第138話 行こうか。ってピクニック感覚で行ける場所なら良かったのに

 グレーチングから落ちる日が、路地裏を目覚めさせて暫く――『ディーヴァ』の扉が開いた。いつもの朝一番と比べると半刻程遅いだろうか。


 ゆっくりと開いた扉から顔を出したのは、寝ぼけ眼のユーリだ。


 欠伸を噛み殺すユーリには理由がある。昨夜リリアへ降って湧いた陣中見舞い依頼について、ユーリはかなりリリアと話を重ねたのだ。特に危険が迫る要な場合の合図や逃走する場合の注意点に加えて、それに必要な諸々の確認だ。


 例えばリリアを抱えて、ユーリが走れるようにするためにはどうするか……という問題だ。


 リリアを抱えて走るためには、それ相応の準備がいる。ユーリを始め能力者自体にはなんら問題はない。だが生身のリリアを抱えて能力者が走るという事は、それだけでリリアには危険だという事に変わりはない。


 生身で音速を超えるのだ。宙を舞う落ち葉に当たるだけで致命傷だ。


 それ以外にもどうやって、駐屯地までリリアを護衛するかもだ。歩いて行くには一般人では到底一日で歩ききれる距離ではない。一番近い駐屯地でも片道一〇〇キロだ。今回の陣中見舞いは、ショッピングモール跡と、次の駐屯候補地の二箇所を予定してある。


 スケジュール的には、第二駐屯地が開放されてからだから、あと数日程は猶予があるが、一般人を連れて荒野を行く準備をするには結構ギリギリだ。


 生存圏内の西側ならいざしらず、完全モンスターのテリトリーである東なのだ。入念な準備が必要になってくる。


 ――【軍】の奴ら、どうやって護衛するつもりだったんだよ。


 昨夜ボヤいていたユーリの言葉に、リリアは少しだけ申し訳無さそうな顔をしていた。なんせ自分が「ユーリがいい」と言ってしまったせいで、ユーリに負担を強いる形になってしまったのだ。


 だが、そんなリリアの顔を見たユーリは気にするなとそのデコを指で軽く弾いた。


 ――目に見えねぇ所に置いとく方が不安だ。


 そう言ってニヤリと笑うユーリが「迷子になられても困るからな」と続けた言葉にリリアは頬を膨らませながらも、嬉しさを隠せずにいた。


 そんなやり取りがあったのが昨晩……そしていつもより遅い時間にも関わらず、扉から顔を出したユーリが眠たそうなのはそういう訳だ。


「とりあえず行ってくるわ」


 欠伸を噛み殺したユーリがリリアにヒラヒラと手を振った。


「うん。行ってらっしゃい」


 それを見送るリリアは少しだけ嬉しそうに、だがやはり少しだけ申し訳無さそうにも見える。


「ンな顔すんな。お前はお前のやりたいようにやれば良い。遠慮なんてクソ食らえだ」


 笑ってリリアの頭に手を置いたユーリが、「まあ出発はまだ先だからな、今からあんま根詰めんなよ」とリリアへ後ろ手を振った。


 そんなユーリの姿を見送ったリリアも「よし」と頷いて扉を閉めた。


 グレーチングから落ちる光が、微かに照らす店内でスキップ気味に歩くリリアがピタリと止まって「私も筋トレとかした方がいいかな」と困惑気味の表情でエレナに連絡を取ったのはまた別の話――




 ☆☆☆


 欠伸を噛み殺すユーリが辿り着いたのは、ハンター協会にある巨大会議室だ。既に多くの人で埋め尽くされた会議室の扉を開いたユーリに、一斉に突き刺さる視線。【軍】の関係者から、サイラスを始めとしたハンター協会の職員。そしてエレナ達だけでなく、多くのハンター達から注がれる視線に、「うげ」とユーリは顔を引き攣らせた。


