番外編 地球時代―エンジェル・ホリック―
番外編コーナーにも載せています。本編投稿時の雰囲気を残すためこの場所に再掲載。
20XX年。
第三次世界大戦ベネズエラ東部戦線米軍基地。臨時補充兵として派遣された陸軍伍長マイケル・ショーンは赴任早々廊下で異様な男に出くわした。
劣等人種のイェロウマンキーだ。細かい種族は分からない。中国人か、韓国人か、日本人か、どれでも同じだった。白人以下の劣等人種。自分以下の屑。まず一番大事な特徴を確認してからマイケルは男の他の特徴の見分に移る。
男だ。ゲーム機を手にゆらゆらと漂うように歩いている。幽鬼を思わせる。今の世界では珍しくもない。頭の逝った人間の特徴だ。廊下で人目を憚らずゲームに現実逃避しているところからもその精神状態が尋常でないことが伺える。
ただ、男はイェロウマンキーにしては中々端正な顔つきをしている。体つきも中々だ。面白くないものを感じながらマイケルは男がその手に持つ黄色い携帯ゲーム機に視線を移す。
ポケットボーイだ。かつて世界中で大ヒットした名ゲーム機。マイケルも子供の頃ポケットボーイ専用ゲーム【ポケマン】に大嵌まりしたからよく知っている。そのボディはポケットサイズとは思えない程頑丈で、空襲被下の焦熱地帯から掘り出された黒焦げのポケットボーイが起動したという逸話を持つほどだ。戦火に呑まれて今は亡き博物館で毎日元気にテトリスを稼働して客を驚かせていた。マイケルも子供の頃白くて美しい両親に博物館に連れて行ってもらって大層驚いたものだ。ポケットボーイはマイケルにとっても結構思い入れのあるゲーム機だった。そのゲーム機をイェロウマンキーがプレイしていることにマイケルは強い反感を持った。
(イェロウマンキーはイェロウマンキーらしくATARIの質の悪いファッキンゲームウォッチでもプレイしていればいいんだよ。少し身の程を分からせてやるか)
マイケルはにやりと笑って男に近づく。距離感が残り数メートルになっても男は顔を挙げなかった。ゲーム機を見ながらひたすらブツブツ呟いてる。
「クララ、先生。愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、だから俺を守って俺を愛して俺の天使になって俺を守護天使て――」
(けっ、ゲームにお熱かよ。嫌でも俺の方を振り向かせてやるぜ)
男の言葉は早口かつ小声過ぎて全く聞き取れない。辛うじて天使、という言葉だけ聞き拾って「ああどうでもいい戯言を呟いているんだな」と理解し、無駄な思考リソースを使わせやがってと苛つきながらマイケルは男の前に立ちはだかって声をかけた。
「おい」
「ああ」
男は顔も上げずそれだけ言ってマイケルの横を通り過ぎようとした。マイケルの額に青筋が浮かぶ。声を荒げてその肩を掴みにかかる。
「おい――っとと!」
伸ばした手が当たり前のように交わされ空ぶった勢いでマイケルはたたらを踏む。この野郎もうただじゃおかねぇ。そんな思いで男を振り返ったマイケルを。
男がゲーム機から視線を外して見下ろしていた。
「――あ、あっ」
おぞましく膿爛れた目付き。男はマイケルが今まで見たどんな人間よりも濃い絶望と地獄をその瞳に宿していた。その瞳でマイケルを見下ろす。視線が合う。なのに、マイケルを見ていない。視点はあってるのに。焦点が合っていない。
この世界と焦点が合っていない。
だからだろう。殺された、とマイケルは感じた。多分、男はマイケルを頭の中で殺した。明確にそのビジョンが浮かぶほど男の殺意は明確だった。マイケルがどうでもいい存在だから平気で殺せる。邪魔だから殺した方がいいかと思った。だから頭の中で一旦殺しのヴィジョンを思い描いた。そんな異常な思考回路が、ただ濃厚で純粋で自然体な殺意によって一瞬で伝わらされた。身を凍らせるマイケルから、ふと興味を失ったように男は視線を外す。そして再びゲーム機に向かい合う。
