第50話 ラブコメ6 ――恋敵――

「朝ぶりだな、バエル」


「……」


「バエル?」


 バエルはなぜか無言無表情で玄咲とシャルナを交互に見ている。その反応を怪訝に思い、玄咲は尋ねてみた。


「どうしたんだバエル。なにか嫌なことでも思い出したのか?」


「そうね。たった今思い出したと言えるかもしれないわね」


「え?」


「その女は、何?」


「シャルナ・エルフィンだよ。えっと、昨日話した子だ」


「言われなくても分かるわよ」


「……」


 じゃあなぜ聞いたのだろうと疑問に思う玄咲にバエルが問いかける。


「なんで、一緒に私を、簡易召喚してるの? それに、この時間、あなた学校はどうしたの?」


「えっと、そうだな。先に事情を話しとくか。実は」


 バエルに朝から今までにあったことを全て話す。バエルの顔は終始険しかった。優しいバエルのことだから、シャルナに同情しているのだろうと玄咲は思った。


「なるほど、ね。それでその距離感、か」


「……」


 バエルに指摘されるとシャルナと肩を合わせているのが急に恥ずかしくなってきた。離す気はおきなかったが。


「ふーん、あなたが本物の、シャルナ・エルフィンねぇ。ふーーん……ふーーーーん……確かに可愛いわねぇ……」


 髪と髪が透過し重なり合うほどの超至近距離まで顔を近づけてバエルがシャルナを見つめる。シャルナは一言も発さない。肩が震えている。バエルの美貌に圧倒されているのだろうか。


「でも、私の方が美しくて可愛いわ。玄咲もそう思うわよね?」


「……」


 とても答えづらい質問をしてくるバエル。にこやかなのにどことなく不機嫌に見える。迷った末、玄咲は本音で答えた。


「バ、バエルの方が美しいが、シャルの方が可愛いと思う……」


「……そ。正直なのね」


 バエルの笑みが濃くなる。ニコリと、眼と口を三日月状にする。どうやら正しい答えを導き出せたらしいと玄咲はホッとした。


「明日の決闘には必ず君の力が必要になる。力を貸してくれ」


「嫌って言ったら?」


「え?」


「どうするの? 死ぬの? それともその子と別れあぐっ」


 バエルの頭がガクンとぶれる。数秒の沈黙。その沈黙の間に玄咲は次に起こることの予想がついた。果たして予想通り、次にバエルが意識を取り戻したとき、その表情は一変していた。天真爛漫な笑みを携えていた。


 シーマに入れ替わっていた。


「安心して、玄咲。いざその時になったらこうしてバエルちゃんと無理やり入れ替わってでも私が力を貸してあげるから!」


「シーマ! やっぱりシーマか!」


「うん! シャルナちゃん。ごめんね。バエルちゃんが、えっと、凄く怖い思いさせて」


「え? は、はい……」


「今は根っから悪い子じゃないの。バエルちゃんは少し複雑な性格をしているだけなの。ね、玄咲」


「ああ。露悪的な言動をしがちなだけで本当は心優しい子なんだろう。分かっている」


「うん。あのね。バエルちゃんはね、玄咲のことを愛してるからあんな捻くれたことお”っ」


「!!!!!?」


 バエルと入れ替わる予兆が始まる前にシーマがとんでもないことを言い残した。心の整理ができない内にシーマと入れ替わったバエルが顔を真っ赤にして凄い勢いで玄咲に詰め寄ってくる。


「違うからッ!!!」


「だ、だが、シーマは愛してると」


「あの子は精神が未熟で幼稚だから好意的な感情を何でもかんでも愛してると表現してしまうだけなのよ! 変な勘違いをしてしまわないようにはっきりと言っといてあげる。私は1ミリたりともあなたを恋愛的な意味では全くこれっぽちも愛していないんだから人間風情が間違っても調子に乗らないでよねッ!!!!!!」


