?」
「安い素材なのだそうです。この糸を作る魔物の数は多いのですが、子供でも退治できるのだとか」
「へえ。魔物が増えても、厄介事ばかりが増えるわけじゃあねえらしい」
ブラムが感心する。
魔物の糸は、玩具屋で売られていたものであった。
ライラはその糸を見て、元の世界のゴムのようなものを思い出した。
本当にゴムと同じ性質があるならば。
その糸を車輪に巻き付ければ快適なのではないか。
ライラはそう考えて玩具屋の店主に協力してもらったところ、抜群の効果を得た。
耐久性もあるらしく、一日乗ってもほとんど摩耗していない。
「ライラって、時々すごく賢く見えるよね!」
揶揄うようにペノが言った。
ブラムが同意し、何度も頷く。
「もっと普通に褒めてくれてもいいのですけど?」
「だって、これを商売に出来ない無能っぷりがすぐに輝いちゃうんだもの。褒め辛くってね!」
「はいはい。どうせお馬鹿ですよ、私は」
「ホントだよねえ」
「もう、うるさいなあ、もう! たまには褒めてくださいよー!」
振動が少なくなった馬車の中で、ライラはクッションに埋もれる。
その姿に、ペノの揶揄うような笑い声がさらに大きくなった。
直後。
馬車が大きく揺れ、止まった。
ペノの笑い声が震動と共に跳ね、止まる。
ブラムとライラはすぐさま窓に顔を寄せた。
「……なんだ、あの煙は」
ブラムが首を傾げた。
馬車の進む先に上がる、一筋の煙。
間を置いて、さらに先の方で同様の煙が上がった。
煙はみるみるうちに増え、長い列を作りあげた。
「……狼煙ではないですか」
「近くで軍隊が動いたってことかよ」
「急いで離れないと。北の、ヴェノスレス高山の麓へ行きませんか? たしか、小さな村があったはずです」
ライラはすぐさま御者に声をかけ、指示をする。
顔色の悪い御者が黙って頷き、馬車の進路を変えた。
がくりと揺れる馬車。
魔物の糸では吸収しきれない振動が、ライラの身体の底を打つ。
「ライラ、我慢してろよ。しばらく全速力だ」
「分かってます」
ライラは頷き、窓の外を見る。
南側に、砂塵が上がっていた。
砂塵を生んでいる何かは、ゆっくりと北西に向かって進んでいるようであった。
「これはもう……ウォーレンには行けないのでは」
「かもな。来た道を戻って北東へ大回りするか、ウォーレンに行くのを諦めて南部のゼセド地方へ行くかだな」
「ゼセドは暑いから嫌ですね」
「だろうよ。快適で大きな街に住みたいんだろ。ホントに我儘なお嬢様だぜ」
吐き捨てるように言ったブラムが、クッションの上に寝転がる。
ライラは頬を膨らませた。
我儘なのは間違いない。
南部のゼセド地方には戦火が広がっていないため、平和には過ごせるのだ。
「でも、ゼセドって、お金の価値があまり無いのですよ」
「だな。ゼセドに行けばお前はただのポンコツだもんな」
「うるさいなあ、もう」
ライラは頬を膨らませながら、ブラムの手を抓る。
思いのほか痛かったのか。ブラムの悲鳴が馬車の外までひびきわたった。
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