第3話 理事長室

 理事長室。


 ネームプレートにそう書かれた扉をくぐった玄咲は、現在ソファに座ってテーブル越しに理事長と対面していた。その顔には冷汗が一杯。隣に座るクララが事情を理事長に説明している。その間に理事長のプロフィールを必死に思い出そうとするが上手くいかない。


(えっと、年は知らないけどおじいちゃん。身長は180cm超えるか超えないか。体重は知らない。血液型も多分見たけど忘れた。いかん。興味が無さ過ぎて全然プロフを覚えていない)


「君が天之玄咲くんか――娘からポケベルで連絡があったよ。随分なことをしでかしてくれたみたいだね」


 事情をクララから聞き終えた理事長が玄咲に視線を合わせる。ポケベル――ポケベル・リード・デバイスの略称。このゲームの開発者はリード・デバイスをつければどんな電化製品でも実装していいと思っている節がある。それにしても昔のゲームだけあって懐かしい名前が出てくるなと思いながら玄咲はヒロユキに尋ねる。


「なぜ、俺の名前を」


「君の胸ポケットに入っていた生徒カードを見せてもらいました」


 玄咲の疑問にクララが答える。


「……これか」


 胸ポケットから取り出した生徒カードを玄咲は見る。名前と顔写真や生年月日が載った現実の高校の生徒手帳を模したカードだ。確かに名前の欄に天之玄咲の名前が記載されていた。


 しかし、顔写真に写っている顔はゲームの主人公大空ライトの顔だった。


 どうやら憑依型の転生らしかった。名前が天之玄咲なのは大空ライトという糞ダサいデフォルトネームを嫌ってゲーム内で改名していたおかげだろう。根拠はないが何となくそう思った。黒髪、黒目。平凡な容姿という名のイケメン顔。ただ一点、致命的に目つきが異なる。具体的に言えば人殺しの目をしていた。そのせいで印象が大分様変わりしている。


(闇落ち系主人公みたいになってる)


「話を続けてもいいかな」


「あ、はい」


 返答し、玄咲は理事長と視線を合わせる。白髪、白髭で、見るからに厳格そうな顔をした老人だ。だが、玄咲を睨むその瞳には酷く冷たい輝きが灯っていた。


 それも当然だと玄咲は思う。なにせ、この老人の名は、


(神楽坂ヒロユキ、つまり、神楽坂アカネの祖父……まぁ穏便な話にはならないだろう。なるわけがない。なにを言われるのやら――)


「なるほど悪人面だな。想像通り、いや、想像以上だ。白昼堂々人の孫にセクハラを加えただけのことはある。死ね」


「……」


 ド直球だった。


「り、理事長……」


「おっと、すまない。つい本音が漏れてしまった。でだ、玄咲くん」


「はい」


「君は自分がしでかしたことが犯罪行為だとは自覚しているのかね?」


「!?」


 犯罪行為。そのワードの物騒さに玄咲は動揺した。ヒロユキは厳しい目を玄咲に向ける。


「やはり自覚はなかったか。生徒同士ならば大事にはならないだろうと思ったか? 実社会で考えてみろ。道端で見知らぬ女子高生の胸を揉んだら符警に捕まるだろうが。君がやったのはそういことだ。学園の生徒同士ならば例外になると思ったら大間違いだ。君は符警に突き出される覚悟があって我が孫のむ、胸を、揉んだのかね?」


 胸を、の部分で少し顔を赤らめながらヒロユキが言う。府警。そのワードの物騒さに玄咲は今度は戦慄した。


(符警――魔符警察!? 馬鹿な!? 俺はブタ箱にぶち込まれるのか!? 憧れのラグナロク学園への入学を前にして!? それだけはいやだ! 俺にはこの学園でやるべきことがあるんだ! ワクワクドキドキな学園生活を送りながらヒロイン(天使)たちと仲良くなり最終的にはその中の誰か一人を選んでエンディングを迎える(結婚する)。俺はこの学園で夢を叶える(天使と添い遂げる)んだ――!!)


