006 転移、そして森の香り

 カウントダウンと同時に辺りはまばゆい光に包まれ、俺は堪らず瞳を閉じた。

 同時に、地面が抜けたかのような浮遊感。

 反射的に何か掴むものを求めて、両腕をバタつかせるが、触れるものなどなく、ただ為すすべもなくどこかへ落ちていく。


 次の瞬間。

 俺は背の高い木が立ち並ぶ森の中に立っていた。

 風でガサガサと木々が揺れる音。濃密な緑の臭い。

 自分以外の人間は見当たらない。

 俺は状況を理解し息を飲んだ。


 ――ランダム転移。


 運悪く――いや、当然というべきか、俺は深い森の中に転移してしまったらしい。

 少し歩けば街へと出る……そんな可能性もないではないが、楽観的すぎるというものだろう。


『ピンポンパーン! 異世界へようこそ、転移者ナンバー1000番、クロセ・ヒカル。簡単にステータスボードの説明をします! まずは、ステータスを呼び出してください。口に出しても、心の中で呼びかけてもOKです』


 その声は、突然頭の中に鳴り響いた。

 周囲には誰もいない。

 どうやら神サイドから、転移者に対して簡単なチュートリアルを実施してくれるらしい。


「ステータス」


 半透明の画面が空中に出現する。

 サイズはそこそこ大きく、ちょうどパソコンのディスプレイみたいな感じだ。


『そのステータスボードから、各種の情報の取得、アイテムやスキル、ギフトの交換、人気番付やリアルタイム視聴者数、残ポイント数、クリスタル所持数を確認することができます』


 タブの切り替えにより、いろいろな情報が得られるようだ。

 俺は能力割り振りの途中で時間切れになったから、ポイントが24残っている。どうやら、このポイントも異世界で使うことができるらしい。


『クリスタルは、それ自体でアイテムなどと交換できますが、30個集めることで、1ポイントと交換することができます。クリスタルは、視聴者からの人気や各種のイベントで獲得することが可能です』


 なるほど、人気者であるほどポイントがゲットしやすく、それにより異世界での生活難易度が下がるというわけだ。


『アイテムの交換は、任意のアイテムのページで交換するボタンを押してください。ポイントに余裕があれば、今、交換してもかまいません』

「……それより、今、この状態は安全なのか?」


 俺は最初から感じていたことを尋ねた。

 なにせ、どこかもわからない深い森の中なのだ。

 いきなり魔物が現れて襲われる可能性もある。

 今、こうしている間にも危機が迫っていないとも限らない。


『チュートリアル中は安全が確保されています。周囲に生物を遠ざける結界が展開されています』


 なるほど、街に転移した人間なんかは、突然現れたら現地の人に驚かれるだろうから、そういう配慮か。そして、それが魔物にも適用されている、と。


「じゃあ、ゆっくりアイテムを選んでもいい?」

『かまいません』


 ステータス画面には残りのポイントが表示されている。

 24ポイント。これが俺の生命線となる。


「服と靴が欲しいが……」


 神からのサービスなのか、裸足ではなく、いつのまにかサンダルを履いている。服も白い部屋で着てた病人服ではなく、木綿の上下だ。ズボンの下には下着もある。

 最低限という感じではあるが、ありがたい。

 これなら、今最優先すべきアイテムは別にある。

 なにせ「ランダム転移」だ。現在地がわからなければ、どうにもならない。

 俺はアイテムのページを開き、地図を選ぶ。


「世界地図 1ポイント」

「高性能世界地図 3ポイント」

「周辺地図 1ポイント」

「高性能周辺地図 5ポイント」の4つ。


 説明によると、どの地図にも現在地の表示機能があるらしいから、1ポイントで交換できる普通の世界地図でも足りるだろう。周辺地図に関しては、半径10キロ範囲の地図ということなので今は交換しない。


