4日目 ―暗雲―

プロローグ 雷丈家解体 ―射弦義神名の絶望―

「――わ、あの人、綺麗……」


 ラグナロク学園2年F組の貞中茅子は街中で見かけたある一人の男子生徒を見て頬を赤らめた。今日、プレイアズ王国市内で行われる創立記念一大イベントに向かう途中の出来事だった。


「女顔で、監禁して食べたいくらい可愛い――でも」


 死んだ目で歩く男子生徒を見て、茅子は呟いた。


「なんか、ちょっと雰囲気怖いな……」





 雷丈家邸が目の前で解体されている。


「――悪夢だ」


 サンダーハウスの異名を持つ国一番の個人邸宅で、故人邸宅。国家創立記念祝日と日曜日が重なったこの4月13日。その目玉イベントとして行われる100人以上の土木魔符士によるそれの解体工事を眺めながら、取り囲む万人以上の観衆が歓声や野次を上げている。一様に喜悦に満ちた表情の観衆の中にあってラグナロク学園の制服を纏った青年――射弦義いつるぎカミナの表情は正反対の色をしていた。絶望のどん底、そんな表情をしていた。カミナ――神名と書くが、神の名を語るとは図々しいのでいつもカミナと表記している――の表情に気分を害した観衆の一人、中肉中背の癖して中途半端に筋肉だけはついた見るからに肉体労働者――カード魔法で大抵のことは賄えるこの世界にあっては底辺も底辺の職業――な見た目をした中年の男がカミナの肩を掌底でドンと小突く。カミナはよろめき、人波に押されて倒れた。


「てめぇ、この目出度い日に辛気臭い顔しやがって。さては俺を舐めてんな。この、オスガキ、が――」


 男の様子が変わる。しなを作って倒れるカミナ。その色気に当てられて。男は舌なめずりをした。


「――へぇ、オスガキかと思ったら、面白れぇ。そこらの女より余程可愛くて色気がありやがる。面白れぇ。楽しめそうだぜ。オラ、粗相をした罰だ。ちょっときつめにしつけてやるからそこの路地裏にしけこむとしようや。舐められたら舐めさせる。等倍返しだ」


 男はカミナの肩を取り強引に立たせてそこの路地裏にしけこもうとする。誰も止めない。カミナの辛気臭い様子に皆苛立っていた。何より解体工事に夢中だった。観衆たちの熱狂を背にカミナは男に路地裏に連行されながら、路地裏の奥深く、人目のなくなったタイミングで、反対側の手でカードケースから一枚のカードを取り出す。


 そして、詠唱した。


武装解放アムドライブ神威挽アムネシアパーティクル・レイン」


「ッ! こいつ――ガキの癖に人前でADを抜くとはいい度胸だ! ぶっ殺してやる! オラァ!」


 男がカミナを殴ろうとする。カミナは己の腕を掴む男の指を噛み千切り、無理やり拘束を解く。そして手を抑えて蹲る男の後頭部をハイキックで地に落とす。地面に叩きつけられかち割れた額からドクドク血を流す男の後頭部に己のAD――いかつい金色の中にエメラルドの輝きが所々に点在する豪奢な外観の弓を0距離で突きつけ、カードをインサートした。


「ジャッジメント・アロー」


 緑色の魔力で鋳られた矢が男の後頭部に穴を開けた。男は絶命した。悲鳴を上げる間もなかった。


 カミナは男の死体を傍にあったゴミ箱に突っ込んだ。頭蓋内の傷口は魔力熱で焼けて血が零れない。それに元々血が点々していた路地裏なのでかち割れた額から零れた少量の血も目立たない。別にバレようがどうでもいい。だから最低限の隠蔽工作。路地裏に入った時と全く変わらない絶望に満ちた表情でカミナは路地裏を出た。通りを歩くも、背後で悲鳴の類は上がらない。運よく目撃や発見はされなかったらしい。それでも府警に捕まるのは時間の問題だろうがそれすらカミナにはどうでもよかった。


 歩きながら、思い出す。


(そういえば、ジョーさんと出会った時も、暴漢に襲われてたっけな)


