第52話 ラブコメ8 ――シャルナの過去2――

『さっきの続き、だよ。


 お婆の家で治療を受けたけど、声が出なくなってた。喉が変形してるのと、トラウマのせいだって。ここに住んでいいからゆっくり治そうって言ってくれた。優しかった。


 7年間、集落で過ごした。そこで翼を切った。その集落の堕天使はみんな翼がなかった。そういうしきたりだった。堕天使族だってバレると酷い目に合うから切っちゃうんだって。麻酔魔法をかけられてる間に全部済んだから痛くはなかったし、黒い翼に思い入れなんてなかったから悲しくもなかった。むしろせいせいした。まぁ、根元から切ると死んじゃうから、切除痕は残ってるんだけど。


 あと、そこで、痛みと引き換えに、眼を白く染めた。それはしきたりじゃない。私から望んだことだった。堕天使の証の、黒い眼が嫌だったの。染薬をつけて、一週間痛みに耐えるだけだった。家族を失った痛みより、ずっと優しかった。おかげで、天使みたいに、白い眼が手に入った。白っていいよね。白ってだけで、美しいもんね。黒と違って』




「声も、翼も、髪も、眼も、後天的な変質だったのか」


 つい、玄咲は声を挟まずにはいられなかった。シャルナを構成する象徴的な要素の殆ど全てに悲劇的な曰くが絡みついていることに驚き、同時にいたたまれなくなったからだ。


「うん。声が、上手く、出ないのは、喉が、潰れてる、上に、一時期、失語症に、なってた、から」


「だから、台詞が途切れ途切れなのか」


「うん。やっぱ、聞きづらい?」


「可愛い」


「……ありがと」


 シャルナが照れる。


「……翼が、ないのは、生きるのに、邪魔だったから。白かったら、どんなに、良かったか」


「天使は美しいものな」


「……うん。私、天使に、なりたかった。玄咲の、大好きな、天使に」


「……」


 2つの意味で取れる、反応に困る台詞だった。


「髪が、白いのは、極度の、ストレスに、晒された、から。でも、いいでしょ。白いん、だよ。綺麗、でしょ。天使、みたい、でしょ? ふふ」


「……うん」


 あまり素直に頷けない問いかけだった。確かに奇麗だ。天使みたいだが。


 今のシャルナは、それ以上に、痛々しかった。


「この髪、好き。白いの、大好き。でもね……」


 シャルナがくしゃりと顔を歪める。


「お母さんの、黒髪は、もっと、好き」


「……」


 要はコンプレックスの裏返しなのだろう。


 白いのが好きなのではなく。


 黒いのが嫌いなのでもなく。 


 不幸の原因を憎まずにはいられないのだろう。


 それさえなければと。


 玄咲にも分からなくはない感覚だった。


「……眼が、白いのは、ね。堕天使族に、伝わる、秘薬を、使って、7日7晩、苦痛に、耐えたから」


「どれくらい痛かった」


「かなり痛かった。でも、お母さんが、殺された、ときの、痛みに、比べたら、へっちゃら、だった」


「……そうか」


 全ての白に悲劇が憑き纏っている。玄咲はシャルナの肌に視線を這わせる。その白い肌にも相応の曰くがあるのだろうと思うと哀しくなる。肌について何も話さないということは聞かれたくない事情があるのかもしれない。それでもシャルナの全てが知りたくて、玄咲は白い肌のその曰くを勇気を出してシャルナに問うた。


「肌が、白いのは」


「……肌が、白いのは」


 シャルナは俯き、躊躇いながらも、しかしはっきりとその言葉を口にした。


「もと、から……」


「……そうか」


 玄咲は天井を見上げた。もう、かける言葉が見つからなかった。だから、玄咲は筆談が終わるまで黙っていることにした。それが2人にとって一番いいと信じて。


「……筆談、再開するね」


 シャルナが再びペンを握る。






『集落での生活は平和だった。みんな優しかった。絶対数は少なかったけど、だからこそ仲間を大事にする素敵な集落だった。3年くらいで声も出せるようになった。信頼できる義理の兄と姉もいた。平和な7年間だった。集落の皆は私にとって第二の家族だった。


 だから、今度こそ、命に代えてでも守らなきゃってずっと思ってた。声が出るようになった日から毎日剣型のADを振り始めた。少しでも強くなるために。漠然と抱き始めた夢に近づくために。毎日毎日カード魔法を使って戦う訓練をした。


