第136話 糸目のキャラは大体何でも見抜いてる
降って湧いたリリアの遠征……それに面食らっていたユーリを散々誂った後、ヒョウは代金を残して一人帰途についていた。
路地裏を抜け、巨大なビル群の屋上から屋上へ。いつもとは違いゆっくりと景色を楽しむようにヒョウは歩いていた。時刻はまもなく日が変わろうかと言う頃だと言うのに、眼下に見える魔導灯に照らされた街並みは、まだまだ夜はこれからだ、とでも言うように煌々と輝いている。
そんな魔導灯に下から照らされるヒョウは、上機嫌に次の屋上へと飛び移った。
――タンッ
と個気味のいい靴音が夜の屋上に響き渡る。
久しぶりに人に奢ったヒョウだが、それでも払った金額以上の楽しみや気付きが得られた時間は、何物にも代え難いものなのだろう。
「……ホンマ、プライスレスとはよう言うたもんや」
ポツリと呟くヒョウの口の端が自然と上がる。
「今を楽しむだけか……」
真っ暗なプレートを見上げたヒョウだが、今その心には重苦しい天井などなく、どこまでも空が広がって見えている。
「……せやから、今なら話聞いたんで?」
そう言いながらヒョウが振り返った。ヒョウの視線の先には薄暗い屋上に備え付けられた空調の室外機。そしてそれが屋上へ落とすより暗い影があるだけだ。それでもヒョウは、薄暗さの中にボンヤリと伸びる暗い影を見つめ続けている。
室外機の影、その向こうから感じられる戸惑いに似た葛藤……それに決着がついたのだろう、暗い影の中から人影が現れた。
「人の事コソコソつけて……エッチやで」
笑うヒョウに、人影――エレナが顔を赤らめ「だ、誰がエッチだ!」と口を尖らせた。
「んで、何のようや? 話あるんやったら、店に入ってきたら良かったやん」
肩を竦めたヒョウが、「外でコソコソしとったやろ?」と笑う。
「やはり気づいてたのか……」
笑顔のヒョウの言葉に、エレナは目に見えて落ち込んでいる。気づかれているなど分かっていた事だと言うのに、こうもストレートに言われるとショックは大きいのだろう。
そんなエレナの反応にヒョウが小さく溜息をついた。
「そりゃ気づくやろ……多分ユーリ君も気づいてんで」
「ユーリもか……」
ヒョウの言葉にエレナの肩がガクリと落ちた。ヒョウに気づかれるのはまだ分かる。ヒョウの実力を目の当たりにしたのだ。あれだけの実力差があれば、気づかれても仕方がない。が、ユーリにまで気づかれていたとなれば、いよいよ二人の戦闘技術はエレナでは計り知れないレベルだという事になる。
物心ついた時から、能力者になるために様々な訓練をしてきたエレナをしても……である。つまりユーリやヒョウは、エレナ以上の訓練をずっと積み重ねてきたと言う事になる。
分かっていた。ユーリが相当な戦闘訓練を積んでいたことなど分かっていた。
初めてユーリの戦闘を見たあの日から。
ユーリと一緒にマフィアのホームを叩き潰したあの時から。
……分かっていたが、それでも実力が自分と同じくらいのユーリを見て、どこかその事実を頭の隅に追いやっていたのだろう。
だから……頭で分かっていても、実際に示されるとそれを受け入れがたい……そんなショックを振り払うようにエレナが大きく頭を振った。
「貴様らは一体何なのだ?」
真っ直ぐにヒョウを見据えるエレナの髪の毛を、一際強い風が舞い上げた。
「あれ? ユーリ君から聞いてへんの? 支部長はんらに話したって言うててんけど」
眉を寄せ、小首を傾げるヒョウに、「それは聞いた」とエレナは変わらずヒョウを真っ直ぐに見ている。瞳に込められた力は、「それ以外の隠された事実を話せ」とでも言わんばかりである。
そんな力強い瞳を真正面に受けるヒョウだが、さほど気にした素振りもなく肩を竦めてみせた。
