004 ナナミ、そして一つの終わり

 その時が来たら、神によってえらばれた1000人は異世界へと飛ばされる。

 タイミングはグリニッジ標準時の1月1日の0時。

 日本では時差により、朝の9時に出発となるとのことだ。

 その日はあいにくの雨で、元旦に雨が降るのは珍しいと朝の番組が告げていた。


 俺はナナミに最後の別れをするため、傘をさして家を出た。

 玄関を出ると、ちょうど来たところなのか、少し離れた場所にテレビ局のクルーがいてカメラをこちらに向けているのが見えて、俺は軽く会釈した。

 俺の家は狭いくせに交通量の多い路地に面しているから、テレビ局が何人もで道を塞ぐと渋滞が発生するのだ。

 ナナミが選ばれた当時、けっこうそれでトラブルになった関係で、少し離れた歩道に彼らは陣取ることにしているのだ。まあ、彼らがナナミを追うのも今日が最後だろう。


 異世界について、ついに神は必要以上の情報を公開しなかった。

 わかっていることは、地球に似た世界であること、剣と魔法のファンタジーな世界であるということ。転移者は転移者毎に割り振られたボーナスポイントで自己を強化したり、アイテムと交換して、ある程度好みの状態でスタートできる――それぐらいだ。


 俺がナナミにできたアドバイスは、それほどない。

 多少肉体を強化できたとて、ナナミが魔物と戦うというイメージが浮かばなかったのだ。だったら、街で無難に暮らす以外に選択肢があるだろうか。

 それなら、変に自己強化にポイントを振るより、アイテムやお金に換えたほうが良い。だけど、弱いのにお金やよいアイテムを持っていたら強盗に殺されるかも……。ならば、やはり力は必要になるのか……? と、堂々巡りで答えが出なかったのだ。

 うちの下の妹は、強化に必要なポイントが大きいものは後から手に入らない可能性が高いから、そういうのをチョイスすべきとか言っていたが、俺達は元々頑健なゲームのキャラクターではないのだ。

 だから結局、どういう力を選べるのか見て決めるしかない。その上で、バランス良く割り振るのが無難。

 そういう結論に達した。

 

「……ちょっと遅れちゃったか。それにしても、ナナミん家、静かだな?」


 まだ朝の8時だが、今日出発だってのにまだ寝ているのだろうか。

 転移者たちは、本来ならば東京の会場で、大観衆に見守られながらの移動となる予定だったのだが、ナナミはこれを辞退した。最後は家族と過ごしたいと、テレビの中継も断っている。

 まあ、直前になれば空気を読まないマスコミが来るのかもしれないが、今は誰も来ていない。意外と転移者の最後の願いを聞き入れてくれるつもりなのかもしれない。

 神による天罰が怖くて無理なことをしないだけなのかもしれないが。


「おはようございまーす! ヒカルでーす」


 玄関が開いていたので勝手に中に入るが、どうも様子が変だ。

 電気は付いているのに、物音がしない。

 ナナミの家とはガキの頃からの家族ぐるみで付き合いがあるが、娘が旅立つ日にまだ起きてないなんて考えにくい。

 俺は胸騒ぎと共に、靴を脱いで上がり込んだ。

 ダイニングに続くドアは閉まり、電気はついているがシンと静けさだけが張り付いている。


「おはようございまーす! ……変だな」


 もう転移してしまったのだろうか。

 俺はなぜか嫌な予感がして、ナナミの部屋へと向かった。

 彼女の部屋は二階だ。


 静寂に包まれた家では、雨音と俺の心音と歯の震える音だけが響き渡っているかのようだった。


「ナナミ……? いるのか?」


 ドアをノックしても、返事がない。

 俺は、意を決してナナミの部屋のドアを開けた。

 そして、そこに彼女はいた。


 ベッドにもたれ掛かるようにして、ナナミは目を閉じてその体を横たえていた。

 腹部……いや、上半身の全面から赤黒い血が流れた跡があり、それは夥しい血の海となりカーペットを染め上げている。


「ナ……ナナミ……?」


 倒れ込むように彼女の下に駆け寄る。


「ナナミッ! おいっ! 起きろって! ナナミ……!」


 肩を揺さぶると、彼女の頭が力なくガクガクと揺れた。

 まるで人形のように、一切の力が抜けた姿。

 俺は一瞬で全身の血の気が引くのを感じていた。


 ――死んだ?

 ――ナナミが殺された……?