 そんな集落での平和な日々はある日終わりを迎えた。というか自分で終わらせた。断った。


 半年前お婆が死んだ。みんなで土葬して、悲しんだ。それを転機に、義理の兄と姉と集落を出た。それぞれ悲しい過去があって、世界に鬱憤を貯めてた。変えたいって思ってた。集落を守りたいって思ってた。そのためには集落に籠ってちゃ駄目だって共通認識があった。だから旅立った。


 プレイアズ王国に来た。アマルティアン迫害に抵抗する4ヵ国の中で、一番力のある国だったから。迷わなかった。ただ、何分情報が古い上に足りなくて、近年王家並みの権力を持つようになったアマルティアン狩りが生業の雷丈家の存在は予想外だった。ちょっと失敗したなって兄も姉も私も思った。


 みんな生前にお婆にお守りを渡されてた。お婆は占いお婆って呼ばれるくらいタロット・カードを使った占いが得意だったから、もしかしたら未来を予期していたのかもしれない。そのおかげで特に正体がバレることもなく普通に過ごせた。毎日手がかりを求めて情報収集した。


 ラグナロク学園の存在を知ったのはすぐだった。天下壱符闘会で優勝を目指せる生徒の育成が教育目標。世界でも有数の魔符士を育てる名門校。素性を問わない実技&筆記審査。


 そして私は丁度入学試験を受けれる年代。知れば知るほどこれしかないと思った。私はすぐに入学を決めた。絶対入学しようと思った。そのことを兄と姉にも話した。いいアイデアだからきっと受け入れられる。そう思って。


「危険すぎる。思い改めろ。勇気と無謀は紙一重だ。馬鹿と天才くらいにはな。それに戦闘の才能以外取り柄のないお前に入学はどうせ無理だ。筆記試験を通らないだろう。諦めろ」


「あんた馬鹿なんだから馬鹿はやめなさい! 絶対なにかとんでもない失敗やらかすわ!」


 そんな感じで猛反対されたからこっそり受けることにした。こっそり図書館に通って、こっそり公共訓練場に通って、こっそり入学試験受けて、なんか受かって、入学式前日にメモを残してこっそり夜逃げして、そして入学式を迎えて、そして、そしてね』


「あなたと、出会ったの」






「――これでね、全部」


 過去を全て書き終えたシャルナがペンを置く。そして背伸びをした。


「う~ん……疲れた。久しぶりに、筆談、したけど、やっぱ、疲れる、な」


「…………」


 玄咲はシャルの書いてくれた文章の束をパラパラと読みながら思う。


「シャル……意外に達筆だよな」


「意外?」


「あ、いや」


「……言葉は、綺麗に、使わないと、いけない、からね。お母さんに、教え、込まれたの」


「すごく、いい教育をしてくれたんだな。伝わるよ。この文字を見てると」


「うん。大事に、してるから。衰え、させない、ように。毎日、書いてる」


「そうか……」


 ……流石に少しマザコン過ぎないか。ほんの一瞬とはいえ玄咲はシャルに対してそんな感想を抱いてしまった。だから心の中でそんな感想を抱いた天之玄咲を一匹殺してなにもなかったことにした。それで心の整合性を取った。


「……シャルの文章力は俺に巧拙を判断する頭がないからスルーするとして――その、失礼を承知で、まずこれだけ言わせてくれ」


「何?」


「いくら何でも無謀過ぎる。俺が兄や姉の立場なら試験日に一日拘束監禁して絶対に学園に通わせなかったところだ。君は、どうして、そう」


「バカ?」


「とまでは言わないが、相当な向こう見ずだと思った」


「……うん、自覚はある。やっぱ、バカ、なんだろうね」


「違う。シャルはただ、純粋なんだ。大空の光のように。だから世俗とすれ違ってしまうだけなんだ。バカじゃない」


「あはは、ありがと。……でも、やっぱり、私はバカだった。バカなことをした。そう思わずに、いられないよ。だって、玄咲が、いなかったら、きっと、私は、死んでた。もっと、酷い目に、あったかも」


「……かもな」


 かもでは、ないだろう。アムネスの亡霊。何をされてそこに至ったか想像できないほど、玄咲は無垢ではなかった。ありきたりな悲劇が展開されたはずだ。玄咲がもっとも忌み嫌う類の悲劇が。夥しい穢辱が。永遠にシャルナの魂から笑顔を奪ったはずだ。


