第168話 一応対話を頑張った方だと思います

 祭壇へと躍り出たユーリは、直ぐに異変に気がついた。先程はユーリが持っていた明かり以外は真っ暗だった大部屋だが、今は壁に儲けられた松明に火が灯っているのだ。


 見るからに異様な光景ではあるが、通路を抜けて直ぐの壁際で蹲るクロエは気づいていないようだ。錯乱しているのか、それともこういう部屋だと認識しているのか……もしくは――。

 松明を灯した主が気にならない訳では無いが、今はクロエの無事を確認する方が先だ、とユーリは口を開いた。


「おい、ポンコツ――」

「誰がポンコツだ」


 上がってきたクロエの顔は、いつもより元気がない。元気はないが、とりあえず無事な様子にユーリは大きな安堵の溜息をついた。


「なんつー顔してんだよ」


 眉を寄せるユーリに、「う、うるさい」とクロエが再び体育座りの腕の中に顔を埋めた。どうやら元気がないだけで、特に外傷や精神的にやられているわけでもなさそうだ。


「とりあえず、向こうに帰れ。んでエレナに『実は寂しかったんだ』って言ってこい」


 前でしゃがむユーリに、再び顔を上げたクロエが「誰が言うか――」と口走ってしまった言葉にその顔を赤らめた。


「ち、違う。いまのは違うくて、私は決して寂しかった訳では……」


 アタフタと手を動かすクロエに「へぇ、へぇ」とユーリは呆れた笑顔を向ける。この期に及んで認めようとしないクロエだが、その根本が分かってしまえば何てことはない。ただ自分の気持ちを表すのが不器用なだけなのだろう。


「お前、意外に可愛いところがあるんだな」


 思わず出てしまったユーリのその言葉だが、その破壊力は大きかったようで……「な゛――」とクロエが言葉を詰まらせ、その顔を真赤に染め上げた。


「き、貴様! 騎士に向かって可愛いなどと――」

「分かったから、向こうに戻ってろ」


 笑顔のユーリがクロエの額を指でつつき、顔を引き締めて立ち上がった。クロエに背を向けるように、いや、祭壇とクロエの間に立ちふさがるように――そんなユーリの雰囲気に「ナルカミ……?」とクロエが怪訝な表情と声をもらすが、ユーリはクロエを振り返らない。


「俺はちっとやることがあるからよ……」


 真っ直ぐに祭壇を見つめるユーリの様子に、クロエもようやく部屋がやけに明るい事に気がついたのだろう。


「そう言えば、松明が……」


 異様な光景に気がついたクロエが顔を引き締め、「モンスターか」とユーリの後ろで立ち上がるが、ユーリはクロエを振り返らないまま態とらしく笑い声を上げた。


「何でモンスターが火をつけて回んだよ」


 ユーリの言葉に「しかしだな……」とクロエが呟くが、ユーリはそれに応えずただただ「いいから戻ってろ」と言うだけだ。


「ナルカミ……お前、何を隠している?」


 クロエが怪訝な表情でユーリの肩を掴む。


「隠してねぇよ。から戻れって言ってるだけだ」


 眉を寄せて振り返るユーリに、「なぜ、私がいると困るのだ」とクロエも眉を寄せた。


「あのな……察しろ。部屋から出ていって欲しいって意味を……」


 ユーリの呆れ顔に、クロエがキョトンとした表情を返した。まるで分かっていない。そんな様子のクロエに、「これだからエリート様は」とユーリが苦笑いを浮かべる。


「それとも手伝ってくれんのか……?」


 ユーリの嘲笑めいた顔に、「お、おお。手伝ってやろう」とクロエがその胸を右拳で叩いた。


「…………」


 その言葉でクロエの顔が一気に赤く染まる――


「だ、だだだだ誰が貴様の下の世話など――」

「だから先に戻ってろって言ったろ」


 呆れ顔のユーリに、「なんて破廉恥な男だ」とクロエが頬を膨らませながら距離を取った。


「ならさっさと戻ってろ。リリアの護衛も継続中だろ」


 ユーリの言葉にハッとした表情をもらしたクロエだが、「貴様も早く戻ってくるのだぞ」と言い残して通路へと振り返った。


「クロエ」


 そんなクロエに、ユーリが背中越しに声をかけた。


「なんだ?」

「俺が戻るまでに仲直りしとけよ……じゃねぇと、全員にお前が泣いてたことチクるからな」


 ニヤリと笑って振り返るユーリに、再び顔を赤くしたクロエが「悪魔め」と顔を顰めて暗い通路へと消えていった。


 祭壇から感じる気配を考えると、クロエと共闘する手も考えたが、恐らく今のクロエにあまり戦力としての期待は出来ない。先程ゾンビを燃やしまくっていた光景は、明らかにオーバーワーク気味だった。