 玄咲は豪速で頭をテーブルに打ち付けた。上半身で土下座の姿勢を作り、とにかく謝る。 


「申し訳ありません。どうか符警だけは勘弁してください! 悪いと思っています! 二度としません! だからなにとぞブタ箱行きだけは勘弁してください! 俺にはこの学校に入学してやらなきゃいけないことがあるんです! お願いします許してください! なんでもしますからッ!!!」


 玄咲のなりふり構わぬ謝罪に、しかしヒロユキは冷たい沈黙で答える。クララは慌てて二人の間に介入した。


「あ、あの、理事長。状況証拠を見るに、玄咲くんもわざとやったわけではなさそうですし、符警まで呼ぶのは少しやり過ぎかなーなんて思ったり思わなかったり……」


「思わないのだね」


「思います! その、流石にかわいそうじゃないですか……」


 机をバンと叩いてから、クララは憂いを帯びた顔で言った。玄咲は心の中で涙した。


(な、なんていい先生なんだ。口を開けば撒き散らす暴言、歯向かえば軍則を盾にした懲罰、いよいよとなれば体罰を出勤させる俺が昔所属していた軍の糞教官とは大違いだ……!)


 クララとヒロユキが睨み合う。ヒロユキが目元を険しくして視線の圧を強める。クララは狼狽えながらも視線を外さない。ヒロユキはため息をついて視線の圧を和らげた。


「分かった。クララ君に免じて府警を呼ぶのだけは勘弁しよう。私も前途ある若者の未来を奪うことに抵抗感がないわけではない」


「本当ですか!?」


「ただし」


 ヒロユキの眼が玄咲に向けられた途端ギンッ! と細まった。


「次はない」


「ありがとうございます!」


 玄咲は破顔して頭を下げた。なぜかヒロユキの目つきがさらに険しくなる。


「話は終わりだ。そろそろ入学式が始まる時間だろう。行け」


「はい! あ、クララ先生!」


「なんですか」


「庇っていただいてありがとうございます! やっぱりクララ先生は俺の憧れた通りの人でした! 一緒に校門をくぐったこと。理事長室の扉をくぐったこと。庇っていただけたこと。全て全て一生忘れません! クララ先生は俺の天……理想そのものです。本当に、ありがとうございます!」


「え? ええっと……うん、ちょっと面映ゆいけどそう言って貰えて嬉しいわ。もうあんなことしないでね」


 微笑。クララは玄咲に微笑みかけた。現実のものとは思えない美貌。玄咲の心臓がドクンと跳ねた。


(な、なんて美しさだ。流石天使。重力に縛られた地球の女とは次元が違う。しかも俺は迎えようと思えばクララ先生ともエンディングを迎えることができる。こんな美しい、て、天使と……! だ、駄目だ。意識し出したら急に緊張してきた。こ、言葉が……!)


 硬直して一言も喋らなくなった玄咲。そんな玄咲にクララがキョトン、と首を傾げて、クリスタルのような彩度の水色の瞳で上目遣いに尋ねてくる。


「? どうしたの?」


「っ!」


(あ、駄目だ。尊すぎて胸が、い、痛い)


 これ以上クララと同じ空間にいることに耐えられなくなった玄咲は無言で理事長室を去った。


「あ、場所分かる?」


 去り際に欠けられたクララのその言葉に、玄咲は壊れた人形のようにコクンと頷いた。




「どうしたのかしら? 急に黙って」


「……」


 ヒロユキはふいに酸っぱいものを口に含んだかのような表情でクララを見た。クララが首を傾げる。


「理事長?」


「君はもう少し生徒との距離感を考えた方がいい」


「へ?」


「いや、それが君の長所でもあるし、あんな奴のために改める必要はないか。C組――アカネのクラスの担任になってもらったのもその人柄を買ってだしな。すまない、忘れてくれ」


「はぁ……しかし、変な子でしたね」


 クララは怪訝な顔で玄咲が出て言った理事長室の入り口を見つめる。ヒロユキはクララの言葉に同意した。


「そうだな、変だ。いや、異常と言ってもいい」


「異常?」


「あの天之玄咲とかいう男。私の本気の殺気を受けて何の反応も示さなかった。あんな新入生は初めてだ」


「殺気?」


「感情が極大まで高まると人間は自然と魔力を漏らすだろう。いわゆる魔力圧オーラだ。それを意図的に、指向性を持たせて行う技だよ。大昔の業さ」


「はぁ……単に鈍感だっただけじゃないですか?」


「ほう。これを受けても同じことが言えるか」


「え?」


 クララがヒロユキを見る。テーブルを挟んだ対面に座る、着物を着た厳しくも優しい先達。そんな印象はヒロユキが殺気を放った瞬間に吹き飛んだ。


「ひっっ!」


 まるで、悪意の黒い渦。その渦がヒロユキを中心に放たれているような錯覚をクララは覚える。無視することなど到底できない。あまりにも圧力があり過ぎる。足がガクガクと震え、歯の根がガチガチと噛み合わない。頬を伝う雫が顎にかかり手の甲に落ちるにいたってようやく自分が涙を流していることにクララは気付いた。


