第22話 覚醒 ―Instant Angel―
「1日目の試験はこれで終了だ。明日の試験は9時から始める。8時30分までに登校するように。以上。解散だ」
1年G組の教室。試験開始前に言われた通り教室に集まった生徒たちに最低限の連絡事項だけ告げるとクロウはさっさと帰っていった。時間外労働は拒否する。言葉よりも行動でそう語っていた。
玄咲は横目でちらりとシャルナを見た。勇気の出し所だった。
(……よし。シャルに一緒に帰らないかって声をかけてみよう。サンダージョーを警戒しなきゃいけないし、という大義名分も使えるし、何よりもっとずっと一緒にいたい。よ、よし。行くぞ。行くぞ。行くぞ……)
「シャ」
「じゃね」
「え? ああ」
名前も言い切らないうちに玄咲の目論見は頓挫した。誰よりも先駆けて帰り支度を済ませたシャルナが足早に教室を出ていく。その途中、シャルナはサンダージョーを一瞬睨みつけた。本当に一瞬のこと。サンダージョ―も気付いた様子はない。だが玄咲はその仕草を見逃さなかった。
(……本当に、過去に一体何があったんだ?)
もやもやとした疑問を抱えながら玄咲もまた帰り支度を済ませて、下校する生徒たちの人波に混ざった。
「お」
CMAの主人公大空ライトが入居する学生寮への帰り道。夕闇に沈みゆくその道すがらに玄咲はラグナロク・マート――通称ラグマを見つける。学生寮と校舎の間にあるという立地上、登下校時に必ず目に入るのだ。
「そういえばもう丸3日以上食事を摂っていないな。何か食うか」
カード魔法で稼働する自動ドアを通りラグマに入店する。店内には結構な数の生徒がいた。玄咲は食料品の物色を始める。魔物の肉や聞き馴染みのない野菜などの異世界情緒溢れる食材を用いた出来合い料理の数々をワクワクと眺めながら店内を歩く。
その足が加工食品コーナーの1角の前で止まる。目の前の商品棚に等間隔かつ大量に並べられた重量、手触りともに軽い円柱型の容器を玄咲は手に取った。
(こ、これは……月清のカップラーメン! 実在する加工食品メーカー月清とのゲーム内コラボアイテム!)
――月清のカップラーメン。過剰な程塩気の効いたスープに小麦で作った細長い生地をつけて食べる中華料理を、スープを粉末化、麺を乾燥化させて安価素材のカップに詰め込み、水を注ぐだけで食べれるようにしたもの。玄咲の元いた世界で『お湯を入れて3分』のキャッチコピーで親しまれた大人気商品だ。
CMAが発売されていた時代はゲーム業界に活気がありチャレンジ精神に溢れていた。どこに需要があるのか分からない芸能界とのコラボゲーや、製作者の思想をただぶつけただけとしか思えない奇ゲー。パロディだらけの馬鹿ゲーや、全国各地をリアルで行脚しゲーム付属のスタンプカードにスタンプを集めることで景品がもらえるゲームなど、有望、無謀な試みが搭載された意欲的なゲームが数多く発売された。
CMAの大手食品メーカー月清とのコラボもそんな時代の影響を受けて実施されたキャンペーンの一つだった。現実の有名商品がそのままの名前・見た目でゲーム内に登場するというコラボだが、CMAがそこまでヒットしなかったことと、月清側からは版権の仕様を許可しただけで一切のコラボキャンペーンが行われなかったこともあり大して話題にはならなかった。プレイヤーから金の無駄と揶揄されたキャンペーンだ。玄咲もそう思っていた。
だが、今は違う。今なら断言できる。このコラボは自分のためにあったのだと。CMAの開発会社は自分のために巨額をかけてこのキャンペーンを行ったのだ。無駄ではなかった。なぜなら自分がこのゲームの世界で月清のカップラーメンにありつけるのだから。
玄咲はカップラーメンが大好きだった。
お湯でなくても、ただ水を入れるだけで食べれるという調理の簡便性、疲労に染み入る塩気の強さ、保存食としての実用性、世界普及度、全てがサバイバル向きの性能。それに何より、単純に食べてて美味しかった。ゴミみたいな味の軍用食に比べたら楽園の果実。部屋に籠ってカップラーメンを食いながらCMAをする時間が玄咲にとっての一番の安らぎだった。
「や、やった! この世界でもカップラーメンが食える! ど、どれにする? 醤油、シーフード、カレー……よし、ここは王道の醤油だ!」
赤と白のパッケージのカップラーメンを手に取り玄咲はレジに向かい、かけて足を止めた。
(あ、とんとことん饅頭買ったせいで金がないんだった……)
カップラーメンを棚に戻す。そしてうな垂れながらとぼとぼと店の出口に向かう。希望を目の前に差し出されてからそれを取り上げられた分、がっかり感がギャップで半端なかった。意気消沈の4字熟語を全身で体現しながら玄咲は店を出た。
「あぁ、俺のカップラーメン……」
「む」
「ん?」
よく知ってる声が耳に届く。今日、もっとも多く耳にした、かすれかすれの低音のハスキーボイス。声のした方向、つまり左を向く。
シャルナ・エルフィンがガラス窓にもたれかかってカップラーメンを啜っていた。青と白のパッケージ――月清のカップラーメンのシーフード味だった。同じく青と白のパッケージが手首に下げたラグマのレジ袋の中に何個も見える。どうやら店で買ったカップラーメンに店内に備え付のポットでお湯を入れてる間にすれ違ったらしい。玄咲はレジ袋の中のカップラーメンに無意識に物欲し気な視線を送りながらシャルナに話しかけた。
「えっと……さっきぶりだな」
「もぐ、ふぉふらね」
「……食べてからでいいよ」
「……(ずるずるずる)」
シャルナの薄桃色の唇の中にラーメンが音を上げて吸い込まれていく。ほのかに湯気を立ててスープ色に光る黄金色の麺。何とも食欲を誘う色。ごくりと、玄咲は唾を飲み込んだ。
(なんて、美味しそうなんだ。ああ、食いたい)
「んっ、んっ――ごくん。ちょっと、待ってて」
シャルナがスープまで飲み干した空の容器を店のゴミ箱に捨てに行く。そしてすぐに戻ってきた。話しかけてくる。
「すごく、物欲しそうな眼で、見てたね」
「すごく美味しそうだった」
「……買わないの?」
「金がなくてな。これで3日連続飯抜きだ。笑えるだろ」
「……」
シャルナが無言でレジ袋の中に手を突っ込む。そしてカップラーメンを1個取り出そうとし――地面に取り落とした。
「あっ」
シャルナがカップラーメンを拾うために屈む。玄咲の真正面で、太腿とふくらはぎが付くほどに両膝を深く曲げ、子供が座り込むような体勢で、少し足を広げながら――カップラーメンを拾った。
玄咲の。
真正面で。
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?」
その動きを目で追っていた玄咲の全身が稲妻のような衝撃に打たれて凍り付いた。頭からつま先まで、首から脊髄まで、目から呼吸まで、思考から感情まで、何もかも全てが、一瞬にして凍り付いた。シャルナがカップラーメンを差し出してくる。しかし玄咲にはそんなものに反応する心の余裕がない。まるで、体が動かない。脳が働かない。
シャルナが小首を傾げる。それから、玄咲の視線を追い、うなじが見えるほどに首を下向かせ、そして――。
「ひゃっ!?」
玄咲の視線の先にあるものを覆い隠すようにシャルナはバッと足を八の字に伏せてスカートの前部を両手で手繰り寄せるようにして地面に縫い付けた。俯けて髪に隠した顔が耳まで真っ赤だ。もじもじと恥ずかしそうに体を揺らしている。あまりにも煽情的な姿が、理性を蒸発させる色が、蠱惑的な匂いが、シャルナの天使性を極限まで高める。脳に焼き付いて離れない、白くて、丸くて、美しい、それが、あれで、おれは、俺は――――。
「す、すまないっ!!!」
稲妻のような衝撃が一周巡って均されてようやく正気を取り戻した玄咲はとりあえずまず真っ先にシャルナに頭を下げて謝った。それが正しい対応なのかどうか分からない。しかしもはや謝るより他の対応が思い浮かばない。あまりのふがいなさに泣きたくなる玄咲に、シャルナが再度、スカートを抑える際に取り落としたカップラーメンを拾って、差し出してくる。
「は、はい。あげる……」
「――え?」
虚を、突かれる。顔を赤らめたまま、カップラーメンを差し出したまま、シャルナは言う。
「お腹、空いてるん、でしょ?」
「あ、ああ」
「だから、あげる」
「な、なんで、俺なんかのために、そこまで……」
心の底からの疑問。自分にカップラーメンを施すメリットがシャルナにはまるでない。それでも渡すというのならそれはもはやただのアガペー。天使の所業。
天使の、所業――。
「だって」
シャルナは、
「空腹は、つらい、から」
ガラス細工のようにどこか儚げな笑みを浮かべて、
「それだけ」
天使の
「――ありがとう」
玄咲はシャルナの差し出したカップラーメンを受け取る。
「この借りは必ず返すよ」
「いいよ。私の、自己満足、だから」
「それでもだ。絶対に返す。約束する。この恩は一生忘れない」
「で、できれば、早く、忘れて……」
シャルナの顔はまだ赤い。いやが応にも先程見た光景が脳をよぎる。
「ど、努力する……」
多分一生忘れられない。そう思いながらも玄咲はそう口にした。
「じゃ、じゃあ、ね!」
恥じらいの残熱を顔に含んだまま、シャルナは慌ただしく立ち去っていった。
「……」
玄咲の手の中にはカップラーメン。アガペーの証――いや、カップラーメンはシャルナのアガペーそのものだった。玄咲はシャルナのアガペーを固く握る。握りしめる。その形を確かめるように。
「――天使だ」
呟く。
「シャルは、天使だ」
俺は、呟く。
「シャルこそがこの世界での俺の天使だったんだ――!」
確信を込めて、言い切る。胸に、熱い思いを抱きながら。
空腹――。
「ゲームで描写されていないからシャルがどんな人生を送ってきたのか、俺は知らない。が、あまり幸せな人生を送ってきてはいなさそうだ――ならば、この先の彼女の人生は幸せであるべきだ。今、そう決めた。俺は彼女を幸せにするために生きるんだ。俺はそのためにこの世界に転生したんだ。そうに違いない――!」
熱に浮かされた妄言。そう理解している。それでも玄咲はその熱に従いたいと思った。それが、今の玄咲とって、もっとも幸せを感じる生き方だったから。
「玄、咲!」
シャルナの、声。店光と距離の開いた道の中、夕闇の淀みの中に佇んで、シャルナは口に手を筒のように当てがい、初めて耳にする大声で、
「言い忘、れてた――また、明日、ね!」
遠い暗がりの中、今にも消えそうな、しかし玄咲にとっては太陽よりも眩しい笑顔で、そう言った。
「――ああ、また明日!」
だから玄咲もまた大声でそう言い返した。ぎこちなくも浮かべた慣れない笑みに、きっと明るいはずの明日への希望と期待を込めて。
シャルナが笑顔で頷く。そしてまた一人帰路を辿り始めた。
それがシャルナと交わした、その日最期の会話だった。
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