「ほな、そんまんまや。戦うためだけにデザインされた……それが僕らや」
エレナが知っているであろう事実を淡々と語るヒョウ。その前髪が風に揺れてヒョウの視線を隠す。
「嘘をつくな。それだけではないだろう……私の権能が言っている。お前達は未だ、何かを隠していると」
エレナがヒョウに一歩近づき、声を荒げた。のらりくらりと躱すヒョウに苛立っているのか。それとも実力不足という、突きつけられた残酷な事実への憤りか。
思わず大きくなってしまった、という雰囲気でエレナは口元を覆ってヒョウから視線を逸した。
「そりゃ僕はミステリアスな男やからな。秘密の一個や二個くらいあってもエエやろ?」
視線を逸らすエレナの前でヘラヘラと笑うヒョウが、「影のある男ってカッコエエやろ?」とポーズを決めて己を親指で指しす。そのフザけた態度にエレナがムッとした表情を返して口を開いた。
「そうやって、また私を煙に巻く――」
「煙に巻くつもりはないねんけど……」
眉を寄せるエレナの言葉を、遮るようにヒョウが手を挙げて
「それを訊いてどないするん?」
と恐ろしい程冷え切った声を発した。先程までのフザけた態度から一転、あまりの温度差に目を丸くしたエレナだが、淡々とした様子のヒョウは止まらない。
「人には誰でも知られたくない事くらいある……自分かてそうやろ?」
その言葉にエレナの肩がピクリと跳ねた。……確かにエレナにだって、話したくない過去というものはある。大したこと無いと言えばそうだが、苦い思い出なのは間違いない。
クロエとの不仲の原因。
自身が【軍】を抜けるキッカケとなった事件。
苦い思い出と言うだけだが、それでも自ら語ろうとは思えないし、あの時の無力感というのは、触れられたいものではない。
自分にもある……そう表情に出ているエレナに、ヒョウは正直者だなと言う感想を溜息に変えて口を開いた。
「それともユーリ君は、そんな君の秘密を根掘り葉掘り訊くような男やったん?」
先程までの冷え切った声とは違う……だが、呆れの混じった声に、「……いや……」とエレナが力なく首を振った。
エレナが黙ってしまったことで、辺りに沈黙が流れる。……時折吹き抜ける風の音が矢鱈と煩い。
完全に消沈してしまったエレナを前に、「今のはちっと意地悪やったな」とヒョウが風の音に乗せて盛大な溜息をこぼした。
「いや、私こそ礼節を欠いていた……君を前にするとどうもな……」
首を振って笑うエレナだが、その笑顔に力はない。
「しゃーないやろ。怪しさ満点の男やからな」
エレナの力ない笑顔を、ヒョウのカラカラとした笑い声が吹き飛ばした。今までのやり取りも、何もかもを気にしていない、そう言わんばかりの笑い声が風に乗って屋上に響き渡る。
笑い続けるヒョウをジト目で見たエレナが「自分で言うのか……」と呆れ交じりの笑顔を浮かべた。
「そりゃ自覚はあるさかい」
その言葉にお互い顔を見合わせて、初めて笑い合った―ヒョウの屈託のない笑い声と、エレナの上品な笑い声が混ざり合って屋上を俄かに色づかせていく。
一頻り笑い合い、暗い屋上が明るく感じられる様になった頃
「んで、結局何の用なん?」
ヒョウが欠伸を噛み殺しながら口を開いた。
「ああ。既に礼を欠いた所、少々憚られるのだが……」
モジモジと視線を逸らすエレナに、ヒョウは「何か変なモン食うたん?」と言いそうになったのをグッと堪えた。
自分、偉い。今のがユーリであれば恐らく口走り、鉄拳制裁でも貰っていた事だろう。ココがユーリと自分との違いだ、と一人納得して頷くヒョウを前に、事態の分かっていないエレナが若干眉を寄せるが、その表情を引き締めた。
「私と手合わせを願いたくて」
モジモジから一転、真っ直ぐ見据えるエレナの瞳に、ヒョウは「うーん」と腕を組んで唸り声を上げる。