「わ、分かった。分かったから。勘違いなんてしてないから。落ち着いてくれ。顔が、近い」


 バエルは顔を離して荒い息をつく。


「ふーっ、ふーっ」


「……だが、嬉しいな。バエルにそんな風に思われていたなんて」


「ッ! あなた、あれだけ言ったのに勘違いを――」



「俺に好意的な感情は抱いてくれていたんだな。本当に、嬉しいよ」


 好意的な感情をなんでもかんでも愛してると表現する。そしてシーマの発言自体をバエルは否定しなかった。つまりバエルは玄咲に、少なくとも好意的な感情を抱いてくれているということ。恋愛などという高望みは最初から期待していない。優しさからでなく、好意的な感情から自分に親しく接してくれる。それは期待しうる限り最善の状態。ふいにもたらされた望外の幸福に玄咲は心からの喜びを覚えた。


「――あ」


「大丈夫。君が俺に恋愛感情を抱くなんて人類の絶滅と同じくらい起こりえない奇跡だと理解している。だから君とそんな関係になる未来など俺はちっともこれっぽちも欠片も期待していないし、望みもしない。勘違いをする余地なんて最初から1ミクロンも存在していないからその点はまず安心してくれ」


「……どうも」


 言葉を尽くしたにも関わらず尚不機嫌そうなバエル。玄咲にその可能性さえ想像されるのが嫌なのだろう。少し寂しく思いつつも玄咲はバエルに伝える。


「俺も君のことを愛している」


「――――」


 一度口にしたせいだろう。その言葉はするりと喉の奥から出た。バエルが、さっきの残滓だろう。まだ赤い頬で、眼を丸くして、玄咲を見つめる。


「恥を晒し合って、これでおあいこだ。まぁ、俺の場合一度自爆気味に口にした言葉だから釣り合いは取れていないかもしれないが」


「いいえ。取れてるわ」


「え?」


「玄咲、私も愛しているわ」


 バエルが微笑む。妖艶に。玄咲は見惚れる。


「――と、まぁ、あなたの心遣いに応じて少しだけサービスしてあげる。いい夢は見れたかしら」


「あ、ああ……」


「しかし全く、愛が重いわね。私にその気はないっていうのに、困ったものだわ。ああ、重い重い。困った困った……」


 シャルナを見ながらそんなことを言うバエル。もしかしたらシャルナに同情しているのかもしれなかった。自分の愛はシャルナにとっても重いのではないかと玄咲は少し心配になった。


「ところで、バエル。その、なぜ力を貸してくれないんだ? いや、そりゃ力を貸してもらって当然という考え方は傲慢だったかもしれないが、それでも明日だけはどうしても――君に力を貸してもらいたいんだ。頼む」


「ええ、いいわよ」


「――いいのか?」


「もちろん。私があなたの危機に力を貸さない訳ないでしょう。さっきのはちょっと意地悪しただけ。私、隙あらば露悪的に振舞わずにはいられない性質なのよ。あなたも知っているでしょう?」


「ああ。なんだ。そういうことか――やっぱり君は本当はとても優しい女の子なんだな」


「ふふ。そうよ。私は本当はとても優しいよ」


「でも、あまり露悪的な振舞いはしない方がいいと思う」


「なんで?」


「その方が君は魅力的だ」


「――うん。そうね。魅力を削ぐ行為はやめた方がいいわね。私はもっと美しくならないといけないもの。次から気をつけましょう。ま、明日の決闘は任せておきなさい。サンダージョーなんて私にかかれば敵じゃないわ」


「ああ、頼りにしてる」


「うん。頼りにしてて。それと、そろそろ送喚した方がいいと思うわよ。その子、私と魔力の相性は悪くないけれど、非力すぎるわ。簡易召喚とはいえ結構きついんじゃないかしら」


「え」


「う、うん。玄咲。正直、気分、悪い、かも」


「っ! 送喚!」


「じゃね」


 バエルが手を振りながら消える。玄咲は慌ててシャルナに声かける。


「シャル、大丈夫か!」


「な、なんで」


「え?」


「なんで、玄咲。あんな、怖い精霊と、普通に、会話、できるの?」


 ……。


 怖い?


 バエルが?