 理解できなかった。

 異世界行きが怖いと。

 誰かに代わって欲しいとメソメソしていた幼馴染みが。

 昨日まで元気だったのに。

 大きなケガをしたことだって、一度もなかったのに。

 そんなナナミが、転移の日当日に死んでいた。


 どれくらい呆けてしまっていたのかわからない。

 一瞬だったかもしれないし、一時間くらいだったのかもしれない。

 ナナミのおじさんとおばさんがどうしているのかを確認することすら、頭に浮かばなかった。全身が震え、呼吸すらままならない。

 脳が、心臓が、全身がこの現実を受け入れることを拒否しているかのようだった。


「と……とにかく、救急車呼ばなきゃ――」


 俺が、ほんの少しの落ち着きを取り戻してスマホを取り出すのと、背後から声がして何か熱いものが体に打ち込まれたのは、ほとんど同時だった。


「……がッ!? な、なんだ……これ」


 目の前が真っ赤に染まる。血が逆流したかのように背中から熱が広がっていく。心臓のリズムに合わせて意識が明滅する。

 背中が燃えるように熱い。

 灼熱の棒を突っ込まれているかのようだ。


「まぁあったく、ビビらせるんじゃねーよ。お前……黒瀬だったか? お前ら付き合ってたんかァ? カノジョ殺しちゃって、ゴメーンね」


 振り替えると、そこに立っていたのは同い年くらいの男だった。

 見たことがある。同じ学校の奴だ。

 同じクラスになったことは無い。名前も知らない奴。


 陽キャグループの外周でウェイウェイ騒いでるタイプの奴だったような気がする。

 別のクラスなのに、うちのクラスにもたまに来ていて、顔だけなんとなく記憶にある。

 デカい声で、自分が異世界転移者に選ばれなかったことを殊更大袈裟に嘆いていたやつだ。

 なぜ、こいつがナナミを……? 

 なぜ、俺の名前を知っている……?


「ま、俺は異世界に消えさせてもらうからよ。黒瀬は運が悪かったと諦めてくれや。愛しのナナミちゃんと一緒に死ねるならいいだろ?」


 ハハハと軽薄に笑う男は青白い顔をして、しかし目だけは爛々と輝き、到底まともには見えなかった。


「ど……どうして…………」


 俺は力を振り絞って声を出した。

 なぜナナミを殺したのか。


「はぁ~? お前知らねぇの? 当選者をブッ殺すと、権利が殺した人間に移るんだぜ。俺はどうしても異世界に行きたかったからさぁ。ま、ナナミちゃんには悪いことをしたが、こいつ、異世界行くの怖ぇって言ってたじゃんか。どうせ、このまま向こうに行っても、すぐ死んでたよ。なら俺が向こうで活躍したほうがみんな幸せだろ」

「……馬鹿野郎ッ……!」


 当選者を殺せば権利が移る。

 それは最初のころからネットなんかで噂になっていたが、あくまで都市伝説だ。

 実際に殺された当選者は何人もいるが、殺した相手に権利が移ったという話はない。

 ただ、もう一度ランダム抽選が行われるだけだ。

 このアホは、その都市伝説を信じて、ナナミを惨殺したのだ。


「だ~れがバカだ。陰キャが調子こいてんじゃねーよ」


 俺は蹴りを喰らい、ナナミと折り重なるように倒れた。

 抵抗などできる状態ではない。すでに意識は朦朧もうろうとし始めている。

 背中の熱さはなくなり、今はもう虚脱感と寒さしか感じない。

 死が明確に近付いてきているのを、本能で理解する。


「さーて、あと1時間ちょいか。また誰か来るとメンドーだから、玄関はカギかけとくかな」


 すでに俺とナナミには興味がないというかのように、男は部屋から出て行った。


「……ぐっ……ふ……。せめて……でん……わ」


 俺はなんとか警察に電話をしようと試みた。

 だが、スマホを取り落としてしまい、それを拾い上げる力すら残っていなかった。


「ナナ……ミ…………」


 涙でけぶり、混濁する意識の中。

 ナナミが抱きしめるように胸に抱いている物が瞳に映る。


「ナナミ……バカ……」


 それは、パステルカラーのポケットアルバムだった。

 持ち運びに不便がないようにと選んだのか、ほんの手帳サイズのそれは、あきらかに異世界への持参品として用意したものだった。

 ナナミは、ボディアーマーなんかより、この世界の思い出としてアルバムを持参したいと言っていた。

 ホームシックになるからと。

 彼女にとって大切だったのは、知り合いも誰もいない別の世界なんかより、大切な人がいるこの世界だったのだ。


 震える指を伸ばし、それに触れる。


 ――結局、ナナミはホームシックを恐れる少女のまま、思い出の詰まったアルバムを天国に持って行くことになったのか。


 けれど、俺もすぐ同じ場所へ行くことになる。

 一緒に異世界には行けなかったけれど、産まれた時からの腐れ縁だ。


 願わくば神様。

 あっちの世界でもまた彼女と幼馴染みを続けさせて――

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