002 世界の喧噪、そして幼馴染み

 すぐに世界中で天地がひっくり返ったような騒ぎになった。


 なにせ「神」の出現である。

 それは、宗教を重んじる国々にとっては常識そのものがひっくり返るほどのインパクトがあったらしい。

 ネットもテレビも新聞も、ほとんどの情報媒体が「神」のことを取り上げた。

 あれはなんだったのか。本当に神なのか。そもそも神とはなにか――


 現段階では答えの出ない議論だったが、いずれにせよ今世紀最大の「事件」であるのは確かだ。なにせ、世界中のディスプレイに――使用中のものには「神」は現れなかったらしいが――「神」が同時に出現したのだから。

 日本では朝だったが、時差の関係で深夜や早朝に「神」が現れた地域もあったらしい。


 国や宗教団体はそれぞれに「神」に対しての声明を出した。

 ただ、一つだけ共通したのは、どの宗教もどの国もあれが「神」であると本当の意味で認めなかったことだ。

 神のごとき力を持つらしい――。そのことだけは確かだったが、だからといってそれを理由に「神」だと認めることは、宗教観を根本から破壊するに等しいことだったらしい。

 ある宗教は、あれは悪魔だと明言し、またある国では国際的サイバーテロだと決めつけた。


 ある国では「印」の出た少年を、悪魔に魅入られたと集団で殺すという痛ましい事件まで発生したらしい。死んだことで「印」が消えたとか、殺した人間に「印」が移ったとか、いまいち信憑性に欠けるニュースだったが……。


 その点、日本は騒ぎのベクトルが違った。

 ほとんどの人はあれが「神」であるとあっさり認め、それよりも異世界のほうに興味が移っていた。

 日本から選ばれた人間は43名。

 人口比を考えれば多めの数らしいが、よくわからない。

 俺にとって問題は、幼馴染みのナナミが選ばれてしまったということだった。


「う、ううう……。最悪だよ……、最悪……。これって帰ってこれるの……?」

「わからないけど、今出てる情報だと無理そうだ」

「人生設計が……。なんで私が……。うう……」


 あれから半日経つのに、ナナミはベッドでめそめそと泣き続けていた。

 おっとりしたタイプであるナナミに、人生設計なんてものがあるとは少し意外だったが、確かに進学も就職ももう何の関係もなくなってしまうことだけは確かだろう。向こうの世界で学校に通ったり、就職したりすることは、あるいは可能だとしても。


 あれから、神からは断片的な情報がアップされ続けてはいる。

 だがハッキリ言って、彼女を安心させられるような情報は今のところ無い。


 ナナミに残された時間は少ない。

 異世界が本当だとして、転移までの時間は準備期間として与えられた半年間のみなのだ。

 その半年間とて、マスコミや国が「選ばれし者たち」を放っておくわけがない。


 ナナミが登校すれば、全校生徒といってもいいほどの人間が「印」を見物に来た。

 日本で「印」を持つ者は43人しかいないのだから、そりゃ物珍しくもあるだろうが、ほとんど授業にならないレベルの騒乱といっていい状況だった。

 学校外からも野次馬が訪れ、マスコミは校門の前に張り込み、ナナミが校長から自宅待機という名の「自粛」を求められるまで3日と掛からなかった。


 メソメソと泣く幼馴染みに、何もしてやることができない歯痒さだけがあった。

 せめて俺にできるのは、彼女が向こうでも生きていけるように事前に情報収集をしておいてやることくらいだ。


 ◇◆◆◆◇


 日々は喧噪と共に過ぎていった。


 俺の生活が大きく変わることがなかったが、ナナミの人生は異世界に行く前である今の段階からすでに激しく変化している。


 テレビや雑誌の取材。

 顔が売れたことで、学校に来る野次馬もさらに増えた。ナナミは自粛という名の休校で、学校には来ていなかったが。

 転移予定者43名を集めた特番が組まれ、ナナミはいつもと変わらない制服姿でテレビにも出た。

 学校では俺と同じように存在感が希薄で、どちらかといえばイジられキャラなナナミだったが、今ではすっかり時代の寵児だ。


 神により徐々に明かされていく「異世界」の情報により、世界はよりボルテージを上げていった。

 俺はそんな情報を逐一ノートにまとめて、ナナミに説明した。


 選ばれた1000人には神から「片手で持てるものを一つだけ異世界に持参してよい」という許しが出ていた。各国は国の威信を賭けて、自らの国の「転移者」への持参品を作成した。