 今は亡きサンダージョーとの馴れ初めを。




 それはカミナがまだ7歳の頃のことだった。


 カミナが公園で旧約創界聖書ル・エルロードの教えに則り自分より幼いカラスの亜人の子供の羽を毟って躾けていると突然その飼い主に襲われたのだ。


「このエルロード教徒が! よくもうちの子を殺しかけたな! 死ね! 死ね! 死ね!」


 亜人の親らしく凶暴で頭がイカれていた。7歳の子供の顔を殴り、腹をしこたま蹴り、肛門を爪先で抉り、カミナは全身打撲裂傷内出血塗れになった。完全に狂人だった。だがそれでも、カミナは真理を説いた。


「この穢れ血の亜人が……! 貴様らは存在するだけで罪なんだ! 聖書にそう書いてあったし聖人様もそう言ってたんだ! 僕は悪には決して屈しない。正義はいつでも僕たちエルロード教徒にある……! それが分からないお前に来世はこない。死んで永遠に地獄を彷徨え……!」


「ッ! こんな、子供にまで思想を植え付けるなんて、エルロード教徒は惨いことをしやがる。だが、だからといって許せねぇ! これで終わりだ! 地獄に落ちろ!」


 腰に履いた剣型のADを取り出しカードをインサートする飼い主。死を悟ったカミナの血塗れの口元には、しかし笑み。


(ここまでか……。だが、正義は貫いたぞ)


「死ねぇ! ダークネス」


「待てぇい! フハハハハハハハハハハハハハハハ! 」


「ッ! 何者だ!」


「サンダージョーだ!」


 滑り台の上から、声。いつの間にか、陰。太陽を背に、ビシッ! と黄金色の鞭を持った手を横に伸ばして、子供向けヒーローのようなポーズを取りながら、子供はそう名乗った。太陽光を受けて金髪の髪が稲妻のようにギラつく。カミナにはサンダージョーと名乗るその子供がフェルディナ神の御遣いに見えた。


「サンダージョーだぁ? 今流行ってるヒーローショーの主人公のパクリみたいな名前しやがって。てめぇそいつの味方か?」


「もちろんさ。同じエルロード教徒の仲間の危機は見逃せない。それとパクリじゃない。僕がオリジナルだよ。熱血戦隊ガンガー・フォーの主役のイエローの名前【ガンガー・ジョー】は僕が命名したのさ」


「……てめぇも頭がイカれてるらしいな。エルロード教徒は頭のおかしい人間しかいないのか? まぁいい。別にお前に恨みはない。ガキのお遊戯が割り込んでいい状況じゃないんだよ。分かれガキが」


「ガキは貴様だろうが背教者が。今から僕が殺して成敗してやるから覚悟しろ」


「はっ。無理だな。子供は大人に勝てねぇよ。この世界はそういう風にできている。レベル差ってのは残酷なんだ。見逃してやるからさっさとどっか行きな。今から子供にはちょっと刺激の強いショックシーンが流れるからよ」


「正義に逃走の二文字はない。詭弁を使おうともう貴様の罪は許されない! 貴様は罪人、僕が執行者だ! さぁ――処刑の時間ショータイムだ! とうっ!」


 サンダージョーが飛ぶ。信じられない距離を一息で詰めてくる。一瞬でカミナたちの上空へ。子供ではありえない身体能力。異常が過ぎる光景。その不気味さに飼い主は慌てて剣型のADをサンダージョーへと振り抜いた。


「ダークネス・デスウェーブ!」


 剣から闇色の衝撃波が迸る。ランク5の魔法。子供に当たれば一撃死してもおかしくない。サンダージョーは鼻で笑い、太陽を背に、鞭型のADを振り下ろした。


「ゾディアック・サンダー!」


 極大な雷が闇色の衝撃波を蹴散らし地に突き立った。いつまでも、いつまでも、突き立ち続ける。飼い主が、そしてその背後に守っていた子供が滅茶苦茶に痙攣する。まるで天の裁きのような光景。カミナの心臓がトクンと胸打つ。


(う、美しい。まるでフェルディナ神の裁き。それに、何なんだ。サンダージョーと名乗るあの子供を見ていると心に湧き上がるこの感情は――!)


