第190話 シーソーゲームこそ戦いの醍醐味

 時間はしばし戻り……ユーリが龍を落とし、エレナ達が真っ直ぐ壁外へ向けて駆けていた頃――リリアは一人、雨のイスタンブールを走っていた。


 暗闇に落とされた街中。響き渡る地響きと、グレーチングから滝のように降り注ぐ雨に、通りの人々が迷子のように狼狽える中、リリアは真っ直ぐ目的地へと向けて全速力で駆けていた。


 靴が飛ばした泥水がスカートの裾を濡らしても、雨に濡れた前髪が額に張り付いても、リリアはその足を止めない。張り付いた髪の毛が、息を吸うたび口の中に飛び込んでくるが、リリアは走りながら髪を括って強く頭を振った。そうまでして、一心不乱にリリアが向かう先は――大通りに面した一つのビルだ。


「すみません、取り次いでいただけませんか?」


 ――ビルに転がり込んだリリアが、近くの女性職員に掴みかかった。全身を雨と泥で汚し、肩で息をするリリアに職員が「ギョッ」とした表情を見せるが、続く言葉にその顔を引き締めた。


「リリア・オーベルと言います。サイラス商会長に――」

「こちらへ」


 リリアの名前を聞いた瞬間、女性職員はすぐさまリリアを先導するように廊下を速足で歩き始めた。慌ただしく人の行き交うビルの中は、恐らく外で戦うハンター達のバックアップも兼ねているのだろう。今も大きな荷物を持った人が早足で向かいから歩いてくる。


「第一級指令だ! 道を空けてくれ!」


 リリアの前で凛々しい声を張り上げる職員に、荷物を持った職員も一瞬だけ驚いたような表情を見せるが、すぐに廊下の端へよって道をあける。


 本来であれば、バックアップを担う彼らの動きを邪魔する事は許されない筈だが、リリアとその前を歩く職員が最優先されるように、廊下を行き交う人々が避けて行く――そんな職員達とすれ違いながら、目の前を歩く女性職員は、デバイスを起動して誰かと何か言葉を交わしている。


 辿り着いたエレベーターすら待ちが時間なく、リリアは開かれた扉に引っ張られる様に中へ乗り込んだ。他の人を待つことなく、エレベーターが即座に上に向かって進み出す。


 僅かな浮遊感に包まれながら、リリアは息を整えていた……受け入れられるかは分からないが、その時が来たら息を切らしてなどいられないのだ。


 何度か深呼吸をして、リリアの息が整った頃、エレベーターがゆっくりと止まり扉が開いた。扉の先には、クレアあたりがいるかと思っていたリリアだが、意外にも無人の廊下が続いているだけだ。


「ボールドウィンは多忙のため、部屋までは私がご案内します」


 表情に出ていたのだろう。微笑む女性職員に「よろしくお願いします」とリリアは頭を下げて再び後に続いた。


 長い廊下を速足で一気に進む二人。リリアも見覚えのあるこのフロアは、昨日打ち合わせで使用したフロアで間違いない。いくつか扉を過ぎた所で女性が止まり――


「商会長、オーベル嬢がお見えになりました」


 扉の外から大きな声で話しかける職員の女性は、中からの返事も待たずに扉を開いてしまった。


 商会の主の返事よりも、自身の身柄が優先されている事実に、リリアは若干居心地の悪さを感じながらも開いた扉の中に頭を下げた。


「入りたまえ」


 部屋の中から聞こえてきたのは、昨日と変わらない落ち着いた声だ。その声に顔を上げたリリアが、もう一度大きく深呼吸をして部屋へと入る……もう後戻りはできない。


「サイラス商会長。私の力が……が、お力になれませんか?」


 真っ直ぐにサイラスを見つめるリリアに、「良いのかね?」とサイラスがその眼鏡を押し上げた。確認をとるサイラスに、優しい人だとリリアは思っている。一も二もなくリリアに力を使わせるのではなく、その行為の結果考えうるリスクを考慮してくれているのだ。


