あなたの娘じゃありません

@steamowl123

悪夢の提案

「タケさんって結婚しないんですか?」

「なんだって?」


 仕事中。部下の何気ない一言に俺は手を止めた。


「結婚ですよ結婚。いまどき、結婚なんてする必要ないって人もいますけど、いいもんですよ。仕事でヘトヘトになって家に帰ると奥さんが「おかえりなさい、疲れたでしょ?」なんて自然に迎えてくれるんです。そのあとベビーベットに直行ですよ。可愛いわが子の寝顔を眺めてるだけで、もう今日の疲れなんてどっかいっちまうんですよ。あとはシャワー浴びて、奥さんの手料理食べて、二人目、つくろか?なんて同じベッドで話をしながらじゃれ合う。休みはもちろん、奥さんと子供のために消えますけど、毎日、幸せにしてくれるんだから、なんだって話じゃないですか。ね?タケさん。結婚しましょうよ」 


 長々と力説をする部下のヤスオ。あぁ、そういえばこいつ新婚だったなと思い出した。ついで結婚前にもかかわらず奥さんのお腹には出産間近の赤ん坊。お腹が引っ込んでからあげた式には俺も参加していた。酒を飲んだり喫煙所に行ったりでほとんど覚えちゃいなかった。


「結婚っていいもんですよ!未来の家族を探したほうがいいですよ!あんないい家に一人っきりなんて、もったいないです!」


 さてどうしたものだろう。俺は悩んだ。ただ腹の中のもやもやをぶつけるのはみっともない。それなら仕事に集中しろと叱ってやるべきか。仮にも上司が直々に仕事を教えているのだから、話題をぶった切るには正当性がありそうだ。


「三十過ぎててもまだいけますよ!いまは結婚相談所とかも……」

「ヤスオ!!ちょっとこっちこい!!」


 社長の声がサイレンみたいに鳴り響いた。いつまでたっても顔色を伺うことを覚えないヤスオがぶつけられた大声にびくりと飛び跳ねた。見れば社長のゴンゾウさんが凄まじい剣幕で手招きしている。


「いってこい」


 血の気の引いてるヤスオの背中を無情に蹴っ飛ばせば、磁石になったみたいにすっ飛んでいた。

 流石は社長のゴンゾウさんだ。気遣いのできる人の下で働けることに感謝すべきかもしれない。


「タケは結婚してたんだよ!」

「えぇ!マジですか!」


 あとはもう少し声のボリュームを抑える努力をしてほしかった。


「なんで別れたんですか!?浮気とか!?」

「あぁ、そうだよ!タケがしたんじゃない。されてたんだ!二歳まで育てた子供が、自分の子じゃないってわかったんだよ!!」

「うげぇ。まじっすか。えげつないっすね!そのあとどうなったんすか!?」

「子供は嫁さんが連れて出ていって、あいつだけが家に残ったんだよ。嫁さんが不倫相手から巻き上げた口止め料で建ってる家にな」

「うえぇぇぇ、つっら……まだ奥さんと子供が帰ってくるって思ってるんですかね……?」

「そりゃあ……」


 聞くに堪えなかった。


「ゴンさん!俺、あがります!!」


 俺が声を張り上げれば社長と新人は目を見開いて固まってしまった。まる聞こえだったと察してくれたなら幸い。ひそひそ話を覚えてくれれば御の字だ。

 社長が頷いてくれたので俺はさっさと道具を片づけ事務所へ急いだ。作業服から私服に着替えて自家用車へと乗り込んだ。

 盛大に溜息を吐きだした。うんざりだ。もうとっくに振り切れているのに、思い出させてくれるなよ。

 キーを回してエンジンをかけた。帰ろう。嫁さんが建ててくれた家に。














「俺の子じゃなかったんだな」


 発した言葉が暗雲のように二人の間に立ち込めた。感情のままにに言うべきことじゃなかったかもしれない・

 けれど俺の口は止まらなかったのだ。吐いた言葉を後悔したことはなかった。

 事実だからだ。この子は俺の子供じゃない。


「それって重要なことなのかしら?」


 彼女が言った。何でもないことのように。ほら、道に真中に小石があるわ。躓かない様にどかしておいてね。彼女がそういう女だった。俺はそこが気に入っていた。

 だけど、もう無理だった。俺たちは、いや、俺は躓いてしまったのだ、彼女の言うちっぽけな小石に躓いて、彼女の隣を歩くことができなくなるぐらいの傷を負った。


「重要なのは君が俺を裏切ったってことだ。大切なことだった。俺たちにとって。話してくれれば……」


 俺が傷を見せつければ、彼女は肩をすくめた。

 それがなに?痛くて泣くなんて子供みたいね

 長い黒髪が俺を笑うように揺れていた。


「いいわ。私が許せないのね。それで、あの子はどうするの?」


 俺は答えられなかった。俺は彼女と一緒にいられなくなった。彼女の隠した秘密が俺を深く傷つけた。

 でもあの子は?まだ病院のベッドから動けない愛娘。目が覚めたとき、父親が逃げたのだと知ったらあの子はどう思う?