「ごめんなさいクララ先生。あなたを放置ゲーでもないのに放置してしまいました。俺を赦してくれますか? ……ありがとうございます。俺はあなたを永遠に愛します。永遠に愛してる永遠に愛してる永遠に愛してる永遠にあなただけを愛してるだから俺も愛して――だよね。僕も、愛して、くれるよね。クララ先生だけは愛してくれるよね。良かった……」
何事かをぶつぶつ呟きながら男は廊下を歩き去っていく。その背が廊下の曲がり角の奥に消える様を見届けて、ようやく我に返ったマイケルは鉄製の固い床を思いっきりガシンと踏みつけた。
「クソ! イェロウマンキーが! 俺をビビらせ――じゃねぇ。舐めた眼で見やがって。絶対許さねぇ……」
赴任早々マイケルは味方内に敵を発見した。敵はなるべく速やかに排除しなければならない。マイケルは男をいかに殺すか考えながら目的地である食堂への歩みを再開した。
「――ああ、そいつはエンジェル・ホリック――天之玄咲だな。日本人で、特殊部隊の隊員で、精鋭中の精鋭だ」
昼時。賑わいごった返す食堂で、マイケルはテーブルを共にする友人の白人のダンに自分の悪行を伏せて先程の出来事を話し、「あいつは誰だ」と聞いたところそんな返答をもらった。大きな皿の上に4つ盛られた特大エルヴィスサンドの内一つを齧りながらダンはさらに付け加える。
「あいつはアンタッチャブルだから関わらない方がいいよ。上から特別視されてるから何か問題起こしても上はあいつの肩を持つ。それにCMAさえ与えておけば大人しくていい奴なんだよ。大方お前があいつからCMAを取り上げるような真似をしたんだろう」
「CMA?」
「あいつがプレイしているゲームの名前だ。日本のマイナーなゲームで、子供用ゲームの皮を被ったギャルゲーだよ。HENTAIゲームさ」
「ああ、HENTAIか」
「HENTAIだよ。あいつはCMAで精神のバランスを取っているんだ。CMAはあいつにとってのクスリなんだよ。二重の意味でな。頭をやられることもない安上がりのいいクスリさ。既に頭がやられてるから前者のメリットは意味ないが」
確かに頭をやられてたなと思いながらマイケルは不満げに鼻息を漏らす。
「別に取り上げようとなんてしてねぇよ。ただあいつの前に立ち塞がって声かけて、無視しようとしたから肩を掴もうとしただけだ」
「十分アウトだ。今、あいつは先だっての特別任務の影響で精神不安定だからな。それだけでも過剰反応するんだよ。殺された、って感じなかったか?」
「……感じた」
「大体の奴が同じ経験をしたことがある。あいつはあれで理性的なところもあるから本当には殺さないが殺すこと自体には何の躊躇も持っていないんだ。形を保ったまま頭のネジが何本も外れちまってる。出力される【殺さない】という結果が常人と同じだけでそこに至るあいつの思考回路自体は常人とかけ離れているんだ。でもその理性もヒロイン、特にクララ・サファリアとの逢瀬を邪魔したらぶっ飛ぶからな――とにかく関わらない方がいい」
2枚目のエルヴィスサンドに手を伸ばしながらダンはマイケルにそう忠告する。マイケルもまた皿の上から己のエルヴィスサンドに手を伸ばして一齧り。しかめっ面でむしゃくしゃしてから、口の中でぐちゃぐちゃになったエルヴィスサンドをゴクンと飲み込み、言った。
「あのキチガイジャップ、あんなんでよく働けるな」
「あいつは、なんというかな。戦闘の天才なんだよ。どんなときも戦闘の感覚だけは鈍ることはない。知ってるか? あいつは後ろから飛んできた弾を平然と避けるんだ。弾を避けると言う時点で尋常じゃないが、後ろからとなるともはやサイキッカーだ。あいつは俺たちとは見てる世界が違うんだよ。2つの意味でな」
「……マジでか?」
「マジだ」
マイケルは直接的暴力以外の報復を考えた方がいいかもしれないと考え始める。マイケルの思惑など知る由もないダンが補足する。
