第3話 トビー、助手となる

 先生はじっと僕の話を聞かれていましたが、話が終わると「ほーお」と感嘆とも溜息ともつかぬ大きな息を吐かれました。

「さてさて、真にもって素晴らしい話を聞いたものだ。私は未だかつて人が精霊に昇格した話は聞いたことが無かった。これはとてもとても興味深い事だよ。トビー君、それで君は精霊になったお祖父さんを見ることが出来たし、話をすることも出来たと云う訳なんだね」

「はい、先生。ただ僕は最初から精霊が祖父だという確信があったから、その光に祖父の姿を重ねたのかも知れませんし、その声を聞いたのも自分自身の心の声だったかも知れないとも考えています。」

 最初は祖父の言葉に従って山を下りたつもりになっていましたが、半年も旅を続けている内に、あれは本当に起こった事だったのだろうかという疑問が僕の内に芽生えてきたのです。

と、いうのも祖父は僕に必要なことを伝えると、まるで光が収縮するように小さくなっていき、最後は豆粒のような光点となって、ふっと消えてしまい、その後一度も姿を現すことがなかったからです。

「ふむふむ、なるほど、なるほど」先生は嬉しそうに目を細めて僕を見ました。

「自分の見た物、聞いたものに懐疑的であり、客観的であろうとする。決して盲信をしない態度は好ましい。トビー君、君には真理学徒たるべき素養が備わっているよ。それで、お祖父さんは私の下で修行をしなさいと言っているように君には感じられたという訳だね」

「はい。聞いたという感じはありますが、今となってはまるで夢の中にいたようにも思えるので、それが確かかどうかと問われるとお答えのしようがありません」

「ふむふむ、君はその時までに私の名前を聞いたことがあったかね。まして、著作のおかげで陛下からサ・レの称号を戴いたことまで」

 先生が僕たちの世界に大きな変革を齎して有名になられたことは、ポロの街で先生のお宅を尋ね歩いた時に知りました。

 先生は此方の世界に来られてから十年余りあちこちを見て回られ、ご自分の居られた世界との違いを実感されました。

後に「外つ国の文化」という本を著して、先生の居られたイングランドという世界の文化を紹介されたのです。

その中には今まで此方ではバラバラだった距離や高さ、重さの単位や、建築や造船、縫製や調理法といったイングランドで用いられている便利な方法が書かれていたのです。

 この本はたちまち評判になり、先生は次々と続刊を発行されました。

そして、とうとう女王陛下のお目に留まることになったのです。

陛下は、たちまち先生の本に魅了され、有用な方法については国を挙げてその普及に取り組んだのです。

 先生は女王陛下の政策顧問となられ、数々の新しい施策を献策されたのでした。

その結果、この「女神の女王国」は目覚ましい発展を遂げ、今日の隆盛を見ることになったのです。

こうしたことが女神様のお眼鏡に適ったのか、次第に女神のヴェールを抜けてくる人が増えて来たのです。

 優秀な人材が増えてきた事もあって、先生は陛下の政策顧問から引退なさいました。

その時にサ・レという領主の位を女王陛下から賜った事も聞きました。

こうした先生の業績を旅の間に知る機会はありましたが、本当に先生のお名前を最初に聞いたのが、精霊になった祖父からだったとはっきり言える確証がありません。

ひょっとしたら自分でも覚えていない幼い頃の記憶なのかも知れないのです。

「いいえ、無かったと思いますが、小さい頃に祖父が話したのを覚えていたのかも」

「ふむ、潜在的記憶の顕在化かね」

「えっと、難しい言葉は分かりません」

「ふふふ…。気に入ったよ、トビー君。私は大変君が気に入った。どうだね、私の助手にならんかね。そうだな、住み込みで食事付き、給金は週に十シリング出そうじゃないか」

 週に十シリングというと半ポンドですから、月にして二ポンドになります。

働き始めの丁稚並の給金ですが、食費や部屋代が掛かりません。

ニペンスの黒パン一斤で、二日を食いつないで旅して来た事を考えると、とても良い待遇に思えます。

そういえば、この通貨制度も先生が普及させたイングランドのものでした。

「ありがたいお話ですが、僕でよろしいのでしょうか。こちらをお訪ねしたのも、お屋敷の掃除や薪割り等のお手伝いをしながら、時々は先生のお話を伺えればと思ってのことだったのですが」

