第4話 入学式

 入学式が行われる大講堂は新入生の群れでごった返していた。入口から演台、端から端までフレッシュな制服に身を包んだ新入生が賑わいを産んでいる。色は黒と白の2色。男子が黒色で、女子が白色。男女で制服の色を分けるのがラグナロク学園の流儀だ。デザインは切れ味が良く、意匠のセンスが光っている。式が始まるまでは自由に行動していいようで、地球の学校のように列に並ばなければいけないというルールはないようだった。人々が明るい表情で好き勝手に動き回っているので、講堂は式典というよりも何らかのパーティ会場のような雰囲気に満ち満ちている。


「……ゲームでは画面数個分の大部屋に精々数十人のドットがいるだけだった入学式が、現実になるとこうも化けるか。まるでCMAじゃなくて最新機種の超大作RPGの世界に迷い込んだみたいだ。ポケットボーイとグラフィックが違い過ぎる」


 大講堂入口付近の壁に腕組み足組みもたれかかりながら玄咲は一人呟く。さらに講堂を、人々の容姿に注目しながら見渡す。


「……人間、天使、エルフ、ドワーフ、ウェアウルフ、ドラゴニュート――まぁ、国際法で亜人として認められた種族は殆どいるか。……ふふ、異世界みが凄い。本当にクソッタレな地球から脱出できたんだな……CMAの世界だって実感できる」


 講堂を眺めまわしていると、ふいに見知った顔と出くわす。カードバス内で思いがけずおっぱいを揉んだ神楽坂アカネだった。目が合う。玄咲は手を上げて挨拶するが、ふんっ、と顔を背けてどこかに行ってしまう。玄咲はうなだれた。


「……嫌われたもんだ。まぁ、いい。俺には莫大なゲーム知識がある。神楽坂アカネのデータはこの頭の中に腐るほど詰まっている。知識チートを使えば関係修復など易い易い。一時的に好感度がマイナス状態になろうとも、結局最後は俺に堕ちる。俺があいつを選ぶかどうかはともかくとして、な……」


 リカバリーは十分可能――そう自分に言い聞かせることで気を取り直した玄咲は、再び講堂内に視線を這わし始める。そして、一通り会場を見渡し、何となく右真横を向いた玄咲の瞳が見開かれる。視線が、講堂の隅っこの一点に縫い付けられた。後ろ手を組み俯く、白髪の美少女がそこにはいた。


(彼女は――亡霊ちゃん! そうか。この時点では退学していないのか。……俯いてる上に髪で隠れて顔がよく見えない。が、ゲームのグラフィックから判断するに美少女。話しかけてみるべきか……)


 悩む。興味は尽きない。ただ、一つ問題があった。


(……ヒロイン並、いや、下手なヒロインよりも可愛いが、彼女はヒロインではない。どころかメインキャラですらない。サブキャラと呼ぶのも過言に思えるほどの出番しかない、ぽっと出の敵キャラだ。だからプロフィールも用意されていない。プロフィールはメイン級のキャラにしか用意されていない。つまり俺には彼女の情報が殆どない。これでは知識チートが使えない。どうしたものか……いや、迷ったら行動。消極は破滅へのカウントダウン。とりあえず、話しかけてみるか。Let's、コミニュケイト)


 結局、好奇心が勝って、玄咲は少女に話しかけることにした。すたすたと近づく。壁の隅に背をくっつけて一人俯いていた少女が、玄咲の接近に気付いて面を上げる。長い白髪に隠れていた容姿が露わになる。


 とんでもない美少女だと玄咲は思った。 

 瞬間、玄咲の思考はぶっ飛んだ。


 儚い、幸薄そうな容姿だった。白髪。腰まで届くそれは、美しくもどこか寂しい不可思議な感傷を抱かせる色合いをしていた。白骨の白さだ。ただただ色褪せいつの間にか真っ白になっていた。そんな来歴を勝手に想像してしまう、そんな白さだった。白色というより虚色とでも呼んだ方が表現として適しているように玄咲は感じた。


 白の虹彩に幽玄の美が絶えず揺らめいている。彼岸の岸に浮かぶ白い火の玉のように茫漠としていて掴みどころがない白――いや、虚色の瞳。その瞳の奥にどんな感情を秘しているのか玄咲には全く想像がつかない。ただ、何か神秘的な想像を勝手に抱かせる美に満ちた瞳であると、外面だけ見てそう思う事しかできなかった。