「それに、芯さえあればそれに依存する形で精神を再構成できるんだよ。平時ではそれがCMAのヒロイン――天使への愛情だからあんなことになってるが、戦場ではそれが家族への愛情に変わる。あいつ、どうしても家族の下に帰りたいらしい。上層部から働きが良ければ日本に返してやるって言われてるんだ。CMAキチガイかと思いきや、あいつでも家族は大事らしいぞ」
「聞いたのか?」
「ああ。平時のあいつはバカだがいい奴だよ。天使天使うるさいのは困ったものだが。ただ、今は駄目だな。まだ心が戦場から帰ってきてない。多分後、2,3日CMAをすれば元に戻るだろう。今のあいつには近づかない方がいいぞ」
「……あいつにとってCMAはそんなに大事なものなのか」
「ああ。CMAには家族の思い出が詰まっているらしい。そして天使が住んでるんだと」
「――へぇ」
電灯が切れかけたうす暗い照明の元、マイケルは唇についたソースを拭うため舌なめずりをした。マイケルはダンに尋ねる。
「おい、あいつは今どこにいる」
「この時間は大体自室のベッドの隅で天使と昼食を取っている。カップラーメンが多いらしい。基本的に人間嫌いだから必要がなければ人の多い所にはいたがらない。あいつにとって大事な他者っていうのはCMAのキャラクターと家族だけなんだよ。あ、でも動物には優しいかな。人間じゃないからだろう。昼食後は購買に行って単三電池を補充して、そしてあとはひたすら部屋でCMAだな。基本ずっと引き篭もってる」
「なるほど。分かった。サンキュー」
マイケルは残りのエルヴィスサンドを口に放り込み、食事を早々に切り上げて食堂を去ることにした。その背にダンが言い放つ。
「一応忠告しておくが相手がイエロージャップだからって変なことは考えるなよ。あいつは化け物だ。手に負える相手じゃない」
「分かってる分かってる」
手を挙げて生返事しながらマイケルはダンとの会話を頭の中で反芻しニヤリと笑った。
「CMAが大好きか。なら壊さねぇとなぁ」
「……アルルちゃん、明麗ちゃん、今日はどっちに癒してもらおう。今日は明るくなりたいからクララ先生よりもこの2人の内のどっちかがいいな。アカネは嫌だ。よし、バエルのためのAD育成も兼ねてストーリーを2周してどっちも攻略しよう。今日も愛を育むんだ。俺だけの、愛を。
「おい」
玄咲は昼食後、ヒロインとのデートも兼ねた散歩と電池調達に購買に向かっていた。その途中、一本道の廊下で昼食前にも見た汚い肉袋にエンカウントした。手を組み壁にもたれかかって汚物のような笑みを浮かべている。
(目が穢れる。美しいものだけ見て生きていたい)
クララが笑うゲーム画面に視線を戻して玄咲は汚い肉袋の横を通り過ぎようとした。その歩みがダァン!と壁に突かれた汚い肉袋の足によって遮られる。玄咲はその足を蹴飛ばして通行した。
「ってぇ!? 何すんだコラ!」
「邪魔だどけ。俺は今デートに忙しいんだ。景観を穢す肉袋が――」
一瞬、玄咲の眼がゲーム画面に釘付けになる。愛するクララ・サファリアのスカートが捲れた。テキスト上での出来事だが、恥じらう姿を
その一瞬が命とりだった。
「んだとコラぁ! このキチガイジャップが! オラァ!」
玄咲の手の中からポケットボーイが消えた。
天使が消えた。
カラカラと回転しながら転げて廊下の隅へとぶつかった。『もう、えっちな風なんだから……』そんなクララのテキストを表示したまま表を向いて床に転がるポケットボーイを指さしてマイケルは嘲笑った。
「HAHAHAHAHA! こんな幼稚なゲームにお前夢中になってんのかよ! 大の大人が情けねぇな! 流石国民総アニメ脳のHENTAI民族のジャップなだけは――」
さらに近づいて足をポケットボーイに振り下ろそうとする。マイケルの意識はそこで途切れた。
「――めろ! やめろ玄咲! ぐあっ!」