 日本ではアメリカが開発した超高性能ボディアーマーが供与されるという。

 異世界には拳銃の類はないだろうからと、防刃性、耐ショック性、耐火性、耐電性を上げた「ファンタジー世界向け」の逸品で、普通に買おうと思えば1000万円を軽く超えるような品らしい。

 ただ、持ち込む品については、本人の希望に反するような無理強いはするなと「神」により厳命されているため、基本的には自由。ナナミも持参品について悩んでいるようだ。


「ヒーちゃん、手荷物なんだけどさ。私、ホームシックになると思うし、写真がいいかなって思ってるんだけど」


 ナナミはそう言って、一冊のアルバムを取り出した。

 思い出の写真をチョイスした一冊なのだという。


「いや、絶対ボディアーマーにしたほうがいいって。何があるかわかんないんだぞ? 日本みたいに平和な世界とは限らないんだから」

「えー……。だって、あれ可愛くないし……。ゴツそうだし……」

「俺としてはちゃんとした武器を持ってって欲しいくらいなんだからな。我慢しろって」

「えー。でも、あんなの逆に目立ちそうじゃない?」

「マントとかで隠せばいいだろ」

 

 現時点ではボディアーマー一択だ。

 なにせ、いきなりラスボスと戦えるような防具を持っていけるようなものなのだ。もし選ばれたのが俺だったとしても、それを選ぶだろう。

 ナナミは少し寂しそうな顔をしたが、最終的には国や親、外部からのアドバイスもあってかボディアーマーを選んだようだった。


 写真を持って行きたいというのは彼女らしい選択ではあるが、異世界に飛ばされるのはもう決定しているのだ。ナナミが本当は異世界になんて行きたくないのも、なんなら誰かに代わって欲しいのも心からの本心なのだとしても。


 もう逃げ出すことはできない。

 ならば、一番生き残れる可能性が高い選択をして欲しい。……ナナミのことは気の毒だと思っているが、神に選ばれてしまったのだ。転移を止める術はない。

 本音を言えば、もっと向いた人間を選ぶべきだと神に悪態をつきたいほどだ。


 逆に神のほうからすれば、ナナミのように「適性」がない人間を選んだほうが面白いという思惑があったのかもしれない。なにせ、異世界へ行った人間をみんなで視聴しようという悪趣味な企画なのだから。

 異世界転移者の選別にそういった意思が介在していないとは思えない。


 とにかく、もう決まってしまったことだ。

 嫌だろうが、想定外だろうが、前向きに準備する以外、選択肢はない。


 語学が堪能な俺の二人の妹のおかげで、海外の情報も収集が捗った。

 手荷物に個性が出るというか、日本人は全員がボディアーマーを選んだのに対して、他の国では(アメリカでさえ)持ち物に多様性が表れていた。楽器を持ち込む者が意外と多いのは、音楽が文化を超えた言語になるという期待からだろうか。


 ナナミが、異世界に放り出されるのはかなり心配だが、ほんの少しの羨ましさもあって……正直、複雑な気分だ。

 当のナナミは、最初は泣きながら悪態を吐いていたが、時間と共に心の整理ができたようで、多少は異世界行きに前向きになったようだ。

 それでも、他の転移者のように積極的なわけではなく、テレビや雑誌のインタビューでのそんな様子がウケたのか、SNSなんかではイジられながらも愛されるキャラとして定着したようだった。


 神が運営する公式サイトには、転移者ごとに専用の掲示板だかチャットルームだかが作られ、同時翻訳で世界中からトラフィックが殺到し、みな好き勝手なことを書き込んでいた。

 俺も興味本位でナナミのページを見てみたが、ナナミの個人情報が何から何まで赤裸々に暴かれ、とても見ていられないような内容だった。

 もう一般人としてのプライバシーは失われ、見世物のパンダにでもなったかのような扱いに辟易としたが、もうこの流れを止める手段は存在しないのだ。


 神の放送は、一週間に一度というペースで行われた。


 徐々に明らかにされる異世界。

 徐々に明らかにされる転移者への「特典」。


 神が用意した特設公式サイトには毎日世界中からのアクセスが絶えず、あっという間に世界一のコンテンツの座を獲得した。


 まだ異世界行きまで1ヶ月もあるのに人気投票が行われ、一位はフランス人の女の子が選ばれた。ナナミも健闘し、79位だった。日本人では8位だ。本人は驚いて謙遜しまくっていたが、今ではナナミのことを世界中の人間が知っているのだ。

 俺は幼馴染みとして少し誇らしい気持ちになった。


 そうして、爆発するみたいな日々が過ぎて――

 いよいよその日が来た。

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