 目鼻立ちは完璧なバランス。完璧な左右対称。人は個性のない顔程美しく感じるという研究記事を玄咲はかつてネットサーフィン中に見たことがある。まさに、少女の顔は無個性。ただただ美しく配列されているだけ。無感情に、無感動に、アンドロイドのように、少女の顔はひたすらに美しかった。美しさだけがそこにはあった。


 尖るような顎先。細い首筋。華奢な胸元。服の上からでも凹んだ腰に、ほそやかなのに色気に満ちた氷山の角度で女を主張する下半身――ボディラインは頭からつま先まで一繋ぎの流線で結ばれている。その肌は、白い。白い砂丘のように、美しい。


 ゲームのグラフィックを遥かに超越した美を前にして玄咲は固まった。


「……」


(言葉が、飛んだ)


 ヴィンテージものの童貞が火を噴く。玄咲の頭の中が少女の色のように真っ白になった。少女が何を考えているのか全く分からないミステリアスな瞳で玄咲を見ると、さらに、玄咲の脳内は漂白された。玄咲は必死に状況の打開策を考える。ふいに、小学生の頃に読んだ【図解! 30分で会話上手になる7つのコツ!】というタイトルのハウトゥー本の一説が頭の中に浮かんだ。


『何を話せばいいか分からない。そんなときはまず共通の話題を振りましょう。例えば、天気の話題を振ったとします――』


 その先の文章は思い出せない。けど、そこまで思い出せば十分だった。ぎこちない動きで謎に手を上げ、玄咲は少女に話しかける――!


「今日は、いい天気だね」


「……!」


 少女が目を丸くした。驚いているように玄咲には見えた。自分に話しかけられたのがそんなに意外だったのか。もしくは相手が自分だから驚いているのか。自分なんかに話しかけられたくなかったのではないか……玄咲は段々と不安になってきた。


「……」


 少女が、頭上を見る。何かを確かめるように。玄咲もつられて頭上を見る。


 そこには、天井があった。大講堂の立派な作りの天井が。


 空など、見えなかった。


 代わりに玄咲の顔色が青空のように真っ青になった。


「……そうだった、かもね」


 少女が口を開く。少しハスキーな、可愛くかすれた声。だが、発する言葉には変な間があった。戸惑い、呆れ、動揺、もしかしたら恐怖、あるいはそれら全ての感情がその間に込められているに違いない。そう玄咲は思い込んだ。事実はどうあれ、その思い込みこそが玄咲にとっての真実だった。少女の心の声だった。


 蒼褪めたまま色褪せぬ顔色で、雲がかかって真っ白になった頭から、玄咲は何とか言葉を絞り出す。


「……そうだった、んだよ。多分……」


 それだけ言って、玄咲はUターンした。ガクガクと膝を震わしながら元いた位置に戻る。入口付近の壁に腕組み足組みもたれかかり、何事もなかったですよと言わんばかりのフツーの表情でまだ誰もいない演台を見上げる。だが、膝が震えていた。


(コミュニケーション失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した――)


 頭の中で何十もの後悔の言葉を重ねる。だが、表情には一切現れない。玄咲は何事もオーバーに受け取るタイプの人間だが、それによって発生した感情を脳内で処理する冷静さを同時に持ち合わせていた。すぐに後悔の感情は一先ず棚上げできるサイズにまでミニマム化される。玄咲は一度大きく息を吐くと、鋭い目つきでやや前方上空を睨んで思考を巡らせ始めた。


(……絶世の美少女という表現がある。彼女はゲーム中のテキストで唯一そう表現された存在だ。だが、二次元の描画ではどうしてもイラストレータの想像力と力量という限界がある。その表現上の限界を取っ払い絶世の美少女という表現をありのまま具象化したらどうなるか――その答えが、あの少女だ。……心臓が爆裂するかと思った。まだ、ドキドキしてる。……可愛い。あれが、天使か……)


 神楽坂アカネやクララ・サファリアも人語を絶した美少女だった。だが、まだ常識の範囲内の美少女だ。しかし、あの白き美少女はボーダーを超えている。本物の天使。玄咲はそう信じた。


(……まぁ、仮にコミュニケーションに成功していたとて、所詮彼女は非攻略対象。ヒロインではない。つまり俺と結ばれる未来はありえない――それが、道理だ。いくらコミュニケーションに失敗して好感度が下がろうと気にする必要は一切ない。一切、ない)