 問題は普通の世界地図にするか、高性能世界地図にするかだ。

 この2ポイントの差は大きい。転移者基本パックを持っていない自分にとって、残りポイントは文字通りの命綱だからだ。

 無駄にポイントを使うほど、死が近づくと考えたほうがいい。


「とはいえ、ここでケチってもな……」


 と、交換するボタンを押す寸前で、俺は思い止まった。

 もしかしたらすぐ近くに街や村がある可能性に思い至ったからだ。ランダム転移なのだ、可能性は低いだろうがありえる。

 1ポイントに泣く結果になるかもしれない時に、安易にポイントを使っていいわけがない。もう少し慎重になるべきだろう。

 せめて周囲の状況を確認するなど、できる範囲の情報を得てからでも遅くない。


 俺は交換をやめて、現状で交換できるものをすべて確認しておくことにした。状況次第で上手く立ち回らなければ、待っているのは確実な死だ。


「これって交換すると、すぐに出てくるのか? 虚空から?」

『はい。ステータスボード上から瞬時に出現します。この世界の原住民にはなるべく見られないほうがいいでしょうね』


 声がさりげなく異世界での生活でのヒントをくれる。

 少なくとも、この世界では何もない場所から、アイテムが出てくるのは不自然ということだ。当たり前のことだが、当たり前ではない。

 ここは地球ではない、謎だらけの異世界なのだから。


「それで、この場所はどこ? 近くに人里は?」

『お答えできません』

「ヒントをもらえたりは?」

『クリスタルを使用して、ヒントを訊くことは可能です。この最初の説明が終わり、冒険がスタートしてからになりますが』

「つまり、まだスタート前の扱いだってことか」

『そうなります。異世界転移について基礎知識のある地球人ばかりではありませんから』


 もう一度ステータス画面を確認すると、この場所に転移されてからそれなりに時間がたつのに、未だにリアルタイム視聴者数はゼロのままだった。

 なるほど、まだ見れない状態なのか、あるいは見えているけれど数字は反映されていないかのどちらかということか。もしかすると、俺は元々転移者に選ばれていなかったから、誰も存在に気付いていない可能性もある。

 ……まあ、あまり見られたいとも思わないが。


『アイテム交換はどうなさいますか?』

「今はやめておくよ」

『それでは、これにてステータスボードの説明を終了いたします。そして最後に、我々から一つだけ初回転移の特典として、身体能力強化系、または耐性系からランダムで一つ能力を付与させていただきました』


 意外とサービスが良い。

 確認してみると身体能力の『毒耐性』がレベル1に上がっていた。


「毒耐性か。これは当たりのほうなのでは?」


 毒耐性は3ポイントだ。

 5ポイント必要なやつが大当たりなのだとしたら、中当たりくらいだろうか。

 嗅覚や味覚アップだったら、1ポイント分だったわけだから、実質2ポイント分も得したと言えるかもしれない。

 ともあれ、これで少しは生存確率も上がっただろう。


『この世界でどのように生きるか、それは自由です。視聴者たちは常にあなたと共にあります。彼らの協力が得られれば、よりこの世界での充実が得られるでしょう。グッドラック』


 一方的に幸運を祈り、声は消えた。

 それと同時に、ザワザワと森の気配が濃密になったように感じる。

 何か得体の知れないものに皮膚を撫で続けられているかのような違和感。

 まさに、さっきまでは「スタート前」だったのだ。

 そして、今スタートした。

 そうなれば一刻の余裕もない。


 俺はサンダルを脱ぎ、目星を付けてあったすぐ近くの大木に登り始めた。

 幸い、枝が複雑に張り出した奇妙な樹で、それでいて樹高が高い。樹表はブナに似ている。なんとかよじ登れそうだ。

 毒のある虫などがいる心配もあったが、さっきもらった毒耐性が仕事をしてくれると信じよう。

 とにかく今は速度が重要だ。


「ぐっ、よっ、はっ」


 木登りなどほとんどしたことがないが、俺は今死にものぐるいになっているのだろう。下を見ると、下腹部がヒュンとなるが、なんとかかなり高い場所まで登り切ることができた。


 そして――


「はは……。マジかよ……」


 周囲に広がっていたのは見渡す限りの森。そして山だった。

 見える範囲に人里などない。

 人の手が入った形跡など360度どこにもない大自然。


 もちろん、どこかに人里があるかもしれないし、山を一つも越えれば、街がある可能性だって否定はできない。

 だが、この濃密な気配の森を一山分越える――それだけでも、命懸けの冒険になると、はっきりと理解できてしまった。


 俺は少し降りて太い枝が二股になっている場所に腰掛けると、ステータスを呼び出し、「高性能世界地図」を3ポイント使い交換した。


 ステータス画面のタブ部分が輝き、そこに「世界地図」の項目が出現する。

 高性能地図は「現物」が手元に出てくるわけではなく、ステータス拡張能力だったようだ。


「さて……これで生きるか死ぬか決まるのか」


 マップのタブを指差す手が震える。

 そのくせ、妙に落ち着いている自分自身がおかしかった。


 人里まで、どれくらいの距離だったら生還できるのか。

 3ポイント使ったことで。残りは21ポイントだ。

 たったそれだけのポイントで、何ができるのか。


 俺は、肉体的なバフは一切なく、「精霊の寵愛」とかいう謎の力と「暗視」に長けた一般人でしかない。

 一応、ちょっと毒に強くて、病気になりづらくて、老けにくいというのもあるか。

 サバイバル技術もないし、速く走れるわけでもない。

 当然、戦闘力だってない。


「頼むッ……!」


 神に祈りながら、俺はマップを開いた。


「……ふ、ふふっ……ランダム転移は、序盤のお笑い枠か。ハハッ……」


 ――諦めにも似た乾いた笑いが出た。

 高性能地図は、確かに高性能だった。

 一番近くの街の位置、そして距離まで教えてくれるのだから、こんなに頼れる力はない。

 だが、だからこそ希望を打ち砕かれるのに十分すぎる破壊力があった。


 俺が今いる場所は「リングピル大陸・東の魔境」。

 周囲の人口密度は10段階中0。

 危険度は6段階評価中4点。

 一番近くの人間がいる場所は「東の砦」で、直線距離で373キロメートルとある。

 

 俺は、深い、深い森の真ん中に転移させられていた。


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