楽園編
第1話 CARD&MAGIC ACADEMIA
融けた蝋を神経に流し込まれたかのような痛み、という言葉では足りないほどの暴虐的な感覚が体中に広がってゆく。マグマに生きたまま飛び込んだらこのような感じだろうか? 一生起毎に百度は死ねるほどの苦痛が泡のように体の中で弾けてては消えていく。それだけの苦痛を味わいながら何故か命と正気だけは凛然と保たれているのは質の悪い冗談でしかない。死ぬことも狂うこともできず地獄の業火で炙られ続ける。無限に引き延ばされる一瞬。永遠に続くかにも思えた苦しみだが、熱を発する個所は段々と減っていき、最後はまるで燃える燃料が尽きたかのように萎んで消えた。悪夢が覚めてしまえば思い出すことすら出来ないように、焦熱の残滓を欠片も残さずに。
苦痛から解放された玄咲は、しかし精神を未だ正気と狂気の狭間に彷徨わせていた。正常を確かめるために思考を繰り返して徐々に精神を正気の方向へと傾けていく。
(死ぬ、死ぬ、死んだ。いや、狂った、狂った? 狂ってない。だって、生きている。まだ思考が出来ている。あれ、なんで死んでない? 俺はあの爆発に巻き込まれて死んだはず……生きている? 死んでいる? どっちだ。そもそもここはどこだ?)
玄咲は目を開ける。何かにもたれかかって頭をうな垂れさせた体勢。必然、玄咲の眼はやや斜め下方向に向けられることになる。
そこにはおっぱいがあった。
見慣れたデザインの学生服につつまれた二つのふくよかなふくらみ。かなりでかい。モニター越しにしか見たことのないサイズ。玄咲の頭の中は一瞬でおっぱいでいっぱいになった。
(……おっぱい)
癒しを本能的なレベルで求めた玄咲はその双丘に吸い込まれるように手を伸ばした。むにゅん。人生初めてのタッチング。掌が歓喜に泡立つ。玄咲は無我夢中でおっぱいを揉みしだく。それこそが今の自分に最も必要な行為だと信じて。
(……ん?)
興奮が意識を明晰へと誘っていく。玄咲の脳におっぱいの持ち主の顔を識別する余裕が生まれる。おっぱいの持ち主は玄咲のよく知っているキャラクターと瓜二つの顔をしていた。というか、耳まで真っ赤に染め上げたその顔はどこからどう見ても本人そのものだとしか思えなかった。
CMAメインヒロイン、神楽坂アカネ。
赤髪をツインテールで留めた、健康的に育ったおっぱいと絶対領域からはみ出したムチムチの太腿が魅力のCMAのメインヒロインだ。つまり現実に絶対いるはずのない存在。玄咲は確信した。
(ああ、これ夢だ)
ならば遠慮なく、と玄咲は制服の中に手を侵入させておっぱいを直に揉まんとする。生肌に触れた。そこに至ってようやく相手方に動きがあった。
「きゃ、きゃあああああああああああああああああああっ!?」
「ぐはっ!」
強烈な平手打ちが玄咲の頬に炸裂した。女の細腕から放たれたとは思えぬ恐ろしい威力。旧時代的暴力系ヒロインの面目躍如。吹っ飛ばされた玄咲の頭部がガラス製の何かに突っ込み、突き破り、バリィイイイン!と爽烈な破砕音を響き渡らせた。
「な、なにごとですか!」
「せ、先生! この人っ、私のお、おっぱいを、揉んでっ……!」
「私も見ました! あの目つきの悪い男、いきなり彼女のおっぱいをがばっと掴んで服の中に手まで入れようとしたんです!」
「お、俺も見たぜ! こ、こんな巨大なおっぱいをあの男遠慮なくもみもみたぷたぷと……くそッ! マジ羨――許せねぇッ!」
「犯罪者の眼ヨ。あれ絶対何人か殺してるネ」
「死刑だ!」
壊れたガラスの向こう側から幾重ものざわめきが玄咲の耳に届く。玄咲は頭からダラダラと血を流しながら、痛みで完全に覚醒した頭で、ガラス窓のこちら側――玄咲がいつの間にか乗車していたCMA世界の特殊交通機関【カードトレイン】の車体に書かれた巨大なアルファベットの文字列を、ガラス窓の縁に腹を押し当て大きく背を曲げた子供のような覗き込み姿勢で音読する。
「CARD&MAGIC ACADEMY……。CMAだと!」
「ちょっとあなた! こっちにきなさい!」
玄咲は背筋の力で体をカードトレインの車内に引き戻し、突き刺さる数多の尖った視線の中、声のした方を見る。そこにもやはり見知った顔があった。
最愛の天使――クララ・サファリアの顔が。
(ク、クララ先生! いつも俺を優しく癒してくれるクララ先生だ! す、凄い! 本物だ!)
クララ・サファリア。主人公の所属する一年C組の担任教師。肩口で切りそろえた淡い色合いの水色のショートカットに、優し気な目元と泣きぼくろがチャームな生徒想いの優しい先生。教師だが立派なヒロインの一人で攻略対象。一見流されやすそうでいて自分が正しいと思うことは絶対に曲げない正義感の強さと、時折生徒と先生の垣根を越えて見せてくれる母性が玄咲の琴線を直撃した最愛のヒロイン。そのクララが目の前にいる。玄咲は感動した。
(か、可愛い……天使だ……)
「聞いてるんですかっ!? その子から離れてこっちにきなさいと言っているんです!」
穏やかな性格ゆえ、ゲーム中の会話ウィンドウの横部に表示される表情グラフィックの中でも滅多に使われない本気トーンの怒り顔を浮かべるクララ。そのクララの怒り顔を玄咲は凝視した。クララのプロフィールを脳裏に思い出しながら。
(魔力属性は水。使用ADは
玄咲はいよいよ確信を抱き始める。自然と笑みがこぼれる。
(もし夢じゃなければ、これはあれだ。ヒキニート時代に何作か読んだWEB小説のあれ。つまり――)
「なんて邪悪な笑み――! 従う気はない、と。ならば、学校に着くまで拘束しておくしかありませんね……!」
クララが腰に装着したカードケースの蓋を開けてカードを取り出す。そして手首に装着した表面にモニターと側部にスリットの備わった金属板に装着用の輪っかがついた機械、その金属板のスリット部分にカードを差し込む。一連の動作は非常になめらかかつスピーディーである種の曲芸染みていた。
青い輝きを放ち始めた手首の機械を玄咲に向けて、クララはカードを
(異世界転生――!)
「アクア・ボール!」
手首の機械――スクール・リード・デバイス通称SDから豪速で放たれた魔法の水球を見て玄咲は歓喜する。
「すごい魔法が本当に出てあぶっ!」
玄咲は顔に魔法の水球を喰らって気絶した。
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