227 この暗がりに愛の花束を届けて ②

 眼鏡はしていないけれど、間違いなくナナミだ。

 俺の知る彼女より、少し痩せて、なんとなくワイルドだけれど、間違いない。


 あの魔物が生み出した幻術……という可能性もチラリと脳裏に浮かんだ。

 だが、それならもっと想像通りの姿で現れるはずだ。

 なら、本当にあれは本物のナナミ……?

 異世界転移に再選出されたという話は嘘だったんじゃないのか?


 俺は棒立ちになったまま、ただの一歩も踏み出すことすらできなかった。

 今、目の前で起こっていることが信じられなかった。


 ナナミが眉尻を下げる。

 「しょうがないな」という懐かしい顔をして、歩を進める。

 一歩ずつ、一歩ずつ。

 リフレイアも、ジャンヌも、すぐそこでのたうち回っているオザワさえ一顧だにせず、まっすぐ前だけを見て。

 まるで時間が止まったかのようだった。

 ジャンヌもリフレイアも状況を整理しきれていないのか、あるいは目玉の魔物の動向に気を払っているからなのか、動けずにいた。


 近づくにつれ、彼女の顔がよく見えた。

 目じりに涙の雫が浮かぶ。

 紅潮した頬。


「ヒーちゃん……」


 赤い唇を震わせ、彼女が懐かしい呼び方で俺を呼ぶ。


「ヒーちゃん!」


 解き放たれたようにナナミが胸に飛び込んでくる。

 俺はそれを硬直したまま受け入れた。

 ふわりと懐かしい香りがして、堪えきれず視界が滲む。


「ヒーちゃん……ヒーちゃんだ……!」

「ナナミ……! 本当に……ナナミなのか……?」

「うん……。あなたの最愛の幼馴染のナナミちゃんですよ」


 もう聞くことはないと思った声。

 もう感じることはないと思った熱。

 異世界などという隔たれた世界を越えて、今、ナナミが目の前にいる。


 俺はしばらく嗚咽が止まらず、ナナミの胸で泣いた。

 転移してすぐのころは、ナナミもいっしょに転移していると思った。

 だが、それは叶わずナナミは死んだままだと知らされた。

 ジャンヌの厚意で、ナナミを生き返らせることができた。

 なのに、ナナミは赤ちゃんみたいに記憶を失っていると言われた。

 そんなナナミが、元気な姿で今ここにいる。

 

「私のために、たくさん苦労させちゃってゴメンね。生き返ってから、ヒーちゃんがどうやってここで生きてきたか見て、私……本当に悲しくて辛くて……でも、神様がこうしてまた選んでくれたから。絶対に再会してやるって決めてたんだ。ちょっと、遅れちゃったけど、ギリギリ間に合ったかな?」


 少しおどけてそんなことを言うナナミは、チラリとオザワのほうを見た。

 腕から血を吹き出し、青い顔をしているオザワを見る目は驚くほど冷たい。


「ああ……。俺、ナナミが生き返ったけど、記憶を全部失って生き返ったなんて言われて……信じかけてた。でも、こうしてここにいるんだ。それも嘘だったんだな」

「そんなの信じたの? んまぁ、らしいといえばらしいけど。昔っから、カレンちゃんの陰謀論めいた嘘にもよく騙されてたもんね」

「ああ、酷いんだぜ。その前には、奈落とかいうとこに転移してきたのがナナミだなんて言われて――」

「あ、それはホントだよ? ダーツで転移したら、ちょっとズレちゃって」

「……え? 奈落ってとこに落ちたら生きて帰れないって聞いてたけど……」

「すこしヤバいかな~くらいには思ったけど。まあ、それもアイちゃんと出会えたから、結果オーライだったよ」

「アイちゃん……? そっか。あいつのことだろ?」

「そう。カワイイでしょ?」

「カワイイ……かなぁ……?」


 凄まじい精霊力を内包しているのがわかる。

 直感的に魔王だと感じた程度には異質な存在。

 カワイイというにはあまりにも凶悪な姿。


 その目玉の化け物――アイちゃんは、俺のことを舐めるような視線で見つめていた。

 ちょっと涎も出ているし、舌もペロンと出ている。

 カワイイ……か?

