187 炊事洗濯掃除、そして奈落の人
「そうだ、クロ。メイドを雇う件はどうなった?」
急に思い出したのかジャンヌが言う。
この家を借りるときに、メイドを雇えばいいのではないかと提案されていたのだ。
「ああ、あれ。やっぱいらないんじゃないかなって。迷宮に潜るくらいしかやることないし、家事くらい俺がやるよ」
「クロがいいなら、それでいいが、私はなにもできないし、やらないぞ?」
「それほどやることあるわけでもないし問題ないよ。洗濯はちょっと面倒だけどな」
「私は手伝いますよ!」
正直に言えば、一人でこの広い屋敷を回すのはかなり難しい。専属の人がいれば楽ではあると思う。
だが、人を雇えば、どうしたって俺がいろいろ頼んだりなんだりする必要があるだろうし、ジャンヌとリフレイアと暮らしてみてわかったことだが、他人と一緒に暮らすというのは……文化的軋轢というか……想像していなかった気苦労があるのだ。
同じ転移者で、状況がわかっているジャンヌと、すでにある程度親しいリフレイアとでもそうなのだ。
さらに知らない人が増えるというのが、なんとも言えず嫌だった。
転移者特有の事情を隠さなくてはならないという点も、地味に面倒かもしれない。
「そのうち、どうにもならなくなったら人を雇えばいいだろ。今はまだ装備で金を使いすぎていて余裕もないし」
「む。まあクロがそれでいいなら。私は異存ない」
「私も大丈夫です。あー、それかお金次第ではうちで雇ってた子に来て貰ってもいいですね」
リフレイアの実家で雇っていた人なら信用できそうだし、悪くなさそうだ。いずれは雇ってもいいのだろう。
それに、家を任せられる人がいたら、俺たちはもっと迷宮探索に専念できるようになる。
だが、これ以上専念できる環境を作っていいのかという葛藤もある。
迷宮探索は危険な仕事だ。
普通は1回潜ったら数日は休むものらしく、現状でも俺たちはオーバーワークなのだ。
最下層を目指すと言ったって、別に厳密なタイムリミットがあるわけではない。視聴率レースの時のように無理をする必要など全くなく、どちらかというとパフォーマンス重視のほうが良い。
そう考えると、家にも仕事があって、両立する必要があるくらいでちょうど良いのかもしれなかった。
(それにまあ……料理はいいけど、掃除と洗濯がなぁ)
どこまで外注するかという話だが、この世界では洗濯と掃除が全部手作業であり、キッチリやろうとするとかなり時間がかかる。
水の大精霊の領域の恩恵で、家の脇に流れる上水用水路(水路は上水と下水が分けられていて、下水を上水に流すとめちゃくちゃ厳しい罰則があるらしい上に、水の大精霊にはそれが探知できるとかで、100%逮捕される。怖い)から、水の確保は楽だ。
ただ、洗濯そのものは洗濯板を用いた手作業だし(この洗濯板もクリスタルで出した物だ)、家の掃除もホウキとハタキ、ゾウキンで地道に拭いてとなかなか作業量が多い。
まあ、掃除はリフレイアも手伝ってくれるからまだマシではあるが……。
(探索を増やさなかったとしても、一部は外注でもいいかもな。せめて洗濯くらいは)
そんなことを考えながら、休むことなくムシャムシャと食べ続けていると、ジャンヌが呆れ顔で口を開いた。
「……しかし、お前らよく食べるな。私もそのうちそうなるのか?」
俺もリフレイアも、3本目のトウモロコシに取り掛かったところ。
このトウモロコシがまた美味しく、品種改良されてるのか? というくらい甘く、粒が大きい。ちょうど今が旬らしく、市場はトウモロコシだらけなのだ。
今日も朝から大鍋で20本茹でた。
「前衛のほうが位階は上がりやすいですからね。そのうちジャンヌさんも、私より食べるようになりますよ」
「そうなのか? 面倒くさいな……」
「え~? ヒカルの手料理をたくさん食べられるのって、すごい幸せじゃないですか? 私、すごく幸せなんですけど」
にへ~と笑ってそんなことを言うリフレイアにドキッとしてしまう。
リフレイアはたくさん食べてくれて作りがいがあるし、喜んでくれるのは俺も嬉しい。
特技と言えるほどではないけど、料理は数少ないできることの一つだからな。
「今日の料理も美味しいですし。ほんとヒカルってなんでもできますよね」
リフレイアの言葉にジャンヌは首肯しつつ、それでも大食らいになるのは嫌なようで渋い表情を作った。
「確かに美味い。でも、たくさん食べるのに時間を取られるのがなんかな……」
「確かに位階が上がりすぎると、一日中食べ続けることになりそうだな」
ジャンヌの懸念もわからないでもない。
これから先、より下層へと潜っていくなら位階だって相応に上げていかなければならない。
幸いにして迷宮の中では、空腹になる心配がないからいいが、迷宮に順応しすぎた人間は探索者以外の仕事はできなくなるのではないだろうか。
少なくとも食料の心配をしながら長旅をするのは難しいだろう。
まあ、俺の場合はシャドウストレージがあるから、あれにパンパンに食べ物を詰めておけば大丈夫だろうけど、それが無い探索者は一生そこから離れられないなんて可能性もある。