 玄咲をG組に配属してくれたヒロユキには本当に感謝しかなかった。


「……少し、集落の、話をしても、いいかな。私の、人生、暗いこと、ばっかじゃ、ないって、ことも知って、欲しくて」


「ああ」


 シャルナは集落での生活の話をしてくれた。シャルナを言葉も喋れない状態から今の状態まで回復させただけあって、シャルナの語る集落での生活は平和と優しさと楽しさに満ちていた。それはある種の理想郷。玄咲もそこで暮らしたいと思うほどにその世界は世俗から隔離されていた。大自然の健やかさが話伝いにも溢れ出ていた。


「そんな場所を何で出たんだ」


 シャルナは少し難しい顔をして言った。


「うーん……耐えられ、なかったから?」


「何に」


「幸せに」


 予想通りの答えだった。


「……その感覚は分からないでもないよ。俺も都合のいいことが起こると段々怖くなって否定したくなるからな。時には発狂しそうにもなる」


「そこまで、深刻な、感覚じゃ、ないよ。なんとなく、むずむず、するだけ」


「む、むずむず……それだけ、か?」


「ううん。それだけじゃ、ない。あの場所は、良くも、悪くも、諦観に、満ちて、いたから。あそこに、いたら、なにも、できない。夢は、叶わない」


「――だから、か」


 玄咲はようやく得心した。


「うん。だから。そうだ。玄咲には、話しとくね。私の、本当の、夢」


「本当の?」


「最終、目標は、同じ、だけどね。動機が、違う。――家族の、ためだよ。お母さんと、お父さんと、お姉ちゃんの、死に、意味を、持たせる、ためなの。別に、集落の、みんなの、ためってのも、建前じゃ、ないけどね。一番じゃない」


「……続けてくれ」


「うん。……ちょっとだけ、長いから、書くね」


 シャルナはペンを取った。


『ずっとね。私の家族は何のために死んだんだろうって考えてた。もう私しか知らない、愛する家族。山奥の小さな小屋で毎日育んでた小さな幸せ。唐突に奪われた、永遠に失われた私の楽園。あれは何のためにあったんだろうって、考えるとね、いつも一つの答えしかでない。


 私の家族は私のために死んだ。私を生かすために死んだ。なら、私は死んだ家族のために私を生かさないといけない。そう思わずにいられない。だから家族の死に意味を持たせようと思った。


 その方法をずっと考えてた。小さな意味じゃない。大きな意味を持たせたかった。


 それからあとは、玄咲も知っての通りだよ。符闘会で優勝して、浄滅法を撤廃して、集落の皆を迫害から解放して――それくらいしてようやく家族の死と釣り合うかなって。夢想だよ。夢想だからね。とびきり大きく持つの。空想の翼をどこまでも大きく広げるの。それくらい、したっていいよね。だって、夢なんだから。


 ……それでさ、最後の最後、符闘会で優勝したらさ、私の家族の名前を大声で叫ぶの。そしたらさ、きっと、気持ちいいよ。全部、もやもやが、晴れるよ。誰もが、私の、家族の名前を、覚えるの。家族の死に、明確な意味が生まれるの。シャルナ・エルフィンっていう凄い魔符士を育んだ家族の名前が、世界中に』


 クシャッ。


「ごめん。もう、無理。現実感、なさすぎて、なにもかも、恥ずかしく、なってきた……」


 文章の最後の方を握り折って隠すシャルナ。確かにシャルナの夢想が気恥ずかしいくらいにありありと描かれていた。青く真っすぐな奇麗な夢想だったが、だからこそ人に見せるのは恥ずかしいだろうなと玄咲は思う。玄咲で言えば天使との妄想恋愛日記を人に読まれるような感覚だろうか。そりゃ恥ずかしいはずだった。


「……絶対叶わないと思っていた夢がだ。それ以上のクオリティで叶うこともある。俺の人生にだってそういうことは起こった」


 CMAの世界に転生できた。妄想恋愛日記よりも甘々な会話をシャルナとたくさんできた。


「だからシャルナの夢だって叶うさ。俺が叶える。ああ、今は、2人の夢、だったな」


「……うん。1人じゃない、もんね。2人、だもんね。なら、大丈夫」


 シャルナは本当に安心感に満ちた表情でそう言った。


「……あの、さ。もう一つだけ、恥ずかしい、こと、いうね。これは、本当に、隠して、おきたかった、って、意味で、恥ずかしい、こと、なんだけど」


「? なんだ」


「……私の、夢ってね。半分は、本当に、夢、だったの。入学しても、まだね。……わ、笑わ、ないでね。その、学園、生活にね、憧れてたの。学園、生活、送って、みたかったの。入学、動機の、半分は、それ……ああ、言っちゃった。言っちゃった……。すごく、浅い理由、言っちゃった……恥ずかしい……」