「はっ、はっ」


 クララは心底からヒロユキに恐怖した。ラグナロク学園の教職員になってから2年が経つが、ヒロユキのこんなに怖い姿を見たことがなかった。


 まるで、魔族。人類の対敵たる魔族の、それも上位の存在と相対しているかのような恐怖を今クララは感じていた。


(あの子はこれだけの殺気を受けて平然としていたの? そんな、まさか……)


「……少し脅かし過ぎたみたいだ」


「あっ」


 クララは急に圧力から解放された。物理的に何かされていたわけでもないのに前につんのめってテーブルに手を突く。ヒロユキを見る。そこにはもうもう黒い渦を放つ上位魔族のような恐ろしい存在はいない。厳しくも思いやりに溢れたいつものヒロユキの姿があった。


「び、びっくりしたぁ」


 ヒロユキが申し訳なさそうな顔で言う。


「すまない。思ったより怖がらせてしまったみたいだ。だが、今や学園に私と学園長の二人のみの“災戦ラグナロク世代”の本気の殺気がどういうものか分かっただろう?」


 災戦ラグナロク世代、という言葉を強調してヒロユキが言う。


「は、はい。でも、理事長。人が悪いですよ。やっぱりあの子には手加減してたですね。あんな濃厚な殺気を本当に向けていたなら流石に隣にいた私が気づきます。理事長は嘘つきです」


「……」


 ヒロユキは一瞬残念なものを見る目でクララを見たあとこう告げた。


「私は嘘はつかん」


「え、でも」


「私は殺気を収束させることができる。さっきのはただ無作為に撒き散らしただけだ。あれを私はあいつ一人に集中させたのだ。本気で殺すくらいのつもりでな。なのに、まるでそよ風でも受けているかの如く、奴は平然としておった。……正直屈辱だったよ。可愛い孫にセクハラした変態糞男にお灸を据えてやろうと思ったら逆にこっちがやり込められた形になってしまったのだからな」


「……嘘」


「嘘はつかんと、そういった」


「……」


 目つきが悪くて悪人顔。でも、案外素直なところがあって、思ったより可愛げのある子。セクハラもきっとわざとじゃなかったに違いない。ちょっと変だけど根っからの悪人ではなさそう。


 そんな、短い付き合いの間でクララが玄咲に抱いていたイメージがガラガラと崩れる。クララの中で玄咲が得体のしれない化物へと変化していく。セクハラももしかしたら故意だったのかもしれないと思い始める。


 クララは玄咲が出て言った理事長室の入り口を真剣な表情でジッと見つめる。それからポツリと呟いた。


「彼は、何者なんですか?」


 ヒロユキはため息をついてこう答えた。


「分からん。少なくともただの変態ではなさそうだ」


 ただの変態ではない。それは、現時点での両者の玄咲に対するイメージにピタリと一致する言葉だった。ただの変態ではない。その言葉を噛み締めながらクララは言葉を発する。


「そうですね……でも、意外です。お孫さんを引くくらい溺愛している理事長のことだから退学……まぁまだ入学式も迎えていませんが、とにかく退学は免れないかと思っていました。意外とあっさり許しましたね」


「別に許してはいない」


「へ?」


 目をぱちくりさせるクララの前で、ヒロユキは微妙に殺気が漏れた暗い笑みを浮かべた。


「君に免じて退学にはせんかっただけだ。あいつには別の処罰を下す。くくっ、可愛い孫にセクハラした相手をそう簡単に許すはずが無かろうよ」


「……それ、私が頼んだら覆ったりは」


「せん」


「ですよね……」


 クララは玄咲の前途が色んな意味で心配になった。


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