第117話 馬鹿正直が一番強い

 ユーリがショッピングモールを破壊した次の日――


「おい、見たか?」

「びっくりするくらい美人だったな」

「ダンジョン関連の依頼なら手伝ってくれるってホントかよ?」

「馬鹿か。重要任務だけに決まってんだろ。それこそみたいな」


 ――ハンター協会は、【軍】から出向してきたの話題で持ち切りだった。


 ハンターの誰もが、つい先程現れたクロエに驚きを隠せないでいた。服装から佐官クラスという事は直ぐに判明している。


 若く、見目麗しい女性佐官。


 間違いなく将来有望なエリートだ。因みにクロエの二つ名は能力者の間では非常に有名だが、その姿を見た人間は下層のハンターでは一人もいない。故にハンター達からしたら「メチャクチャ美人の佐官が来た」という完全に浮足立つだけの状況だ。


 もしかしたら美人とお近づきになれるかも……と。


 これがクロエ・ヴァンタールという名前を一つでも聞いていたら、彼らのザワツキはまた別の種類に変わっていただろう。


 ……そんな大物がなんで? と。


 兎に角クロエとは未だ知らないハンター達であるが、【軍】から佐官がわざわざハンター協会へ出向し、しかも依頼次第ではそれを手伝ってくれるのだという。


 彼らからしたら天上の人物が降りてきた……と言うところだろう。


 本来であれば、クロエに限らず佐官クラスがハンターを手伝うなど考えられない。だが、それを実現させたのは、【軍】がこの探索を如何に重視しているか、というクロエが引っ提げてきたお題目だ。


 本気であるというスタンスを見せるために、佐官を派遣した……それは表向きの名目で、実際はサイラス・グレイという人物を警戒しての事だ。


【軍】総司令官のロイド・アークライトが今一番警戒している人物。計画の障害となるかもしれないサイラスへの


 勿論ロイドにも確信があるわけではない。だが、今回のショッピングモール破壊に関して、少なからずサイラスがロイドの計画を邪魔した事だけは確実だ。


 ただの偶然にしては、諸々の対処が早すぎる。

 意図しているなら、目的は何か。

 ロイドの計画に勘づいているのか。


 本来であれば、そういった情報をクロエに期待したい。……だがクロエはロイドの野望など知らない。


 知らない以上、サイラス達の意図を探らせるわけにはいかない。


 だからクロエは「ハンター協会のサイラス支部長を監視し、怪しい動きがあれば報告せよ」という密命を受けただけだ。今回のショッピングモール破壊事件に関わったとされるハンター達も同時に……という密命と共に。


 ロイドはショッピングモール破壊に関わった人物は、サイラスの息がかかった仲間だと踏んでいる。


 なんせ【お上】からの要望を蹴って施設を破壊したのだ。普通のハンターであれば、上からの意向に逆らうなど考えられない。それが如何にハンター協会支部長の頼みであったとしてもだ。


 サイラスやその周りが怪しい。

 とは言え、それを探らせるには、理由を――自分の計画を話す必要がある。

 自分の計画をあまり大っぴらにしたくはない。


 そんな諸々の事情から生まれたのが、クロエという大物を派遣してサイラスへの


 ロイドはサイラスという男を高く評価している。故にこのクロエの派遣、その真の意味にサイラスが気づくと確信している。


 ――お前の動きに勘づいているぞ。


 そのメッセージが相手に伝わるだけでいいのだ。優秀なサイラスならば直ぐに気がつく。故に今後はあまり目立った動きは取れなくなる。……そう期待しての人選だった――







 のだが……


「さて、困ったな……」


 支部長室でクロエを前にサイラスは苦笑いを浮かべた。発言の意図は、、そしてクロエ・ヴァンタールという大物をどう扱っていいのかという本音の二つだ。


 サイラスはロイドの期待通り牽制だと理解した。いや、理解せざるを得なかった。なぜなら……


「何も遠慮することはない。この身、剣として殿


 クロエが浮かべる満面の笑みに、サイラスはその苦笑いを更に引きつらせた。なんせ殆ど「監視しに来ました」と言っているような物だ。


 そんな奴を隣に置けとは言うが、そういう訳にはいかない。隣にずっといられては、ロクに指示も出せないどころか、ブリーフィングルームなどの秘密基地へ行くなど以ての外である。


 クレアを経由して指示を出してもいいだろうが、結局はその時も隣にクロエが居るのだ。……メチャクチャ邪魔である。


 それならば、ダンジョン探索に関する任務にに使えば、と思うがそう言う訳にはいかない。なんせ表向きの名目はダンジョン探索を加速させるための措置だ。厳密にはハンターだけでは厳しい任務を手助けするため。という名目である。


 そうなってくると、就かせられる任務は昨日のような重要任務という事になる……のだが今ダンジョン探索系の任務は――


 瓦礫の撤去

 道路整備

 行軍路の露払い


 くらいしかない。土木工事はもとより、【軍】の佐官が、行軍路の露払いなど、本末転倒もいいところだ。そんな任務などクロエに頼めたものではない。


「ヴァンタール卿、折角下層に来たのだ。今日くらいは下層の散策などに当ててはいかがだろうか?」


 やんわりと「お前に傍にいて欲しくない」と伝えたサイラスだが、それが通じるようなクロエではない。「そういう訳にはいかない」と首を振る彼女の瞳が鋭く光る。


「私は貴殿らがおかしな事をしないか、


 使命に燃えるような彼女の瞳に、サイラスは頭を抱えて溜息をついた。流石のクレアですらその貼り付けた笑顔が少々強張っているほどだ。


 最初の発言は、まあギリギリ間接的だった。ところが事ここに至って、まさか自分から「お目付け役に来ました」と堂々と宣言するとは……嘘がつけない。嘘をつかない真っ直ぐな性格なのか、それとも何も考えていない愚か者なのか。なんでこんな奴を派遣するんだ……と思わなくもないが、もしかしたらそれ自体が作戦なのでは、とサイラスは少々疑心暗鬼である。