マイケルの耳に声が届く。酷く濡れて聞こえる。まるで水越しに聞いてるような音。耳を拭おうとしたマイケルの顔面が何度目か分からない陥没を迎え、マイケルはまた意識を失った。
「――リアだ! クララ・サファリアを用意するんだ! 回想2の14クリック目だ!」
また、声が聞こえる。今度は嫌にはっきりと聞こえる。まるで魂そのもので聞いてるような、変な感覚。はっきり聞こえないはずなのに、はっきりと聞こえる。ダンの、声が――。
「ほら! 玄咲! 見ろ! クララ・サファリアもこう言っているぞ! 暴力的な男の人は嫌いって!」
声に、そして視界まで取り戻す。うっすらと、赤い瞳と、眼が合って。
そして意識が完全に覚醒した。
我に返った玄咲は血まみれの手を肉袋の軍服で拭ったあと、震える手でポケットボーイを受け取る。クララ・サファリアが玄咲に語り掛ける。Aボタンをクリックして読み進める。
『私ね。暴力的な男の人って嫌い』
『だって、暴力は最低だわ。殴られるのって痛いのよ。殴られる痛みを知ってたら、そんなことできはしないわ。殴られるのって、本当に痛いのよ。それは愛と平和からもっとも程遠い行為だわ。だからサンダージョーは嫌い』
『玄咲くんって、優しいよね。自分からは絶対に暴力を振るわないもの。男の子なのに凄く優しいよね。それに勇気も正義もあって、もう殆ど私の理想の――』
『って、私、生徒相手に何言ってるのかしら! ごめんね。今の発言は忘れ――なくていいか。だって、全部、本音だもん』
『うん。本音なの。私ね、玄咲くんのことが――』
玄咲の瞳から零れた涙が画面を濡らす。テキストが滲んで見えなくなる。だが、玄咲には何の問題もなかった。頭の中にクララの言葉が再生される。Aボタンを押す。
『好き、だよ』
「クララ、先生……!」
玄咲はポケットボーイを握り締め、体を丸め震わしてふるい泣いた。
『教師と生徒。だけど、卒業したら、もう関係ないよね。玄咲くん。この学校を卒業したら私と結婚しよ』
「あ、ああ。そうだった。こんなところでこんなくだらないことしてる場合じゃない。クララ先生が大好きな俺にならないと」
玄咲は立ち上がった。立ち上がって先程まで馬乗りになってできるだけ甚振ってから殴り殺そうとしていた男に謝った。
「すまない。俺が悪かった」
「い、いひゃ、お、おれの、ひょうこそ」
「だから2度と俺の天使に触れるな。侮辱するな。その穢れた眼で見るな。次同じことをしたら殺す。クララ先生に免じて今回だけは許してやる」
「――ひゃい」
マイケルは失禁しながら頷いた。
「クララ先生、結婚、結婚、エンディング、迎えないと……」
玄咲は立ち上がりポケットボーイを操作しながらその場を離れる。周りに集まる人間のことなど一顧だにしなかった。
数日後、医務室のベッドの上で体中に包帯を巻いてミイラ男になったマイケルは憔悴しきった表情でダンに尋ねた。
「あれは、なんだ」
「天之玄咲だよ。あれが天之玄咲なんだよ」
「なぁ、あいつの目が悪魔みたいに赤くなっているように見えたのは俺の気のせいか」
「気のせいじゃない。俺たちが恐れるエンジェル・ホリックのデビル・モードさ。先にいっときゃ良かったな。いや、言っても意味なかったかな。お前も悪いんだぜ。あいつの恋人に手を出すから」
「恋人ったって、ただのゲームだろが」
ダンは頭を緩く振って否定する。
「あいつはもう殆どこの世界に生きていない。殆どゲームの世界に生きている。ゲームが奴の現実で、ヒロインは本物の奴の恋人、というか天使なんだよ。あいつの精神はもう、半分死んでるんだ。冷静な時には死にたいって言葉をよく聞く」
ダンは遠い眼をして戦友を憐れむ。
「なのに強いから本当には死ねない。哀れな奴だよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます