第5話 Re-Birth(リ・バース)
ファイナルクエスト。
それはエニウェアソフトが開発した伝説的な王道ロールプレイングゲームであり、なんと初代ファイナルクエストが発売されたのは百年以上前のこと。数々のハードを経た今、プラットフォームを2nd.ユニバースへと移した。
最新のVR技術を使用することで、新作のファイナルクエストXXXはよりリアルな舞台を冒険できるようになったのだ。その人気ぶりは、もはや社会現象にまで発展していた。
老いも若いも、性別も関係ない。誰もが勇者となって、魔王討伐の旅に出発するのである。
――だが、それも数時間前までの話。
雄大で美しいファンタジーの世界も、謎の怪異発生によって一変してしまっていた。
「ううぅ……みんなぁ~? どこ行っちゃったのよぉ」
ヴェルガディア国、王都。
強大な守護獣と堅牢な城壁によって守られた、平和の象徴たる大都市。その中心に位置するのは、煌びやかな外観をした白亜の城。
だが現在は異界化による浸食により、モンスター溢れるダンジョンへと変貌していた。
「ねぇ、どこにいるのよ。……返事してよ」
深夜のヴェルガディア城内では、ある少女が孤独に震えていた。
「お願い……一人にしないで」
外見は高校生ぐらいで、小柄ながらも均整の取れたスタイルの持ち主。
その瞳は澄み切った空のように青く、腰まで伸びた長い髪は毛先に近づくほど鮮やかな緑色に染まっている。まるで自然の息吹を体現しているかのような、神秘的な美少女エルフであった。
ゲーム開始時に与えられる簡素な初期装備の弓を手に、薄暗い王城の廊下を恐る恐る歩き回る。不安に押し潰されそうな心を必死に奮い立たせ、希望の光を探し求めているようだ。
「ミコト!? ミコトだよね!?」
「……だれっ!?」
突然、床に置かれている甲冑の影から声をかけられる。
慌てて振り向くと、そこには魔法使いのローブを着た黒髪の少女がいた。
「ああ、良かった! 生きてたのね! ウチだよ、親友のシオンだってば!」
「シオンちゃん!? 私を置いてどこ行ってたの!」
シオンは見知った顔の少女に駆け寄ると、涙を流しながら抱きついた。互いに心からホッとした表情を浮かべている。
「えへへ、ゴメンね。タクミったら化け物を見るなり、『彼女のシオンを優先させる』ってウチの手を引っ張って走り出しちゃってさ。ウチもウチで、逃げるのに必死になっちゃって……」
感動の再会を果たしたシオンはさっそく気が緩んだのか、テヘヘと舌を出して笑う。
なんと、シオンたちはミコトを置き去りにして逃げたようだった。
それを聞いたミコトの顔がみるみると曇っていく。目に涙を溜めると、今にも泣き出しそうな声で訴えた。
「私、仲間はずれにされて、ずっとひとりぼっちで……寂しかったよぉ」
「ちょ、泣かないでよ。分かった、分かったって。ごめん、ウチらが悪かったよ。とりあえず、どこか安全な場所へ移動しよう。そこで作戦会議ね。ね? いいでしょ?」
「うっ、ぐすっ……うん、わかった」
涙を拭いながらコクリと小さく首肯する。
シオンは覚悟を決めると、ミコトを連れて行動を開始した。
「ほら、行くよ」
「待ってよシオンちゃん。置いていかないで」
二人で手を繋ぎながら廊下を歩いていく。王城は広大であり、探索するには時間がかかりそうだ。
そうしてしばらくすると、二人は中庭に面した回廊へと辿り着いた。周囲には花壇や噴水が設置されていた。二人は物陰に身を潜めると、こっそりと覗き込むようにして辺りの様子を窺う。
幸いにも、中庭は王城の中でも比較的安全な区画だった。ここはモンスターの気配もなく、遮蔽物が多い。彼女たちが隠れているガーゴイル像も身を隠すには丁度良かった。
「ねぇ、どうやってここから脱出するの?」
「そこなのよね~。いくら探しても全然出口が見つからないの」
中庭ひとつとっても広大で、脱出ルートを探すのは容易ではない。二人が再会してからすでに数十分が経過しており、焦りばかりが募っていた。
「(ここは安全そうだけど、いつまでも隠れてはいられないわね)」
いつ何時、敵に襲われるとも限らない。ミコトは勇気を出して隣にいるシオンに移動を提案することにした。
そんなとき、ふいに何かの音が聞こえてくる。
――ピコンッ。
「あっ、タクミだ!」
「え? なに? 今の音は……」
「ステータス画面の通知! ほら、見て」
シオンに言われるまま覗いてみると、そこには『新着メッセージがあります』と表示されていた。どうやら彼は、シオンのことが心配で連絡を入れてきたようだ。
「そういえば、タクミ君は今どこにいるの?」
先ほどの話の通りなら、シオンは彼氏と共に行動していたはずである。だが彼の姿はどこにもない。
不思議に思って居場所を訊ねると、返信をしていたシオンは目をキッと逆三角に尖らせた。
「途中で居合わせた他のプレイヤーさんたちと一緒に、王城の中を偵察しているみたい。危ないからシオンは隠れてろって言われてさ~、彼女を放置って酷くない!?」
そう言って頬を膨らませるシオン。つい先ほど、自分も友人を置いていったことはすっかり忘れている。そんな彼女の態度がなんだか可笑しくなり、クスクスと笑うミコト。
「だから甲冑の影に隠れていたんだね」
「も~、笑いごとじゃないんだからね!? 隠れたってちっとも安全じゃないしさ。NPCの兵士さんとかメイドさん、みーんなモンスターになって城を徘徊してるの! アレ、めっちゃ怖いんだから!」
シオンの言う通り、王城は今や危険な化け物の住処となっていた。
ガーゴイル像の陰からこっそりと城の中を覗く。あちこちに異形の怪物たちが闊歩しており、中には人型だった者の姿もある。
彼らはいずれも、本来ならばゲーム内に登場するはずの存在だ。
話しかけても日常会話しか返さない完全なモブもいるが、中には冒険する上でのヒントをくれるようなお役立ちキャラも存在している。
しかし今は、彼らの姿は見るも無残なものになっていた。
全身は腐り落ち、肌は爛れ、眼球は溶け、肉片が飛び散って骨が見え隠れしている。さらには頭部だけが残った者や、身体の一部が欠損したまま動き回っている者もいた。
それはまさに地獄絵図と呼ぶに相応しい光景だった。
「うっ……ひどい」
「でしょ? しかも見えてるレベルの割に強いみたいでさ。結構強いはずのタクミたちも、ボロボロになりながら戦ってたんだよ」
「――へぇ、タクミ君ってそんなに強いんだ」
「へっへ~、そうだよ~。最近じゃゲームの配信も初めていて、チャンネルの登録者も百人超えたんだ! あ、ちなみに私は最初の会員で~す!」
大変だったという割に、その口調はどこか明るい。小柄な身長の割に豊満な胸を反らしながら、誇らしげに彼氏のことを語っている。
「そっか。それじゃあ私たちも頑張らないと」
「だよね~。でもさ、ミコトなんて今日このゲームを始めたばっかじゃん? タクミは貸してあげられないけど、代わりにウチが守ってあげるよ。これでもウチ、中級の魔法使いだからさ!」
シオンはそう言いながら杖を構え、呪文を唱えた。すると淡い光が溢れ出し、彼女の周りに光の玉が浮かぶ。
「おぉ、すごいね。魔法ってこんなこともできるんだね。私にもできるかなぁ」
「何言ってるの、ミコトは魔法使いじゃなくて
シオンは咄嵯にミコトを抱き寄せると、そのまま地面に倒れ込んだ。
――ボフッ!
直後、二人の頭上を巨大な火球が通過していく。
「あっぶな~い! ねえ今の見た!? デカい火のバレーボールみたいなのが飛んできたよ!」
「シオン、後ろッ!!」
二人が背後に視線を向けると、そこには体長三メートルを超える巨大な鬼が空に浮かんでいた。
その手には鋭い爪があり、口元には牙が見える。明らかに人間とは異なる生物だと一目で分かった。
ただし鬼と言っても赤子鬼とは違って、灰色をした生きたガーゴイルだ。背中から生えた悪魔のような両翼を羽ばたかせながら、二人を見下ろしていた。
「ひぃっ!?」
「落ち着いて、ミコト。ウチの魔法でコイツの動きを止めるから、その間に逃げるよ」
「で、でもこれって石のモンスターだよね!? 魔法なんて効くの?」
「やってみるっきゃないでしょ! いくよ、アイスボール!」
シオンは呪文を詠唱し始めた。すると周囲の魔力が収束していき、やがて杖の先端に小さな氷の塊が出現した。そして狙いを定めると、それをガーゴイルに向けて投げつける。
――ドォンッ!