 あれではいくらクロエと言えど、魔力など殆ど残っていないだろう。一応魔力回復薬マジックポーションも飲んでいたが、それでも全快までは時間がかかる。


 よほどエレナが心配だったと見える。クロエらしからぬ調整ミスだが、だからこそ一刻も早くこの場から遠ざけたかった。なんせこれ以上は相手が待ってくれそうにないのだ。


 小さくなっていく足音に、遠ざかる気配に、ユーリは小さく溜息をついて祭壇を真っ直ぐに見据えて口を開いた。


「さてと……待った?」


 軽いユーリの口調に呼応するように、祭壇が黒い光を放つ――


『待ちわびたぞ』


 ――ユーリの軽口に応えるように、地の底から響くような尊大な声が遮った。男の声と女の声がダブって響く奇妙な声だが、不思議と言っている事はハッキリ聞き取れた。


 響いてきた奇妙な声に、祭壇から感じていた気配が見る間に大きく、それに呼応するように祭壇から溢れる黒い光りも更に強くなっていく。昼を覆う夜のように広がる黒に、ユーリは僅かに顔を顰めながらも通路の前に立ちふさがった。


 輝いていた黒が収束していく――そこに現れたのは、馬の頭を持った人。正確には馬の頭に人の腕と上半身、そして下肢はまた馬という異形だ。明らかに人ではないそれが放つのは、ユーリをしてもなかなか対峙した事がないほどの強大な気配。


 先ず間違いなく強力なモンスターなのだろうが、ユーリをまっすぐに見つめるその昏い瞳の奥には確かな知性を感じる。ユーリを値踏みするような視線……それを真正面から嘲笑で返すユーリが、口を開いた。


「おいおい。ハロウィーンには早すぎるだろ」


 ユーリの軽口に、眼の前の馬人間が『ハロウィーン……』と静かに呟いた。一瞬思考を巡らせた馬人間だが、馬の顔が分かりやすくニヤリと笑みを浮かべる。


『旧き時代の風習か』


 鼻で笑う馬人間に、「馬のくせに物知りじゃねぇか」とユーリがもう一度軽口を返した。


 意思疎通が出来る存在……間違いなく旧時代の神話や物語に描かれているオリジナルのモンスター……つまり叙情詩エピッククラスのモンスターだ。そして先程この存在が言った「待ちわびた」という言葉。つまり、ユーリが一人になるのを待っていたのだろう。


 そう思ったユーリが、後ろの通路に一瞬だけ意識を向けた。自分以外に興味がないとしたら、もしかして……と意識を向けたが、今の所向こうの小部屋は問題ないようだ。


 ただ微妙に皆の気配が遠く感じる。物は試しと、切っていたイヤホンのスイッチを入れるが……鼓膜を震わすのは、ノイズだけだ。


『先程の女が気になるか?』


 その言葉にユーリが再び意識を前に向ければ、歪んだ笑顔を浮かべた馬と目が合った。


『案ずるな。貴様に聞くことが終わるまでは、奴らに手は出さぬ』


 祭壇の上に腰掛ける馬人間に、ユーリは眉を寄せて頭をかいた。どうやらこの異形の言葉を信じるならば、やはりユーリと対話がしたくてここに居たという事になる。


「そうかい。俺も聞きてぇ事があるんだよ」


 笑うユーリを前に、馬人間が『愚かな。話すのは我だけよ』と鼻を大きく鳴らした。取り付く島もない、と言った雰囲気にユーリとしては「ぶっ殺すぞ」と言いかけたその言葉を飲み込んだ。


 ここでいきなり関係が拗れれば、相手から情報を聞き出す事も出来なくなる。仕方がないとばかりにユーリは大きく溜息をついた。


「話を聞いて欲しけりゃ、でももってこいってか」


 ユーリとしては最大限譲歩した文句だが、僅かに感じられる殺気を考慮するに、馬人間のお気に召さなかったようだ。交渉開始三秒でいきなり拗れそうな状況に、「冗談だ」とユーリが肩をすくめて見せた。


 そんなユーリに向けられていた僅かな殺気は、『下らぬ冗談か……次はないぞ』と呟いた声とともにゆっくりと霧散していく。どうやら会話とやらをしてくれるらしい。


 そのままユーリが黙って待つ事暫く……馬人間が徐ろに口を開いた。


『滅びの子よ……なぜ貴様はここにいる?』


「滅びの子……ああ、能力者を指す言葉だったか……」


 呟いたユーリが、腕を組み眉を寄せて暫し考えた。


「何故って……成り行きで?」


 ユーリは一瞬考えたものの、相手が納得できるような言葉を紡げない。実際成り行きでここに辿り着いたので、間違いではないだろう。だがユーリのその言葉に、馬人間は『……食えぬ男よ』と鼻をブルブルと鳴らして不機嫌そうだ。


