121 横たわる未来、そして白い自由


 這々の体で俺はギルドからぬけだした。

 報奨金の金貨10枚はとりあえずギルドにそのまま預けてある。

 その金を使わなくても、リフレイアとの迷宮探索で蓄えた金が十分にあるし、将来の貯蓄としても良いだろう。


 もう、俺はずっとこの世界で生きていくしかないのだ。

 リフレイアにも俺は生きると言った。

 それなら、未来のことだって考えていかなきゃならない。

 今はまだ、どんな未来があるのかなんて想像もできないけど、イヤでも考えていかなきゃならないのだ。


(とりあえず、聖堂騎士にだけはなれないんだよな)


 リフレイアの職場に遊びに行くのも無理だろう。

 聖堂騎士になるのは、引退した探索者のかなり有力な再就職先らしいから、これも「精霊の寵愛」のデメリットだと言える。

 

(店をやるという手もあるのかな。こういう時に社会人経験がある転移者は有利なんだろうな)


 街をほっつきあるきながら、そんなことを考える。


(あるいは、学校に入るなんて手もあるのか)


 学問体系としての魔法があるような世界なら、魔法学校みたいなものがあっただろうが、残念ながらこの世界の魔法は精霊との契約で成立するもので、学んでどうのというよりは、感覚的なもの。

 魔法使いというよりは、シャーマンのほうが近いだろう。

 

 魔法学校がないなら、日本で中学を出ている俺がいまさらこの世界で学ぶものがあるのか微妙なところだ。もちろん、俺が知らないだけで、どこかに高等な学問を教えてくれる場所がある可能性もあるだろうが……。

 

(農業という手もあるかなぁ。あとは木こりとか)


 どっちも難しいような気もする。

 農業は知識がないし、木こりのこともわからない。

 現地の人に教わればいいのだが、特段それをやりたいという気もしなかった。


(結局、探索者か……)


 命の危険はある。

 だが、俺は性能的にメルティア大迷宮の2層の攻略に適しすぎているのだ。他の職業では考えられないくらい効率的に稼げるだろう。

 それならば、探索で稼いで、その金で好きなことを見つけたりとか、他にやりたいことを探す感じでも良いだろう。

 それに、あの暗い2層での狩りがメインならば、視聴率レースで膨れ上がった視聴者たちを減らすこともできるはずだ。


「となれば、少しずつでも普通に生活していかなきゃな」


 さしあたり、風呂には定期的に入ることにしよう。

 体を温めて、ちゃんとした場所でちゃんと寝る。

 なるべく日の光も浴びて、食事も毎食ちゃんととる。


 当たり前の生活を、当たり前に実行する。

 それが、この世界で生きると決めた俺の最初のミッションだ。


 ◇◆◆◆◇


 さて。

 当たり前の生活といっても、自分はこの世界のことをよく知らない。

 リフレイアも地元に帰ったし、知り合いもこれといっていない。アレックスパーティーなら、いろいろ協力してくれるかもしれないが、彼らがどこに住んでいるのかも知らなかった。


「生活のこと……少しずつ考えていくか」


 神殿に近付かないように、街をぶらぶらと歩く。

 自分がなにをしたいのか。

 自分がどうなりたいのか。

 そんなこと、こっちに来てから一度も考えたことがなかったのだ。


 俺は異世界転移者で、ずっと見られているから、誰かと生活するのは難しいだろう。

 必然、一人で生きていくことになるわけだが、それだってどんな生き方があるか、俺はその選択肢すら持っていない状態なのだ。


 魔王討伐の褒賞で、金貨が10枚も貰えた。

 まだ預けたままだが、それを資金にすれば、いろんなことができるのだろうが――


「……さりとて、別にやりたいこともない……か」


 俺は、転移する前まで、妹たちのサポートばかりやっていた。

 趣味もこれといってないし、好きな食べ物も……これといって思いつかない。

 いつも、妹たちの手伝いをしたり、妹の代わりに怒られたり、妹の代わりに親や祖父を説得したり頼み事をしたりしていたような気がする。

 ある意味では、この世界に来て、俺は親からも妹たちからも自由になったといえる状況だった。


(複雑な心境だな……)