 カワイイと言えばカワイイような……どちらかというと不気味なような……。 


「いいよ、アイちゃん。首と左腕以外でね」


 唐突にナナミが無機質な声でつぶやく。

 すると、俺のほうを見ていたはずのアイが、また光線を発射。

 右腕を切り落とされた痛みにのたうち回っていたはずのオザワが、左手でステータスボードを操作しようとしていたのを、阻止――左脚を斬り落とした。


「あっ、ぎゃぁああああああ!」

「あんた、この状況で逃げられると思ってんの? 今は彼と感動の再会してるとこだから、ちょっとだけ殺すの待ってあげてるだけだって、理解できてる?」


 俺に抱きつき、離れることもなく冷たくそう言い放つナナミの声音は、久しぶりに聞く「時のナナミ」だった。

 セリカとカレンがよく声をそろえて「キレた時のナナミ姉さんはマジで怖い」と言ってたし、まあ俺も多少は経験があるけど、殺すとハッキリ宣言するナナミは、俺よりも異世界に向いていそうだ。

 ナナミが最初に転移するときも、セリカとカレンは「ナナミ姉さんなら大丈夫でしょ」と気楽な感想を漏らしていたほどだからな……。


 だが、さすがに腕と脚を切り落とされたことが致命的だったのか、オザワはすぐに声を出す力も失い、地面に横たわることとなった。

 こんな形で死ぬのかと一瞬思ったが、オザワの全身が輝きだし、左手にはまっていたらしい身代わりの指輪がポトリと落ちた。

 オザワの顔に血の気が戻り、失っていた腕と脚が瞬く間に復元される。


「サモン・ダークナイト!」


 俺はダークナイトを召喚し、再度オザワを羽交い絞めに拘束した。

 とりあえず、これでランダム転移で逃げられることはない。


「相馬ナナミ……! どうしててめぇがここにいやがる! 地図にはここに近づいて来ている点は、奈落の転移者だけだったはずだ!」


 こいつはさっきナナミが言っていたのを聞いていなかったのだろう。

 腕を切り落とされてわめいていたからな。


「だーかーらー。その奈落の転移者が私だって言ってんの」

「は? 幼馴染と合流するためにわざわざ危険地帯を抜けてきたってのかよ」

「あ~、もちろんヒーちゃんと合流するためってのはあったよ? でも最優先はまた別だから。まあ、さすがにこんなに早く目的を達成できるとは思ってなかったけど、私って実は昔っからめちゃくちゃ運が良いんだよね。ありがとう。私に殺されるためにここにいてくれて」


 ナナミが俺との抱擁を解き、オザワの前に立つ。


「どうしよっかな。苦しめて殺してほしい? それとも一息に死にたい?」

「つっ、強がんなって、お前に人殺しなんてできんのか――」


 それを言い終わるより前に、ナナミは腰のショートソードを抜き、オザワの脚に突き刺した。


「バカじゃないの? 殺すって言ってるじゃない。あんた、私自身と私の両親の仇なのよ? 私が、こうして死に方を選ばせてあげようとしたのはね、結果的にこっちで彼と再会できたから、一役買ったあんたに温情を与えてあげているだけなの」

「あっ、ぐぁああっあっあっ」


 グリグリと剣を捩じるナナミ。

 ジャンヌもリフレイアもさすがにちょっと引いている。


「私はさ、そんなに両親と仲良くなかったけど、それでも、あの人たちは、私のお父さんとお母さんだったんだ。私は私で幸せになるけど、両親も両親で幸せに暮らしていってもらおうってくらいは将来のこと考えてたわけ。私ね……自分のものとか、予定とかを、知らないやつの関係ない都合でめちゃくちゃにされるの……すごく、頭にくるんだ」