『あの歌声……に宿りし力がどのようなものか、


 馬の瞳に僅かな殺気がこもるが、ユーリからしたらそれどころではない。


「神子……だぁ?」


 気になる言葉がサラッと告げられたのだ。馬の殺気など今は些事も些事である。眉を寄せ、「どういう事だ」と一歩前に出るユーリに、馬人間が嘲笑を浮かべる。


『この場で犠牲になった者たち…………と言えば分かるだろう』


 祭壇から降りた馬人間が、ゆっくりとその周囲を歩き出した。


『かつて、この場で多くの幼子が犠牲になった事は知っていよう?』


 馬人間の言葉にユーリは黙って頷く。


『その中に、あの娘もいたのだ……まだ生まれたてで泣く事しか出来ぬ頃に』


 下卑た笑みを浮かべる馬人間だが、ユーリはそれに乗らない。ただただ表情を殺して馬人間を見つめ続けるだけのユーリに、異形は面白くなさそうにまた大きく鼻を鳴らした。


『神を降ろすという名目……。それがたまたまあの娘に――』


 もう一度祭壇に腰掛けた馬人間だが、今の言葉にユーリは引っかかりを覚えて「ちょっと待った」と続く言葉を遮った。


「今、何つった? 恐怖や憎悪が……なんでアイツの歌声に繋がる?」


 眉を寄せるユーリの言葉に、馬人間は僅かに顔を下げた。まるで考えるような仕草だったそれだが、顔を下げたのはほんの一瞬で、戻ってきたのは下卑たような醜い笑い顔だ。


『……生まれ落ちた理由すら知らぬとは……』


 鼻をブルブルと鳴らして笑う馬人間を前に、ユーリの蟀谷に青筋が浮かぶ。


『哀れだな……。何も知らず、その名の通り滅ぶだけの存在か』


「滅びの子、滅びの子、煩えよ。その他大勢みたいな括りで呼ぶな……


 ユーリの言葉に、馬人間が『威勢がいいな』と鼻をブルブルと鳴らす。


『不遜なる者よ……我が名を聞いて恐れ慄け。我はオロバス。偉大なる地獄の君主――』


 オロバスと名乗り嘲笑を浮かべる馬人間が両手を広げ、その名を聞いたユーリの眉がピクリと動いた……ユーリの見せた反応にオロバスはしたり顔を見せる。


 オロバス。ソロモン七二柱の一柱にして、序列五五番目の偉大なる君主。地獄の軍団を二〇も率いる強大な悪魔である。叙情詩エピック叙情詩エピック、掛け値なしの超大物。


 その名を聞けば恐れ慄き、普通の能力者であれば、一対一という圧倒絶望の前に膝をついてもおかしくはない。


 そしてそんな相手を前に、もちろんユーリは……


「悪い。知らねぇ」


 ……ドヤ顔で名乗る馬の事などを知るはずもなく「マジで、全っ然知らない」と顔の前で右手を左右に振っている。


 そもそもユーリの頭にある地獄の偉い奴は閻魔大王か、サタンの二択くらいだ。エレナのモデルナノマシンである【マルバス】も、クロエの【アモン】も知らない男である。いきなり出てきた馬人間の正体など推して知るべし、という所だ。


 とは言えそれを認められないのが、地獄の偉大なる君主――


『下らない冗談は止せと言ったはずだが?』


 オロバスが足を踏み鳴らせば、辺りを重力が増したかのような気配が包みこんだ。あまりにも大きな気配に、ユーリは「チッ」と舌打ちをもらして通路の向こうに意識を向ける。離れているとはいえ、このプレッシャーは生身であるリリアには毒だ。


『案ずるな。先にも言ったが、結界で覆っておるわ。全ては、な』


 ニヤリと笑うオロバスに、「そうかよ」とユーリが首を鳴らしてオロバスを睨みつけた。


『聞きたいことは終わりだ。貴様とあの娘、全てはただの偶然。そして何も知らぬなら、貴様程度捨て置いても問題はなかろう』


 オロバスが笑みを浮かべた瞬間、場を覆っていた強大な気配が小さくなっていく。どうやらユーリを見逃す、と言っているようだが……


「なに勝手に話を終わらせてんだよ。俺の聞きてぇことはまだ終わってねぇわ」


 ……それを「そうですか、ありがとう」とはならないのがユーリだ。


『愚かな……矮小なる存在が、我に話を聞けるとでも?』


 オロバスの瞳に再び殺気がこもる。それと同時に祭壇の間を強大な気配が包み始めた。


「『聞ける』んじゃなくて、『聞く』んだよ。勘違いすんな馬ヤロー。俺が『聞く』っつったら、『なんなりと』って頭を下げてブルブル震えて待て」


 嘲笑を浮かべるユーリを前に、オロバスはその歯をむき出しに『不遜なり。不遜なり――』とブツブツ呟いて鬣を逆立たせている。


『いいだろう。滅びの子よ。……観察で暇つぶしになるかと思うたが、どのみち


 膨れる殺気がユーリの髪を舞い上げた。


『貴様はここで殺してやろう』

「やってみろ。駄馬が」


 オロバスを前に嘲笑を浮かべたままのユーリが僅かに腰を落とした。


「キッチリ調教して、馬代わりにして荒野を爆走してやるよ」


 その言葉で完全にキレたのだろう、オロバスが天に向けて大きく咆哮――空間全体を揺らす咆哮だが、それを受けているユーリは眉一つ動かさない。


が……その口から塞いでやるわ!』


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