 別に、親や妹たちから解放されたいなんて願っていたわけじゃない。

 俺は俺の生活に満足していたし、ただ普通に生きていければいいと思っていたのだ。


 だが、主体性はなかったかもしれない。

 高校も学力的にも合っていたからそこにしただけだし、妹達に高校では部活に入らないで早く帰ってきて欲しいと頼まれれば、実際にそうしていたわけだから。


 水の大精霊のテリトリーは、道の横に小川が流れる、美しい水の街だ。

 道路は石畳になっていて、建物も石造りで品のあるものが多い。

 市場では、多くの店が建ち並んでいる。食べ物が文字通り山のように積み上げられ、これが旅行だったのなら、さぞかし好奇心が刺激される光景だっただろう。


「……自由か」


 ステータス画面を開けば、ただ街を歩いているだけなのに視聴者数は1億人を超えていた。

 それだけの人間から監視されている状況で、自由もなにもないだろう。


 ただの暮らしであろうと、それを覗き見てやろうという視聴者たちと、俺が失敗するのを願う人々の視線が、24時間休むことなく俺を苛み続けていた。

 普通に考えれば、すべての視聴者が俺が殺しの容疑者だと知ってから視る……というわけではないだろう。

 そんなものがあるかどうかは知らないが、ランキングみたいなもので上がってきたから視るとか、そんな理由だったりするはず。

 視聴者たちが、どういう風に俺達を視ているのかは、事前に神が通知していた内容以上にはわからない。テレビでもパソコンでもスマホからでも自由に視れる。そういう触れ込みだったはずだ。

 視てから、ちらりとでも俺のことを調べたら、俺が「ナナミ殺し」の容疑者であるとすぐにわかるはずだ。そして、「そんな酷い奴だったのか、こいつは」「何食わぬ顔して異世界を満喫していたのか」と認識を改めるのだろう。

 そんな流れを想像するだけで、心が疲れる。


「……俺は犯人じゃない」


 歩きながら小さく呟く。

 意味の無い行為だ。

 犯人だと思われている人間が「違う」と言ったところで、どうなる?

 どうにもなりはしない。

 より嫌疑が深まるだけだ。


 ――小さな頃、妹たちの悪戯はすべて俺のせいになった。

 妹たちが後になって母親に謝っても、やはり俺が怒られた。

 あんたのせいで、セリカが悪いことを覚える。

 あんたのせいで、カレンが余計なことをするようになる。


 最初のころは弁明もしていたが、説得するのは無理なのだといつのころからか諦めることを知った。

 幸い妹達は聡く、小学校高学年くらいからは兄を困らせないように行動することを覚えたが、俺は結局、血の繋がらない母親とはずっとギクシャクしたままだった。


 仲良くしたいと思っていた。

 自分から親と距離を取っていたナナミとは違い、俺は親とも普通に接したいと思っていたのだ。


 犬を一匹捨てた。それだけのことで娘からの信頼を失ったナナミの両親を見ていたから、余計にそう思ったのかもしれない。

 ナナミの両親からは、何度も説得を頼まれた。だが、ナナミは度を越した強情で、決してそのことを許すことはなかったのだ。

 そして、結局、娘に許されることなく、唐突な終わりを迎えた……。


(おじさんもおばさんも……あいつに殺されたんだよな……。ナナミも……)


 本当は……もっと怒るべきなのだろう。

 怒って、喚き散らして、糾弾して。


 だが、いきなり異世界の森に放り出された俺は、そのタイミングを逸してしまっていた。


 もうナナミは帰って来ない。


 ――悲しい。

 その想いは常にこの胸にあり、そして、どう足掻いても、もう犯人に俺の手が届くことはない。その事実だけが、心の中で冷たく横たわっていた。


 ――憎い。

 ナナミとの思い出が脳裏に過る度、彼女の未来を奪った犯人への憎しみが湧いてくる。

 だが、俺はその憎しみを素直に表に出すことができなかった。

 ……一度たりとも、その気持ちを外に出したりはしなかった。


 俺を見ている人たちは、俺が犯人だと思っているから。


 俺が犯人を糾弾してみたところでどうなる? 

 自作自演で怒ったふりをしていると笑うだけだろう。


 俺が犯人が逃げおおせてると悔しがったところでどうなる?

 どうせ、架空の犯人に罪を押っ被せようとしていると笑うか、そうでなければ頭がおかしくなったと嘲笑うだけだろう。

 

 視聴者たちは、真犯人の味方だ。

 その視聴者たちに、胸の内を晒したくはなかった。

 犯人を憎む気持ちさえ、笑われ消費されることが我慢ならなかった。


 名前も知らない犯人。

 視聴者たちが、手出しできない場所にいる俺を憎むように。

 俺もまた、犯人に手出しできない場所にいる。


 ここが地球であれば、写真を見て「こいつです!」と指せば終わりだろう。

 だが、異世界にいる俺には、犯人に対して何もできたりはしない。

 ただ、俺だけが真実を知っているというだけ。

 俺が……。俺だけが、犯人を知っている。

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