「――っと。もう限界か」


 魔法の浮力で宙に浮き続けていたサンダージョー。が、握るADから迸っていた雷が急に途絶える。と、同時、地面に落下。カミナの前にストン、と着地した。


「君、大丈夫だったかい?」


「あ、あああ……!」


 カミナは急に言葉の呂律が回らなくなった。怪我のせいではない。サンダージョーを見ているとなぜか緊張と興奮で言葉が迷子になるのだ。サンダージョーが黒焦げの2つの死体を蹴飛ばして鼻で笑う。


「出来の悪いオブジェだ。家に飾るにも値しないな。ちょっと足で小突いただけで崩れてしまった。あっはっは!」


(ッ! あ、ああっ……格好いいなぁ……!)


 カミナの目に涙が滲む。格上の大人を子供なのに圧倒する、清く正しき正義の心を秘めた信徒の鏡のような少年。カミナの夢見る、世界の摂理に反逆するスーパーヒーローそのもの。サンダージョーはカミナの理想の存在だった。短時間で強烈に印象付けられた。息が、荒くなる。


「息も絶え絶えじゃないか。酷い怪我だな。僕の家にくるといい。治療してあげよう」


「! は、はい! あっ!」


 立ち上がりかけ、爪先をめり込まされた肛門に激痛が走りカミナが倒れかける。サンダージョーはカミナを抱き留めた。


「あっ!」


「安心したまえ。僕が君を抱きかかえる。よっと」


「わわっ!」


 サンダージョーはカミナの太ももと腰を以て抱きかかえた。信じられない怪力。カミナはサンダージョーにギュッと抱き着く。落ちたらいけないからだ。


「しかし、君。凄い勇気、そして信心だね」


 サンダージョーがニッと歯を剥いて笑う。


「えっ?」


「子供なのに大人に真理を説くなんて中々できる事じゃない。しかも半殺しにされながらだ。普通の信徒ならまず信仰を捨てて逃げ出してる。僕も、強いからそんな状況に陥ったことはないが、いざその状況になって逃げださずにいられるかどうか、正直自信がない。だから」


 サンダージョーは真っすぐカミナの目を見て言う。


「僕は君を尊敬するよ」


「――尊、敬?」


「ああ」


 夕陽がカミナの頬を赤く染める。サンダージョーは再びニッと歯を見せて糸目で笑う。


「もしも大人になったとき、君に魔符士として立派な実力があれば、君には僕の右腕になってもらいたい。将来的に僕はエクスキューショナーを率いることになっている。君のような真の信心を持った人間に、副隊長になってもらいたいんだ。本当に信心深い人間はエルロード教徒の中でも意外と少ないからね。君程信心深い人間は初めて見た。だから、僕は君が欲しい」


「僕が、欲しい?」


「ああ」


 サンダージョーが真面目な顔を近づける。


「君が欲しい」


 その瞬間。


 カミナはサンダージョーに永遠の忠誠を誓った。少なくとも自分自身の心の動きを当時のカミナはそう解釈した。頬を赤らめて断言する。


「なります。あなたの右腕に」


「いい返事です。君、名前は」


「射弦義カミナ」


「僕はサンダージョー。射弦義、か。あの没落貴族の家の子だったのか……よし!」


 サンダージョーは夕日に染まったオレンジ色の笑みをカミナに向ける。


「数日後、君の家に吉報が届くだろう。その時を楽しみにしておくといい」






 数日後、約束通り吉報が届いた。射弦義家は七霊王家セブンスロード最大の雷丈家の派閥に加わった。そして当時はまだ重要視されていなかったパチンコ店経営の仕事を任され、すぐに大成功を収めた。そのおかげでカミナは貧乏暮らしから解放された。それからカミナはずっと夢心地で、そしてその夢心地は8年後まで続くことになった。あるいは8年後、途絶えた。

 