 じゃあ一緒にいられるか?どこぞの誰かの子供と一緒に。

 立ち込めていた暗雲からの質問が重く苦しく喉に詰まった。

 ただ彼女だけはいつも通りだった。俺が愚図るとそうしてきたように、首をぐるりと回して溜息を吐いたのだ。


「呆れた。私を幸せにするってあなたは誓ったわ。俺たちは最高の家族なるって。裏切ったのはどっちかしら」


 沈黙。それで終わりだった。互いに言いたいことを言った。言いたくないことも言い合った。 

 最後に二人で一つの同意をして、俺たちもう二度と家族になることはない。





「うぇ……」


 首が痛くて目が覚めた。自宅のソファにもたれかかり、俺は眠りこけていた。テーブルの上、缶ビールにまくれてしまっている時計を拾い上げた。

 夜の十時。寝る前につけていたテレビはとっくに見たことのないニュース番組に代わっていた。


「頭いてぇ……」


 ソファーに変な角度で首を預けていたせいだろう。凝り固まった首を動かすと、ビールで爛れた頭がずきずきいたんだ。

 俺は缶ビールの残りを飲み干した。コンビニで何を肴に選んだのかよく覚えていない。何本目だったかも覚えていない。何時頃飲み始めたのかも覚えていない。

 自宅と会社を行ったり来たり、変わり映えしない晩酌をしてシャワーを浴びて寝る。

 俺の人生はそんな怠惰のサイクルに陥っていた。

 ただ、今日は少しばかし腹の虫の居心地が悪い。ヤスオのせいだ。あいつが余計なことを言ったせいで、嫌な夢を見ちまった。

 離婚の原因。彼女と別れた時のこと。置いて行った娘。俺の住んでいるこの一軒家は、彼女の巻き上げた口止め料で建っていること。

 どこぞのご立派なエリート様らしい。妻子持ちで、一時の過ちで関係を持ったと彼女は言っていた。愛はなかったとも。

 彼女と別れてから連絡はこない。弁護士からもだ。一度捨てたものを拾いなおすような女じゃなかった。 おかげで俺は枕を高くして、ローンのない一軒家で一人暮らしを満喫できている。

 これでいい。結婚しなくても幸せにはなれる。あとはこのまま病気で死ぬか寿命で死ぬか、運が無けりゃ事故で死ぬさ


「風呂行くか……」


 夢見の悪さが肩に重くのしかかった。うたた寝のせいで目が瞬いた。

 もう三十を過ぎてる。若くはない。俺は孤独なおっさんだ。電話だってよくて三カ月に一回。滅多に鳴ることもない。

 その電話が、いままさに軽快な着信音を鳴り響かせていた。


「もしもし」


 登録外の番号だったが俺が迷わずに出た。どうせ、保険会社かなにかの勧誘に決まっている。


『もう!やっと出たのね!電話に出るのが遅いのは変わらないのね!!』


 女の声だった。背筋が凍った。俺はまだ夢から覚めていないか、さもなきゃ白昼夢を見ている。

 

『ちょっと聞いてるの!?もしもーし!イグチタケオさーん?!』


 聞き間違えようがない。口笛よりも透き通った声に、性格を反映した耳心地の良い口調。


「マナミ、か……?」


 俺はもう二度と、呼ぶことのなかったはずの名前を呼んだ。


『えぇそうよ!元妻のマナミ!いまは、カンザキマナミよ!久しぶりね、タケオさん!!』


 人違いであってほしかった。間違い電話だといますぐ通話を切りたかった。

 でもできない。電話越しに聞こえるマナミの声は別れた時と寸分も変わっていなかった。彼女の顔が脳裏に浮かんだ。無足はもっと近くで彼女の声を聴いた。街中で、家の中で、ベッドの中で。

 悪夢が現実となって俺に襲いかかっていた。


「……なんのようだ?」

 