 何気なくサイラスに相談したつもりが、思っていた以上のプロジェクトになっているのだ。


「遅いぞ、ユーリ」


 顔を引き攣らせるユーリに声をかけたのは、最前列に陣取っていたエレナだ。どうやらその隣が空いているようで、ここに座れと言わんばかりに手招きをしている。


「早く座りたまえ」


 眼鏡を光らせるサイラスも、ユーリにエレナの隣を指定するように顎でしゃくる。最前列などゴメン被りたい所だが、どうやら発案者であるユーリに拒否権はないようだ。


 多くの視線に晒されながら、最前列にユーリが腰を降ろすと、「それでは会議を始めますね」とクレアが笑顔のまま手元のタブレットをタップした。


「この度、【軍】よりリリア・オーベル嬢へ陣中見舞いに来て欲しい旨のご依頼がありました」


 クレアの説明で、全面の巨大モニターにリリアの顔が映し出された。


「ハンターの方々なら恐らくご存知でしょう。あの奪還祭で大変素晴らしい歌声を披露した、言わば下層の歌姫です」


 クレアの説明にハンター達が分かりやすくザワつく。どうやらあの舞台は相当有名らしい。とユーリがつまらなそうに膨らませた頬に


が有名になって複雑かい〜」


 と反対隣でダンテがニヤリと笑った。


「うっせ。ンなんじゃねぇよ」


 とボヤくユーリに「分かりやすすぎですわ」「か、かかか可愛いから……心配」と後ろからも聞いた声でヤジが飛ぶ。


「ですが、護衛対象たっての依頼で、彼女の護衛は今しがた到着したハンター、ユーリ・ナルカミ氏へお願いすることとなっております」


 クレアの言葉に、全員の視線が再びユーリへと集中した。そこかしこから上がる「なんで?」と言った疑問の声に、クレアは困った様な笑顔を浮かべてみせた。


 白々しい、そんな笑顔のクレアが「そこはお察しください」と全員を見渡してもう一度微笑んだ。


「二人は一つ屋根の下でございますので」


 ぶっこまれた爆弾に、そこかしこから悲鳴のような声が上がる。


「……スマイル仮面……やってくれるぜ……」


 頭を抱えるユーリの隣で笑いを堪えるエレナと、「悪い虫がつかないからいいじゃねーか〜」と脳天気なダンテ。


 隣のエレナは肩を震わせたままだし、後ろからは「いい気味ですわ」と辛辣な声も聞こえてくる……とは言え、突き刺さる視線の全てが敵意や嫉妬を孕んでいる訳では無いのは救いだろう。中には事情を察するような生温かい視線もある。


 そんな視線に晒され、頭を抱えるユーリを見たクレアが再び笑う。


「ユーリさん、挨拶とかされますか?」


 嫌がらせにも似たクレアの言葉に、「勘弁してくれ」とユーリがげんなりとした声を返したその時――


「やはり納得出来ん!」


 ――テーブルを叩いて一人の軍人が立ち上がった。真っ直ぐにユーリを見据えるのは、昨日リリアに声をかけていた軍人だ。


「そもそもこの依頼は我々が出したもの。であれば、我々が責任を持って護衛するのが筋だろう」


 ユーリを睨みつける軍人をクレアは困り顔で見つめ、ユーリへ「……と仰っておりますが?」と視線を戻した。


「筋だ何だと言うなら、沿


 座ったまま、下らないとばかりに吐き捨て「バカなのか?」とまで言うユーリの態度に、軍人の蟀谷に青筋が走る。


「そもそもに、一般人を付き合わせる時点で大問題なんだよ。歌が聞きたきゃでも持っていけ」


 机に頬杖をつきながら嘲笑するユーリに「貴様……」と軍人の顔が赤くなっていく。


「大体な……筋だ何だと言うなら、ここに集まった全員に頭を下げて『僕たちの我が儘ですがお願いします』って言うのが筋だろうが」


 嘲笑から一転、睨みつけるユーリの言葉に軍人が僅かに仰け反った。事実ユーリの言う通りで、録音でも何でも持っていけば良いのを、わざわざ本人を連れて行きたいと願い出たのだ。そのせいでこれだけの人間が、そのプロジェクトの為に準備をしなければならない。それは紛れもない事実なのだから。


「それとも、エリート様はンな事すら分かんねぇのか?」


 再び嘲笑めいたユーリの顔に、立ち上がっている軍人だけでなく、その仲間達も一瞬だけ視線を逸した。


「ああ、そうか……ンな事も分かんねぇから、未だ使


 悪い顔でユーリが吐き捨てた瞬間、


「ユーリ君!」

「やめておけ」


 と二つの制止が飛び込んできた。


 一つは勿論サイラスが放ったもので、先程から会話のキャッチボールの度に棘付き鉄球を投げまくるユーリへの制止。そしてもう一つは……


「ヴァンタール少佐……」


 壁に凭れていたクロエが放っただ。ユーリの煽り発言棘付き鉄球に負けて殴りかかりそうになった軍人を、クロエの一喝が止めた形である。


 そんなクロエは壁に凭れ腕を組んだまま小さく溜息をついた。


「これ以上をする気か?」


 射抜くようなクロエの視線に、軍人は声にならない悲鳴を漏らして視線を逸した。


「そいつの言っている通り、今回我々はここへしに来た形だ。それを履き違えるな」


 クロエの言葉に短く「……はっ」と返事をした軍人が大人しく椅子に座り直した……とは言えその顔は納得しているとは言い難いものだが。そんな軍人の様子にクロエは小さく溜息をついた。