 夢が悪夢に変わったから。


 サンダージョーが死んだから。


 雷丈家が壊滅したから。


 成り上がり者の射弦義家はそもそも貴族社会に敵が多かった。加えて雷丈家派閥。雷丈家が壊滅した途端、それが表面化した。傘と権力と経営するパチンコ店のなくなった射弦義家はあっという間に没落した。元の没落貴族に戻った。下手に目立ちすぎて這い上がる目がもうないだけ、8年目より絶望的な状況だった。カミナの両親は自殺した。カミナが当主になった。信頼していた雷丈家の元側近の言うがままに書類で手続きを行った。いつの間にか家の金が殆ど合法的に持ち逃げされてた。借金だけが残された。カミナはその時点で自殺を決意した。愛するサンダージョーと、大して愛していないけどそれなりには情を持ってた両親を失って傷ついた心に、その裏切りは致命傷過ぎた。


 今生きているのは惰性だった。何となく死ぬ勇気がないだけだった。


「あ」


 パチンコ屋の前を通りかかった。サンダーキング3000が店から運び出されているところだった。射弦義家も開発に関わり、サンダージョーと開発中何度も顔を合わせたことからカミナにとっても思い出深い機種。サンダージョーとの思い出の機種。それが、悪態をつかれながら、解体されて何個ものパーツに分けられて運び出されていく。


 サンダーキング3000との思い出が、サンダージョーが、運ばれていく。カミナは動いた。


「このゴミ台。役物のせいで無駄に重いな」


「本当キング疫病神だったぜ。サンダーキングじゃなくキングボンビーに改名しろよ」

 

「待て」


 カミナはパチンコ店従業員の前に立ちはだかった。


「あ? なんだてめ――お嬢ちゃん、可愛いねぇ」


「本当だ。そこらのブスとは比べ物にならねぇや。昨日あてがわれた厚塗りの化け物とも」


「僕は男だ」


「あ? ――確かによく見たら男物の制服だ。まぁ可愛けりゃ何でもいけど」


「ああ。この瑞々しい肌たまんねぇ。ひひ、どかねぇと無理やりどかしちゃうぞぉ」


「サンダーキング3000を置いてけ」


「は?」


「お前、頭おかしいな」


「いいから置いてけ。それは僕のものだ。サンダーキング3000サンダージョーは――未来永劫僕だけの者なんだよ。分かれ背教者が」


「……」


 パチンコ店従業員たちの額に青筋が浮かび、ついでゴクン、と喉が鳴る。


「背教者? 知らねぇ。業務執行妨害でてめぇはバックルームに連行する」


「エルロードキチガイでも顔が良ければ関係ねぇ。生意気なてめぇを生イキさせてやるよ。この世は顔とカードなんだよ。おら、俺たちを傷つけたカルマを償え。でないとよぉ」


 地面にパーツを置いて、にやにやとパチンコ店従業員がカミナに手を伸ばす。


「サンダージョーみたいに報いを受けちまうぜぇ?」


「――殺す」


 カミナが膝を振り上げる。パチンコ店従業員の肘が折れる。肘を抑えて叫ぶパチンコ店従業員。


「サンダージョーは神の子だ! 僕の神だ! よくも愚弄したなぁ! 僕を、僕の神を、神をぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」


「ぶっ、ばっ、ぐっ! こ、こいつ滅茶苦茶強っ!? ごはっ!」


「ひ、ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! 本物のキチガイだったぁああああああああああああああああ!」


「何の騒ぎだ!」


「取り押さえろ!」


「オラァ! のしかかりだァ!!!」


「サンダァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 魔府警察カードポリスたちがかけつけカミナを取り押さえる。カミナは全身を強く掴まれて拘束される。尚も暴れようとするカミナを魔符警察たちは鼻息荒く血走った目で拘束する。


「セキュリティ・スリープ!」


「うっ!」


 そして、魔法の光を纏った警棒型のADで殴られてカミナは気絶した。





 牢屋。


 その中に射弦義カミナは拘留されていた。鉄檻に囲まれた冷たい石床の隅っこで足を投げ出している。その眼は拘留される前と何ら変わらない絶望に染まっている。カードは勿論全没収。今のカミナはちょっと、いやサンダージョーに仕えようと死ぬ程鍛えたため相当体術に秀でただけの無力な子供だった。