放たれた魔法の直撃を頭部に受け、ガーゴイルは大きくのけ反った。
「やった、当たった!」
「ダメだよシオンちゃん、逃げないと!」
「分かってるって! うわっ!?」
シオンたちは慌ててその場を離れようとしたが、すでに遅かった。彼女が放ったファイアーボールを合図に、周囲から無数のモンスターが押し寄せてきたのだ。
氷をぶつけられたガーゴイルもさほどダメージは無かったらしく、二人に向かって再び炎を吐こうとしていた。
「やばいやばいやばいって! 早くしないと囲まれちゃう!」
「うぅ……もう無理。逃げられないよ」
「ちょ、ミコト!? 諦めちゃだめだって、まだなんとかなるから!」
迫りくるモンスターの大群を前に、ミコトはその場に座り込んでしまう。
今度は置き去りになんてしない。弱音を吐く親友の手を引き、シオンは必死に走り出す。ガーゴイルから繰り出された火球が地面に衝突し、土煙を上げた。ギリギリのところで避けられたが、しつこくミコトたちを追いかけてくる。相手は空を飛べるガーゴイルであり、地上では圧倒的に不利だ。
「このままじゃ二人とも殺されちゃう……こうなったら仕方がないわね」
シオンは覚悟を決めると、ミコトの手を離した。
「シオンちゃん?」
「ミコトは先に走って! ウチはここで食い止めるから!」
「そんな! シオンちゃんを置いていけるわけないじゃない」
ミコトはシオンの隣に並ぶと、同じように弓を構えた。だがその手はカタカタと震えていた。
シオンはそんな彼女の腕を掴むと、無理やり引き離そうとする。だがミコトは、まるで動こうとしなかった。むしろシオンの腕にしがみつくと、泣きべそをかきながら懇願してくる。
「うう、お願いシオンちゃん。一緒に逃げようよ~」
「バカなこと言わないで。この世界で死んだら現実世界に戻れないんだよ!?」
「で、でも……」
シオンは優しい笑顔を浮かべると、ミコトの頭を撫でてやる。
「大丈夫、ミコトと違ってウチは運動神経が良いんだから。どうにか逃げて、必ず追い付くよ」
「う、うん……」
「よし。それじゃあ、また後で。タクミを見付けたら、さっさと彼女を助けに来るように言っておいて!」
そう言うと、シオンはミコトの手に小さな鍵を握らせた。
「えっ!?」
「――さっきは、置いて行ってごめんね」
弱々しい声でシオンはそう呟くと、水の魔法を使ってミコトを王城の中へと押し流した。
「シオンちゃん!? 待って!」
ミコトは必死に手を伸ばすも、彼女の姿はどんどん小さくなっていく。
「さぁ、こっちに来なさい。アンタたちの好き勝手にはさせないんだから!」
我ながらカッコよく決まった。満足げな表情を浮かべたシオンは杖を構えると、迫ってくる敵を迎え撃った。
「はぁ、はぁ……ここまで来れば、もう平気かな」
ミコトはシオンと別れてから、ずっと走り続けていた。
城の中は相変わらずモンスターだらけで、まともに動けるような状態ではない。
そんな状況で、ミコトはどうにか王城の中にあった部屋の前まで辿り着いた。中から誰かの話し声が聞こえる。少なくとも人がいるようだ。
「良かった、これで助けを呼べる!」
だが問題が起きた。入ろうとするが、扉は固く閉ざされていてビクともしないのだ。どうやら鍵が掛かっているらしい。叩いて中の人を呼ぼうか? いや、音でモンスターを呼び寄せてしまっては危険だ。
「(そうだ、シオンちゃんから貰ったアレ……)」
ミコトはポケットから銀色の鍵を取り出すと、それでドアノブに差し込んだ。ガチャリと音が鳴り、ゆっくりと扉を開く。
「よかった、開いたみたい」
シオンから渡されたのは、簡単なロックなら開けられる魔法の鍵だったらしい。ミコトは安堵のため息をつくと、食堂の中へと入っていく。
中に居るのはタクミだろうか。ともかく、早くシオンを助けに行かないと。
「……」
「…………」
だがミコトの視界に映ったのは、トマトの被り物をした奇妙な人型のモンスターだった。
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