 強く心中で断じて少女への未練を断つ。なんとなく体勢を変えたくなって、玄咲は胸の前で組んだ両腕をほどき、制服のポケットに突っ込む。


「ん?」


 手に、何かが当たる。それも両方。玄咲はポケットから両手を引き抜き、右、左と交互にポケットから取り出したものを見分する。


「1000マニーカード……ああ、主人公の初期資金か。そしてこっちは――カードッ! しかも6枚! 周回特典だッ! やった!」


 息を呑む。左手に握ったカードの束に顔を近付けてさらに詳しく見分しようとしたその時、大講堂の証明が落ちた。手元が見えなくなる。


「この演出、学園長の登壇か……あとで、邪魔されないところでじっくり見るとするか」


 カードの束をズボンのポケットに仕舞い込もうとする。その時、指が腰にかかった黒い長方形の留め具つきのケースに触れた。カードケースだ。


(……魔符士の必需品。カードケース。確かこの世界のカードケースは魔法の直撃を受けても壊れないくらい丈夫でかつ自然の魔力を吸って常時発動する特殊な魔法陣が刻まれているんだよな。その効果でカードケースに入れておけば基本カードを失くさないし、頭に念じたカードを一発で取り出せる。というご都合設定。ポケットよりはこっちだな)


 玄咲は6枚のカードをカードケースに仕舞った。





 暗闇の中、スポットライト的なカード魔法で照らされた演台。


 そこに、舞台脇から一人の老女が登壇する。


 裾の広い大きく膨らんだ黒いドレスを身に纏っている。頭には、円形のつばのついたシルクハット上の薄黒い帽子。つばの根からは薄黒いレース状の生地が垂れており、老女の顔の前方を覗いた270度の部分を薄く覆い隠している。


 とても魔女っぽい見た目の老女だ。その老女を見ながら玄咲は思い出す。


(……学園長室で話しかければいつでも戦闘できるが開幕先制攻撃で即死させられるんだよな。ネットで見たチートツールで無理矢理勝利してる動画によれば負けイベだからプレイヤー敗北時の台詞しか用意していないようだし……無茶苦茶な難易度でいいから一応攻略可能にして欲しかった。遊び心が足りない。そういう細かい拘りの欠如が大ヒットRPGとの差なんだろうな)


 ギョロリ、と大きな瞳で老女が一度講堂を見まわす。そして、少ししゃがれた、だが講堂中に行き渡る老女とは思えない通りの良い大きな声で喋り出した。


「あたしがこの学園の学園長のマギサ・オロロージオさ。まぁ知らない奴はいないだろうけど、形式上自己紹介しとくよ」

 

 そこから始まる長話を玄咲は流し聞きした。チュートリアルで幾度も聞いて耳タコだったからだ。


 気に留める点としては。


 浄滅指定危惧種【アマルティアン】という国際浄滅法によって無条件でエルロード聖国に送られ浄滅される可哀そうな種族がいること。


 その法を撤廃するには天下一符闘会で優勝し優勝特権の法律を一つ削除or追加できる改法権を獲得しなければいけないこと。


 プレイアズ王国は天下一符闘会で連敗が続き、8年連続で覇国――符闘会優勝後4年間世界の主導権を握る国――たるエルロード聖国に睨まれ国際的地位が急落しケツに火がついていること。


(それくらいか。……しかし、眠い。思えば丸3日睡眠を取っていない。肉体ではなく魂が睡眠を欲している) 


 玄咲の意識が落ちかける。首がコクリと舟をこぐ。瞼を閉じ、手を口に当てあくびをして、意識を手放しかけたその時――。


 玄咲は自分に向かって亜光速で飛来する真っ赤な線を見た。反射で体を横に飛ばす。


 破砕音。先程まで玄咲がもたれかかっていた壁に大穴が開いている。大穴から光が差す。大穴から漏れる光に薄く体を照らされながら玄咲は赤い光が飛来した方角に首を向ける。


 ざわめき振り向く新入生たちの向こう側。カードバスでアクア・ボールを放ったクララ・サファリアと同じように、鉄板を嵌めた腕輪のような見た目の機械――作中でSDと呼ばれるアイテムを玄咲へと向けるマギサ・オロロージオと目が合った。


「ほう。居眠りをしている生徒がいたから叩き起こしてやろうと思ったが、今のを避けるかい。面白い」


(叩き起こす? 殺そうとしたの間違いだろ。死線デッドラインが見えたということはそういうことだ。や、やばい。そう言えばこの婆さん例え生徒だろうが平気で殺す超危険人物だった。なぜか主人公にだけやたら甘いから忘れてた。こ、殺されるのか? 俺はこのキチガイ婆さんに殺されるのか!?)