 

 本当に恥ずかしそうにシャルナは両手で顔を抑える。そうまでして語った動機は玄咲の脳内で昨日のシャルナの姿と容易に結びついた。


「ああ、私の、イメージが、ガタ落ち、した気がする。言わなきゃ、良かった……」


「……」


 両手で顔を抑えて本気で恥ずかしがるシャルナがいたたまれなくなって玄咲は言う。


「……俺の理由も大概だから気にしなくていいよ。天使と出会うために入学したんだ。それが10割だからシャルよりもっと浅い」


 シャルナはコクリと頷いた。


「うん、そうだね。……でね。だから、正直、ここまで、本気で、目指す、ことに、なるとは、思わな、かったな……だから、逃げよう、なんて、言った、側面も、あるかな。だって、いきなり、過ぎたよ。色々と。急に、受け入れ、られないよ……私、そんな、強く、ないもん」


「なるほど、な……」


 シャルナの説明はとてもしっくりきた。


「……色々、納得した。シャル、楽しそうだったもんな。学園の、色んなところ見て回るの。本当に、楽しんでたんだな。だから、あんなに可愛かったんだなぁ……」


「っ!? きゅ、急に、そんなこと、言わないでよぉ……」


「え? ……あっ」


 両手で顔を抑えるだけでなくいよいよ覆い隠してしまったシャルの反応と台詞を見て、玄咲は自分の口が大分ゆるゆるになっていることに気づいた。でも、もっと恥ずかしいことを山のように言ったのに、今更……。そんな風に思ってしまうあたり頭の方も大分ゆるゆるになっているようだった。玄咲は冷静なようでもう全く冷静ではなかった。色々と壊れかけていた。


 色々と。


「ご、ごめん。つい、本音が……」


「……可愛いって、誤魔化さず、言って、くれたの、初めて、だね。いつも、玄咲、婉曲、表現とか、天使、天使、って、そればっか、だからさ」


「それは……俺の、美の基準が、天使性、だから、仕方が、ないよ……」


「やっぱり、そうなの?」


「ああ……それは誤魔化さない。誤魔化せないよ。自分の本音は。誤魔化しちゃ、絶対ダメだ」


「……ね、げ、玄咲が、私を、大好き、なのって、さ」


 ナチュラルに気まずい前振りからシャルナが踏み込んでくる。


「やっぱり、私が、天使、みたいな、見た目、だから?」


「違うよ」


 それを言うなら昔一番好きだったクララ・サファリアは天使とはかけ離れた見た目だ。


 天使性とは外見に宿るものではない。中身に宿るもの。その上で玄咲にとってシャルナが一番なのだ。シャルナに一番天使性を感じているのだ。


「例え黒髪黒目だって俺はシャルのことを大好きになっていただろう」


「――え?」


「シャルがシャルだから大好きなんだよ。俺はシャルナ・エルフィンという堕天使の女の子が大好きなんだよ。ああ、もう大好きという言葉が安っぽく響くな。使い過ぎた。だから平気で多用出来るんだろうな。もう少し違う言葉を探して――」


 衝撃。


 物理的には大した衝撃ではない。


 だが精神的には落雷のような衝撃だった。学園長室のときと同じように唐突にシャルナが抱き着いてきた。あの時と同じくらい、あるいはそれ以上の激しさで。やはり肉感的感触は、肉体的接触は、問答無用で頭を瞬間沸騰させられる。シャルナは玄咲を抱きしめながら、首元に顔を埋めて言う。


「もう、なんで、ここぞで、そんな、こと、言う、かなぁっ」


「だ、だって、本音、なんだよ。もうほとんど考えて喋っていない。色々と麻痺してる。本当に本音を口から垂れ流しているだけなんだよ……」


「っ! もう、もう、もうっ」


 シャルナの吐息が首元に当たる。生暖かい呼気が当たる面積がやけに広がった。なにごとかと戸惑う玄咲の耳が。


 熱い粘膜に包まれた。


「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?」


「はむっ、じゅるっ、れろっ、もぐっ、ん…………」


「!? !!!? !!!!!? !!? !…………」


「んっんっんっ。れろぉ……」


「!?!!?!!!? !!!!!!!!?」


「はむぅ……」


「ひぅ!?」


 シャルナが口で耳を責めてくる。食み、すすり、舐め、甘噛みし、舌で蹂躙し、そしてまた口で耳をはむはむと食んでくる。言語化不可能なほどの快感。多幸感。密着感。融合感。シャルナの熱い舌と耳が完全に溶け合っていた。


