没第1話 神託の女神

 最々初期にはこんな案も。魔族が人間を支配している世界を最南端の始まりの奴隷炭鉱から最北端の魔王城まで北上する執筆時期もあってちょい古いタイプのなろう系ファンタジー案。 






――聞こえますか、人の子よ。


 薄らぼんやりとした意識が声を聞き取った。清純で、美しく、透き通ったハイトーンボイス。聞いたことがない声。だが、聞いていると心がとても落ち着く。もしも天使か神がこの世にいるのならこんな声をしているのだろう。不思議とそんな確信を抱かせる声だった。


 ――時は満ちました。あなたの旅立ちの時が来たのです。


(もう少し寝かせてくれないか。久しぶりにすごく良い気持ちで寝れている)


 ――なりません。時は満ちました。ずらすことはなりません。 


 俺は少しイラっとした。


(せっかくいい気持で寝ているのになんの権限があって邪魔するんだ。お前は俺の上官か。そもそもあんたは誰なんだ)


 ――カード神アシュレイ・ヴィクトリカ。この世界の神です。


(アシュレイ・ヴィクトリカ……アシュレイ・ヴィクトリカだと!?)


 目を開ける。まるで宇宙のような闇以外何もない空間に、全身から黄金の輝きを放つ美女が立っている。いや、浮かんでいる? とにかく、目の前にいる。


 凄まじい美貌だ。これ程美しい存在は見たことがない。


 風もないのにゆらりゆらりと揺れる髪はその一本一本がまるで星の砂を紡いだかのようにきめ細やかできらきらと光っている。クラゲ水槽にクラゲの代わりに入れたら一生涯眺めていても飽きなさそうだ。


 顔はアニメだ。立体のアニメだ。故に美しさと可愛さが完璧な調和を果たしている。美女が可愛い。現実ならありえない矛盾。その矛盾が目の前で成立していた。幼子よりも可愛く、カリスマモデルよりも美しい、そんな奇跡の顔。夢にまで見たアニメの美少女のとろけるような美顔が目の前に実存していた。


 体はとにかくラインが美しい。余分が一切なく、至高の美を構成するに足るラインだけが存在を許されている。なんて贅沢な体。美しくあるためだけに存在することをその体は許されている。生きるために醜く尖らざるを得ない人間の体とは大違いだ。とにかく、アシュレイ・ヴィクトリカを名乗る女のボディーラインは美しかった。絶無ともいえる起伏の乏しさなど気にもならないくらいに。


 その至高のボディーラインを彩るのは、妙に露出度の高い白色のドレス。胸が開いている。脇が見えている。へそが出ている。太腿が露出している。しかもぴっちりと肌に張り付いてボディーラインを剥き出している。人間なら痴女認定寸前のエロドレス。だが、この美女が着ると下品な印象の一切が足切りされる。ただ美しくあるために下世話な思慮の一切を除外してデザインした。そういう印象を受ける。


 実際、そのドレスはアシュレイ・ヴィクトリカを名乗る女の美をこれ以上なく的確に演出している。異色が一切混じらない純白の肌のその白さを絶妙な露出によって氷山の角度で際立たせている。白は美しい色。そのあるがままの事実を魂に刻む込むかのように。


 俺は確信した。これは夢の世界の出来事なのだと。


 俺の現実はこんなに都合が良くない。目が覚めればまた血みどろで絶望に塗れた人生が始まるんだ。だからこれは夢なんだ。間違いない。命をかけてもいい。アシュレイ・ヴィクトリカを名乗る俺の脳内存在。魅力的な幻覚だが、希望は絶望を際立たせる。現実という絶望を。


 だから俺はアシュレイ・ヴィクトリカを名乗る脳内存在にしっしっと手を振った。


(消えろ幻覚。まだ見ぬ明日を少しでも遠ざけるために俺は寝なければならんのだ。贋物が。俺の気を引きたきゃストリップショーでもするんだな。そしたらタダ見くらいならしてやるよ。そのあと寝るけどな)


