待つ人
高見もや
待つ人
ある日、妻が言った。
「あなたは、私より先に死なないわよね?」
「えっ? そりゃあ、まぁ……」
「よかった! もし私が先死んだらどうしようかと思った!」
「縁起でもないこと言うなよ」
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
「ん?」
「もしもの時は、私の遺品整理してくれないかな」
「……わかった」
その会話をした翌日、妻は死んだ。
死因は心不全だったが、その前日まで元気だった妻は急に心臓の発作を起こして倒れた。救急車の中で死亡が確認された。
葬式の後、妻の遺品を整理しているときに、奇妙なものを見つけた。
それは、一枚の写真だった。
写真の中には、赤ん坊を抱いた女性がいた。おそらく、妻だろう。そして、もう一人。男性がいる。この男性が誰なのかわからない。
写真を裏返すと、「愛しい娘へ」と書かれていた。
愛しい娘とは誰のことだろうか。
娘のことが気になったが、連絡を取ることはできなかった。
なぜなら、もうこの世にいないからだ。
妻が死んだとき、自分は30歳になろうとしていた。
それから6年。
自分はいま37歳になる。妻は自分のことを愛してくれていたのだと思う。
自分が先に死ぬことを恐れて、遺言を残したくらいだから。
ただ、自分がいなくなった後の娘のことを心配していたのも事実だろうと思う。
もしものときは遺品を整理してほしいと言っていたし。
だが、自分にはそのつもりはない。
たとえ、妻の死後に娘が現れても、会わせるつもりはなかった。
なぜならば、娘は妻のものだから。
6年前に見たあの写真の男性は、たぶん父親だったはずだ。
きっと娘にとって大切な人だったに違いない。だからこそ、その人に娘を引き渡すような真似はできない。
自分だけが知っていればよいことだ。
妻は、自分だけのものだったということを。
「あのさー、うちの母ちゃんの話聞いてくれる?」
「ああ」
「うちの母ちゃんって、すげぇ美人じゃん?」
「そうだな」
「でさ、母ちゃんって若い頃から俺と姉貴の世話してるわけよ」
「お前の姉さん、確か結婚したんだろ?」
「うん、したけど、あんまりうまくいかなかったみたいで、離婚して戻ってきた」
「そうなのか」
「んで、また離婚した」
「なんでだよ」
「なんか浮気されたとか言ってた」
「まぁ、そういうこともあるかもな」
「そんで、親父が再婚相手連れてきた」
「おめでとう」
「ありがとう。それでさ、再婚相手の連れ子が妹なんだわ」
「へぇ」
「でさ、妹が中学生のときの話なんだけどさ」
「おう」
「家に友達呼んだんだよ」
「そりゃあ、中学生なら普通だろ」
「そうなんだけどさ。ちょっと問題があって」
「どんな?」
「その子の家に電話したら、誰も出ないわけよ」
「出掛けてるんじゃないのか?」
「いや、学校に行ってるとかじゃないんだよ。その日に限って、家族全員出かけてたんだって」
「たまたまじゃね?」
「う~ん……、でもその日だけなんだよなぁ……」
「その日に何かあったのかもしれないな」
「それがわかればなぁ……。まぁ、いいや。話を戻すと、その日、家には妹の友だちしかいなかったらしいんだけど、まぁ当然、思春期だし色々あるじゃん?」
「まぁな」
「でさ、結局、その子の家に泊まったんだけど、朝になったら、妹がいなくなってた」
「逃げたんじゃないか?」
「いや、違うと思う」
「どうして?」
「その日の夜に帰ってきたんだけど、ボロ泣きしてた」
「マジか」
「あと、警察沙汰になって、大変だった」
「何があったんだろうな」
「さぁ? まぁ、それ以来、その子の家族とはあまり仲良くなってないし、よく知らないんだけど」
「ふぅん……」
「なぁ、おまえのおばさんの話も聞かせてくれよ」
「まぁ、いいけど……」
――――『失踪』とは、ある日突然消えてしまうことである。
例えば、どこかに出かけたきり帰ってこなかったり、誰かに誘拐されたりなど、原因は様々だが、いなくなった人間を待っている人間は、ずっと待ち続けるしかない。
いつ帰ってくるかわからないのだから。
そして、人は待つことに耐えられない生き物でもある。
たとえば、10年間付き合っていた恋人がいたとして、その人が結婚してしまったらどうするか。
あるいは、海外旅行に行ったっきり帰って来なくなったとしたら、自分はどうするだろうか。
答えは簡単である。
10年という月日は長いのだ。
いくら相手が好きな人で、愛していたとしても、その人と過ごした日々は、その人の人生の一部に過ぎない。
つまり、10年間の思い出があるということ。
それを全て失ってしまうことは、とても悲しい。
だから、人は待っていても戻ってこないとわかったとき、諦めることができる。
もし、それでも待っていたならば、それはただのストーカーになってしまうだろう。
そして、ストーカーになってしまった人を、社会が受け入れてくれるとは限らない。
なぜなら、その人もまた、被害者になる可能性があるからだ。
被害者が加害者になることが、この世の中には存在する。
そして、それは自分にも当てはまる。
なぜなら、自分もまた、被害者の1人なのだから。
待つ人 高見もや @takashiba335
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