 だからこそエレナ達が慕い、そしてあのユーリも協力しているのだろう。そう思ったリリアは何度目かの深呼吸をして、再びサイラスを見つめた。


「大丈夫です。何があっても……」


 リリアの胸に当てた右手が僅かに震える……それを抑え込むように、自身の左手で包みこんだ。


「何があっても、ユーリがいてくれるので」


 微笑むリリアに「結構」とサイラスが頷いて、デバイスを操作した。コール音が響くこと数回――


『閣下、お見えになりましたか?』


 ――ホログラムの向こうはクレアのようだ。


「ああ。


 含みのあるサイラスの言葉に、画面の向こうでクレアが『準備も滞りなく』と応えた。


「了解だ。最終調整をよろしく頼んだよ」


 そう言って通信を切ったサイラスが、リリアに向けて敬々しくお辞儀をする。


「さあ、行こうかお嬢さんフロイライン。反撃開始だ」





 ☆☆☆




 そして現在――


「こら、エレナ! 離しやがれ!」


 暴れるユーリを抱えたエレナが、開いた東門を通過して街へ転がり込んだ。突出していたユーリを抱えに行ったのだ。文字通りエレナが最後の一人だったわけだが、どういうわけか東門が閉じる気配はない。


 門の向こうに見えるモンスターの影に、誰かが「早く門を閉じてよ!」と大声で喚き立てるが、雨音が響くだけで門はピクリとも動かないのだ。


「入口を絞って敵を限定するんじゃないか?」


 聞こえてきた声に、全員がその作戦を共有する。門が開いているなら、そこから進んでくるモンスターを倒せば良い。数が限られてくるので、隊列を組んで前衛が疲れたら別の人間と交代、という形でモンスターと戦い続ける事ができる。


 ……もちろんモンスターの数が分からない以上、ただの気休めだが、だだっ広い荒野で相対するよりはマシだ。


 そうと決まれば、といった雰囲気で能力者達が隊列を組もうとし始めた時――


「え? 歌?」


 ――東門付近をリリアの歌声が包みこんだ。



 こんな時に、何を……そう言いたげな全員の顔が見る間に驚きに染まっていく。


「傷が――」

「嘘……」

「痛くないぞ!」


 そこかしこで蹲っていた負傷者達が、何事もなかったかのように起き上がったのだ。何が起きているのか誰にも分からない。ただただ困惑する状況に、エレナ達同様街中へ入ってきたドローンから声が響いた。


『今ここは、モンスターからの傷を癒やし、モンスターの動きを阻害するが形成されている』


 リリアの歌が……とは断言しないサイラスの優しさに、ユーリだけが小さく息を吐いた。隠してもバレるだろうが、少しでも時間を稼ぎたい、という優しさだろう。


 モンスターを弱体化させ、怪我を癒やすフィールドなどと、にわかに信じられない発言だ。能力者達がザワつくのも無理はない。


 だが実際に怪我が治っていく様子を目の当たりにしている。百聞は一見に如かず、という事なのだろう。全員が黙ってサイラスの続く言葉をただ待っていた。


『やることは分かるな。ここへ引き入れて、弱体化したモンスターをことごとく叩く……シンプル・イズ・ベストだ』


 ドローンの向こうに、ニヤリと笑うサイラスの顔が見えたのはユーリだけではないだろう。全員がその鼓舞に士気を取り戻した頃、ようやくモンスターの第一陣が門を通過して街の中へと雪崩込んできた。


 その様子に一瞬だけ全員に緊張が走るが、すぐにモンスターの異常に皆が気付いた。何かに怯えるように、嫌がるように、悲鳴ににも似た声を上げて突進してきたのだ。


 だがその速度は先程までの比ではない。ドローンが言っていたように、明らかに弱体化した様子に、全員が武器を手にモンスターを叩き潰した。


「イケるぞ!」


 誰かの声に、ユーリは周囲をぐるりと見渡した……スピーカーの位置は、全てが街の中へ向くよう工夫して設置してある。よくよく見ると、門の真上にも見えるが、そこからあまり音が聞こえない事から、どうやら真上のスピーカーは音量を絞っているのだろう。


 門をくぐった瞬間、リリアの歌を聞かたい。が、あまりそこの音量を大きくすると壁外へ漏れる恐れがある。故に音量を絞り、最大限の効果と最小限の影響に成るよう調整してあるようだ。


 スピーカーごとに役目を変えて、壁の外への影響を無くす。言うは易しだが、この短時間で準備するあたり、流石はサイラスとクレアと言った所か。


「一気に叩くぞ!」


叫ぶ声に呼応するように、至るところでモンスターが屠られ動かなくなっていく。先程まで壁外で戦っていた時と比べると、格段に能力者達の優勢だ。なんせ傷を負った尻から回復し、脅威だと思っていたモンスターが弱体化しているのだ。