 ――な、なんと理解と口の悪い子。ああ、運命はなぜこのような愚かな子に虹色の魔力をお与えになったのでしょう。


 幻覚が実にアシュレイ・ヴィクトリカがいいそうなことをのたまう。愛の深さゆえか、再現度が高すぎて段々本当にアシュレイ・ヴィクトリカと会話してるような気分になってきた。


 だから俺はこの機に、ゲームのアシュレイ・ヴィクトリカにずっと言いたかったことを言った。


(だいたいお前、メインヒロインたちよりよっぽど可愛い容姿をしてる癖になんで攻略対象じゃないんだよ。俺はあんたをこそ攻略したかったんだよ。この無念が分かるか?)


 ――え?


(え、じゃない。魔王を倒してそのご褒美が要約ヨクガンバリマシタの祝言だけだと? ふざけるな!).


 ――あの。私の願いをどうして知って。というか倒したとはどういう、


(どうせこのあとあなたには虹色の魔力が宿ってるだの、魔王を倒す使命があるだの、奴隷から抜け出すためのカードを授けるだの、鉱山のB地点の壁の中に伝説の勇者が使ったデバイスが埋まってるから掘り出せだの言うつもりだろ。俺には分かるんだ。俺はCMCには世界一詳しい)

 

 ――いやなんで分かるんですか!? ま、まさか私の心を読んで……!


(ともかく、俺がなにを言いたいのかというと、だ)


 俺はアシュレイ・ヴィクトリカに顔をぐっと近づけて、唇が触れそうなほどの至近距離で目を合わせた。


(魔王を倒したら俺の女になれ。お前を攻略させろ)


 ――んゅ!? 


 ボッ、とアシュレイ・ヴィクトリカの顔が一瞬で赤くなる。まるで処女のような反応。きっとアシュレイ・ヴィクトリカは処女なのだろう。女神は汚らわしく肉を交わらせて子を産む必要がない。だから男性経験がない。あまりにも合理的な論理的帰結。ゆえに真実だ。しかし可愛らしいリアクションだ。流石俺の夢。俺のツボを的確に押さえている。


 それにしても、よくもこんな歯の浮くような台詞を我ながら言えたものだ。これが現実なら憤死している。まぁ夢だからいいか。しかしアシュレイ・ヴィクトリカのリアクションが実に可愛い。流石俺の夢。ツボを的確に押さえてくる。


 アシュレイ・ヴィクトリカはあー、だのえー、だの言いながら視線をあちらこちらに彷徨わせたあと、ついに覚悟を決めたように俺と視線を合わせた。しばし見つめ合う。そして、口を開いた。


 ――よろしい。頭痛がするほど愚かな子をそれでも愛しましょう。あなたが魔王を倒した暁には私があなたの、お、女になってあげます。


(ずっとその言葉を聞きたかった。もう思い残すことは何もない。いつ死んでもいい)


 ――生きて! ください! あっ! 体が!


 アシュレイ・ヴィクトリカが光の粒子となって消えていく。アシュレイ・ヴィクトリカは慌てて逆手にした手を前に突き出して、眼を瞑って念じ始める。


 アシュレイの手の内に光が収束する。光は一枚のカードになった。


 ――このカードを受け取ってください!


 アシュレイ・ヴィクトリカが消えかかった手でカードを差し出してくる。俺はそのカードを受け取る。アシュレイ・ヴィクトリカがニコリと笑う。それは実に魅力的な笑みで、いくら夢の中とはいえ高校中退程度の俺の脳味噌が本当にこんな魅力的な笑みを表現できるものだろうかと訝しんだその時、アシュレイ・ヴィクトリカの姿がとうとう消えた。


 そして、夢が覚めた。




「起きろ! この奴隷がッ!」


「ごふッ!」


 腹に重いものが食い込む衝撃。俺は腹を抑えて呻いた。さらに頭髪を引っ掴まれて持ち上げられる。


 黒い帽子を被った緑色の肌の化物と目が合った。

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