「この街で一番位階が高いのって、
「あの赤い巨大斧の人か。あのレベルでそうなら、わりと大丈夫なのかな」
「……ただ、いつも酒場にいますけどね」
「それって、事実上の『食べ続けてる』状態なんじゃ……?」
「どうでしょう。お酒は飲んでますけど」
ただの酒好きの可能性もありそうだが、いずれにせよ食欲はどんどん増していくはずなのだ。食費を稼ぐ為に迷宮に潜り、迷宮に潜るから位階が上がるというスパイラルに陥っていき、最終的には死ぬか、魔人になるかということなのだろう。
野生動物は、周囲の動物たちを食べることで雑多な精霊力を体内に取り込み、最終的に『怪物』へと変質し、そして人間は魔物から精霊力を取り込み、その雑多な……つまり混沌の精霊力で強化された肉体を以て、人間を超越した『魔人』へと変質する……らしいから。
「魔人か……。そういえば、魔人ってなにか普通の人間とは違うのか?」
リフレイアにそう問いかけると、最後のトウモロコシを食べきってから、彼女は答えた。
「ガーネットさんとかは魔人って呼ばれてますけど、大精霊様が言うには魔人の特徴はただ強いだけじゃなく、他にちゃんとあるらしいんですよね。私もちゃんと聞いたことはないのでわかりませんけど」
「ただ位階が上がった人間ってことじゃないのか」
「みたいです。グラン・アリスマリスくらい古い迷宮にならいるかもしれませんけどね。本物の魔人」
本物の魔人は角が生えてたりするのかもしれない。
それとも人間を食べるようになるとか?
可能性はある。食欲が増すというのは本当のことなのだし。
あまり位階を上げすぎるのはリスクもあるという警鐘なのかも。
まあ、いずれにせよすぐに俺たちが関係することはないだろう。
「さて、今日は3層を本格的に攻めるぞ。目標はガーデンパンサーと戦うことだな」
食後に今日の方針について話をする。
ジャンヌはガーデンパンサーと戦いたいようだが――
「パンサーは滅多に出ませんよ? マンティスより珍しいんですから」
「問題ない。パンサーが出て倒すまでは3層でずっとレベル上げだ」
そういうことになった。
新しい武器にも慣れないとだし、連携もまだまだ微妙だ。
リフレイアの精霊術もいざというときの切り札として戦闘に組み込んでいきたいし、やることはいくらでもあるのだ。
4層に行く前に、一通り完成させておきたい。
ジャンヌとリフレイアの準備を待つ間、ステータス画面の世界地図を開いて現在の状況を確認する。
まず転移者たちだが、メルティアの一カ所に8つの点が重なっている。
6人の第2陣転移者。彼らが転移してくる時に、微妙に街からズレた場所に転移してきたから、その数が6だとわかっているわけだが、現在は全員がメルティアの街に入ったから、完全に重なってしまい、何人いるのかわからないような状態だ。
高性能周辺地図があれば、どこにいるのか詳細がわかるのだろうが、6人の新規転移者も、高性能周辺地図は持っていないはず。あれはポイントがバカ高いわりに、使い所がかなり限定されるものだからだ。
視聴者数は少し減った。
新しい転移者が300人も増えたのだ。テレビでいうならチャンネルがいきなり増えたようなものだろう。当然視聴者は分散する。
もちろん俺としてはありがたい。
「む、あの奈落の転移者。まだ生き残っているな」
ジャンヌが地図を見ながら、珍しく驚きを表情に出して言う。
それだけ過酷な場所ということなのだろう。俺も地図で確認すると、たしかにぽつんと青い点がそこに残っている。
「たぶんポイントを残して転移したんだろ。結界石を使ってるんだと思う」
「あとはよほど強力な武器を持って転移したとかな。相手との相性にもよるが、地球のタツジンが体力アップを最大にして転移するなら、ある程度の魔物なら倒せるだろうし」
「ある程度のならな……」
俺は自分が転移した森を思い出した。
達人ならあのゴリラを倒せるだろうか? 未だに俺はあれを思い出すと背中が冷たくなるほどだ。現在の俺たち3人でも倒せるだろうか……? もしかしたら、倒せるかもしれないが、それだって精霊術が十分に育ったから言えることで、転移したての人間が倒せるとは到底思えなかった。機関銃で蜂の巣にすれば倒せるかもしれないが……。
普通に考えれば、ゴリラどころか、オオカミたち相手でもノーチャンスだろう。
まして、奈落は森よりも明確に「危険地帯」として認識された場所のようだし……。
「どういう状況かはわからないけど、頑張って欲しいな」
俺は奈落の転移者にシンパシーを感じていた。
状況はわからないけれど、俺だって生き残れた。生きるヒントを上手く使えば、俺のように有用なヒントを貰えるはずだ。可能性を信じて頑張って欲しい。
そして、生き残って欲しい。
第2陣転移者とむやみに接触するのは危険だと感じているくせに、そんな風に思っている自分がおかしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます