第2話 クララ先生

 校門を抜けて大広場。入学式で噴水が上がっていた場所。


「あっ、クララ先生だ!」


 教員服以外は生徒にしか見えない容貌で生徒の群れに混じって登校するクララ・サファリアを発見したシャルナが駆け寄る。玄咲も追随する。


「あら、シャルナちゃんに、玄咲くん。おはよう」


 クララがにこやかに挨拶をする。シャルナも嬉しそうに挨拶を返す。


「お、おはようございます! あ、あの!」


 シャルナはクララにバッ、と頭を下げた。


「あの時、治して貰って、庇って貰って、ありがとうございました! すごく、すっごく、頼もしかったです! 嬉しかったです! 遅れたけど、今お礼を言います。本当に、ありがとうございました!」


 クララと、玄咲もまた驚いた。シャルナが自分以外の相手にこれだけ心を許している様を初めて見たからだ。クララも意外だったのか、少しの間目を丸くして頭を下げるシャルナを見つめたあと、けれど優しく笑って、その頭を撫でた。


「大丈夫? もう引きずってない?」


「はい! 玄咲がいるから、大丈夫です!」


「!?」


 玄咲は不意打ちにくらった。頭を上げるシャルナにクララが天使の笑み。


「よかったわね。私もね、あなたが今笑っていてくれて嬉しいわ」


 クララの纏う雰囲気は、その笑みは、いつも、どこまでも優しくて暖かい。傍にいるとほっとする。見てると癒される。守りたくなる。クララに見惚れる。玄咲も、シャルナも。シャルナは感極まって涙を目端に溜めて、クララの手を両手でギュッと握った。


「わ、私、クララ先生のこと、大好きです! 教師の中で、いや、この学校の中で一番尊敬しています! 大きくなったら、クララ先生みたいな立派な人になりたいです! クララ先生は、私の憧れです!


「あ、憧れ……私が……?」


 教師生活の短いクララは憧れという言葉に弱かった。シャルナが再び笑顔で言う。


「はい! 憧れです!」


「っ!」


 クララは涙を拭った。ポケットから取り出したハンカチでぐずぐずしながら、


「う、嬉しい……! 感無量だわ……! ありがとうシャルナちゃん。私、もっと立派な教師になるわ……!」


「はい!」


 二人はひしっと手を握り合ってごく至近距離で、笑顔で見つめ合う。


(……尊い)


 邪魔ものにならないよう少し距離を取ってその光景に魅入っていた玄咲にクララが近づく。


「ちょっといい? 玄咲くん」


「はい。何でもいいですよ」


「何よその返答は……。ちょっと耳貸して。内緒話」


 クララは玄咲の耳に真面目な声を注ぐ。


「ちゃんとあの子を守ってあげるのよ。正直彼女のこの学校での立場はあまり良くないわ」


「――どれくらいですか」


 玄咲もまた真面目な声音で答える。


「教師の中にも反感を持ってる人がいるくらい。亜人はエルロード教徒に限らず差別する人が多いから。アマルティアンなら尚更。でも、教師の方は学園長が頭を押さえつけてるからそこまで問題ないわ。ただ、生徒の方はそうはいかない」


「……」


 ここ数日の出来事を思い出し玄咲は言う。


「……まぁ、当たりがよくないなというのは、ここ数日でも感じてます」


「横にいる君が防波堤になってるところもあってわざわざ絡みに行く子は少ないけどね。いつ何があってもおかしくないわ。」


「そろそろ何か問題が起こりそうだと」


「まぁそういうこと。だからね。しっかり守ってあげるのよ。まぁ、あなたには無用な忠告だったかもしれないけどね。いつも一緒にいるのは、そういうことも考えてのことでしょ?」


「……いえ。特にそういう訳では」


「え?」


 クララがキョトンとした声を出す。それから咳払いをした。


「ご、ごめん。付き合い方は人それぞれよね。ちょっと異常なほどいつも一緒にいるから勘違いしちゃった。ごめんなさい」


「異常、ですか」


「……人それぞれよ。えっと……ま、まぁとにかく!」


 クララは誤魔化しの意味も籠めた笑みを浮かべながら玄咲の頭を撫でた。


「気を付けてね。私でよければいつでも力を貸してあげるからね」


「……」


 天使のような優しさに、暖かさに、胸が詰まる。玄咲は涙を必死にこらえて、覚悟を決めて頷いた。


「はい」


「うん。良い表情。えっと、この話は一旦あなたに預けておくわ。あなたの方が彼女には詳しいだろうから。話しても大丈夫そうだったら話して」


「はい」


「じゃあね。シャルナちゃんもさよなら」


「は、はい!」


 クララは二人に手を振って校舎の中へ去っていった。シャルナはその背に熱視線を送る。


「か、格好いいなぁ……」


「そうだな。クララ先生は可愛いし格好いいし可愛い」


「そうだね。格好いいし可愛いし格好いい」


「しかし意外だった。シャルナがあんなにクララ先生のことを好きだったとは」


「うん。本当にさ、いい先生だね。優しくて、暖かくて、強くて、可愛くて、そして何より」


 シャルナのその言葉で。


「正義感が強くて――」


 久しぶりに玄咲の天使スイッチが入った。捲し立てる。


「そうなんだ! クララ先生は世界で一番素晴らしい先生なんだ! 優しくて尊くて気高くて可愛くて美しくて強くて正義感の塊で聖母のようでマリアのようで癒し力が高くていつも俺を頭の中で正しくれてしかも時々は膝枕したり耳かきしたり抱きしめたりして甘やかしてもくれていつもいつもクララ先生は俺の心を守ってくれて拷問を受けた時は一昼夜言葉に出来ないことまでしてくれてもう本当に優しくて正しくて可愛くて天使で俺をたくさん愛してくれてだから長年俺の最愛の天使で――」


 シャルナはちょっと引いていた。玄咲は速やかに黙った。互いに何も言わなかったことに、聞かなかったことにした。


「そ、それでさ、クララ先生と、何話してたの?」


「……」


 クララが玄咲にだけ内緒話で伝えたのはシャルナの精神的負担を和らげるためと、あとシャルナの精神状態が付き合いの浅いクララにはよく分からなかったからだろう。だからクララは玄咲に判断をゆだねた。そして玄咲の判断は最初から決まっていた。


「――大丈夫だ、シャル」


 シャルナは楽園の住人であるべきなのだ。綺麗なものだけ見ていればいい。


「君は俺が一生守る。この世界の全てから」


 敵が現れたら自分が屠ればいい。そんな思いを籠めて。


「――うん」


 シャルナは壊れた人形のようにコクリと頷いた。

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