「君にメリットがないことは重々承知だ。だが、私も私自身の現在地が知りたい」
真剣な眼差しのエレナを前に、「現在地なー……」とヒョウが呟いて腕を組んだ。
「現在地だ。私が……君相手にどの程度出来るかを」
ヒョウの目の前でエレナが腰を落とした。完全に臨戦態勢のエレナは、油断なくその瞳を光らせ、ヒョウの動きを見逃さんと
足元。
肩。
指先。
瞳の動きまで……。
何一つ見逃さない、そういった雰囲気を出すエレナの目の前で、相変わらずヒョウは腕を組んだままだ。
「現在地……現在地かー」
ヒョウがそう繰り返した瞬間、その姿を消した。
それにエレナが気がついた時には、既にエレナの左肩にヒョウの右手が乗せられていた。丁度後ろから肩を叩くような格好だ。
「これが君の現在地や」
ヒョウの言葉にエレナが「なっ」と声を漏らして勢いよく振り返――ろうとしたエレナの頬にヒョウの人差し指が突き刺さ――
グキッ
という鈍い音が屋上に響く――あとに残ったのは、
「ぐぉっぉぉぉ、もっと優しく振り向いてーな」
「おい、大丈夫か。指が変な方向に曲がってたぞ!」
指を抑えて悶絶するヒョウと、その周りをアタフタと回るエレナの姿だ。
エレナの治癒魔法の光が屋上を照らし出す……
「めっちゃ恥ずかしいわ……」
顔を覆うヒョウが、「少女漫画……嘘ばっかやん」とブツブツ呟く横で「わ、私の頬も痛かったからな! おあいこだ」とエレナが良く分からない激励を飛ばしている。
一頻り恥ずかしがったヒョウが、「アカン……こんなんユーリ君の役目やん」とボヤいて立ち上がり歩きだした。
「あ、おい……どこへ行く?」
その背中に眉を寄せたエレナが声をかけた。
「何処って、帰るんや……要らん恥かいてもうたし」
肩を落とすヒョウに、「しかし……」とエレナが言いにくそうに口籠った。
「現在地は分かったやろ? ほなエエやんか」
眉を寄せたヒョウが、「それとも本音を言わへん相手に、これ以上付き合わなアカンの?」と呆れた顔で続けた言葉に、エレナの肩が分かりやすく跳ねた。
「……知っていたのか?」
伺うような視線のエレナに「いんや」とヒョウが首を振った。
「どんな事か知らんけど……」
そう言いながらヒョウが明後日の方向を見つめる。大通りを挟んで向こう側に見える一際高いビルの屋上。それを見つめていたヒョウが、エレナに視線を戻して肩を竦めた。
「お仲間の、あんな警戒された視線があるさかい……」
ヒョウの言葉に「……それすら気づくのか」とエレナは驚きを隠せず瞠目してしまっている。
事実ヒョウの言う通り、離れたビルの屋上から
何とも情けないリーダーだと思うが、三人は笑わずに聞いてくれたし、何より「それならばヒョウに頼むのが一番だろう」と全員で出した結論なのだ。
「……で? 僕は帰ってエエ?」
首を傾げるヒョウに、「待ってくれ」とエレナは手を挙げて大きく深呼吸をした。自分の気持ちを落ち着けるように。いや、今から吐露する心情を受け止めるように。
……大丈夫。自分には皆がついてくれているから。
何度か深呼吸を繰り返し、胸に手を当てたエレナがヒョウに真剣な顔を向けて口を開いた。
「先ずは急な手合わせのお願い……だが――」
視線を逸したエレナが「私自身の弱さを認めたくなかったのだ」と自嘲気味に笑った。
「君と手合わせをし、君とある程度戦えたならば……克服できるかもと……情けない考えに巻き込んだ事を詫びよう」
頭を下げるエレナの言葉を、ヒョウは黙ったまま聞いている。
「……私は怖いのだ……あの日からずっと……死の恐怖が私を捉えて放さないのだ」
エレナの弱々しい声を、屋上を吹き抜ける風が攫っていく――
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