「そういった仕事は既にマリアンや他の者達が受け持っているのだよ。私はね、探求に没頭すると、他の事象が見えなくなることがあってね。そんな時、側で君のように冷静かつ客観的な指摘をしてくれる者がいると大変助かるのだよ」

「そんな大それた役割を担えるかどうか分かりませんが、お側に置いて戴けるのなら、喜んでお手伝いいたします」

こうして僕はワシュフル先生の助手となったのです。

 早速家族の一員として通された居間は、太い梁と厚く漆喰を塗り込められた石積みの壁で造られた吹き抜けになっており、壁と一体になった階段の先から手摺の付いた張り出し廊下がぐるりと巡っています。

東と南には採光窓が有り、北と西は屋根裏部屋へと繋がっていました。

僕は北の屋根裏部屋を宛がわれましたが、そこは丁度大きな暖炉の真上に当たり、壁の一部が暖炉の煙道になっていて、とても暖かいのです。

 部屋にはベッドとライティングデスクが置かれ、壁には作り付けの棚があったので、僕は旅の間に使い込んだ日用品やちょっとした伝で手に入れた品々を背負い鞄から出して並べました。

 先生はマリアンに僕が馴れるまでの間の世話をするように仰有ったので、マリアンは末の妹のメリアンを僕の世話係に任命しました。

驚いたことにマリアンは三姉妹の長女で、妹のミリアン、末の妹のメリアンと共に、ワシュフル家の一切を取り仕切っているのだそうです。

 僕の世話係になったメリアンは裁縫が得意で、毎年沼地に飛来するノルドグースの羽を集めて作った羽布団を早速寝台に運んで来てくれました。

「ありがとうございます。とても暖かそうですね」

僕が礼を言うと、メリアンはちょっとはにかんで、そろそろノルドグースが来る頃なので、今度はあなたの夜着を作って差し上げますねと微笑みました。

「さあ、皆さん。夕食ですよ」

階下からの声で、僕たちはキッチンへと移動しました。

僕はここで正式にワシュフル家の一員になったことを紹介され、温かい拍手で迎えられたのです。

 木目の美しい大テーブルには、先生を中心に既に何人かが席に着いていました。

家政一切を取り纏めるマリアンと裁縫の得意なメリアン、食事を運んできたのはキッチンを仕切るミリアンです。

先生の隣で寛いでいるのは赤茶色の被毛に手足だけが黒いラバルス人のラルクさん。目の周りが垂れたように黒い毛で覆われているのは種族の特徴で、くっきりとした輪縞模様のある太い尻尾がご自慢です。

その隣が翠狐人あるいはブルポ人と呼ばれるフォクシーさん。ちょっと吊り目の美人さんです。こちらもふっくらとした薄緑の尻尾が美しく、筆の穂先のような先端が白いのがご自慢です。

お二人は、領地の管理が主な仕事で、時々狩りにも出かけているそうです。

 フォクシーさんの隣で、落ち着かなげに椅子の上に立ったり座ったりしているのが、フォクシーさんの子供達で、男の子がテオで女の子がトクシーです。

旦那さんのキンネルさんは今、先生の御用でポロの街まで出向いているのだそうです。

今日からワシュフル家の総勢は、僕を入れて十人になったわけです。

 熱いかぶらのポタージュと湯気を上げる丘赤牛おかあかうしのシチューを戴きながら、僕たちはすぐに打ち解けて、ファームズビルでの生活や僕の旅の話などをして、その夜は大いに盛り上がったのでした。

そして僕は、翌日から先生の薫陶を受けることとなりました。

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