 さらに左脚に剣を刺すナナミ。

 これは正真正銘、ナナミ自身の復讐だった。

 彼女自身も、彼女の両親もこいつは殺したのだから。

 俺の出る幕ではない。

 ナナミ自身がそう言っていたように、彼女が再度異世界転移に選ばれたことは、異世界へ逃げた犯人を殺す、唯一の機会だったのだ。


「この場所、知ってる? 黄昏冥府街って言ってね。死んだら永遠にこの場所でアンデッドとなって蘇り続けるらしいよ。死んで蘇ってまた死んで。この迷宮が続く限り永遠に」

「あっあっあっあっ、うそだっ」

「殺人犯には良い最後じゃない。永遠に苦しみ続けなさい」


 そう言って、ナナミはオザワの胸に剣を突き立てた。


「あっ――がっ」


 最後の言葉もなく、オザワは拍子抜けするほどあっさりと精霊石へと姿を変えた。

 ナナミはそれを拾い上げ、興味なさそうに一瞥してからアイのほうへ投げた。

 アイがそれを口でキャッチする。


「あんなの食べたら、おなか壊しちゃうかな、なんて……なに、みんなそんな目で見て」


 ジャンヌは、外地蔵なナナミしか知らなかったからか、驚いて固まっている。

 リフレイアは、たぶんいきなり現れた女の子の胸で俺が号泣したから、驚いて固まっているんだろう。多分。

 俺は俺で、じわじわと近寄ってきたアイに陶酔顔でベロベロと舐められている。

 確かになんか可愛く見えてきた。少し撫でてみたら手触りが妙に良い。これ、ナナミ絶対ブラッシングとかしてる。


「ジャンヌさんは久しぶりね。私を生き返らせてくれてありがとう。ことの経緯はセリカちゃんからも聞いてるからさ。本当に……本当に感謝してます」

「いや、成り行きだよ。それに、もうお礼はたくさんもらったさ。それにしても……驚いたな。そこの魔物もそうだが……本当に奈落の転移者がナナミだったとは」

「私もさすがに少し驚いたけど、神様のヒントが優秀で助かったんだ」

「ヒント? そういえば私はあれほとんど使ったことなかったな」

「ジャンヌさん、攻略情報見ないでゲームやるタイプって言ってたもんね」


 二人は一度会ってるからか、会話も朗らかだ。

 転移者同士というのもあるだろう。

 一方リフレイアはナナミに何かを感じているのか、いつもの押しの強さは鳴りを潜め、ただ所在なさげに立ち尽くしている。

 ジャンヌと言葉を交わしたナナミは、次にリフレイアへと向き直った。


 謎の緊張感が走る。


「ふぅ~ん、あなたがリフレイアさんね……。画像では見てたけど……なるほどねぇ……」


 じろじろとリフレイアを舐めるように見るナナミ。

 リフレイアはナナミのこと自体は知っている。だが、なぜここにいるのかとか、いろいろ聞きたいことはあるはずなのだ。

 だが、何も言わずに観察されるがままだ。


「ヒーちゃんのこと、好きなんでしょう?」

「は、はい!」

「本気? どれくらい?」

「彼のためなら死ねます!」


 なんだこれは。

 なぜか圧迫面接みたくなっているが、いよいよ意味がわからない。

 ナナミはまっすぐにリフレイアの目を見つめている。

 対するリフレイアも、負けじと真っすぐにナナミの目を見詰める。

 俺とジャンヌは意味もわからないまま、ハラハラとそれを見守っていた。


「…………ま、セリカちゃんにもよろしく言われているしね。私は、彼の『最愛の』幼馴染のソウマ・ナナミです。これからよろしくね。リフレイアさん」

「はっ、はい! よろしくお願いします!」


 なぜか「最愛の」を強調して握手を求めるナナミ。

 妙な緊張感があったが、仲良くなれそうなら良かった。

 ナナミが来たなら、いっしょに行動する以外の選択肢はないのだから。