「うん。凄く、怖かった。殺される、かもって、本気で、思った。途中、少し、マシに、なったけど、それでも、怖かった」


「バエルは、可愛くて、優しい、女の子だよ。怖くないよ」


「……よほど、相性が、いいんだね」


「そうなの、だろうか」


「多分、そう、思えるの、世界で、玄咲、だけだと、思う」


「……」


 バエルはどうやら玄咲が思っているような存在とは少しだけ実情が違うらしかった。


「ただね。だから、逆に、安心しちゃった。負けるはずない、って、無条件で、信頼、させられる、問答無用の、凄みがあった、から。玄咲の、自信の理由、が、分かったよ」


「ああ。バエルは最強なんだ。誰にも負けるはずがないよ」


「……うん。そこまで、信じては、ないけどね」


「そ、そうか……」


「……愛して、るんだ」


「ああ、愛してる。――だけど」


「だけど?」


「精霊、だからな。相棒みたいな感覚だよ。バエルも俺が人間だからと明確に一線を引いてるみたいだし、一生その一線を越えるような関係にはならないだろう」


「えっと、それは……うん、そうだね」


「シャルもそう思うか。やっぱり、そうだよな……ごめん。少しだけ、嘘ついた。相棒以上の感情も、少しだけ抱いてる。でも、バエルは精霊だから、その、うん……」


「まぁ、まぁ。そういう、ことも、あるよ」


 笑顔でシャルナが背を叩いて励ましてくる。なんて優しい子なんだろうと玄咲は涙さえ流しそうになった。


「うん。そうだな。それに、今は隣にシャルがいる」


「……うん。私が、いるよ」


「とても大事な存在が、大好きな子が隣にいる……今はそれだけで十分だ」


「――はっきり、言うね」


 シャルナが少し驚き照れながら言う。玄咲も自分で少し驚いた。だが、昔から玄咲には一度言ってしまったこと、やってしまったことには躊躇いが薄くなるという長所のような短所のような特徴があった。殺人もそうだ。だから、そのせいだろうなと玄咲は思った。そのせいもあるだろうが、


「感覚がマヒしてきているのかもしれない。……あとで頭を抱えるかもな」


「ありがと。嬉しい、よ。すっごく。今の言葉、多分、永遠に忘れない」


「……そうか」


 それなら、恥などいくらでも掻き捨てられる。言ってよかったと玄咲は思った。


「……それに、しても、その精霊に、AD。玄咲って、謎、多いと、思ってた、けど、これは、とびきり、だね」


「う……その、これは、事情があって」


「いいよ、言わなくて」


 虚脱した体のその重みが全てかかってくる。まるで全てを委ねるかのよう。


「何もかも、信じてる、から。玄咲のこと。言いたく、なったら、言って。全部、受け止める、から」


「……ありがとう」


 転生特典について話せば必然的に玄咲の過去についても話が及ぶ。正直、転生やCMAのことなど、シャルナになら別に話してもいいと玄咲は思っていた。


 だけど、自分の過去だけは絶対に話したくなかった。


 それはこのシャルナとの幸せな時間の終わりを意味する。


 だから、玄咲はシャルナの優しさに甘えて、自分の過去に目を瞑った。天使への背徳に胸を痛めながら。


「だから、って訳じゃ、ないけど、私の話、聞いて欲しい。サンダージョーと、過去に、何があったか。玄咲、知りたがってた、よね。話したく、なったら、聞くとも」


「ああ」


「だから、話す。あの時は、躊躇ったけど、今は、話したい。サンダージョー、との、確執、だけじゃなく、私の過去、全部。聞いて、くれる、よね?」


「当り前だろう。話してくれて、嬉しいよ」


「良かった」


 微笑んで、シャルナは続ける。


「じゃあ、話すね。あのね、サ――けほっ、けほっ!」


「シャル!? 大丈夫か!」


 急にせき込むシャル。涙目で喉を押さえながら言う。


「ごめん、ね。喋るの、苦手なの。たくさん、話すと。喉が詰まる。紙とペン、貸して」


「待ってろ!」


 玄咲はテーブルの上から紙束とペン。そして下敷きになりそうな固紙を取ってきてシャルナに渡した。


「ありが、と。筆談、する」


 言葉少なにそう伝え、シャルナは紙に最初の1行を書き出した。


『サンダージョーは私の母の仇なの』


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