 加えて飛行系のモンスターが軒並み弱体化しているのが一番大きい。


 壁外で戦っていた時は、動きが早い飛行系への狙撃は熟練者しか対応出来なかったが、今は鉄柵から入ってきたノロノロ飛行の奴らを撃ち落とすだけの、簡単なお仕事へと変わっている。


 完全に押せ押せモードの能力者達を前に、ユーリは複雑な表情を浮かべて路地の建物に背を預けた。


 背中に感じる壁の冷たさが、火照った身体を冷やしていく。クールダウンとともに、ゆっくりと呼吸も整える。


 歌声が聞こえてきた以上、リリアが自分で力を使うことを選んだのだろう。今更その事にユーリがごちゃごちゃと言う気はない。出来るのは、これから彼女に降りかかるかもしれないを、振り払う事だけだ。


 実際、この戦いの最中にも彼女へ火の粉が降りかかる事は免れないだろう。


 ウィーンの時は、モンスターを率いる人影がいたと言う。


 つまりはモンスターではない存在が、この戦場にも紛れているはずなのだ。十中八九ホムンクルスだろうが、彼らがどの程度リリアの歌に影響を受けるか分からない。そして、この状況を見れば、歌声を潰そうと思うのは必至だろう。


 つまり今ユーリに出来るのは、少しでも体力を回復させて、来たるべき時に備えるだけ――そう考えていたユーリの眉がピクリと動いた。門の外から僅かな魔力を感じたのだ。


 それと同時に、先程まで押せ押せモードだった能力者達の一部が、ピタリと止まった。


 ――リンコの次はシンか……


 いつか自分がヒョウに語った言葉が、脳内で響く。


 駆け出したユーリが、ボンヤリとした表情で固まったままのエレナを引っ掴んで後ろへ引っ張った。エレナの鼻先を掠める切っ先に、ユーリの頬を冷や汗が伝う。


「……あれ? 仕留めたと思ったのに」


 眉を寄せるのは、青みがかった銀色の髪に覇気のない瞳。真っ白な衣と真っ白な肌は病人のように見えるが、青年が放つのは病弱さではなく血なまぐさい狂気だ。


「誰だテメェ?」


 眉を寄せるユーリを前に、青年は無表情のまま口を開いた。


「俺は【八咫烏】第九席のリク。今回はただのだったんだけど」


 青年の名乗りに、ユーリの眉が僅かに動く……ヒョウに殺されたと聞いていたが、ここにいる。つまりはそういう事なのだろう。


「なるほど。ホムンクルスか」


 ユーリの呟きに呼応するように、門からはモンスターに紛れて似たような顔の数人が入ってきた。不意に現れた人間に、リクの幻術を逃れた能力者達が驚くが、ダンテが迷わずそのうちの一人を撃ち殺した。


「狼狽えんなよ〜。だと思え〜」


 こういう時に経験の多さは、流石と言ったところだろう。入ってくる他の雑魚ホムンクルスは、ダンテ達に任せて大丈夫そうだ、とユーリがリクへ視線を戻した。


「いつまで寝てんだよ!」


 ユーリがエレナの頬を叩けば、「ユーリか? 何故――?」とエレナの瞳に光が戻り、呆けた表情を浮かべてユーリを見上げた。


「幻術にやられてたんだよ」


 ぶっきらぼうに吐き捨てながら、その手を離したユーリに「すまない。助かった」とエレナが頭を振ってリクを真正面に見据える。


「幻術の対処法は?」

「一応は……」


 呟くエレナに、「上等」とユーリが笑みを浮かべたその時……その背後からもう一つの影が顔を覗かせた。


「ねー、リク。アタシこの歌嫌いなんだけどー」


 リクとは正反対に赤みがかった金髪と、コロコロ表情の変わる女。その女が、「この歌、?」


 そうニヤリと笑った瞬間、リクの返答も聞かずに近くのビルの屋上へと飛び上がった。


「てめっ、待ちやがれ!」


 それを追いかけようとするユーリ目掛けて、リクがその手を刃に変えて振り下ろした。

 バックステップで躱したユーリが、「チッ」と舌打ちをもらしてリクを睨みつける。


「俺を前に追いかけられるとでも?」


 初めて笑顔を見せたリクが、その腕を剣のように構えた。


「追いかけられるさ」


 リクに切り込んだエレナが「私が貴様を止めるからな」と笑ってユーリへ視線だけを向ける。


「行け! ユーリ!」


 エレナの言葉に強く頷いたユーリが「幻術は起こりが大事だぞ」とだけ言うと、ビルの向こうに消えていった女を追いかけるように駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る