125 母、そして海
涙声を悟られたくなくて、俺はしばらく口を開くことができなかった。
母も俺と喋ることなどないのだろう。ただ黙ってグラスを傾けている。
数分の沈黙の後、トゥルルルと電子音が鳴った。
母親がいる部屋の固定電話からのようだ。
「ああ~、うっさいうっさい。せっかくスマホ置いてきたってのに、こんなとこでまでなんなのよ」
そう言って、母は受話器を上げ放置した。
元々、電話を面倒くさがるタイプの人だが、それに拍車が掛かっている。
……いや、酒を飲んでいる時は元々こんなもんだったか。
なにか大事な用事だったりしないのだろうか?
スマホを置いてきたというのも、自宅に置いてきたということに違いない。
画面の端にタブレットが見えるから、それがあれば十分ということなのだろう。母は妹達の影響で、かなり早い段階からタブレット派だったから。
「父さんは?」
「あのバカの話はしないでくんない? カジノにちょっと胸のデカいディーラーがいたからって、ずっと入り浸ってんの。付き合ってらんないわ」
どうやら父も相変わらずなようだ。
母親と繋がってしまったことは最悪を通り越した最悪で、気分も最低だが、それでもまだ電話を切るわけにはいかない。
「…………母さん、俺訊きたいことがあって。……訊かなきゃならないことがあって」
「どうしたのよ。私、難しいことはわかんないわよ。そういうのはセリカちゃんに訊いて」
「別に難しいことじゃないよ……。ナナミは……死んだんだろ……? オジさんとオバさんも……。それの犯人ってまだ俺ってことになってる……?」
視聴者数から考えれば、まだ疑いは晴れていないのだと思う。
だが、そうでない可能性も当然ある。
メッセージを開けない俺には……いや、仮にメッセージを開いていたとしても、真実などわからないのだ。
地球の新聞が読めるわけでもなければ、テレビが見れるわけでもない。
俺達と地球との繋がりは、あの誰から届いたのかもわからない一言メッセージだけなのだから。
「あー、あれ。あんたが犯人だって凄かったのよ。全然知らない奴に私まで文句言われるし、セリカちゃんが海外に引っ越すって手続きいっしょにしてくれたから良かったけど、日本じゃどこにいてもテレビ局やらなんやらが付いてくるし最悪だったんだから!」
「それは……悪かったよ。ごめん」
「まあ、アメリカに着いてからは誰も私たちのことなんて知らないし、セリカちゃんがお小遣いくれて遊んでていいよって言ってくれるし、セレブの仲間入りって感じだけどねぇ~。そうそう、車も新しくしたの。アストンマーティン。西海岸ドライブしてんだけど、これが最高でね。サンタバーバラの夕暮れなんて、夕日が真っ赤に染まって――」
ペラペラと調子良くしゃべり出す母。
結局、この人は自分がしゃべりたいようにしゃべるだけで、人の話を聞いてくれるようなタイプではないのだ。
それが、異世界に突然転移させられて、もう二度と直接会うことのない息子であっても。
だから、口を挟んでも不機嫌になるだけで、欲しい答えをくれる可能性は低いのだが、今はどうあっても訊かなければならなかった。
「母さん、時間がないんだ。犯人が捕まったかどうかだけでも教えて欲しい」
普通に考えれば、あの犯人が捕まってない可能性は低いと思う。
返り血だって浴びていたし、指紋だって残っていたのだろうから。
当然、俺だって容疑者としてリストアップされてはいただろうが、それを理由に捜査をしない……そんなわけはない……はずだ。
そして、捜査をすればすぐに犯人は見つかるのではないのだろうか。それとも、もっとはっきりとした証拠がなければ見つけるのは難しいのか?
無論、この開かずの間と化したメッセージボックスを紐解けば、どこかにその情報もあるのかもしれない。
だが、その真偽を確認する術がない。
世界中が俺を嫌っている中で、面白がって嘘のメッセージを送られたら、俺はそれに一喜一憂して踊らされることになる。
とにかく、母親ならば、あえてそのことで嘘を言ったりしないだろう。
だが、母の答えは期待外れのものだった。
「さぁ? 私、ニュースとか見ないし。そもそも、この船が出たの、あんたがいなくなってすぐのことだしね。少なくともそれまでには捕まってなかったと思うわよ? まだ捕まってないんじゃない?」
「そっか……。ありがとう」
やっぱりかという諦観があった。
自分でも不思議なほど、その事実はストンと胸に落ちた。
残念だったが、それはもう織り込み済である。
俺はもうずっと犯人扱いのまま生きていくしかないということだ。
それより、俺には気になったことがあった。
「……母さんは、俺が犯人じゃないって信じてくれてたの?」
犯人が現場から上手く逃げたのなら、俺が犯人としか思えない状況だったはずだ。
というより、俺が犯人じゃないとする根拠がないというか、とにかく状況証拠が「黒瀬ヒカルが犯人」と告げていたはず。
母親はゴシップ好きだし、テレビなんかじゃ面白おかしく幼馴染みを殺して異世界転移と騒ぎ立てたのではないかと想像できるわけで、母がそれを信じなかったというのが、不思議だった。
「最初はあんたがやったと思ってたわよ。でも――」
母が、その理由を口にする直前。
“ドン! ドン! ドン!”