「なあ、ナナミ。詳しい経緯聞きたいんだけど。あ、そういえばフェルディナントってやつがセリカの彼氏だって言ってたけど、それ本当?」

「は? カレシ?」


 しかし、俺の発したその何気ない一言が、ナナミの逆鱗に触れた。


「ヒーちゃんさぁ。いろいろあったのは転移前に見せてもらったからわかるけどさ。ちょっと……歯ァ食いしばってくんない?」


 そう言うが早いか、バチーンと頬を打たれた。

 ビンタだ。


「目、覚めた? ヒーチャンはさ、もっと妹のこと信じてあげなさい。セリカちゃんもカレンちゃんもヒーちゃんのために、身を粉にして頑張ってくれてるのよ」

「お、おお……ありがとう。目、覚めたわ」


 久々に食らったナナミビンタは鉄の味がした。

 今となっては……確かにそうなのだ。俺は疑いすぎていた。バレバレな嘘に惑わされすぎていた。


「そうだよな……。セリカが俺を殺そうとしてるとか、そんなわけないわ……」

「そんなの信じたの? ばっかじゃない? セリカちゃんなら、わざわざそのことをヒーちゃんに伝えるわけないじゃん。事故に見せかけて殺すわよ。妹なめてんの?」

「それもそうか……」


 ナナミに言われると妙に納得できた。


 その後、ことの経緯を聞いた。

 俺はまだ開いていなかったメッセージを開き、どれだけセリカとカレンが、そして視聴者たちが俺を応援し続けてくれていたのかを知った。


「……それで、こいつはなんで俺を舐めてくるんだ?」


 一つ目の化け物であるアイは、未だにチロチロと俺の手を舐め続けている。

 

「幸せな味がするんだって。おなかがペコペコになったら食べちゃうかもだから、気を付けてね、ヒーちゃん」

「猛獣じゃん……。あ、そうだ。これ、預かってたから、返す」

「え?」


 俺はシャドウストレージの奥底から、ずっと昔にしまい込んだまま一度も取り出すことのなかったそれをナナミに渡した。


「私のアルバムじゃん。そっか、ヒーちゃんが持ってたんだもんね」

「ああ。泣かされたよ、こいつには」

「でも今となってはいらないかな。ヒーちゃんがいれば」

「そっか。じゃあ、預かっとくよ」


 なんとなくペラペラとめくると、懐かしい写真がいくつもあった。

 ふと、最後のページ。

 裏表紙の裏面にナナミの字で何か書いてあるのを見つけた。


「なになに、『私は生きて彼のところへ戻る。今度こそ絶対に好きって言うんだ!』……?」

「あ、あー! わー! なに読んでんの!」


 ナナミにアルバムをひったくられる。


「こんなの書いてたの完全に忘れてたよ。恥ずかしいなぁ」

「彼って誰のこと?」

「はぁ!? アホ! ヒーちゃんの鈍感バカ」


 懐かしいやりとりだった。

 まるで地球にいたころのような気分だ。


 俺が殺人者だと思われていると思っていたこと自体が、俺の勘違いで。

 ナナミも生き返ってすぐ側にいて。

 それでも、なにもかも元通りになるわけじゃない。

 ここは異世界で。

 ジャンヌとリフレイアという新しい仲間がいて。

 視聴者たちに見られているのは変わらなくて。


 変わったこともあるし、変わらないことも、たぶんあるんだろう。

 でも、今、この世界に来て初めてちゃんと前を見ることができたような気がする。

 この世界でクロセ・ヒカルとして生きていくという、当たり前のことができるような気がする。


 だから、ここから。

 ここから新しい人生を一歩ずつ歩いていこう。

 みんなで。

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