 それは玄咲の精神の許容範囲を完全に超える出来事だった。しかも不意打ち。シャルナが相手。耐えられるはずがなかった。




「――――玄、咲?」


「はっ!?」


 玄咲はシャルナの呼びかけで目を覚ました。いつの間にか気絶していたらしい。シャルナが顔を覗き込んでいる。もう耳から口を離している。だが、耳がまだ熱いし濡れている。気絶してからそこまで時間は経っていないらしい。一応聞いておく。


「どれくらい気絶してた?」


「10秒、くらい。すぐ、起こした、から」


「そうか」


「びっくり、した。気絶、するなんて」


「俺はその100倍くらいびっくりしたと思う。いきなり耳を舐められるなんて初めての経験だ。シャル、どうしてあんなことを。そりゃ、嫌じゃなかったが……」


「んーっと……自分でも、訳、分からない、くらい、嬉しく、なっちゃって、とにかく、玄咲のこと、喜ばせ、たくって、気付いたら、あんなこと、なっちゃった……」


「ッ……!」


 シャルナを今すぐに抱きしめたい衝動を必死に堪えながら玄咲は尋ねる。


「……なぜ、それで、耳、なんだ?」


「玄咲、耳、すぐ赤く、なるよね? だから、弱いの、かなって。だから、食んだら、喜びそう、だなって」


「……間違ってはいなかったが、凄い発想だな。そしてよく実行したな」


 玄咲は改めて思う。シャルナは相当変わり者だと。ずっと人里離れた山奥で過ごしていたせいか良くも悪くも感情表現がピュアで直接的だ。そして感性が自分の色で研ぎ澄まされている。特異な感性で思いついたことをそのまま実行に移すところがある。そして多分、男の性に疎い。全く知らない訳ではないだろうが理解が浅い。でなければ絶対しないような大胆なことをしばしばしてくる。今のもそうだ。色々と常人離れしている。


 そんなところも可愛くて仕方ないのだが。


「あの、ね」


 シャルナが体勢を戻して再び肩をピトッとつけてくる。流石にもうその程度では玄咲も動揺しない。冷静に答えてみせる。


「なんだ」




「私、もっと、玄咲の、こと、知りたいな……」





 冷静のヴェールは一瞬で剝げ落ちた。





 意味深な台詞に脂汗が湧いてくる。心臓が跳ねる。喉がなる。声を震わせて、玄咲はシャルナの真意を問う。


「それは、どういう意味で」


「え? そのまんまの、意味だよ? 玄咲の、過去の、こと、もっと、知りたい、なって」


「……そうか」


 想像通りの意味だった。恐れてた通りと言い換えてもいい。玄咲の過去。それは転生やCMA関係なく、シャルナには永遠に秘密にしておきたい玄咲の恥部。云わばパンドラの箱だ。99%シャルナに受け入れられることはないだろう。1%の希望など当てにしてはバカを見る。


 シャルナに、なんと返答すべきか。


「あ……ごめん」


 葛藤が顔に出ていたのだろう。シャルナが謝る。


「さっきの、カードに、関わる、こと? 話したく、ないなら、いいよ。無理、言って、ごめんね」


「いや、話すよ」


 よく考えたら迷うことなど何もなかった。受け入れられないならそれでいい。本当の自分を隠して、自分の醜い部分を隠して成り立つ関係などシャルナに失礼だ。罪も穢れも全て曝け出して、引かれて、嫌われても、シャルナを永遠に守り続けることに変わりはない。嫌われてしまえばいいだけのことだった。自分はシャルナに好かれたいのではない。シャルナの笑顔を守りたいのだ。シャルナが自分を否というなら、それが一番いいのだ。自然な、あるべき情動によって、あるべき関係に戻るのが一番いい。だとしても玄咲は永遠にシャルナを守り続ける。


 愛とはそういうものだ。


(ああ……いい夢が見れた)


 玄咲は晴れやかな気分でシャルナに向き合った。


 太陽の前に影は消え去る運命。遮るものを取り去ってしまえば、本当の自分を曝け出してしまえば、シャルナの前に自分は滅されるだろう。存在的な矛盾を孕んだ宿命により、太陽と影は一つになれない。最初からこうなる運命だったのだ。


「シャルには伝えよう。俺の全てを」


「! うん!」


「さて、どこから話すかな。やっぱり、あの事件からだろうな」


 シャルナの笑顔に投げかける。玄咲もまた笑顔を浮かべて。


「俺の人生が狂った切っ掛けの、子供の頃の殺人の話からだろう」


 己の罪の記憶過去を。

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