 ……実際はクロエがロイドの思惑を超える馬鹿正直者だったというだけなのだが。


 そんな事とは露知らず、サイラスはクロエの本心を掴めやしないか、と再び視線を合わせた。


「さあ、貴殿の仕事を何でも手伝うぞ。速くダンジョンを探し出し、この世界に蔓延るモンスターを一掃したいからな」


 笑顔を浮かべるクロエの真っ直ぐな瞳。己の信じる正義のために握った剣。正しく騎士の姿なのだろうが、それを前にしたサイラスは再び頭を抱えた……多分コイツ本心で言ってる、と。つまり先程までの発言は全て嘘偽りのない言葉なのだ、と。


 わざわざ自分が来た目的を話すなど……確かに牽制という面ではある程度の効果はあるだろうが、ここまでバカ正直にされると「じゃあコイツにバレないようにするか」と即座に対策を打たれるのが関の山だ。


 とは言え、この馬鹿正直者クロエを派遣してきたのはあのロイドだ。四〇を少し過ぎた程度の若さで【軍】の総司令官まで上り詰めた若き俊英。そんな男が、このサイラスのもとにこんな馬鹿正直者を送り込んでくるだろうか、と疑いを持たずにはいられない。


 もしかしたらこの娘はただの陽動で、本来は別の監視者がいるかもしれない。


 一度疑いを持ってしまえば疑惑は大きくなるばかりだ。


 完全に虚を突かれてしまった。ショッピングモールの一件で、相手に一泡吹かせたと思えば、まさか昨日の今日でこんなカードを切ってくるとは。


 切るにしてももっと腹黒い、それこそサイラスと同様に裏表のある人間であれば、もっとやりやすかったのに。


 そう嘆きたいサイラスだが、それを目の前のクロエが許してくれない。


「何なら貴殿のおすすめする部隊チームを鍛えてやってもいいぞ」


 笑顔のクロエが言外に含ませているのは、「お前の部下のことも見張るからな」という脅しにも似た言葉だ。


 その言葉にサイラスは溜息をついた。エレナ達実行部隊に張り付かれては、それこそオペレートシステムまで露見してしまう。仮にそれを使わなければ、荒野の探索リスクが爆発的に上昇してしまう。


 漸く育て上げた自慢のチーム達とシステムだ。それ以上にサイラスは彼らを部下でなく仲間だという認識している。仲間に危機が及ぶようなことは何としても避けたい。


 となれば、やはり自身の動きは制限されようとも、四六時中横においておくほか無いか――とサイラスが観念しかけた時、俄かに支部長室の前が賑やかになる。


『おいやめろ、耳を引っ張んなって!』

『うるさい。こうでもしないと君はついてこないだろ』

『悪ガキとお母さんッ! 悪ガキとそれを制裁するお母さんの図ッ!』


 ギャーギャー騒ぐ声が近づいてきたかと思うと、支部長室の扉に付けられたブザーがけたたましく鳴り響いた。


『支部長、――少々お耳に入れてほしいことがあり、参りました』


 マイクから響くエレナの声に、「エレナ……だと」とクロエが顔を顰める。


「エレナ君、すまないが今来客中でね。また日を改めてくれ」


 サイラスが疲れたような顔で眼鏡を外して眉間を揉む。エレナと一緒に聞こえてきたのはユーリとカノンの声だ。そしてあの様子だと恐らく何かしらのトラブルを起こしたか、起こすつもりか、兎に角いいニュースではないだろう。


 既にクロエだけで手一杯の状況。出来るだけ早くこの場を去ってほしい。そんなサイラスの気持ちを汲んでか、マイクから『……分かりました』と少し残念そうなエレナの声が返ってきた。


 エレナには少々申し訳なく思うが、トラブルの種であるユーリとカノンには――と思っていたサイラスだが、妙案を思いついて勢いよく顔を上げた。


「エレナ君、待ちたまえ。をつれて入るといい」


 急に入ってこいというサイラスに、しかもその相手がエレナだという事に、クロエが思わず「グレイ卿!」と声を荒げたが、時既に遅し。


 ――パシュン


 と空気の抜ける音と共に開いた扉。その先には――


 エレナに耳を引っ張られるユーリ。

 そんなユーリをデバイスで撮影しているカノン。

 そして……


「クロエ……?」


 引っ張っていたユーリの耳を思わず放してしまったエレナ。そんなエレナに向けられるクロエの鋭い視線。


「おいおい、が早すぎんだろ」


 苦笑いのユーリだが、その向こうでサイラスは気にしないと言った素振りで「へ来てくれた」と椅子から立ち上がってクロエとユーリ達の前へ進み出た。


「紹介しよう。クロエ・ヴァンタール少佐だ」


 笑顔を浮かべてクロエを振り返り、「一度お会いしてるから知っているな?」とユーリへ向き直り、悪い笑顔を浮かべた。その笑顔に嫌な予感がするユーリ――


「今日から期間限定で、君とカノン君のチームに合流していただく」


 サイラスが光らせた眼鏡に


「「はぁあああ?」」


 ユーリとクロエの素っ頓狂な声がきれいに重なった。

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