103 最後の共闘、そして角笛の音色
「ウォオオオオオンンン!」
質量をも伴うような大音声で吼えたマルコシアスが、バサッと翼を広げ、空に舞い上がる。だが、もう俺達が無理をする必要はない。このまま見送ろう。
大精霊のように魔王にも結界石の内側が見えていてくれれば、半日足止めができたのだが、そういう美味い話はないようだ。
「あ、あの……ヒカル……?」
「どうした? どこか痛いのか? あれだけの血を失ったから、気分が悪かったりとか」
「い……いえ、それは大丈夫です……けど」
「ん? 少し顔が赤いな。スクロールの副作用か……?」
スクロールはもしかしたら、地球人専用なのかもしれない。
傷は問題なく癒えているように見えるが、この世界には精霊力とかいう謎な力が存在するのだ。なんらかのデメリットがあっても不思議ではない。
リフレイアの額に手を当ててみる。
熱はないようだが、リフレイアは瞳を潤ませて、顔どころか全身を赤くしている。
「やっぱり、副作用があるのかっ? くそっ……、どうする……どうすればいい……?」
「あ、あの……ヒカル。わ、私、大丈夫ですよ……? ただ、ちょっとその……距離が近くてびっくりしちゃっただけというか……」
「距離?」
言われて、俺は初めて今の状況を客観的に見た。
身体を横たえたリフレイアを、後ろから抱きしめるように支えている状態のままだった。
「わっ、悪い!」
「あんっ、そんな急いで離れなくてもいいのに」
「んなこと言って……。ケガは本当に大丈夫なんだな?」
「うん……それは大丈夫だけど……ごめんね。私……バカだから、わかんなくなっちゃって、無理だってわかってたのに……止められなくて」
顔を伏せて、傷跡すら残っていない脚をさするリフレイア。
俺が彼女を追い詰めた結果だ。そのことを責めるつもりもない。
もちろん、二度あっては困るが。彼女も反省している――なにより、身をもって理解したことだろう。
「今までが上手くいきすぎてたくらいだよ。このタイミングで良かったくらいだ」
「でも……」
「でももなにも、強い相手には簡単に負けるし、殺される。そういう当然のことが体験できたのは良かっただろ」
引き際を知るには、結局経験が大切なのだ。
押すべき時に押せるだけ押す。引くべきタイミングでは素早く引く。
その戦闘の駆け引きは実戦の中で学んでいくしかないのだが、閾値を超え「負ける」という経験は、実戦では通常「一度しか」できないものだ。そして、それはそのまま『死』を意味する。
その体験をして、なおかつ生き残る。
それは彼女がこの先騎士になってからも、必ず活きるはずだ。
俺は元々安全マージンを大きめに取るタイプだが、今回のことで、魔物の怖さを再確認できたという点で、プラスだった。
……彼女との冒険は今日が最後になる。
そういう意味でも、この「負けて死にかける」経験は、別れる前に俺からできる最高の贈り物なのかもしれなかった。
「でも……私すごい怪我でしたよね? どうやったんですか。あの巻物みたいので治したみたいですけれど」
「ちょうど回復術を封じ込めたやつを持ってたから。でも、もう次はないからな」
大癒のスクロールの効果は絶大だが、3ポイントは簡単に稼げる数字ではない。
そして、二重の意味でも次はないのだ。
リフレイアとの共闘も、視聴者レースが終わった今となっては、必要のないものなのだから。
「それにしてもすごい効果ですね。私、死んじゃうんだって……覚悟したのに。嘘みたい」
ピョンピョンとその場でジャンプして、調子を確かめるリフレイア。どうやら、本当に副作用はないようで、顔にはまだ赤みが残っているが、問題はなさそうだ。
「死にかけたのは本当だから、このまま結界の中でゆっくりしていこう。魔王はもうどっか行ったし」
「えっ、でもヒカル、魔王を倒して目立って一番にならなきゃダメじゃないんですか? 私、もう大丈夫ですから行きましょう」
いや、もう終わったから――
俺は、そう言いかけて口をつぐんだ。
言えるわけがない。棄権したなんてことは。
もちろん、リフレイアのケガを治すために棄権したなんて、バカ正直に言う必要はないだろう。だが、このタイミングで終わったなんて言ったら、自分のケガが原因であると彼女は感じるだろう。