少し離れた場所から、何かを叩く音。
その後から、英語で何かを言う声。
「あー、誰か来たわ。なにかしらね。よっこらしょ」
気怠げに立ち上がり、フラフラと歩き出す母親。
テレビ電話は話している相手にくっつくもののようで、画面もそのまま付いていく。
扉の前で、のぞき穴から外を確認する母。
この部屋だけではよくわからないが、世界一周旅行と言っていたから、つまりここは客船の一室なのだろう。
背景を見るだけでも、かなり豪華だ。
セリカがこれをプレゼントしたというが、夫婦で数百万からヘタしたら1千万くらいはするのではないだろうか。
「……ねえ。ホテルマンというか、支配人? なんか偉そうな人が立ってるんだけど。あいつがなんかしたのかな。カジノでイカサマとか……」
あいつというのは父のことだ。
うちの両親は、仲が良いんだか悪いんだかよくわからない夫婦だが、父の浮気も散財もなんだかんだでいつも母は許してきたから、一般的な家庭のソレとは大きく違うにせよ、仲は良いと言えるのかもしれない。
「出たほうがいいんじゃないの?」
「嫌よ。連帯責任とか取らされるかもだし……。マフィアにケジメ取らされたりするんじゃないの? あんたも知ってるでしょ? あいつ、正真正銘のアホだから……」
父は極道の息子で、バカなことをやりすぎて勘当されたような人間だ。
俺も父親らしいことをしてもらった記憶はほぼないが、母よりは、いくぶんかマシだったはず。
いくらなんでも、こんな場所でイカサマをしたりはしないのでは……?
ドアの向こうから英語で何かを言っている。
俺も少しは英語が分かるが…………娘から緊急の……電話?
「母さん、たぶんセリカからの電話だと思う。出て欲しい。俺もあいつに聞きたいことあるから」
「ええ~。そうなの? しょうがないわね……」
母が扉を開けると、支配人は落ち着いた様子で、何かあったかと心配しました。娘さんから緊急の電話ですよ。というような事を言い、受話器を母親に渡した。
俺は当然直接話せないから、母親を挟んで話さなければならない。
だが、セリカなら、俺が求める答えを持っているはず――
「あー、セリカちゃん? どうしたの? うん。そうそう。お兄ちゃんと話してるの。あっはっは。え?」
何かをセリカから伝えろと言われたのだろう。
母の視線がこちらへ向き、口を開きかけた瞬間――
ブツリと、地球との繋がりが切れ、ただのステータス画面へと戻った。
20分が経過したからだろう。
(時間切れ……か)
突然現実に引き戻されたような感覚だった。
セリカが何を言おうとしたのか。一言文句を言ってやろうとしていたのか。それとも、別の何かなのか。
もはや、どうでもいい気分だった。
犯人逮捕を母が知らなかった時点で、答えは出ているのだ。
ああしてセリカから定期的に連絡が来るのなら、犯人逮捕を知らないなんてことあるわけがない。腐っても身内の話なのだから。捕まったのなら必ずそう伝えるだろう。
つまり……そういうことなのだ。
(……でも、家族みんな元気なら良かった)
(……セリカもカレンも元気らしくて良かった)
俺がいなくなっても、世界はまわる。
それぞれに人生があり、それはたとえ俺が異世界にいようと――たとえ俺が死のうと変わりはしない。
倒れ込むように、半ば衝動的に俺は桟橋から海に飛び込んだ。
やけに暖かい海水が身体を包みこむ。
俺は重たい身体を動かして沖へと泳いだ。
――本当によかったわ。選ばれたのがあんたで。
――セリカちゃんかカレンちゃんだったらと思うと、ゾッとする。
母の言葉が頭に響き渡っていた。
なにも考えたくなかった。
なにも考えられなかった。
親の言葉で俺が傷付けられた場面など、視聴者たちからすれば、最高の娯楽だろう。
そんな姿は見られたくなかった。
「うわぁああああああ!」
どこに向かっているのかもわからず、ただ泳いだ。
迷宮探索で鍛えられた身体は、泳ぐ程度で疲れることなどなく、どこまでも泳いでいけそうだった。
だから、泳いだ。
涙も、絶望も、見破られることのないように。
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