 心に冷汗を掻いてマギサと見つめ合う玄咲。内心の動揺は、しかし表情には全く現れない。生来、玄咲は感情を表に出すのが苦手な人間だ。その傾向は戦場で感情が死にゆくにつれてより顕著になった。よほどのことがない限り玄咲の顔筋は動かない。ましてや、殺されかけた――腐るほど経てきたその程度の体験では、もはや、1ミリたりとも。


 その玄咲の無表情をどう受け取ったか、マギサは口角を歪めた。


「気に入った。あんた、名前は」


「天之、玄咲」


 マギサと、大勢の新入生が注目する中、玄咲は名乗った。総勢1000人を超える衆目の中、悪目立ちするので本当は名乗りたくなかったが、話の流れ的に名乗らないのもそれはそれで頭のおかしい人と勘違いされそうなので名乗らざるを得なかった。玄咲は基本的に他者というものが好きではなかった。何を考えているかよく分からないからだ。


 新入生たちが玄咲に注目する。潜めてはいるが、それでも声を出している以上、新入生たちが交わし合う会話の断片が嫌でも玄咲の耳に届く。


「目つき悪い――」

「――殺してそう」

「へっ、俺のが悪――」

「――ギリ合格、かな?」

「いい男……」

「――唆るぜ、これは」

「ヤバ怖――」

「――罪者の眼ネ」

「ふぅん、彼も邪――」


(やめろ。さっきから原作にない展開を次から次に突っ込んでくるんじゃあない。どう対応したらいいか分から――)


「あれが朝っぱらからカードバスの中でおっぱい揉みしだいてきたっていう例の痴漢――あっ」


 玄咲の思考が凍った。場の空気も凍った。その声はたまたま他の人間が誰も喋らなかった一瞬の間隙を突いて発せられた。抑えていてもよく通る、女性の平均値よりも大分甲高いソプラノボイスが悪魔的なタイミングで独奏状態となり講堂中に染み渡った。声を発した女性徒は「あっ」という戸惑いの声を最後に言葉を途中で切った。が、手遅れだった。


「見た目通り――」

「――間違いない」

「ああはなりたく――」

「――裕でアウトだった」

「悪い男……」

「――これは、これで」

「ヤバ怖――」

「――罪者の眼ネ」

「はっ、邪な屑が――」


 新入生たちの玄咲を見る目が一瞬にして変わる。無論、悪い方向に。耳に届く会話の断片と視線の温度から玄咲は空気の変化を如実に感じ取る。地獄のような居心地の悪さ。何とかしなければいけない。その思いから、玄咲は口を開き、


「ミス・マギサ――どうぞ、スピーチの続きを」


 なぜそんなすかした言い回しをしてしまったのか、玄咲は自分でもよく分からない。紳士的な態度で印象回復、話題を逸らしてうやむやに、そんな考えがあったのは事実だが、このようなすかした言い回しをするつもりは毛頭なかった。


 沸騰した液体の表面の泡のようにぷつぷつと、新入生の群れの中から失笑が湧き上がる。言うべき内容は間違っていなかったはずだが、言い回しを致命的に失敗した。ミス、と言い始めた時点で既に失敗には気付いていたが、口が止まらなかった。結果、玄咲は大恥をかいた。


 玄咲は思考を停止してこれ以上はただ成り行きを見守ることにした。


「あ、ああ。そうだね。続けるとしようかね。どこまで話したっけねぇ――忘れちまった。ヒロユキ。私はどこまで話をしたかね」


(ッ! ヒロユキ……!?)


 マギサが舞台袖に言葉を振ると、そこにいた理事長の神楽坂ヒロユキが応答した。


「国際情勢と次回大会優勝の必要性についてまでです。具体的な教育方針に話を移すところで中断いたしました」


「そうかい。ならもう十分だね。あとはヒロユキに任せるとしよう」


「はっ」


 マギサが降壇するのと入れ替わりでヒロユキが演台に登壇し、マギサに代わって話し始めた。

 

(……そうか、ゲームでは描写されてなかったけどあいつも入学式にいたのか。そりゃいるか。学長より偉い理事長だもんな。にしてはなぜか学長の参謀的ポジションが板についているが……現実とフィクションを混同しても仕方ないか。この世界の理事長はそういう役職なんだろう)


 毒にも薬にもならない話を10分続け、ヒロユキは話を終えた。


 最後に、


「これで入学式を終了とする。校舎の入り口前にクラス分け表を掲示しているので目を通してから各自己の配属されたクラスへと向かうように。以上。解散」


 配属されたクラス、の部分で玄咲に一瞥をくれながら解散、の言葉で入学式を締めくくった。

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