「これから、どうなるんだろう」


 カミナの罪状はまだ決まっていない。取り合えず拘留されている。明日の朝には処断が決まるらしい。この世界では子供が大人を害しても力量差の観点から大した罪にはならない。だからそう重い処分は下されないだろうが、軽かろうが重かろうがどうでもよかった。もうカミナには何もかもがどうでもよかった。檻の中も、外も、カミナには同じだった。


 等しくサンダージョーのいない悪夢の中だった。


「――駄目だ。僕はもう駄目だ。壊れてしまった。もう本当に死ぬしかない」


 カミナはサンダージョーの死後感情のコントロールが全くできなくなっていた。底辺男の殺人も、パチンコ屋前での一件も、普段なら堪えているところだ。なぜなら出会ってすぐの頃、サンダージョーにこう忠告されたから。



 ――いいですか。根本的に亜人は人間以下の糞生物なのです。この新約創界聖書ジ・エルロードにもそう書かれています。カミナ君の信仰する旧約創界聖書ル・エルロードにも細かい違いはあれどそう書かれていますね。だから殺したいのは分かります。でも社会的節度を保って殺しなさい。こう見えて僕も結構妥協して生きてます。力のないカミナ君なら尚更ですね。社会を敵に回して勝てる程の力は1個人にはありませんから。



「――ジョーさん」



「いいですかカミナくん。亜人はこう殺すんですよ」

「ふはは! サンダーキング3000は傑作ですねぇ!」

「……僕にだって、泣きたい時くらいありますよ。なんで返品の山なんだろう」

「カミナくんはスキンシップが激しいですねぇ。たまにうざいですよ」

「ヘビーデスボルテッカァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「外国に招かれてその国のラグナロク学園みたいな学校の高校3年生と対抗戦をしたんですがね、誰も相手になりませんでしたよ。神の子の名は伊達じゃないってことです。僕は強すぎますねぇ。フッハハハハハハハハ!」

「最近レベル上がらねぇ……あ、いや、何でも――カミナくんにならバラしてもいいか。実は僕は特異体質でして――」



「……楽しかったなぁ。本当に、楽しかった。ジョーさん。大好きでした」


 LikeではなくLoveを籠めて泣きながら呟く。今はもう自覚している。さらに追想。思い出はだんだんと今に近づいていき――。


「この決闘は無効だっ!!!!!!!! 再決闘を要求するっ!!!!!!!!!」


「っ! ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 思い出したくないことまで弾みで思い出してしまいカミナは石壁に頭を打ち付けた。記憶の本流は止まらない。さらに思い出す。


 サンダージョーの処刑の瞬間を。


 別人のように憔悴し、往年の輝きを失ったその瞳を。プライア女王が満面の笑みでギロチンを下ろす寸前、その瞳から一滴零れ落ちた初めて見るサンダージョーの涙を。


 宙を舞ったサンダージョーの首を。絶望に染まったその表情を。


 プライア女王の満面の笑みを。プライア王女に切り落とされ地に落ちたサンダージョーの首を求めて群がるこの国の民の醜い姿を。


 カミナは発狂した。


「ッ! ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! 殺してやるッ! 殺してやるッ! 殺してやるッ! プライアッ! プライアッ! プライアッ! 自分も! 自分も! 自分も!」


 カミナは何度も何度も石壁に頭を打ち付ける。監視の看守が慌てて止めに入り気絶させ治療し、両手両足を縛って猿轡を噛ませまた牢屋に入れる。カミナが目覚めたとき、天井近くに小さく開いた窓の外の景色はオレンジから黒色に変わっていた。気絶している間に少しだけ冷静になったカミナは冷静な頭で考える。猿轡をもごもごとさせながら、


(プライア女王を殺すのは無理だ。国民もだ。前者は警備が固すぎて、後者は殺してもキリがない。それに、よく考えたらもっと殺したい奴がいる)


 脳裏に、黒い男の姿を思い浮かべる。その隣に立つ白い女の姿も。


(天之玄咲。そしてシャルナ・エルフィンもだ。サンダージョーを最初に殺した背教者中の背教者と穢れ血中の穢れ血。チート染みた力で、卑怯なカードで、サンダージョーを一方的に虐殺した。そうだ、あんなの決闘じゃない。ただの虐殺だ! 真っ当なカードバトルなら100%サンダージョーが勝っていた。なのに、あいつらが卑怯だからちくしょう! ジョーさん……! あなたは勝ってたのに、負けた。その無念は僕が晴らします。僕があいつらを殺します。 


『目的のために手段を選ぶな。目的のためなら全ては赦される。私という目的のためなら』ハマド伝第4章21行目~24行目より抜粋。


 そうだ。目的のためなら手段を選ぶな。卑怯には卑怯をもって裁く。特にシャルナ・エルフィン。アマルティアンの貴様は絶対に許さない! 人間の男よりも優先して殺してやる……!)