俺とリフレイアはチームだ。
彼女がケガをしたことは俺の責任でもあるのは言うまでも無い。
「まだ魔王倒せてませんし、他に怪我人が出てもおかしくないですし……私、もう無理はしませんから……ね?」
「無理しないと約束できるか?」
「約束します。それに、もう絶対に負けないって」
俺の問いに、リフレイアは胸に手を当てて力強く言い切った。
若干の不安はあるが、乗りかかった船だ。
今日だけは最後まで戦いきろう。
二人で。
◇◆◆◆◇
残っているポイントはゼロ。
クリスタルはいくらかあるが、ポイントを前借りしたことで、3ポイントを完済するまで、これは使うことができない。前借りする前に、ポーションにでも替えて置けば良かったが、後の祭りというやつだ。まあ、状況的に不可能だったというのもあるし。
魔王は|解術(ディスペル)してくる。
闇自体は有効だから、相性が悪いということはないが、単純にこちらの戦力が足りない。
他のパーティーとの協力は必須だ。
俺とリフレイアは、結界の外に出た。
結界は魔王だけでなく、単純に外敵を遠ざける効果がある為、魔物も近くにはいない。
魔王の、凄絶とも言える叫びに似た鳴き声は間断なく聞こえてくる。
「とにかく魔王を見つけるぞ。空を飛んでるから、見つけるだけで一苦労だな」
「入り口の方に行ってくれてればいいんですが」
「少なくとも飛んでったのは、そっち方面だから、大丈夫だろ」
入り口方面へ走り始めてしばらくして、ブォーと角笛の音が少し離れた場所から聞こえてきた。
続いて、探索者たちの怒号。
どうやら、他のパーティーと戦闘が始まったらしい。
「ヒカル! あっちからです!」
「ちょ、ちょっと待て、俺はこっちからに聞こえたぞ!? ああもう、霧が嫌らしいな!」
この層は、深い霧がなければ見渡しの良い階層だろうに、視界は悪いわ、音は乱反射するわで、方向感覚が狂いやすいのだ。
「待て待て待て、角笛ってフレーズで場所を特定できるんじゃなかったのか?」
ブオーブオーと、ただやみくもに吹いているようにしか聴こえない。
あるいは、これでわかるのだろうか。
「これじゃダメですね。角笛の練習をちゃんとしてないパーティーなんじゃないですか」
「それじゃ意味ないだろ!?」
「角笛の講習を真面目に受けてる人って、少ないですからね……私も実はちゃんと受けたことないので……フレーズがちゃんとわかれば場所の特定できますけど……自分で吹くのは苦手というか……」
「探索者ってやつは……ホント……」
「あっ、魔物ですよ、ヒカル!」
ホブゴブリン2体とトロール1体だ。
魔王を追いたいが、この霧の迷宮では魔物をスルーするのは難しい。倒して前に進む以外にない。
「リフレイアはゴブリンを頼む!」
リフレイアが死にかけ、なによりもナナミの蘇生を諦めたことで、俺はこの世界にいる自分がどうしようもない現実であるのだと、ようやく本当の意味で認識することができた。
……いや、そんなややこしい言葉を使う必要もない。
覚悟――あるいは諦め。
俺はこの世界に生きていて。
俺はこの世界で生きていく。
ただ、そのことが心の奥底で理解できたというだけという話。
「ダークネスフォグ!」
不思議と身体が軽く感じた。
ずっと感じていた昏く粘つくような何かが、少しだけ取り払われたかのように感じる。
闇の中で反応できずにいるトロールへ走り込み、喉元へ一直線に短刀を突き入れる。
精霊力の命脈を絶たれた魔物は、ゴトンと音を立て拳大の精霊石へと姿を変えた。
「リフレイア。戦えるか?」
「えっ? なにがですか?」
振り返るとリフレイアのほうも終わっていた。
大けがを負ったことで、戦闘がトラウマになっていたりしたら――そう一瞬考えたが、どうやら杞憂だったようだ。
ヤバい状態なのか、角笛はひっきりなしに鳴らされている。
俺とリフレイアは一度落ち着いて耳をそばだて、位置を探った。
霧の迷宮では音が乱反射するのか、位置の特定は容易ではない。
「あっちだ! って、入り口のほうじゃん! くそっ、時間を無駄にした!」
「行きましょう!」
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