 理由もなく俺は立ち上がった。すぐにでもここから逃げ出せるように、本能が最適解に導いたのかもしれない。


『大した用じゃないのよ!まだ私たちの家に住んでるわよね?』

「あぁ……そうだ。俺の家に住んでる」

『あぁ、よかった!私たちの家にいるのね!』


 俺の細やかな当てこすりなど、マナミには通用しない。自分の道をゆくとき、彼女は道端の石を気にかけたりしないんだ。


『お願いがあるのよ、タケオさん』

「金ならないし、家も渡さないぞ」


 お願いという言葉に血の気を引かせながら、俺は先手を打ってバリケードを築いた。

 実際には俺はそこそこの貯金がある。酒とツマミ、光熱費と多様な保険以外に使い道がないからだ。

 それでももう十年以上住んでいる家をいまさら奪われるのは面倒だった。

 ここは静かで、煩わしいお隣さんもいないのだから。

 

『そんなんじゃないわよ!あいかわらずケチねぇ!』


 彼女は笑った。俺よりも年上。もう四十近いのに、笑い声は出会ったころと変わらず十代の乙女のようだった。

 咳ばらいが聞こえた。どうやらおふざけを止めて、真面目な話らしい。俺は息を飲んで身構えて、ただ待った。


『ちょっと娘たちを預かってくれないかしら?一年ぐらいよ』


 めまいがして俺はソファに落ちるように座った。スプリングが俺を跳ね上げ、ついでに停止した心臓を動かすきっかけとなってくれた。


「何言ってんだ、お前?」

『大したことじゃないのよ。ちょっと夫と、一年ぐらい世界旅行に行こうって話になったのよ』


 夫。今の夫だ。俺じゃない


『それで、娘たちなんだけど、高校生って色々と大変で大事な時期でしょう?わたし達の我儘で世界中に振り回すのは駄目だって思ったの。偉いでしょ?』


 マナミの話しは続く。娘。元娘。


『思い出したのはあなたのことよ。私たちの家は娘たちの学校に近いし、もともとあの子の家だったんだから、ちょっと一年ほど、娘たちを住まわせてほしいの!面倒を見ろとまで言わないし、あの子たちなら自分の面倒は自分で見るぐらいに成長してるから面倒はかけないわ。いいわね?決定!最高の思い付きだわ!』


 最低の思い付きだ。


「駄目に決まってるだろ!バカなこと言うんじゃない!!」


 頭がパンクする前に、俺が大声で怒鳴った。テーブルの上から空のビール缶が落ちた。


『どうして?』

「どうしてって……俺は一人で楽しくやってるんだ!それに、今、付き合っている女性がいる!同棲してるんだ!結婚も考えてるから、余計な茶々を入れないでくれ!」


 パニックを越している割には俺は適当な嘘をでっちあげていた。女なんていない。俺一人だ。部屋はあまりまくっている。

 ないのは俺の心の余裕だ


『あらあら、嘘ばっかし』

「嘘なんかじゃ……」

『女の人がいるなら、私と大声で話せるわけじゃない。もっと声を抑えなきゃ。誰?って聞かれたら困っちゃうでしょ』


 マナミは俺の嘘をあっさりと看破した。いつもそうだ。彼女は人を見る目がある。特に俺みたいな単純な男の嘘を見抜くのに長けていた。


「男の家に年頃の娘を住まわせるなんて、どうかしてるぞ!よく考えろ!」

『あら?あなたっていたいけな女子高生を襲うような人間になっちゃったの?でも大丈夫よ。あの子たちは美人だけど隙だらけじゃないもの。ちゃんと自衛の術ぐらい身につけているわ。私の娘だもの』


 お前の娘ならなおさら心配だ。他の男の子供を俺の子供と偽って育てさせたのに。

 そう言いたかったが、俺は言わなかった。言いたくなかった。自分の傷口に指を突っ込む勇気が持てなかった。


『決定ね!一週間後にそっちへ行かせるから、ちゃんと部屋の掃除をしておいてね!よろしくね。タケオさん!』


 最後の最後。俺の名前を呼ぶマナミの声は愛情に満ち溢れていた。

 通話の切れた電話を取りこぼし、俺は呆然とテレビを見ていた。

 テレビのキャスターは恋人たちへとマイクを向けていた。恋人たちの聖地で永遠の愛を誓う一組のカップル。その幸せそうな笑顔に吐き気がして、俺はテレビを消した。

 それで何もかも、見えなくなった。 

 

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