 黒い男の姿を脳裏から消す。白い女の姿だけを思い浮かべる。その薄い胸の中央を想像の矢で射貫く。赤い血が吹き咲く。さらに幾度もナイフで、ハンマーで、ドリルで、剣で、ありとあらゆる武器でありとあらゆる制裁を加える。殺し、殺し、傷つけ、傷つけ、犯すことだけは対象が汚すぎるから想像の中でも行えない。しかし、それ以外の加虐は全部行う。


 浄滅など考えもしない。


 サンダージョーならば例えシャルナがいくら憎くても殺しはしない。浄滅を優先する。しかし、サンダージョーとカミナにはエルロード教徒としての一つだけ大きな違いがあった。宗派の違いだ。長い歴史を持つエルロード聖教には様々な宗派が存在する。


 サンダージョーは新約創界聖書ジ・エルロードを聖典とした新派。現在エルロード聖国で国教とされている最大勢力の宗派。


 カミナは旧約創界聖書ル・エルロードを聖典とした旧派。一時期は国教だったが、その教えの過激さから新派に取って代わられた宗派。


(ハァ、ハァ、自殺する前に復讐する。それが僕のやるべきことだ。ジョーさんは死んで尚僕を導いてくれるな。そして、思い出すんだ。旧約創界聖書ル・エルロードの教えを――!


『血の絆はこの世の何にも勝る。同胞の血は血によってのみ贖われる。背教者――無法者の法ごと罪とカルマを血で洗い落とせ。それが互いにとって死後の安息に繋がるだろう』デーヴァ伝廻天の章1行目~3行目。


『死は救いである。背教者は躊躇いなく殺せ。罪過を血にて洗い落とし、同時に更なる罪過の芽を摘む。これぞ真の善行である。救世の鍵である』ダルマン伝倒錯の章第4章5行目~7行目。


『亜人は無条件に殺せ。奴らがいる限りこの世は救われぬ。真なるエルロードの夜明けは血を積み重ねた道の果ての果ての果てにしか存在しない』ブダべス伝貴人の章21行~22行。


『我らが主に尽くせ。主はあなた方に全てを与えてくださる。だから奴隷のように尽くせ』キチス伝慈愛の章4行。


『背教者は背から刃で心臓を貫け。然らば穢れた血の源は反省の証として無抵抗を差し出すであろう。それが叶わぬのなら、どんな手を使ってでも殺せ。最良の手段がとれなかろうがとかく背教者には死の祝福が必要なのだ。罪穢れを払うために。後の世の幸福のために。我らが我らが世界の安寧のために――カシャ伝真実の章7行~11行。


 サンダージョーのために復讐を実行する。それだけが今の僕のやることだ。やはり教えと照らし合わせても合理的だ。シャルナ・エルフィン。お前には後の世――来世で幸福になってもらう。だから今生で地獄に落ちろ。その血で、体で、罪を贖わせてやる……!)


 通称、過激派と呼ぶ。







 チュンチュン。


 窓の外で鳥が鳴いている。その鳴き声でカミナは目を覚ました。石床の冷たさが肌に染みついていた。


(よく考えたらしばらく外に出られないな。クソッ! せっかくやるべきことが見つかったのに……!)


「おいお前。釈放だ。出ろ」


(え?)


 カミナは手足の枷と猿轡を外されて牢屋の外に出た。そしてある人物と対面した。


「ほら、さっさと学園に帰るよ。特待生がいなきゃ3日後のイベントが成り立たないんだ。全く、世話を焼かせるねぇ」


 マギサ・オロロージオだった。

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