 ……どの道放っておいてもだろうが、……と。


「ナルカミ……お前ももう少し配慮した発言を心がけろ。?」


 睨みつけるクロエに、ユーリは再び嘲笑を浮かべて肩を竦めて見せた。


「そりゃ。止められて助かったのは、


 悪い顔のユーリの言葉に、軍人が再び立ち上がり会場全体がザワつく……


「ユーリ君……」


 呆れた顔のサイラスが「いい加減にしたまえ」と続ける言葉にユーリは面白く無さそうに鼻を鳴らした。


「へーへー。んじゃ続きはで我慢してやるよ」


 肩を竦めたユーリの言葉に、「まったく」とサイラスが盛大な溜息をつき


「君というやつは」

「ブレないね〜」

「ボコボコにされるといいですわ」

「……な、ななな仲良くしよう」


 それぞれが、それぞれらしい感想をもらす中、クロエは思惑通り進んだ事にホッと胸をなでおろした。どうせ放っておいても軍人達は何かしらのをしただろう。であれば、ユーリを焚き付け煽らせる事で、完全な対立構造にしてしまったのだ。


 こうなれば軍人たちも黙っていないし、何よりここにいる全員が証人だ……場外乱闘があるという事の。


 これで軍人たちも大手を振ってユーリと戦える……いや戦うしかなくなった。


 敢えて仲間である軍人達の退路を絶ったのは、今回の作戦が、私情を多分に孕んでいるからだ。ユーリに難癖をつけていた男……階級で言えばクロエより下の大尉であるが、一個中隊を率いる歴としたエリートである。


 そんな中隊長が、リリアに惚れ込み自分の力を見せつけたくて、今回の顛末を引き起こしたのだ。


 私情で部隊を動かし、なおかつ一般人を巻き込むなど、クロエからしたら反吐が出る。


 しかもこの中隊長が単純に口先だけの人間だから余計に嫌いなのだ。こういった手合は、クロエのような格上が説き伏せたとて、何かと理由をつけて自身の非を認めない。


 そのくせ口だけは出してくるものだから、タチが悪い。


 だが相手がアイアンランクのユーリならばどうか……言い訳など出来はしまい。事実自分がそうだったのだから。


 まとまりかけた話にクロエはもう一度溜息をついて、未だユーリを睨み続ける軍人を睨みつけた。


「貴様も自重しろ……後で存分にやりあえばいいだろう」


 クロエの言葉に「分かりました。後で……ですね」と口角を上げた軍人が椅子に座り直した。


「まあ……分からされるのはお前らの方だろうが」


 小さく呟いたクロエの声は誰にも聞こえていない。


 ちらりとクロエを伺ったクレアだが、腕を組んだまま再び考え込むように瞳を閉じる彼女から視線を戻し「それでは続けましょう」と努めて明るい声をだした。



「先ずは移動方法ですが、協会の所有するトラックを――」


 瞳を閉じたままのクロエの耳に、つつがなく会議が進んでいく様子が聞こえてくる。


「では運転手と、補佐役に砂漠の鷲アクィラを――」


 窓から漏れる暖かな光がクロエを暫しの微睡みへと誘う……頭に響いているのはいつか師が聞かせてくれた言葉だ。


 ――軍人はね、騎士としての誇りを忘れてはいけないよ。


 そんな言葉に重なるように、会議が進んでいく。


「それでは、残ったハンターの方々は、事前に説明した通り――」


 ――我々は人々の剣だ。私情を挟み、命令を無視することは許されない。


「掃討区域の担当割り振りですが――」


 ――でもね。命令を無視しても守らないといけないこともあるんだよ。


 その言葉が響いた時、「それでは解散しましょうか」とクレアの言葉が耳に飛び込み、同時に椅子を引く音がそこかしこで鳴り響いた。


 目を開いたクロエの視界に移るのは、楽しげに言葉を交わすエレナの姿――


「隊長……貴方が命令を無視してまでエレナを守ったのはなぜですか……」


 呟いたクロエの言葉は、賑やかな会議室の喧騒に掻き消されていった。

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